報せ
バークリンからの早馬がイルネスの城へと駆け込んだのは、朝の早い時間だった。門番からの報せを受けたイルネスの王シルヴァンは、珍しく城内にいたバークリンの王太子ライオネルと、これまた珍しくドレスを纏ってライオネルと共にいた王女シルヴィアを呼び出した。
ライオネルとシルヴィア、宰相と宰相補か揃った謁見の間にてシルヴァン王が聞いたのは、バークリンの王レバノーン崩御の報せであった。
「父上が…詳しい状況は?」
沈痛な面持ちで情報を求めるライオネルに、使者は死因など詳しい事は調査中だと告げる。王太子であるライオネルは可及的速やかに国に戻るようにという王妃ルミナリエの言葉が伝えられ、ライオネルは頷いた。
使者には用意させた部屋で休むように告げ、使者が去った謁見の間の人払いを命じたシルヴァン王は眉間に深い皺を刻み長く重たく息を吐き出した。
「少し前には、現王派とされた将軍や貴族達がシーリアとの戦場で悉く戦死したという報せが入ったばかりだな。そして前宰相ガルダ・キアクが投獄されて、異例の速さで死刑の判決が下った。これは全てそなたの仕業か、ライオネル?」
厳しいシルヴァン王の視線を、ライオネルは父の死の報せを聞いて打ちのめされている息子の表情を浮かべ、静かに受け止めている。
「お言葉ですが陛下、私はずっとここイルネスにおりました。離れた土地で、そのような事は出来ないかと存じます。余程優秀な部下を多く抱えていない限り不可能でございます。」
「なるほど。余も上に立つ人間、人々の統率の難しさは痛感している。それで?」
「それで、とは何を指してのお言葉でございましょう?」
「余が何も知らぬと思うか?」
シルヴァン王はそう告げると、イルネス側で調べたバークリンでここ十年の内に起こった出来事を挙げ連ねた。
何処から始まっているのかはシルヴァンにも把握出来てはいない。だが、ここ十年でバークリンの貴族達の中では事故死や病死が続いているのだ。ガルダ・キアクの不正を暴く為に間者の役割を果たした孫のノイン。彼の両親は、四年前に夜会帰りに事故に遭い死んでいる。そして宰相となったグルーウェル公爵の父もまた八年前に病死して、当時二十歳だった息子のイライアスが家督を継いだ。
「他にも多くの貴族たちの死が続いているな?しかも、不正を働き、私腹を肥やし、領民に圧政を敷いていたような者ばかり。跡目を継いだ者達は皆、そなたと共に戦場へ出た経験があるとか?グルーウェル公爵に至ってはそなたの幼馴染だと聞いたが?」
「はい、陛下。イライアスは私の兄のような存在でございます。バークリンでは、貴族の子息は皆一度は騎士団に所属し、戦場を経験しなくてはならないという暗黙の決まり事がございますので、私と戦場に出た者ばかりなのは当然の事かと存じます。陛下の仰る貴族達に続く事故死や病死ですが、バークリンでもその件は恐れられ、調査も入りました。ですがどれも他殺ではなかったのでございます。」
疑われるなど心外だと、悲しげに目を伏せたライオネルの言葉に、シルヴァンは難しい表情のままで足を組み直す。
「レバノーン王の側妃の一人は怪しげな占い師に執心していたそうだな?」
「そのような事柄までご存知とは、身内としてお恥ずかしい限りにございます。」
「その占い師は今何処に?」
「この場にいてはそのような事は存じ上げませんが、気になるようでしたら、国に戻り次第取り急ぎ調査してお知らせ致しましょうか?」
「いや、良い。最後に一つ。ライオネル、そなたにとっての最小限とは何処を中心に捉える?」
シルヴァン王の碧い瞳とライオネルの碧い瞳の視線が絡み、ライオネルは微笑みを浮かべて口を開いた。
「"民"でございます、陛下。」
しばらくの間、ライオネルを眺めていたシルヴァン王は短く息を吐いて頷く。
