バークリン5
その離宮は、敷地内ではあるが城からは少し距離がある場所に建てられている。それは、彼女が戦の戦利品として連れて来られたからだ。レバノーンは彼女を妃にするつもりではあったが、他の妃と同じ宮に入れるのは避けた。"戦う姫君"として名を馳せていたルミナリエの手による暗殺を恐れたからだ。
大きな庭がある離宮に辿り着き、ライは馬から降りて水飲み場に馬を繋ぐ。季節毎に色とりどりの花が咲くその庭の端には、小さな墓がある。ルミナリエはいつも、そこにいた。
「母上」
小さな石を積んだだけの墓。その下に眠る者がいる訳ではないが、ルミナリエの大切な者たちの墓だ。その墓の前に座っている母の隣に、ライは腰を下ろした。
「どうした?仕事をしろ。」
「しています。様子を見に参りました。」
「殊勝な心掛けだな。」
「一人で、泣いているのではないかと思いました。」
顔を見ずにライが告げると、ルミナリエは鼻を鳴らして笑った。その声は、いつも通りに飄々としている。
「涙などとうに枯れた。あの男に抱かれた時から、泣く事はやめた。」
ルミナリエの国は、レバノーンに滅ぼされた。いくら戦闘が得意な民族とはいえ、数には勝てなかったのだ。
そして、十七だったルミナリエには夫がいた。ルミナリエが心から愛した、ただ一人の男。二人は幼い頃から共に育ち、いつしか愛が芽生え、民にも親にも祝福された結婚だった。だけれどその幸せは、数日で壊されたのだ。
月の無い夜だった。
異変に最初に気が付いたのはルミナリエの夫。隣で眠るルミナリエを起こし、二人で民へ報せに走った。逃げようにも既に大軍に囲まれていて、子供や老人を中心に集めて守り、男も女も、戦える者は剣を抜いた。
長い、長い戦いだった。
一人、また一人と倒れ、疲れ切った所に途切れなく兵が襲って来た。夫と共に幼い子供達を守っていたルミナリエは、馬上で笑う悪魔を見た。緑の瞳のその悪魔は、ルミナリエの大切な者たちを、まるで虫ケラでも殺すようにして、楽しそうに命を奪った。そして、愛する夫までも、目の前で…。
涙で歪んだ視界の中、その男へと斬り掛かったルミナリエは多くの兵に囲まれ昏倒させられた。
生き残ったのは、ルミナリエただ一人。
夫を殺したのは、レバノーンだった。
バークリンへと連れて帰られ、ルミナリエは誓ったのだ。己の命を無駄に散らさず、機を狙い、復讐する事を。その為に、仇の男に抱かれた。甘い顔も見せた。全ては、大切な者たちを奪い去ったあの男への復讐の為。
「もう教えて下さいますか?私の父は、どちらです?」
静かな問いに、ルミナリエはそっと笑った。金茶の髪に手を伸ばし、優しく撫でる。
「あの人の髪は、お前と同じ色。瞳も、同じ。だけれど後から産まれたレミノアも、お前と同じ髪の色になった。今となっては、妾にもわからぬよ。」
「私は、レバノーンに似ていると思いますか?」
「いいや。お前は妾に似ている。…確かなのは、妾はお前も含め、子供達を皆愛しているという事だよ。」
復讐を誓ったルミナリエは、バークリンの状態に驚愕した。民は圧政を敷かれて苦しみ、度重なる戦で疲弊している。笑っているのは貴族と王だけ。守られるべき子供達は、親を奪われ路頭に迷っている。そして王城内でも、女であるというだけで、王女が捨て置かれていた。
ルミナリエがバークリンの王城に連れて来られ、しばらくレバノーンに逆らわず大人しくしていたら自由を得た。現状を把握しようと歩いていると、痩せ細った子供を三人見つけた。それは、六歳のアリシアと四歳のルシエラ、ルシエラの腕に抱かれていた二歳のナーディアだった。同じ境遇の三人は身を寄せ合い、城の中で物乞いをしながら飢えを凌いでいたのだ。そんな状態で生きていられたのは、こっそりと、彼女達に食事を与える者がいたから。ルミナリエは迷わず三人を自分の離宮に連れて帰った。医者に見せ、食事を与え、温かい寝床を用意した。
