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マジェンタの瞳  作者: よろず
第二章イルネス
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逢瀬

 固く閉ざされたカーテンの隙間から朝日が忍び込み窓辺を照らす。鳥達が朝の歌を歌い始めた声を耳にして、ヴィーは目を覚ました。ベッドから出た彼女は顔も洗わず真っ先に窓へと歩み寄りカーテンを開き窓を開け放つ。鳥と風の声に耳を傾けて、ほっと息を吐き出した。まだ、昨日の今日では特に動きは無いようだ。朝食と身支度を終えたヴィーは窓から出てガンの店へと向かった。


「おう、ヴィー!」

「おはよう、ガン。腰はどうだ?」

「大分良いな、そろそろ平気そうだ。お前、他に働き口あんのか?」

「大丈夫。もう見つけてある。」

「なら良かった。お前には感謝してる。ありがとな。」

「気にするな。だが年なんだから無理は禁物だぞ。」

「わぁってらぁ!そういや昨夜アーシャの店でライに会った。あいつも別嬪の看板娘目当てかねぇ?」

「そうかもな。配達、行って来る。」


 野菜がたくさん入った箱を持って、毎朝の配達先に野菜を届ける。ガンの店から比較的近くにある食堂ルアナはいつも最後だ。アーシャに挨拶をして代金を受け取り、また後でと告げてガンの店に戻る。いつも通りそこには開店準備の手伝いを終えたライが笑顔で待っていて、ヴィーは安堵する。

 ガンの店から連れ立って食堂ルアナへと向かう道すがら、二人は他愛の無い会話を交わす。ガンの所の仕事はもう終わりだとか、通用口警護の騎士から聞いた街の噂話だとかのくだらない話。だけどヴィーは、こうしてライと会話をして街を歩く日常を気に入っていた。

 食堂に着くとルアナの部屋に上がって着替えをする。食堂でいつもヴィーが着ている服はルアナの物なのだ。濃紺の裾の長いスカートに女性用の白いシャツ。その上にエプロンをして、髪は白い布で覆い隠す。

 着ていた男物の服を脱ぎ捨てた時、ヴィーは自分の首に掛かっているガラス玉の首飾りを手に取って見つめた。これをもらった時には変な男に会ってしまったと頭を抱えた事を思い出し、小さく笑う。

 着替えを終えたヴィーが店へと下りると、既にライがアーシャの手伝いをしていた。慣れた手つきで野菜の皮を剥いている大きな手を見て、ヴィーの心臓が微かに跳ねる。昨日、トリルラン公爵家を出てからの出来事をまた思い出してしまい、急いで頭から振り払った。


「ヴィー?口付けをお望みですか?」


 アーシャから受け取った器の中のソースを混ぜていたヴィーの背後にいつの間にか忍び寄ったライが立ち、ヴィーの体を囲うようにして両手を調理台の上に置く。調理台とライの体に挟まれてしまい、ヴィーは固まった。くすくすとライの吐息が耳をくすぐり、心臓が痛いくらいに拍動していてこのまま死んでしまうのではないかと、赤い顔を俯けてヴィーは思う。柔らかな唇が耳を撫で、温もりは離れた。食料庫へと材料を取りに行っていたアーシャが戻って来たからだと気配でわかったが、熱の上った顔をどうする事も出来ない。


「人の城で何やってんだい。」


 ヴィーの顔色で何かを察したアーシャが呆れたように笑って、ライは笑顔で謝罪を口にする。だけれどその口調は悪いとは微塵も思っていない雰囲気が感じ取れて、アーシャは程々にねと告げて肩を竦めたのだった。

 昼の営業も手伝うと、ライは看板を出しに行く。待っていたように数人が入って来て、そこからパラパラと来店があり店は忙しくなった。


「なんだ、別嬪の次は色男を雇ったのか?」


 常連の客の言葉に、お陰様でねと厨房から顔を出していたアーシャは告げる。客の女達はライの姿を見るとうっとりとして、中には色目を使う者までがいた。それをライは笑顔であしらっている。


「可愛いらしいですね。妬いているでしょう?」

「そ、そんな事はない。自意識過剰ではないか?」


 何故顔に熱が上ってしまうのだと、ヴィーは自分に腹が立つ。両手で顔を隠して逃げ出したヴィーは客に呼ばれて注文を取りに向かった。


「君さ、結婚してるの?」

「?いや、まだだが?」


 注文を取りに向かったテーブルで一人の男に聞かれ、ヴィーは首を傾げる。それがなんだとは思ったが、男の話はまだ終わっていないようだと判断して次の言葉を待つ。だが、何が言いたいのか理解が出来ない。恋人はいるのかとか、根掘り葉掘りと人のプライベートを聞こうとして来る男が言いたい事はなんだと眉間に皺を寄せていると、背後から抱き寄せられた。気配無く、ヴィーにこんな事をするのは、ただ一人。


