食堂の愛
食堂ルアナの厨房は、朝から大忙しだった。
この日食堂の営業は休み。だけれど一人娘のルアナの結婚式がある。急遽日取りが早まったとはいえ、元々大きな式をする予定ではなく、養父となったトリルランとアーシャ、ガーランド一家だけで式を挙げて食堂で食事をするつもりだったのだ。
「アーシャ、そろそろ着替えなければ間に合わない。後は任せてくれ。」
「悪いね、ヴィー。あんたに料理仕込んでおいて良かったよ。」
朝からアーシャと共に厨房に立つのは、以前この食堂で働いていたヴィーとオンブル、そして二人が連れて来た謎の美女。ルミナリエと名乗った美女がなんなのかアーシャは知らないが、きっとまたヴィーの事だ。驚くに違いないと考えて詳しく聞くのをやめた。
「娘の結婚とは良い物だ。妾もつい先日娘が結婚をしてな。婿殿も美しい男であったし、子が楽しみだ。」
「そうですね、私も楽しみですよ。」
話し方からして平民では無いのだ。聞かない方が心臓の為になると判断して、後の料理は三人に任せてアーシャは二階に上がる。
部屋に掛けられているのは質の良いワンピース。ドレスでは緊張するだろうと、着易い物を選んでデュナスが贈ってくれた物。臙脂色のそれは、袖を通すと肌触りが良く、肩も凝らなそうだ。
「アーシャ殿、宜しければ妾が髪を結おう。」
「あぁ、悪いね、ルミナリエさん。」
ノックの音に返事をして入って来たルミナリエに礼を言って、アーシャは鏡の前に腰掛ける。
「息子達が世話になったようで、礼を言いたかったのだ。」
長い赤みがかった茶色の髪を櫛で梳いているルミナリエが紡いだ言葉に、アーシャはやはり驚きだと苦笑を浮かべた。
「息子、達?」
「あぁ、ライオネルと下にいる男だ。」
「血は繋がってないと聞いたけどね?」
「血は繋がっていない。だが、二人とも妾の可愛い息子なのだ。」
「世話になったのは私の方だよ。食堂を手伝ってもらって助かった。働き者の息子さん達だね?」
「昔から、自分で仕事を見つけてしまう子達だ。」
母二人の会話はお互いの子供の思い出話にまで発展して、髪を結われながら、アーシャは優しく笑っていた。
迎えの馬車に乗って教会に行くと、トリルランとガーランドの夫婦は既に来ていた。貴族相手だと緊張するかと思ったが、よく考えたらアーシャは王族の二人に食堂を手伝ってもらっていたのだ。身分の違いで緊張など今更かとも思えた。
「シルヴィア様もお世話になっていたようで、ご迷惑をお掛けしなかったでしょうか?」
マーナが困ったように頬に手を当てているのを見て、アーシャは苦笑する。
「いいえ、私は助かりましたよ。むしろ王女様を働かせて申し訳無かったです。」
「シルヴィア様の事だ。きっと楽しんでいたでしょう。」
ザッカスの言葉にアーシャは同意する。確かに、ヴィーは楽しそうに働いていた。
「ルアナ嬢にはこの老いぼれの話し相手となって頂き、感謝しております。」
「トリルラン公爵閣下には娘も感謝しておりました。よくして頂いているようで、ありがとうございます。」
「どうぞ貴女も、マッカスとお呼び下さい。」
では遠慮無く、とアーシャはそう呼ぶ事に決めた。
そうして歓談していると、神父が式を始めると告げ、デュナスが扉から現れた。音楽と歌が流れると、純白のドレスを着たルアナが入場して来る。ルアナが纏うドレスは、シンプルだがレースがあしらわれた上品な物。アーシャの食堂の稼ぎではきっと、用意してやれなかっただろう物だ。
宣誓と誓いのキスを見届けて、アーシャは溢れた涙を拭う。アーシャが手に入れられなかった、愛する男と作る家庭。だけれどアーシャはルアナを得て、幸せだったなと思う。ルアナがいなければきっと、崩れ落ちたままで立ち直れてはいなかった。アーシャの、支えで全てだった娘の幸せそうな笑顔に、涙が溢れて止まらなくなってしまう。