こんな世界は間違っていると思った。
城の外も、中も、冷たい世界。こんな、何もかもが間違った国を変えてやると誓ったルミナリエは、天からの贈り物を得たのだ。
それが、ライオネルだった。
「お前が産まれた時、妾は、あの人からの贈り物だと思った。」
"ライオネル"。それは、失った夫の名。子供達を、ルミナリエを守ってくれと願い付けた名前。
決して平坦な道程では無かった。命を狙われてしまう運命を背負った息子に、戦う術、生きる術、ルミナリエの持てる全てを叩き込んだ。
離宮で暮らす子供が徐々に増え、貴族の中にもルミナリエの協力者が増えて行った。
息子にだけは、ルミナリエはほとんどの事実を話した。それを優しく微笑んで受け入れた息子は、ルミナリエの手から離れ、自分の意志で行動し、仲間を得、そして成し遂げたのだ。
「復讐はここまでです。母上も、姉上達も、前を向いて生きて下さい。私が、それが出来る世界を作ります。」
「いつの間にやら、息子というものは母の手を離れるのだな。」
感慨深い様子でルミナリエは呟き、両手で顔を覆った。ライオネルと、囁かれた名は自分の事ではないとライは知っている。そして、ライはレバノーンの子ではないのだろうという事も。レミノアがルミナリエに似ていて、ライとも似ているから誰にも疑われはしなかった。小さな、小さな国の姫の夫の有無など、まだ結婚したばかりだった事もあり、大国では知られていなかったのだ。
幼い時から、ルミナリエはライの、彼女に似ていない部分を撫でて愛しそうに"ライオネル"という名を呼んでいた。それは顎だったり、耳だったり。ルミナリエの告白を聞き、ライは母のその行動の意味を理解したのだ。隠されておくべき、事実を。
ルミナリエの嗚咽を聞きながら、ライは静かに、隣に居続けた。
「妾は孤児院を作りたいのだが、どうであろう?」
泣き止んだルミナリエが、鼻を啜りながらそう告げた。
昔から、この離宮が孤児院のような物だった。梟の人間はほとんどがルミナリエが拾い育てた者たちで、ルミナリエの役に立ちたかった者や、ライを護りたいと望んだ者たちが作った。その筆頭がヴィーの側に残して来たオンブルで、アズールはまた少し違う。
「良いと思います。ですが今度は戦闘訓練は必要無いです。読み書きや算術、あとは、楽しい事を教えてあげて下さい。」
「楽しい事か、狩りはどうだ?」
「懐かしいです。よく、皆で出掛けてやりましたね。」
命を頂く有り難さを知れと、自分で狩った動物を自分で捌いて、調理をして食べた。森を歩いて、食べられる草や果物、毒となる物も学んだ。ルミナリエから戦闘訓練をされた子供達は、城の警備の目を盗んで出入りするのは得意だったのだ。
「畑も作るかな。」
良いと思いますよ、と微笑んでライは立ち上がった。差し出した手を掴んで、ルミナリエも立ち上がる。飄々としていた母が浮かべる、初めての表情。それは悲しみを帯びた、だけれど付き物が落ちたような、ほっとした物。
「アリシアも、ルシエラも、ナーディアも、それぞれ幸せそうにしています。レミノアも、幸せになります。ですからどうか母上も、幸せに…」
「息子よ、お前こそ幸せになっておくれ。皆がそう望んでいる。」
ルミナリエに頬を撫でられ、ライは穏やかに笑って頷く。
「まずは、民の幸せを作ります。」
仕事に戻ります、と去って行く息子の背中を見つめ、ルミナリエは苦笑する。いつも人の事ばかりの息子は、噂のイルネスの王女とはどうなっているのだと心配になってしまう。
きっと、体制を全て整えてから迎えに行くなどと考えているのだろうなと考え、男とは馬鹿だなと呟いたルミナリエの声は、風だけが聞いていた。




