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マジェンタの瞳  作者: よろず
第二章イルネス
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看板娘2

 トリルラン公爵の屋敷へとヴィーを迎えにやって来たライは、突然妹に怒られ困惑した。城へ戻る為に馬車へと乗り込んだレミノア曰く、『好いた女を不安にさせるなど、愚かなな男ですわ!』らしい。ライへと指を突き付けて、レミノアはそのまま馬車で去って行った。そして、ライの視線の先ではヴィーの顔が真っ赤に染まっている。


「ヴィー?私は、何か愚かな行いをしてしまったのでしょうか?」


 熱を持った頬に手を伸ばし触れようとしたが、ヴィーは一歩後退って逃げる。何故だろうかと首を傾げて一歩近付くと、更に一歩後退した。


「ヴィー?」

「いや、あの、その…だな。き、気にしないでくれ!」


 あたふたと慌てふためくヴィーは珍しく、可愛らしいとライは思う。だが視線を合わせてくれない上に、触れさせてもらえない事が不満だ。


「愛しい(ひと)、私が何か失敗をしてしまったのであれば仰って下さい。愚かにも、私は見当がつきません。」

「それはそうだ。私が勝手に落ち込んだだけなんだ。お前の所為ではない。」


 行くぞ、とヴィーは歩き出してしまう。納得の行かないライは、逃げられないように捕まえてヴィーを両腕で閉じ込める。マントのフードではなく、布で髪を隠しただけのヴィーを見下ろすと赤く染まった顔がよく見えた。


「何故落ち込んだのか、お聞きしたいです。」


 逃げられないように左手で背中をおさえ、右手の人差し指を頤に当てて顔を上げさせる。それでも赤紫の瞳はライを映そうとせず、必死に下を向いたり横を向いたりと彷徨っていた。顔を見られないのならばと考えて、頤に当てていた手を後頭部へずらして抱き込んだ。唇を小さな耳へと近付けて、囁く。


「ヴィー、話して?」

「〜っ!」


 途端にぎゅっと抱き付かれて、ライの心臓が跳ねた。とろりと顔が緩み、腕の中の彼女が愛しくて堪らないと思う。


「私も、愛する貴女の全てを知りたいと思うのです。ですから、些細な事でも構いません。貴女が感じた事、考えた事を教えて欲しいのです。……ご迷惑、でしょうか?」

「そんな事は、ないぞ。」

「では、教えて下さい。」


 いつもはフードで隠されていて、ドレスを着ている時でもここまで密着する事はない。目の前にある赤く染まった耳がとても美味しそうに感じて、そのまま口に含んでしまいたくなる。右手に当たる邪魔な布を取り去って、白銀の絹糸のような髪を直に触れて感触を確かめたいと、思う。


「私はな、ライが、好きなんだ。」


 ライの胸元の服を両手で握り込み額を胸に押し当てたヴィーが紡いだ台詞に、ライの心臓が存在を大きく主張し始める。あまりに嬉しく甘美な言葉だと感じて、細く柔らかな体を抱く腕に力が入ってしまう。


「それで、出来れば貴方の助けになりたい。助けになれずとも、支えになりたいのだ。あ、貴方が疲れ、打ちのめされても、私が貴方の癒やしとなりたい。」

「……私が助けは不要だと言った事を、気に病まれたのですか?」


 胸元で小さな頭がこくりと動き、ライは自分の失敗を悟った。


「ヴィー、貴女の存在自体が私の癒やし。貴女をこの腕にこうして抱く事が叶えば、私は疲れなど忘れます。……ですが、私は貴女を、シルヴィア王女である貴女を利用する悪い男。」

「わかってる。ちゃんと、わかっているよ。私が果たすべき役割も。ただ私は、自分の自覚以上に、貴方への想いが大きくなってしまったんだ。」


 顔が見たいと思った。腕の中の愛しい(ひと)は、今どんな顔をしているのかが、気になった。

 抱く腕の力を少しだけ抜き、ライは懇願する。どうか、顔を上げて下さいと。


「何故だか、とても恥ずかしい。」


 胸元に擦り寄ってそんな事を言うヴィーはなんという可愛さなのだろうと衝撃を受け、ライは目眩を感じる。そのまま衝動のままに、目の前の頭頂部へと口付けた。やはり布が邪魔で、酷く不満だ。赤く染まった耳に吸い寄せられるように唇を寄せる。唇を押し付けたヴィーの耳は熱く、甘い香りがした。


