バークリン3
数刻眠っただけで、ライは目を覚ました。完全に眠気を飛ばす為に浴室に向かい、水を頭から被る。金茶の髪からポタポタと滴り落ちた水が滑る体は筋肉が付いて引き締まり、古い傷跡が至る所にあった。
王位継承権第一位だったライは、幼い頃から暗殺者に命を狙われ続けて来た。王弟が二人いて、彼らにとってライは邪魔だったのだ。幼い頃から厳しい戦闘訓練を受けて来たライは、傷を受けたとしても致命傷は避ける事が出来た。捕まえた相手から情報を引き出し、命を奪う。そして首謀者も野盗の仕業と見せ掛け殺した。一番初めに人の命を奪ったのが何歳の時だったか、ライは覚えていない。それ程多くの命を手に掛けて来た、血に塗れた自分。
乾いた布で水気を拭いながら、ライはヴィーの言葉を思い出す。
『貴方が進んだ道にどれ程の血が流れようと、私は貴方を想い続ける。』
この言葉を告げられた時、ライは不覚にも涙が滲んだ。共に血塗れの道を進む仲間は多くいるが、それとは別の場所にいる女性にそんな言葉をもらえるなどと、考えた事も無かったのだ。
新しいシャツを着て黒いスラックスを履き、膝下丈のブーツを履く。眠る時には手首に巻き付けておくヴィーからの贈り物の飾り紐を取り、髪を結った。
幼い頃から暗殺の危険に晒されていたライは、人に世話を焼かれる事を嫌っている。周りに人がいればいる程、暗殺者が潜み易くなる。一人の時ならば返り討ちにし易い。梟という護衛が付いてからもその習慣は抜けず、自分の事は自分でやる方が楽で安心するのだ。
自室を出ると真っ直ぐに執務室へと向かう。イライアス達がやって来る前に、もう少し書類を減らしておくつもりだ。廊下を進むライを見つけた人々は、忠誠を誓うように膝を折る。その顔からは、無理矢理やらされている物ではなく自ら望んでやっているのだという表情が伺えて、ライは胸を撫で下ろした。
無理矢理誓わされた忠誠はいらない。秘密裏に消えた貴族達は忠誠云々ではなく、民への振る舞いについての話し合いに全く応じず、心根が腐っていて改善の余地無しと判断した者達だった。それが正しい正しく無いかなどは関係無い。目的遂行に、彼らは邪魔だった。
執務室でライが黙々と書類の束を片付けていると、扉が叩かれた。気配はイライアス。問題無しと判断して、ライは書類から顔を上げずに返事をする。
「ライオネル、食事を取れ。ちゃんと眠ったかい?」
「眠りましたよ。食事は紅茶だけ頂ければ良いです。」
「駄目だ。食べなさい。」
チラリと目を向ければ、片手で食べられそうな物だった。書類から目を離さず手に取って、三口で食べ切る。イライアスが淹れてくれた紅茶に手を伸ばし、香りを確認してから飲む。
「イライアスが淹れる紅茶は相変わらず美味しいですね。」
目元を緩めたライを見て、イライアスは苦笑を浮かべた。
「初めから飛ばし過ぎると後が続かないよ。」
「私だけ長い事休ませてもらいました。それに体力には自信があります。」
「まぁ、無理は禁物だよ。ノイン達には今日から来るよう伝えた。もう一人はジェイル伯爵家の次男坊に頼んだ。剣は苦手だが頭は切れる。しかもお前の信望者だ。」
にやりと笑んだイライアスに苦笑を向け、ライは肩を竦める。書類に目を通しながら記憶を探って、ジェイル伯爵家の次男坊を思い出す。名はシミオン。年は確か二十五で、戦場で何度か助けた事があった。いつも青い顔で震えていて確かに剣は向いておらず、だが鋭い観察眼の持ち主で戦況を読むのが上手かった。
「シミオンでしたか?良い人選だと思います。」
「そうだろう。国民に新王即位の御触れは出した。明日正午、顔見せするよ。」
「わかりました。」
「戴冠式はどうする?」
「しばらくはやりません。まだ喪に服しているべきでしょう。」
「貴族達がお前に会いたいと騒ぎ出している。」
「纏めて会いましょう。国民への顔見せの前に場を設けて下さい。あと、前王の側妃にも会いに行きます。」
「どちらの?」
「両方です。」
「わかった。手配しよう。」
他にも昨日の指示に対する報告を書類に目を通しながら聞き、報告を終えたイライアスは空いた器を持って一度退出した。
次にイライアスが戻って来た時には、真新しい官吏の服に身を包んだ若者を二人連れていた。二人共、バークリンの民の特徴である茶色の髪に緑の瞳をしている。
