影という名の男2
昼の営業時間。オンブルはライになり切っていた。甘さを加えライに似せた声、ライが浮かべるのと同じ柔和な笑みを浮かべて接客をする彼の存在は、短時間しかライと接した事の無い客達には余り違和感が無いらしい。中には首を傾げて怪訝な表情をした者もいたが、ライとその客が交わしていた話題をオンブルが自然の会話の中に織り交ぜて話をすると、違和感の正体に気が付く事なくうやむやになってしまうようだ。そしてヴィーは、それが激しく不満だった。
「愛らしいお顔をされてどうしました?」
昼の営業を終え、店内の片付けをしているヴィーへとオンブルが尋ねる。笑顔のオンブルをキッと睨んで、ヴィーは吐き捨てるように言った。
「やめろ、その声腹が立つ。ライ以外に愛らしいと言われても嬉しく無い。」
纏めた食器をヴィーが持とうとしたのをそっと取り上げ、オンブルは笑う。その笑い方もヴィーには腹が立って仕方が無い。
「寂しいのでは無いかと思いましてね。」
「そんなもの、本人で無ければなんの意味も無い。それにライの痕跡を消されているようでとても不快だ。」
ライと親しく会話をしていた客達も、オンブルによって煙に巻かれてその存在に慣れてしまう。誰もライの不在に気が付かず、慣れてしまえば客達にとってのライはその内にオンブルがなり変わってしまう。
「王がイルネスの街中で馴染んでいたというのも問題ですからね。王に良く似た他人だったんです。」
「ならせめて私にはその声をやめてくれ。」
「お望みならばそう致しましょう。」
オンブルが声を似せるのをやめ、ヴィーはほっと息を吐き出した。重たい食器類をオンブルが運び、ヴィーはテーブルを拭く。アーシャが洗った食器を拭いて片付けて、三人で昼食を取る。今までライが座っていた場所にオンブルがいるのも不満だ。一日目にして不満が溜まり過ぎて爆発してしまうのではないかと、ヴィーは重たく溜息を吐き出した。
昼食の後は、今日は城へと戻る。オンブルに手伝われ剣帯を巻いて剣を差しマントを羽織る。オンブルは付いて来ないようで、アーシャと共に手を振って見送られてヴィーは安堵した。ライと二人で街を歩いた思い出まで上書きされたくは無かった。
城へと戻ったヴィーはマーナや侍女達の手でドレスに着替えさせられた。髪を結う時にはライのリボンを髪に編み込んでもらう。化粧を施されたヴィーが向かうのは城内の一室。ヴィーが入室すると部屋の中にいた美しい花々が立ち上がり、順番に挨拶の言葉を述べる。貴族のご婦人方との茶会だ。中にはレミノアと共に緊張した面持ちのルアナもいて、ヴィーは視線を合わせて優しく微笑んだ。ドレスを纏ったルアナは緊張に引きつる顔でなんとかという風に笑い返している。
「ルアナ、こちらに。」
呼ばれ、ルアナは静々と進み出てヴィーの隣に並んだ。
「ご紹介致しますわ。わたくしとレミノアのお友達、トリルラン公爵家のルアナ嬢ですわ。」
ヴィーの紹介でルアナは婦人達に挨拶をして淑女の礼を取る。これは、淑女教育の実践だ。婦人達も挨拶を返し、ヴィーが促して皆席につく。紅茶を飲みながら会話を楽しむ途中、壁際で控える従僕の一人を見たヴィーは目を見開いた。碧い瞳のその男は金色の髪をきっちりと撫でつけて一本に結っている。だが彼はオンブルだ。髪の色が違うが、オンブルがそこに従僕の服を着て立っていた。
ぐっと紅茶を飲み込んだ所為で咽せそうになったのを堪えた。隣にいたレミノアがそれに気が付いてヴィーを見る。
「どうかなさいまして?」
「いいえ。…レミノアはあちらの彼をご存知かしら?」
小声で、唇をほとんど動かさずに発されたヴィーの早口での問いに、レミノアは優雅に微笑んだまま壁際にいるオンブルにさりげなく視線を向ける。
「よく存じ上げておりますわ。」
レミノアの答えで勘違いではないとわかり、溜息を吐きたくなった。
茶会は滞りなく終了し、部屋を移してヴィーとレミノア、ルアナの三人で反省会を行う。言葉遣いの甘い所や所作について話をしている所に窓が音も無く開き、従僕が一人、滑り込んで来た。ヴィーはそれを見て、今度こそ大きな溜息を吐き出した。
「兄上は貴方をシルヴィア様のお側に残して行かれたのね。わたくしは安心しましたわ。」