「そうか。国が大変な時だと言うのに話に付き合わせて悪かった。友として、余は王となるそなたの力となろう。バークリンの今後を楽しみにしている。」
「有り難きお言葉にございます、陛下。国が落ち着きましたら、正式に陛下の姉君シルヴィア王女殿下との婚姻の許可を頂きに参上致します。」
右手の拳を胸に左手拳を腰に当てて礼をとったライオネルに、シルヴァン王はふっと笑った。
「バークリンが我が姉をやっても良い場所となった暁には、許可を出そう。期待をしている。」
「ご期待に添えるよう、尽力致します。」
長きに渡る滞在の礼を告げたライオネルに、シルヴァン王は婚約者となったバークリン第四王女レミノアをイルネスで預かる事を提案した。式は約一年後。そのまま嫁ぐという事で話は纏まり、ライオネルは国に帰る支度をする為にと謁見の間を後にする。黙って全てを見守っていたシルヴィアもそれに続き、シルヴァン王は玉座に深く腰掛け息を吐いて脱力した。
「あれが公式の回答という事か。」
背後に控えていた宰相へと王が視線を向けると、厳めしい顔の老人は首肯する。
「そのようですな。何処までが嘘で何処までが本当か…誠に、ルミナリエ殿は恐ろしい男を育てたものでございます。」
「お前はバークリン王妃と面識があったんだったな?」
「はい。美しく強かな女性であると、ジルビオール様は評価していらっしゃいました。」
強かね、と呟いてシルヴァンは立ち上がった。両手を天に突き上げ体を伸ばす。
「シーリアの戦場での件はあいつが関わっている。という事は、全てかどうかはわからんがあいつが関わっている可能性は高いだろう。ライオネル自身に忠誠を誓う、多くの優秀な部下がいるようだ。」
そのようですな、と宰相が呟いて、謁見の間を出て行こうと歩き出した王の後ろに付く。宰相補もその後に続き口を開いた。
「側妃の件は、我が国の出来事を真似たのですかね?」
「どうだろうな。だが恐らく、レバノーンを殺したのはその側妃だろう。」
「愛を得たいという気持ちに付け入り利用したのであれば、私は賛同出来ませんな。」
王を殺した王妃の父である宰相は渋面を作る。それを見て、シルヴァン王は苦笑して頷いた。シルヴァンには、そんな所業は絶対に出来ない。
「だが側妃どもは子が姫だとわかると放置して、生きようが死のうが無関心だった。その上国庫を圧迫する程の贅沢三昧だったらしいじゃないか。それ故に、切り捨てられたのかもな。」
「バークリンは、これから恐ろしい国になりますね。」
「そうだな。これまで同様、探りは続けろ。」
下された王の命令に、宰相補は歩きながら簡易の敬礼をする。
イルネス同様大きな国土を持つ大国バークリン。戦ばかりだった隣国の決定的な変化の報せに、イルネス王シルヴァンは静観する事を決めたのだった。
バークリン王太子ライオネルは、翌日に現れた迎えの一団と共にイルネスの王城を去った。イルネスの王城内で知らぬ者のいない恋人達の別れを誰もが固唾を飲んで見守ったが、それは存外あっさりとした物であった。
シルヴィア王女の髪に編み込まれた赤紫のリボンへと、ライオネルは何かを誓うように口付けを落とし、それを受け、彼女はライオネルの髪を結っている飾り紐をそっと撫でて微笑んだ。涙の別れになるのではないかと心配する人々の視線の先で、二人はきつく抱き合い、離れる。そして無言のままでライオネルは馬へと跨り、シルヴィア王女はじっと彼を見つめ続けた。一団の姿が見えなくなるまでその場に立って見送った彼女は、結局ただの一滴も涙は零さずに城の中へと引き返したのだった。
イルネスの王都ライアから、バークリンの王都ルドンまでは少なくとも二十日は掛かる道程だ。その道程の先、王太子ライオネルの一団がバークリンの城へと辿り着けば、彼は王となる。
新王誕生と共に、バークリンでは新たな歴史が幕を開けようとしていた。




