表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マジェンタの瞳  作者: よろず
第二章イルネス
39/82

若き王の恋2

 頭上に広がる澄んだ青空と同じ色のドレスを纏い、優秀なイルネスの侍女達の手で金茶の髪は美しく結われている。あまり宝飾品を身に付ける事を好まないレミノアは、首飾りや耳飾りも小振りな物を好む。その好みを把握してドレスや宝飾品を用意する侍女達は優秀だなとレミノアはいつも感心してしまう。自国バークリンからは、侍女も騎士も連れて来てはいない。兄のライオネルに付き従う影のような"梟"達が側にいてレミノアを護衛してはいるが、それだけだ。これは、他国へと嫁ぐ姫の意志表示。"この身一つで貴方の下へと嫁ぎます"という、敵意が無い事を示す意味が込められた、戦争が多かったこの大陸の昔ながらの風習だった。

 十五になったレミノアが王妃である母と王太子である兄から与えられた役目は、隣国イルネスの若き王の妃の座を射止める事。レミノアの三人の姉姫達は与えられた役目を見事にまっとうしている。その上で、幸せそうにしている。自分もそうなれるだろうかという少女の淡い期待は、白銀の髪に碧き瞳の美しい王との初遭遇で、音を立てて崩れ去ったのだった。

 即位して二年。十八のシルヴァンは、レミノアに会う時はいつでも不機嫌だった。辛辣な言葉を投げ付けてレミノアを拒絶する。側妃で構わないと告げれば、妃は一人で良いし、まだ不要だと彼は言う。だがレミノアは、諦める訳には行かなかった。イルネスとの和平を確固たるものにするのは、レミノアが尊敬する母と優しくも恐ろしい兄の目的の為には重要なのだと知っていたからだ。その為の知識も、幼い時から叩き込まれて来た。末姫だったレミノアは、腹違いの三人の姉姫と同母の兄に囲まれて、王妃である母から様々な知識を与えられ、己で身を守る方法も学んで来た。

 最初は女性らしく、柔和な態度でシルヴァンに接していたレミノアだったが、度重なる拒絶に自棄(やけ)を起こした。シルヴァンが投げ付けて来る嫌味に嫌味を返し、言いたい事を口に出したのだ。言い終わってすっきりとしたレミノアは、直後青褪めた。やってしまったと、終わりだと思った。だけれどシルヴァンは、目の前で初めて笑顔を見せたのだ。


『中々に面白い事を言うではないか。』


 今思えば、初めて目にしたその笑顔が始まりだったのかもしれない。そこからシルヴァンは少しずつ、レミノアに心を開き始めた。若く美しい王である彼は、側で常に支えてくれているガーランド一家がいても、孤独を抱えていたのだ。


『双子の姉がいたのだ。強く凛々しく、俺の憧れであり、半身だった。俺にはもう、肉親が一人もいない。母の国には叔父や従兄弟がいるが他人と同じ。レミノア姫、俺はお前が羨ましい。』


 兄がいて、母がいるレミノアが羨ましいと告げたシルヴァンの笑顔は、悲しそうに翳っていた。


『わたくしが貴方の家族となり、貴方に家族を作ります。わたくしが、王ではない貴方を、シルヴァン様を、愛して差し上げますわ。』


 彼の寂しさを拭い去りたいと、心から、レミノアは願った。



 失踪していた王女、シルヴァンの双子の片割れのシルヴィアが戻り、レミノアは毎日のように彼女と共にお茶会へと参加している。初めはレミノアをやんわりと拒絶していたイルネスの貴族達も、段々と好意的になって来た。それはシルヴィアの力であり、レミノアの頑張りが認められた証拠でもあった。今のレミノアは、母と兄の為よりも自分とシルヴァンの為、シルヴァンを愛しているが故に、彼の妻になりたいと思っている。


