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マジェンタの瞳  作者: よろず
第三章バークリン
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夜の鳥の追憶

『十年で、私はあれを追い落とします。その為の耳となりませんか?』


 柔和な表情の少年は、鉄格子越しに男にそう告げた。



 男もまた、国を、家族を奪われていた。

 影に潜んで秘密を探り暗殺を生業とする一族の生まれのその男は、闇に潜んで仇へと忍び寄る。月明かりの入らない、寝室のベッドの上。眠る仇の体へ突き立てようとした男の剣を弾いたのは、夜空の化身のような美しい女だった。気配無く部屋に存在していたその女の所為で男は捕まり、牢の中で死刑執行を待つ羽目となったのだ。

 仇も打てず、ただ殺される。そんなのはごめんだと脱走の機会を窺う男の前にその少年は現れた。金茶の髪を一つに縛った、碧い瞳の身形の良い少年。男は、少年が誰か知っていた。


『王太子が、死刑囚の見学か?』


 嘲笑った男に、少年は微笑んで告げたのだ。己の耳となれと。


『"あれ"って、お前の父だろ?』

『十年、待って頂ければあれが落とされる所をお見せしましょう。手伝って頂けますか?』


 男の言葉に少年は答えず、浮かべた笑みを変えずに手伝えと告げる。笑顔の奥の瞳に、男は興味を持った。十三の、城で守られ育った王子が浮かべる物では無い色を宿していたのだ。それはギラリと光る、恐ろしささえ感じさせる仄暗い色。

 男が頷くと、少年はあっさりと牢の鍵を開けた。

 牢番はどうしたのだと目を向ければ、酒に酔って気持ち良さそうに眠っている。

 前を行く少年の後を追って歩き、男は違和感に気が付いた。確かに目の前にいるはず少年からは、気配という物を感じないのだ。


『主に何かをすれば、利き腕を奪う。』


 いつの間にか背後にいた別の少年に剣を突き付けられ、男は黙って肩を竦める。前後にいる二人の少年に何かをして、無事でいられるとは思わなかった。


『ついて来て下さい。』


 駆け出した少年は、本業である男が舌を巻く程に闇に潜むのが上手く、音も立てずに駆け抜ける。ピタリと影のように張り付く者に急かされながら進んだ先は、城の敷地の端にある離宮だった。そこで男を出迎えたのは、復讐の邪魔をした夜の化身のような女。星空を集めたような金の髪に深い青の瞳を持つその女は妖艶に微笑んだ。


『いらっしゃい。好きな場所に隠れ住むと良い。』


 罠かとも思ったが、男は様子を伺う事に決めた。どちらにしろ死刑を待つ身だったのだ。牢の中で無いだけまだましだった。

 そこは妙な場所だった。

 王妃であるはずのその女と、王太子であるはずの少年が住んでいて、王女が三人いた。そして他に、気配の無い多くの子供達。影のように王太子に寄り添う少年を筆頭に、子供達は王太子を守るように側にいた。男は、王太子と子供達に乞われ暗殺術を教え、いつの間にか子供達の隊長に祭り上げられ、王太子を影で支える"梟"となった。

 共に戦場を駆け、耳となり、情報操作を行い十年。少年だった王太子は宣言通り男の仇を追い落とし、国を手中に収めた。


「奪った分だけ、守っていきたいですね。」


 バークリン王族の正装である金の装飾が付いた濃緑の軍服を身に纏い、国王となった彼は男に告げた。


「これまでも、主は守っていた。」

「守れて、いたでしょうか?」

「虐げられていた人々を守っていた。そんな主だから、皆が慕う。」

「……アズール、貴方はこれから、どうしますか?」


 仇はいなくなり、男の復讐は終わった。好きに生きて良いのだと告げる主に、男は笑う。


「主の作る国を、側で見届ける。」


 そうですかと、穏やかに微笑んだ新たな国王は、黒いマントを羽織り白い手袋を嵌めた。国民への挨拶へと向かう主の姿を見つめる男は、優しい顔をしている。まだこれからも、梟が果たすべき仕事は山のようにある。