「お久しぶりでございます、ライオネル様!」
快活に笑うまだあどけなさの残る青年はノイン・キアク。ガルダに代わりキアク公爵を継いだ男。まだ十九の彼とは長い付き合いだ。ノインは幼い時から、イライアスに連れられてライの所に顔を出していた。
「お久しぶりです、ノイン。少しは背、伸びましたか?」
目の前に立ち、ぽんぽんと頭を撫でるとノインはライの手を煩わしそうに払う。
「嫌味ですか!まだです!僕はまだこれから伸びるんですよ!」
背が低い事を気にしているノインの身長は、ヴィーより低いかもしれない。小柄で線が細く、青年というよりも少年という言葉がまだ似合う。
「シミオンも、久しぶりです。」
対してシミオン・ジェイルはひょろりと背が高い。隣の青年を見上げたノインがイライアスの作為的な何かを感じると呟いた声は笑って流し、ライはシミオンへと挨拶をした。ライの視線の先で、シミオンの青白いとも言える顔が途端に真っ赤に染まる。
「お、覚えて頂けていたとは、恐悦至極に存じます!戦場では何度も命をお救い頂き、ご恩返しが出来ればとずっと考えておりました。ライオネル国王陛下の為、身を粉にして働かせて頂く所存に御座います!」
心からの忠誠を、と告げたシミオンは片膝を床に付け頭を下げた。イライアスはそれを満足気に見下ろし、ライは微笑みを浮かべて屈みシミオンの肩を叩く。
「身を粉にするのは私の為ではなく、民の為に。私を愚王だと思えば、この身に剣を立ててくれて構わない。」
「そ、そんな!ライオネル国王陛下に限って愚王などと…!」
「私も愚王になる気など無いですが、側にいる者たちには頼んでいるのです。私が道を誤れば正してくれと。貴方もどうか、私を見定めて下さい。」
「陛下のお望みであれば、そのように致します。」
再び頭を下げたシミオンを立たせ、ライは執務机に戻る。それを見て、イライアスはノインとシミオンに指示を出し、三人も書類へと手を伸ばした。
濃緑の軍服に着替えたライは、城の敷地外にある騎士団本部へと向かって馬を駆けさせていた。位置としては城のすぐ隣ではあるのだが、城の敷地は広い。歩いていては時間を無駄にしてしまう。執務室の書類はノインとシミオンに任せて来た。イライアスが選んだだけあり、二人の仕事は素早く正確だ。
風に靡くライの髪には赤紫の玉飾りが付いた白紐の上に黒いリボンが巻かれている。前王崩御から間が無く、喪に服している事を表す為にそうしている。ライの後ろにはイライアスが続き、二人が騎士団本部に着くと、整列した騎士達が待っていた。
「ライオネル国王陛下、お待ちしておりました。」
「ブルック、これは?仰々しいな。」
挨拶をするとは告げたが、こんな風に全員総出で待ち構えられているとは考えていなかった。ライが馬から降りると、ブルックが膝を折り、頭を下げる。
「我、ブルック・ワーマンは、新たな国王ライオネルへ心からの忠誠を誓い、我が剣を捧げよう。」
「騎士団一同、ライオネル陛下の御即位を心よりお喜び申し上げると共に、我らの剣をライオネル陛下へと捧げます。」
将軍であるブルックに続いて騎士団長が膝を折り宣誓すると、整列していた騎士全員が膝を折り、ライへと忠誠を誓う。騎士団本部前の広場を埋め尽くした騎士達を見回し、ライは大きく息を吸い、口を開いた。
「これまでは、敵を排除する為にその剣を借り受けた。だがどうかこれからは、弱き者たちを守る為、そなたらの剣を借りたい。」
「「「御意のままに!」」」
男達の返事は空気を震わせ、辺りに響き渡る。
目の前にいる男達は、ライとーー赤騎士と共に戦場を駆けた者たちだ。皆の顔をライは知っている。一人一人の顔を見て、ライは微笑んだ。ライを見返す顔はどれも、希望に満ちている。
「クライトン団長、これまでの報告を聞かせてもらえますか?」
「もちろんです、ライオネル陛下。」
茶の髪を持つ壮年の男は微笑み立ち上がった。緑の瞳の騎士団長は侯爵位を持つ貴族だが、ブルックとは旧知の仲。ライとは初陣以来の付き合いだ。
騎士団長とブルックに先導され、共に戦場を駆けた仲間達に視線で挨拶を交わしながらライは騎士団本部の中に入った。