「レミノア、少し、良いだろうか?」


 お茶会を終えてシルヴィアと連れ立って部屋へと戻ろうとしたレミノアをシルヴァンが呼び止めた。また仕事が煮詰まったのかしらと微笑んで、レミノアは頷く。

 シルヴァンと共に現れた兄は、己の想い人であるシルヴィアと連れ立ってその場を去って行く。その背を見送っていたレミノアは、シルヴァンに促されて歩き出す。


「陛下、お疲れですか?」

「いや、大事ない。」

「ですが、お顔の色が優れないようですが…」

「大事ない。」

「何処に向かわれているのです?いつもの庭はこちらでは無いですわ。」

「少し黙れ。お前は本当に雛鳥のように五月蝿いな!」

「まぁ、いつも通りのようで安心しましたわ。」


 にこりと微笑んだレミノアを見て、シルヴァンの顔が真っ赤に染まる。困ったように視線を彷徨わせて赤くなるこの顔が、レミノアには可愛く思えて仕方が無い。

 何処に向かうのかと首を傾げながらもシルヴァンについて歩く。シルヴァンはどんどんと城の奥へと進んで行き、人影も無くなり、レミノアが来た事の無い庭へと出た。更にその庭を奥へと進んだ先で、生け垣を潜らされた。


「可愛らしいお家ですわね?」


 レミノアの視線の先には、離宮と呼ぶには家庭的で、未だ人が住んでいそうな小さな木造の家。生け垣に囲まれた庭のあるここはなんなのだろうと、シルヴァンに視線で問い掛けた。


「俺が、王になるまでずっと暮らしていた場所だ。」

「前に、お話して下さった事があった場所ですか?」


 そうだと頷くシルヴァンを見て、レミノアは家の周りを観察するように歩く。この場所の話は何度も聞いた事があった。シルヴァンの大切な場所であり、閉じ込められていた辛い思い出もある場所。


「まだ、残してらしたのね?」

「壊す事など出来なかった。だがヴィアが戻った。そろそろ、壊そうかと思う。」


 振り向いたレミノアの視線の先にいるシルヴァンは、優しい顔をしていた。ここで過ごした日々を思い出しているのかもしれない。


「デュナス様と抜け出していたのは、先程の場所から?それとも別の場所かしら?」


 閉じ込められていたといっても、黙って大人しくしているシルヴァンではなかったのだ。デュナスと共に、マーナと騎士達の目を盗んで何度も抜け出した。城内を隠れて歩く事もあれば、通用口を強行突破して街に繰り出す事もあった。通用口の警備が厳しくなったのは、シルヴァンとデュナスが度々抜け出すが故だった。

 小さな家の庭を駆け回る幼いシルヴァンを想像して、レミノアの心は温かく満たされる。優しい場所だと思った。幸せな思い出がたくさん詰まっているから、使われなくなった今でもこんなに綺麗に保たれているのだ。


「レミノア」


 呼ばれて振り向くと、シルヴァンの碧い瞳がレミノアを真っ直ぐに見ている。この瞳に映る自分を見るのがレミノアは好きだ。彼が、自分を見てくれている証拠だから。


「俺が一番に考えるのは国であり、民だ。蔑ろにするつもりは無いが、そう感じさせてしまう事もあるかもしれん。王である俺は、家族を一番になど考えられん。だから、家族を持つのが怖いのだ。」


 優しい人だから、とレミノアは微笑む。両親を殺した相手である前王妃の気持ちを考えて気に病んでしまう人だから、彼が結婚というものに恐怖を感じていた事をレミノアは知っていた。そして、その恐怖故に、半身であるシルヴィアへと縋るような想いを抱いていた事も。


「俺の妻となるのなら、国を共に背負ってもらう。民の事を考えられる者が好ましい。妃は、一人しかいらない。そのただ一人の俺の妻に、レミノア、お前がなって欲しいのだ。死ぬまで、俺の側にいて欲しい。あ、愛している。」


 真っ赤な顔で、後ろ手に隠していた小さな花束をレミノアへと差し出した。

 レミノアの好きな、淡いピンク色の薔薇の花。棘が抜かれた茎を束ねているのは、レミノアの緑とシルヴァンの青の二色のリボン。花束を持つシルヴァンの手は微かに震え、指先には棘による傷が見える。


