生誕祭一日目
生誕祭一日目の朝は雲一つない快晴。
前夜祭からそわそわと落ち着かないライアの街は、日の出と共に起き出した。
店主はその日振る舞う料理を作り、騎士達は式典や街の警護の確認に追われる。
バーンズ一座もまた、日の出と共に食事の仕度を始め、公演の最終準備に追われていた。忙しない朝食を終えると街の広場に昨夜設置した天幕と野営地を往復して最後の飾り付けをしたり、客に見せる演技の打ち合わせや最終確認をする。
ヴィーは野営地に留まり、忙しなく動き周る人々のサポートに回った。
「ヴィー!王様見に行くぞ!」
朝から野営地の中をあっちに行ったりこっちに行ったりとしているヴィーを見つけ、ネスが駆け寄った。ミアからヴィーは行かないと聞かされていたが、ネスは一緒に行きたくて誘いにやって来たのだ。
「私は行かない。ミアをしっかり守るんだ。」
「なんでだよ?昨日興味津々だったじゃねぇか!」
「ネス、土産話を持って来てくれ。」
断固としたヴィーの態度に、ネスは膨れ面を作る。それを見たヴィーが小さく笑い、黒手袋の手でネスの髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
「ヴィー、これ好きな。」
毎回髪をぐしゃぐしゃにされるネスはヴィーの手から逃れて、照れ隠しで唇を尖らせた。子供扱いされるヴィーのこれを、ネスは嫌いではないのだ。
「嫌か?」
「別に、嫌じゃねぇ。」
「そうか。」
ヴィーが笑った気配がして、また伸びて来た手に髪を掻き回された。昨夜は元気が無かったヴィーがいつも通りで、ネスはほっとする。
「ほんっとーに、行かねぇの?一度切りだぜ?」
「あぁ。行かない。でも興味があるから、王様の様子を帰って来たら教えてくれ。」
「そんなん、自分で見れば良いのに。」
ネスの言葉に肩を竦めて、ヴィーはネスとミアを送り出す。
手を振るヴィーを置いて、姉弟は二人で街に繰り出した。ヴィー無しで姉を守るだなんて重要任務だとネスはこっそりと緊張している。だが街の光景に、二人は圧倒されて立ち止まった。
昨日よりも飾り付けが増えて豪華になっていた。青や赤、赤紫の花に同色のリボンや布が飾られて、街は三色で覆われている。漂うのは甘い香り。これは昨日もらって食べたお菓子の香りだとミアとネスは気が付いた。
前日よりも遥かに人が増えた中を姉弟は逸れないように手を繋いで進んだ。
「ヴィーも一緒だったら良かったのにな。」
「うん。そしたらもっと、楽しかったね。」
沈んだ顔を見合わせて、二人は笑う。しっかり光景を目に焼き付けてヴィーに教えてやろうと考えた。
王城前は既に人が溢れていた。これでは王様が見えないと、二人は見易い場所を探す。
「姉さん、こっちだ。」
ネスが人混みを掻き分けて進み、ミアの手をしっかりと掴んで引っ張った。ネスは少し高くなった場所にミアを導き、二人でそこに立って王が出て来るのを待つ。
どんどん人が集まりざわめきが辺りを包み込む頃、ラッパの音が高らかに鳴り響いた。途端、割れるような歓声と拍手に包まれて、ミアとネスは驚いて耳を塞ぐ。
鳴り止まない拍手と歓声の中、人々が見つめる王城のバルコニーに人が出て来た。偉そうな老人と若い男。その若い男の髪が白銀に煌めいていて、ネスとミアは彼が王かと一瞬考える。だが、最後に現れたもう一人の男の身形がまさしく王だった。王冠を載せた長い白銀の髪は太陽の光で眩い光を放つ。宝石のような碧の瞳でその男は民衆を見回して、片手を上げた。途端、辺りはしんと静まり返る。
「余が伝えたいのは一言。七日間、大いに楽しむと良い!」