「やだ、母さん、そんなに泣かないで?」
「ごめん、ごめんよ。嬉しくて…デュナスさん、どうか娘を、幸せに…」
「勿論です。ですがアーシャ、貴女も一人にはしません。共に住む気になったらいつでもいらして下さいね?」
「ありがとう…」
ありがとうを繰り返し、手巾を目に押し当てる。
共に暮らそうと、デュナスとルアナには誘われていた。だけれどアーシャは断ったのだ。生き甲斐となっている食堂を、まだ畳みたくは無い。
娘の腕の中、泣き笑いになって、アーシャは願う。
どうか、幸せにと。
式の後は着替えて食堂で食事会をした。シルヴァンとレミノアも来て、アーシャとヴィー達が作った料理を食べて酒を飲んだ。ヴィーと共にいた美女がバークリン前王妃でレミノアの母親だと聞いた時は、ルアナは飛び上がる程に驚いた。
「ルアナ?」
トリルラン公爵家に戻り、湯浴みを終え、ルアナは夫婦の寝室で窓から空を眺めて夫を待っていた。ぼんやりとしていて、夫となったデュナスの囁くような声に驚いてしまったくらいだ。初夜だというのに、緊張よりもいろんな想いが湧いて来て、頭がぼーっとしてしまう。
「疲れましたか?」
「うん、そうかも。」
「酒でも飲みますか?それともお茶が良いですか?」
「ありがとう。お茶、飲もうかな。デュナスは?」
「私もお茶にします。いいですよ、淹れます。」
礼を告げると、デュナスは穏やかな笑みを見せてくれた。その笑みを見ると、ルアナはほっとして、幸せに満たされる。
「何を、考えていますか?」
二人並んでカップを持ち、温かなお茶を飲む。こくりと飲み込んで、ルアナはカップの中で波打つ液体を見つめる。
「母さんの事。」
「心配ですか?」
「心配。ヴィー達もまたバークリンに帰っちゃうでしょう?新しい人が働いてくれてるけど…寂しいんじゃないかなって。」
「護衛付きになりますが、様子を見に行って良いんですよ?」
「ありがとう。デュナス、大好き。」
「私も。愛していますよ、ルアナ。」
「幸せだなぁ、怖いくらい。」
カップを置いて擦り寄ると、デュナスは抱き寄せてくれる。一度は自分の所為で失おうとしていた愛しい男。だけれどこうして夫婦になって、何故かルアナは幸せが不安になる。
「お互い不満を溜め込まず、思いやりを忘れずにいましょう。会話を忘れずにしましょう。」
「うん。そうだね。」
夫婦という物がどういう物なのか、ルアナは知らない。父がいないルアナは、身近に手本となる夫婦がいなかった。だからこそ、不安なのかもしれない。
「私の両親は、今でも仲が良いです。だから、二人を手本にしましょう。」
どうしていつも、デュナスはルアナの不安を察してしまうんだろう。そしていつの間にか、その不安は拭い去られている。
「レミノア、綺麗だったよね?」
「今日の貴女の方が美しかったです。」
くすくすと笑い、ルアナはデュナスの胸に頬を寄せる。
「ヴィーも、きっと綺麗だろうな…」
「行きたい、ですよね?」
「それはデュナスもでしょう?妹なんだから。」
「そうですね。ですが、久しぶりに会ったヴィアは相変わらずで、だけれど幸せそうに笑っていて、安心したんです。」
「ライなら、任せられる?」
「そうですね。策略家の恐ろしい男ですが、ヴィアには丁度良いでしょう。」
「優しいしね?」
「ヴィアを、心から愛しているようでしたし、ね。」
デュナスは、シルヴァンの代わりに国を守らねばならず、ヴィーの結婚式には行けないのだ。妻であるルアナも行けない。だからイルネスで、妹の幸せを願う。
「幸せになろうね、デュナス?」
「えぇ、幸せになりましょう。」
そうして落とされた口付けは優しく穏やかで、ルアナは幸せの余韻と甘い痺れに身を任せた。




