バークリン
レバノーン国王崩御の報せが国中を駆け巡り、悲しみに暮れているはずのバークリン国内は、静かに沸いていた。皆が皆息を潜め、変化の訪れへと耳を澄ます。皆が共通して待ち望むのはただ一つ。
イルネスの国境からの最短距離を、バークリンの国旗である剣と盾と馬が描かれた緑の旗を掲げた一団が駆け抜ける。彼らが纏うのは濃緑の軍服。それは、王太子ライオネルの親衛隊が纏う制服だった。その中にただ一人、金色の肩章を付けた男がいた。金茶の髪に碧の瞳を持つその男をこそ、国民は待ち望んでいたのだ。
軍馬の隊列が王都ルドンへの道を駆ける姿を、ある者は窓から顔を出しある者は通りに出来た人垣の中で背伸びをして、見送ろうと押し寄せる。
戦狂いの前王レバノーン崩御により王位を継ぐ事となる王太子が、昔からバークリンのあちらこちらの街へと出現して、民に混じって時に仕事を手伝い、時に会話をしていた事を国民達は知っていた。
圧政を敷いていた領主が統治する地域に、彼は特に多く姿を現した。人々は彼の身分を知っていたが、知らない振りをし続けた。そして圧政を敷いていた領主達が戦死や事故死、あるいは病死を遂げ、その息子や孫が跡目を継ぐと圧政が終わる。跡目を継いだ新しい領主達は皆年若く、王太子ライオネルに心酔している様子が伺えた。だからこそ期待をしていたのだ。彼ならばもしかして、この苦しみを終わらせてくれるのではないかと…。
濃緑の軍服を纏った一団がルドンの街へ入ると、喪に服し黒一色となっていた街中で、国民は笑顔で王太子を迎える。まるで凱旋したような雰囲気の中、苦笑を浮かべた王太子はゆっくりと馬を進めた。通りを人々が埋めつくしている為に馬を走らせれば危険があるからだ。なんとか王城の正門へと辿り付き、軍馬の一団は城の敷地内に入る。
「まるで英雄の帰還だな、ライオネル?」
己の愛馬から降り立ち、首を撫でて労っていたライへと声を掛けたのは、固そうな茶色の髪を短く刈り、将軍職に就いている者のみが纏う事を許される鮮やかな緑の軍服を纏った体格の良い男。にやりと笑んだ男の緑の瞳を見返して、ライは苦く笑った。
「あれはなんです?ブルック、貴方の仕業ですか?」
「そんな訳ないだろう。イライアスのやつだ。アズールも噛んでるだろうがな。」
愛馬を世話係に託したライへと歩み寄るブルックは大男だ。平民から将軍の地位まで上り詰めた男で、ライの剣術の指南役でもあった。
「この服、わざわざ国境近くの町で着替えさせられたんです。これもイライアスの仕業ですか?」
「まぁ本人に聞け。中でお待ちかねだぞ。」
乱暴な手つきでライの背中を叩いたブルックに促され、ライは背後に親衛隊を引き連れ、城の大扉をくぐる。エントランスホールにはずらりと人が並び、ライはまた苦笑を浮かべてその中心にいる人物へと目を向ける。若葉色の官服を身に纏ったその男はバークリン現宰相、イライアス・グルーウェル。腰までの茶髪を高い位置で一本に結った鋭い緑の瞳の持ち主の彼は、グルーウェル公爵でもある。
「新たな我らが国王陛下、無事のご帰還、お喜び申し上げます。」
優雅な動作で彼が片膝を地に付き頭を下げると、エントランスホールにいた人々もそれに倣う。背後にいた親衛隊と隣にいたブルックにまでそれをやられ、立っているのが自分一人となった場でライはこっそりと小さな溜息を吐く。
「皆の出迎え、感謝する。面を上げよ。イライアスはこれまでの報告を。」
城の奥へと歩き出したライの後を追うように、ブルックとイライアスが並んだ。そのまた後ろにはぞろぞろと親衛隊が続いている。
「前王陛下のご遺体は、前王妃様の命により既に葬儀を終え埋葬済みに御座います。前王陛下を弑逆した女は捕らえ、貴族牢に入れ判決を待っている状態です。そしてもう一人の側妃は、我々の案を拒んだのみならず盗みを働こうとしましたので捕らえ、こちらも貴族牢に入れました。」
「そうか、そちらの采配はお前に任せる。」
「陛下のご期待に添えるよう、力を尽くす所存で御座います。」
歩きながら簡易の礼を取ったイライアスに何か言いたげな視線を向けたブルックを一睨みし、イライアスは報告を続けた。
「シーリアでの戦で残念ながら命を落とした者達の領地ですが、既に後を継いだ者の手により領地は治められております。後継ぎのいない者の領地については一時国の物とし、僭越ながら私が選任した者達を派遣済みで御座います。」
「お前が選んだ者ならば間違いは無いだろう。だが念の為この目で確認をしたい。視察の手配を頼む。」
「御意のままに。」
「ブルック、此度のシーリアでの戦により空いた席が多く出来たようだな。軍部の再編はお前に一任する。」
「謹んで承ります。」
一通りの報告を聞き、それに対する指示をしながら歩いたライは王の執務室の扉を開けて顔を引きつらせた。ライの背を押して中に押し込み、イライアスは綺麗な笑みを浮かべる。