少し高いが凛と響く声。
シルヴァン王の言葉に人々は沸き立ち、美しい王は笑顔で手を振り、城の中へと戻って行った。
祭りの始まりが告げられて、人々は街の中へと散って行く。
ネスとミアは手を繋ぎ、今見た興奮を早くヴィーに伝えようと野営地へ戻る道を急いだ。
「ヴィー?」
野営地の入り口で、ヴィーと同じ色のマント姿の男を二人は見つけた。だけれど男はヴィーよりも背が高く、布の質が良さそうなマントだ。フードを被ったその男を訝しみながらも横を通り抜けようとして、伸びて来た手にネスは捕まった。
「君達、昨日フードを被った人物と一緒にいましたね?」
ネスの腕を掴んだのはマントの男だった。浅く被ったフードの中から覗く顔は、昨日ヴィーを連れ去った金茶色の髪に碧の瞳の男。
「てっめぇ!昨日ヴィーに何しやがった!!」
男の腕を振り払い掴み掛かろうとしたネスをミアが止めた。
「ネス、騒ぎはまずいよ。騎士がすぐに来ちゃう!」
ミアの制止の言葉にぐっと奥歯を噛み締めて、ネスは男を睨む。
「特に何もしていません。広くて探すのに難儀しそうだと困っていたんです。案内してもらえますか?」
「何もしてないのに、ヴィーが泣く訳ない!」
叫んで、ミアはネスの手を引いて駆け出した。男から逃げ出した二人は、真っ直ぐヴィーの元へと向かう。
「ヴィー!」
野営地で留守番をしているヴィーに二人は駆け寄り、息を切らせた二人を見たヴィーの空気がピンと張り詰める。
「ふざけた客人だな。」
低くなったヴィーの声音にびくりと肩を揺らして、ミアとネスは自分達の後ろを振り返った。そこには、マント姿の先程の男。息も切らせず、二人の後ろに立っている。
「ネス、気配を探る練習をもっとやれ。追手を撒く方法も教えたはずだ。」
「ご、ごめん、ヴィー。」
青褪めたネスとミアを守るように、ヴィーは男と二人の間に進み出る。
「それは、なんの冗談だ?」
ピリピリとした空気を放つヴィーを見つめ、男は微笑んだ。
「ここは騎士が多い。顔を見られないよう、真似をしてみました。ヴィーというのが名ですか?」
「それを知ってどうする?」
微笑んだ男は手を伸ばし、ヴィーの手を取って片膝を地面に付きフードの奥の顔を覗き込む。
「貴女のような美しい女性には初めて出会いました。その瞳も美しい。頭から離れないのです。」
ヴィーは固まったままで動かない。
ネスもミアも、ポカンと口を開けて固まった。静まり返った場で、男は首を傾げる。再び言葉を発しようとした男の口を、ヴィーが黒手袋の両手で塞いで地を這うような声を出した。
「それ以上、この場で、口を開くな。殺す。」
「それは困る。」
ヴィーの両手から逃れて、男はヴィーを抱き上げた。暴れようとしたヴィーの耳元に唇を寄せて、囁く。
「暴れたらフードを剥ぎます。貴女もそれは困るのでしょう?」
「………何が望みだ?」
「貴女に興味があるだけです、美しい女。お茶でもしませんか?」
「それだけか?」
「はい。今は。」
「今は、か。」
呟いたヴィーに微笑み掛けて、男は歩き出す。
「降ろせ。」
「お断りします。また逃げるでしょう?」
「なら、少し待て。」
男は足を止めて、ヴィーは呆然としたままのネスとミアへと声を掛ける。
「すまない。帰ったら説明する。ロイドやバーンズにもそう伝えてくれるか?」
「帰ったらって…どこ行くんだよ?」
「お茶です。」
「てめぇには聞いてねぇ!」
「ネス。大丈夫だ。悪い人ではない。……多分。」
「では参りましょうか。」
ヴィーを抱えて歩み去る男を、ネスもミアも止める事が出来ず、呆然と見送るしかなかった。