 ライオネル王への忠誠を誓い、男は陰で、彼を支え続ける。





『名前は何が良いかな?』

『陰で助けるんだから、影?』

『えー、そんなのありきたりだよぉ!』

『じゃあ何が良いんだよ?』

『"梟"』

『ふくろう?どうして?』

『夜、シュパーンって獲物捕らえるだろ?僕たちもさ、シュパーンって、やるんだよ。』

『なんだよ、シュパーンって。』


 子供達の明るい笑い声が響くそこは、離宮の端。大好きなママの、大切な人達の墓の前。

 親を色々な理由で亡くした子供達は、拾われてここにやって来た。

 温かい食事を与えられ、寝床を与えられ、家族が出来た。

 強く生きて、幸せになりなさい。ママはそう言って、子供達に色々な事を教えてくれる。冷たく怖い外の世界で生きて行く方法を、温かく優しい場所で教えてくれた。

 だけれどそこから一歩出れば、そこは怖い世界。子供達の大切な家族の一人、ママの血の繋がった息子はよく、赤黒い汚れを付けて帰って来る。時には、大怪我をしている事もあった。いつも笑顔で、怪我をしたって微笑みを絶やさない。大丈夫だよと、心配無いんだよと言って、全てを一人で解決しようとしている男の子。子供達はそんな彼を、見ていられなかった。


『僕、ライオネルに似てるだろ?だから、僕はライオネルの影になる。ずっと側にいるよ。名前も変える。"オンブル"って、"影"って意味なんだって。だからこれからは僕は"オンブル"だ。』


 そう告げた時に見せた、嬉しそうで、だけど悲しそうに笑った彼の顔が忘れられない。

 子供達は、離宮にいてはいけない存在だった。だから気配を消すのは得意になった。ライオネルと、王女達と一緒に、外からやって来る大人達から戦う術も習った。それが、外で強く生き抜く方法だったから。だけれど子供達は、家族の為にその力を使う事を決めた。

 "梟"と名乗り、ライオネルを主と呼ぶ。それが子供達が己の意志で見つけた仕事だった。

 ライオネルの目的の邪魔になると判断した相手を、彼らは消した。それを知ったライオネルは悲しそうに笑ったけれど、そんな事をさせてごめんと泣いたけれど、彼らは嬉しかった。ライオネルを一人にしなくて済む事が。共に、彼が目指す先を目指せる事が。

 突き進む事を決めたライオネルには、彼ら以外にも仲間が出来た。彼を助けてくれる人が増えた。

 それでも戦場で、ライオネルは先頭に立つ。それを"梟"達は手伝う。だけれどオンブルは彼の影。後ろの安全な場所で、ライオネルの振りをしなくてはならない。それも彼を守る方法だと、ライオネルの真似が上手くなった。

 時には王太子ライオネルとして、時には赤騎士の鎧を纏い、オンブルは影に徹した。


「オンブル、本当の名はなんというんだ?」


 そして今オンブルは、守りたいと願った血の繋がらない弟の、大切な存在を彼に代わり守る。


「私の本当の名は、家族だけにしか教えません。」

「そうか。ライはなんて呼んでいるんだ?」

「仕事の時にはオンブルと。」

「仕事じゃない時には?」

「親に与えられた名を、呼びます。」


 そうかそうかと頷く女は、夜色マントのフードを目深に被っている。マントの下は男物の服。腰に剣を差しているその女は、イルネスの王女。王女らしくない彼女は剣の腕も立つ。そんな彼女ならば、ライオネルの隣に立つに相応しいと、オンブルは思う。


「ライに、早く会いたいな。」


 ふふっと、小さく笑う彼女を見て、オンブルは優しく目を細めた。


「主は、なんでも一人で背負おうとなさる。」

「そうみたいだな。だが、一人で背負うには重いだろう。」

「えぇ、だから我々は、主から無理矢理その荷を奪わねばなりません。」

「困ったやつだ。」

「本当です。」


 両脇に木々が茂る街道を、二頭の馬が歩く。馬が向かう道の先、そこには、オンブルの大切な弟であり、ヴィーの愛しい男がいる。

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