「私が恋人です。」


 後ろから唇がこめかみに押し当てられて、ヴィーはまた顔が熱くて堪らなくなり、心臓が壊れてしまいそうになる。背中に感じるライの体温までもが熱い気がして、ヴィーは逆上せた。


「ヴィー?ヴィー!」


 くたりと体から力が抜けて、足に上手く力が入らない。そのままライに抱えられ、騒ぎで顔を出したアーシャの指示でルアナの部屋へと運ばれた。ベッドに下ろされたヴィーは、赤い顔を覆って隠す。こんな風に自分の体が思い通りにならないのは、初めての体験だった。


「大丈夫ですか?」

「お前の所為だ…」


 ベッドの端に腰掛け見下ろしているライを指の隙間から睨み付けると、彼は苦笑を浮かべる。すみませんでしたと謝罪を口にしてから顔を覆っているヴィーの手の甲へと口付けをして、ライは立ち上がった。


「少し休んでいて下さい。働き過ぎもあるのかもしれません。」


 何かあれば呼べと告げて、ライは部屋を出て行く。その背を見て、行かないでと声を掛けたくなる。


「まるで女だ。」


 顔を覆って大きな溜息を吐き出して、滲み出した涙が手の間から耳へと伝って落ちた。



 少し休んでから店へと戻ったヴィーの顔を見て、アーシャは優しい苦笑を浮かべた。迷惑を掛けてすまないと落ち込むヴィーの頬を柔く抓る。


「気にしなさんな。あんたの王子様からは言われてたんだよ、虫除けをするって。まぁ、まさかあんたが逆上せて倒れちまうとは思わなかったけどね。」

「……すまない。昨日から、自分がよくわからないんだ。」


 暗い顔をして俯いたヴィーを見るアーシャの眼差しは温かく、抓った手がそのままヴィーの頬を優しく二回叩いた。


「あんたはただ、恋をしているだけさ。恋をすると、自分がよくわからなくなるもんさ。」

「そうなのか?初めてで、よくわからない。」

「初恋かい?良いね。楽しみなよ。」


 ぽんぽんと背中を叩かれ、働こうと厨房から出た。立ち止まって、なんとはなしにライの横顔を眺める。客と話をしているライが浮かべているのは自然の笑顔で、ヴィーの視線に気が付いた彼は、ふわりと優しく微笑んだ。その笑顔に心臓がきゅっと痛くなり、ヴィーは泣きたいような気分になる。駆け寄って、逞しいあの胸に飛び込みたいという考えまで浮かんで来て、慌てて追い払った。


「働き過ぎです。」


 昼の営業が終わり、どっと疲れて椅子に座ったヴィーに、ライが苦笑して告げた。朝一で"鳥"を訓練がてら撒いてからガンの店の配達をして、昼と夜はアーシャの店の手伝い。合間の時間でルアナに会いに行っているヴィーの一日は、確かに多忙かもしれない。


「だが、一座の護衛の時は一日中が仕事だったんだぞ。」


 だからこれは働き過ぎには入らないと反論すると、ライはヴィーの頬を撫でて優しく言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「それとは仕事の内容が違うと思います。使う体力もです。」

「別に体は疲れていない。……お前の所為だ。」


 感情の起伏が激しくて、それが疲れるのだ。だからライの所為なのだとヴィーは思う。


「先程の事ですか?それとも、私はまた、貴女に何か?」


 気付かずに不安にさせたかと心配するライを見上げて、手を伸ばす。目の前のシャツを握って引き寄せると意図を察したライが体を屈めて、ヴィーを両腕で抱き締めてくれる。抱き締められて、ヴィーの体からはほっと力が抜けた。


「泣いているのですか?どうしました?」

「わからない…最近よく泣いているな。歳かな?」

「私よりもお若いでしょう?」

「一つしか、違わないじゃないか。」


 耳元をくすぐるライの優しい声。その声を聞くだけで、胸が苦しくなって涙がとめどなく溢れ出して来る。

 一座にいて旅をしていた時には、こんなに泣かなかったはずだ。それは男として意識していたからなのか、泣くような事が無かったからなのか、きっとどちらもだとヴィーは思った。


「泣かないで、ヴィー。」


 愛しい男の腕の中、優しい唇に涙を掬われて、だけれどヴィーの涙は止まらない。ライのシャツの胸元を握り締めて、自分は恋人と離れるのが不安で怖いのだと胸の中で渦巻いている悲しみの理由(わけ)を自覚しても、ヴィーには為す術が無かった。

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