「レバノーンは執務がお嫌いでしたからね。貴方がイルネスで美女と戯れている間、これでも私は頑張ったのです。…働いてもらうよ、ライオネル。」
緑の鋭い瞳が怪しく光った気がして、ライは苦く笑う。
「これは…宰相補佐の選任がまず必要ですね。イライアス、目星は付けているのでしょう?」
「付けているよ。ノインに手伝わせようかなって考えてる。まだ若いけど、色々仕込んでおいたしね。もう一人付けても良いかい?」
「貴方の好きにしたら良いですよ。」
執務室の中に入った途端口調がまるで逆になった二人を見たブルックはこっそり逃げ出そうと踵を返す。だが両肩を掴まれ、捕まった。
「ブルック、年長者の貴方がまさか逃げ出したりはしないよね?」
「逃がしません。手伝って下さい。シルヴァン王でさえ書類に殺されると毎日のように嘆いていたのです。バークリンはこれから、もっと仕事が増えますよ。」
軍部再編や、王の執務のやり方もこのままでは効率が悪いから官吏をもっと増やして改善をする必要もある。その為には金の整理も必要で、今まで側妃達が無駄遣いした物や貴族達が私物化していた物の洗い出しなどと手を付けるべき事がたくさんあるのだ。その為にはまず、執務机に山のように積まれた書類の束に目を通す事から始めなければならない。
「いや、待てお前達…四十の身に書類仕事は堪えるぞ?年長者を敬え?」
「わかった。年長者を敬う意味を込めて、一番厄介な物をお任せするよ。」
「大変ですね、ブルック、頑張って下さい。」
「てめぇ、ライオネル!こうなったら、アズールから聞いたお前の愛する姫君の話でも聞きながら仕事をするか。」
「構いませんよ。ヴィーの美しさ、愛らしさについてでしたらいくらでも語れます。仕事が捗りそうですね。」
三人それぞれ席について、書類の山に手を付ける。素早く目を通しながら、若い二人は口も動かしているが、ブルックはそこまでの余裕が無い。
「お前が恋をしたなんてね、耳を疑ったよ。そんなに素敵な女性なのかな?」
「一言で現すと、母のような人です。」
「ルミナリエ様って…まずいね、私も惚れてしまうかな?」
「惚れたら命はありませんよ、イライアス。」
「お前が女性に執着するとは面白い。益々お会いしたいなぁ。」
しばらくライは、ヴィーの魅力について懇々と説明をする。それを聞いた二人は、蕩けた顔で女の話をするライに酷く驚いた。今までのライは、一人の人間にここまでの興味や執着を持つという事が無かったのだ。姉姫達や妹姫についても、大切にはしていても自分の手には残らない存在として、一歩離れた所で見守っているような様子だった。
「そういえばイライアス、街のあの様子はなんだ?お前の仕業だろう?」
人の惚気話を延々と聞かされる事程苦痛な物は無い。自分が言い出した事に後悔を感じつつ、ブルックは話題の転換を試みた。意図を察したライは惚気を語るのをやめ、その話題に乗る事にしたようだ。
「わざわざ着替えさせて、私はあんな指示を貴方にもアズールにも出した覚えがありません。」
国民の熱烈な歓迎に、ライは面食らったのだ。通る街では必ず人に囲まれて、一夜を明かすのに滞在させてもらった領主館でも下働きの者たちに好意的な視線を送られた。バークリンでは王は嫌われ者で、その息子となれば石を投げられてもおかしくは無いと思っていたのにだ。
「もうライオネルを邪魔扱いして命を狙う者の排除も終わったからね、盛大に噂を流しておいたよ。もちろん、アズールは自主的に参加してた。ね!アズール?」
コン、と天上が鳴って返事があり、イライアスは満足そうに笑った。
現王派と名乗っていた貴族達にとって、傀儡とならない王太子は邪魔だったのだ。排除されない為には、程良く愚かな人間を演じる必要があった。その一つが赤騎士の存在。ライオネルとして戦を程良く上手く運べば死者が増える。それを防ぐ為、ライオネルとしては影を置き、本人は全身鎧を纏って前線に立った。王太子ライオネルの戦の勝利は、本人の力では無い事を印象付ける目的があったのだ。
「まぁ騙されたのは馬鹿な貴族達だけだよね。一生懸命赤騎士が誰か探しちゃってさぁ。」
「本人目の前だってのにな。兵士達はなんとなく勘付いてたけどな。」
「やっぱり?王太子派が増えたもんね、若い奴らばっか。」
「民もわかっていた。主が街に出ていた事を。」
天上から低い声が降って来て、ライは苦笑した。
「後半は勘付かれるようにしましたからね。彼らはレバノーンや貴族に苦しめられ恨んでいた。革命だという印象付けが成功すれば味方になってくれると思いました。」
「民も、主に期待している。」
「期待を裏切らないよう、頑張らなくてはですね。」
姿を見せないアズールの言葉に微笑んで、ライはスピードを上げて書類を片付けて行った。