「愛しています。心から。」


 唇を押し当てたままで囁けば、腕の中の体が震える。甘い香りのするこれは、舌で味わっても甘いのだろうかと考えて、ライはそこを唇で撫でた。


「ら、ライ?あの…こ、これは、どうしたら??」


 これ以上無いというくらいまでに全身を赤く染めたヴィーは、ライの腕の中でぎゅっと縮こまっている。普段は男らしく飄々としている彼女の女らしい姿に、ライの唇は弧を描く。


「顔を上げれば良いんですよ、愛しい(ひと)。」


 耳元で囁けば体をびくりと跳ねさせて、焦ったように顔が上がる。やっと現れ、ライを映した赤紫の瞳はゆらゆらと揺れ涙が滲んでいた。


「やっと、見て下さいました。なんて可愛らしい…潤んだ赤紫の瞳は甘い果実のようで、美味しそうだ。」


 噛り付きたくなってしまう。凶暴な衝動を抑え込み、唇を寄せると閉じた瞼へと口付ける。右手で頬を撫で、首筋を撫でた。白い喉まで美味しそうで、ライはうっとりとヴィーを見つめる。


「ら、ライ?どうしたんだ?し、心臓が、壊れてしまう。苦しくて、困る。」

「そんな可愛らしい顔をしないで下さい。このまま、貴女の全てを手に入れたくなってしまう…」

「よ、よくわからないが、私は貴方の物だよ、ライオネル?」


 赤い顔で首を傾げたヴィーは、その言葉の意味する所を理解していないようだと見て取って、ライはとびきり甘い笑みを浮かべた。


「ヴィーはやはり、私が初恋のようですね?」

「……何故わかる?」

「違いますか?」


 微笑んで見つめた先で、ヴィーはぐっと言葉に詰まる。それは肯定の反応で、ライは小さく声を出して笑った。


「笑うな。…そんなに、わかり易いか?」

「そうですね、長年表情をフードで隠していたからですかね。」

「あからさまか?さっきは、ルアナにも勘付かれた。」


 拘束を解いて、ライはヴィーの手を引いて歩き出す。手を引かれるヴィーは、ライを見上げて不満気に首を傾げている。愛する女の顔を見て、ライは優しく笑う。


「普段はそうではありませんが、苦手分野では、わかり易くなるようです。」

「苦手分野?それはなんだ?」

「それは、秘密にしておきましょう。」


 ヴィーの真似をして人差し指を唇に当てて微笑むと、ヴィーは唇を尖らせて拗ねた。意地悪だ、と呟く彼女は愛らしく、ずっと愛でていたいという願望を秘めて、ライは笑う。



 食堂ルアナへと戻った二人は、アーシャの手伝いをした。葉野菜を千切り水へと晒し、野菜を刻む。ヴィーは一座でも手伝いをした事がある為に問題無いが、ライも手慣れているのが意外だった。王太子であるライと料理が結び付かず、野菜を刻みながらヴィーは首を捻った。


「王族ってのはなんでも出来んのかい?それともあんた達二人が変わり者なのかい?」

「私達が変わり者なのでしょうね。私の母は厳しい人で、一人で十日を生き抜けと人里離れた山中に放り込まれた事もあります。」

「ただ一人の王子をか?!」


 流石にヴィーも驚いて声を上げた。ライが死んでしまえば、跡継ぎがいなくなる。バークリンでもイルネスでも、女王は未だに認められていないのだ。王位に就けるのは王族の男子のみ。


「知識はきちんと与えられていましたから、実践です。問題無く、生き抜けました。」

「はぁ〜、凄い親もいたもんだ。ちなみにいくつの時だい?」

「七つ、だったかな?六つだったかもしれません。」


 アーシャもヴィーも、開いた口が塞がらない。そんな年の子供を知識を与えたからと山へと放り込むなど、豪胆過ぎる母親だ。


「私は七つの時に森で一人彷徨う事になったが、行き倒れたぞ?」


 お前は凄いなと感心するヴィーに、アーシャは苦笑する。


「あんた達、どんな半生を送って来たんだい?心配になっちまうよ。」


 ふらふら出歩くし、庶民の仕事を手伝って楽しそうにしているし、変な王子と姫がいたんもだと笑うアーシャに、ライとヴィーは顔を見合わせて、まったくだなと声を出して笑った。

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