「やぁレミノア。そちらのお嬢さんは初めましてですね。オンブルと申します。」
レミノアに挨拶をしたオンブルはルアナを見て微笑んだ。膝を折らず礼もせず、ただの従僕が一国の王女と公爵令嬢にするには失礼極まりない挨拶の仕方だった。だがレミノアは一向に気にする様子は見せず、ルアナはただ困惑の表情を浮かべる。そんなルアナにヴィーは、ライの命令で残った護衛だと説明した。
「店に残ったはずだろう?何をしに来たんだ?」
「ルアナ嬢へのご挨拶に。彼女の部屋を借り受けるのですから、必要でしょう?」
「え?そうなの?うちに住むの?」
「はい。アーシャには許可を得ました。」
母さんが良いなら構わないと、ルアナは微笑む。それに礼を言って微笑み返すオンブルを見て、ルアナは首を傾げた。
「どうして従僕の服を着てるんですか?」
「紛れ易いからですよ。」
「私はてっきり嫌がらせかと思った。」
珍しく不機嫌な様子のヴィーに、レミノアとルアナは顔を見合わせた。
「シルヴィア様に何かなさったの?」
レミノアの問いに、オンブルは微笑む。
「主の猿真似をした事がお気に召さなかったようです。これ以上ご気分を害さぬ内に退散致しましょう。」
窓から再び音もなくオンブルが去ると、レミノアが店でのオンブルの行動を聞き出した。それを聞いて、レミノアは苦く笑う。
「梟達は兄上にしか膝を折らないですし、命令も兄上のものしか聞かない者たちですの。その中でもオンブルはずっと兄上のすぐお側で仕えていた男。彼は命令でなくとも、兄上の為になると思うと自分の判断で行動しますわ。ですから、店での事は必要だったのでしょう。」
「それは私もわかるよ。でも不快になるかどうかは別の話だ。」
悲しげな溜息を零すヴィーに、ルアナもレミノアも隣に座ってヴィーの手を握る。恋人と離れる寂しさをルアナは自分の体験として知っている。レミノアも、シルヴァンと共にいられるようになったのは最近の事だ。二人はヴィーの気持ちを痛いくらいに理解していた。
「また、弱音を吐いても良いだろうか?」
躊躇いがちに口を開いたヴィーに、二人は勿論だと頷く。
声が震えてしまわないように息を吸って、ヴィーは弱音を口にした。
「昨日はな、頑張ったんだ。彼を困らせたく無かった。だけど…」
声が震えてしまい、奥歯を噛み締める。鼻から息を吸い込んで、続ける。
「朝起きてから、ライの事ばかり…彼がいないという事実が、苦しいんだ…」
ぽとりと涙が一雫零れ、ヴィーは指先で拭った。レミノアから手巾を渡されて、礼を告げてから目頭へと押し当てる。
「行ってしまうのはわかっていた。だから心構えはしていたし、永遠の別れではない。迎えに来るという約束も、くれた。だけど私は…ライが恋しくて堪らない…」
手巾を目に押し当てると、両側から抱き締められた。
毎日多くの時を共に過ごしすぎたのかもしれない。ヴィーの生活の中にはライが深く入り込んでいて、不在がこんなにも堪えるだなんて、想像以上だ。
「兄上は、似ているからオンブルをお側に置いた訳ではございません。一番安心して、大切なシルヴィア様を預けられる人だからですわ。」
声を出したら嗚咽が漏れてしまいそうで、ヴィーは頷いてわかっている事を示す。
「でも似てるのは辛いね。確かに似てたけど、彼はヴィーの会いたい人じゃないもんね。」
似ている上に、彼はライがいた痕跡を消してしまう。それが余計に辛いのだ。
「まだ一日なのに、弱音を吐くのは早いな。」
無理矢理笑顔を作ったヴィーに、二人は首を横に振る。恋人と離れて特に辛いのは最初の数日。共にいた時間が楽しく、幸せであればある程、その苦しみは大きくなる。だけれど人は慣れるのだ。その最初の寂しさと悲しみを乗り越えれば、耐性が付く。
「わたくしも、陛下とお会いした後に国に帰らねばならない時には身を切られる思いでしたわ。ですが時間が経てば、再びお会い出来る日が近付くのです。ですから、わたくしでよろしければ気を紛らわすお手伝いを致します。」
「私も!寂しくなったら会いに来て?こうして三人でお話しよう。弱音も聞くからね。」
再び涙が滲み、ヴィーはこくこくと頷いて返事をした。
離れ離れとなった恋人達の再会は、まだ遠い。