「陛下が、ご自分で摘んで下さったのですか?」

「そうだ。庭師に頼んで、貰って来た。」

「綺麗です。とても、嬉しいです。」


 鼻の奥がツンとして、涙が滲む。ふわりと花が綻ぶように笑って、レミノアは花束を両手で受け取った。その中から一本を抜き取り、シルヴァンの胸ポケットへと差し込む。


 "お受けします"


 無言の答えに、シルヴァンはほっとしたように微笑んだ。そして花束からもう一本抜いてレミノアの髪へと差し込む。


「綺麗だ、レミノア。」


 赤い顔で、照れたように微笑む愛しい男。抱き寄せられて、レミノアは彼の胸に身を預けた。そのままこめかみへと唇が押し当てられて、レミノアの顔には熱が上る。


「へ、陛下?!」


 狼狽えたレミノアの瞳に映るシルヴァンも、負けず劣らず顔を真っ赤に染めて狼狽えている。


「そ、そうだ、許可を得ねばならんと、ライオネルが」

「あ、兄上ですか、な、なんのお話でしょう?」


 二人でわたわたと慌てふためいて、なんだかお互いに可笑しくなる。顔を見合わせて噴き出して、伸びて来たシルヴァンの手がレミノアの頬をそっと撫でた。


「その、だな…口付けをしても、良いだろうか?」


 赤い顔で照れて、シルヴァンは緑の瞳を覗き込む。その視線を受け止めたレミノアは、蕩けるように微笑んで、頷く。


「もちろんです。陛下…愛しております。」


 そっと重なり合った唇は甘く、二人の思考は幸せに蕩けた。



 レミノアの手には薔薇の花束。それと同じ花がシルヴァンの胸にあり、レミノアの髪にも刺さっている。二人の姿は、あからさまでわかり易かった。

 レミノアを部屋へと送り届ける為に城の廊下を歩く二人を包むのは、祝福の嵐。城で働く貴族や騎士、侍女や下働きの者までが顔を出し、二人に祝いの言葉と拍手を送る。


「ひ、人払い、すべきであった…」

「もう遅いですわ。王のお仕事をなさいませ?笑顔で手を振るのです。」


 赤い顔を片手で覆ったシルヴァンを促して、レミノアは幸せそうに蕩けた笑みで擦れ違う人々に手を振って礼を告げている。

 気を取り直したシルヴァンが引きつった笑みで手を振って、ふと首を傾げる。


「だが、来た時よりも人が多くないか?」

「そういえばそうですわね?なんだか、待っていたような感じが致します。」


 まさか、と呟いたシルヴァンだったが、確認するのは後回しにしようと決めてレミノアの部屋へと向かう。だが、確認に出向く必要もなく、そこには問い詰めたい相手が揃っていた。


「デュナスに続いて陛下までとは、祝い事が続きますな。」

「悲しみが続いた後です。素晴らしい事ではないですか、トリルラン卿?」


 笑顔のトリルランとデュナス、そして、シルヴィアとライオネルまでがレミノアの部屋の前で待っていたのだ。


「お、お前達か、あの廊下の騒ぎは!」

「私だ。大事な弟の幸せを皆に祝ってもらいたかったのだよ。」


 笑顔のシルヴィアに抱き付かれて、シルヴァンは困ったように笑って抱きとめる。ライオネルが笑顔で見守っているが、少し、視線が痛い気がすると思い、シルヴァンはわざと姉の体を力強く抱き締めた。


「式はいつだ?私は出られるかな?デューの式にも出たい。」


 自分の事のように幸せそうに笑ったシルヴィアは、ライオネルの手でそっとシルヴァンから離される。


「出られるようにしましょう。」

「そうか、楽しみだな。レミノア、弟を頼む。」

「はい!必ず幸せにして差し上げます!」

「それは、俺がお前に言うべきではないか?」


 苦笑を浮かべたシルヴァンへと、レミノアは笑顔で首を横に振る。


「陛下が幸せにするのはイルネスの民です。わたくしは貴方のお側にいられたら幸せです。ですから、わたくしがシルヴァン様を幸せにするのですわ。」


 言い切ったレミノアの笑顔を見たシルヴァンは破顔する。これだから好きだと、彼女が欲しいと思ったのだと、シルヴァンは幸せそうに笑って愛しい女を両腕で強く抱き締めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