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マジェンタの瞳  作者: よろず
第二章イルネス
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若き王の恋

 ガンの仕事の手伝いで野菜の配達をしていたヴィーは"食堂ルアナ"の扉を開けた途端、ルアナに突進された。流石に突然で驚いたヴィーはたたらを踏み、なんとか倒れず、野菜も落とさずに済んでほっと息を吐き出す。そんなヴィーの腕の中では、ルアナが何かを確認するようにヴィーの体に手を這わせている。


「おはよう、ルアナ。くすぐったい。」

「ほんとーに、女の人だ!ごめんなさい、ヴィー、私もずっと男の子なんだと思ってた。」


 くりんとした緑の瞳に見上げられて、ヴィーはフードの中で苦笑した。ルアナの瞳の色と髪の色は、ミアを思い出して胸が温かくなる。


「気にするな。背も、女にしては高いしな。」

「でも王女様なんでしょう?それも本当?」

「本当だ。中に入れてくれたら、フードを取ろう。」

「そうよね、ごめんなさい、こんな所で…」


 気にするなと笑ったヴィーは食堂の中に招き入れられ、持っていた野菜の入った箱を床に置いてからフードを取った。さらりと音を立てて揺れたプラチナブロンドの髪と赤紫の瞳をまじまじと眺めて、ルアナの緑の瞳が輝く。


「きれーい!私ね、生誕祭の最後の夜、王城前広場の舞踏会であなたを見たわ。」

「それは、デュナスを見に?」


 優しく細められたヴィーの目を見て、ルアナの頬は赤く染まる。こくりと頷いてから、はにかんだ笑みを浮かべた。


「バルコニーにずっと立っていたでしょう?遠くからでもね、彼を見ていたかったの。」

「愛しい男を眺めていたい気持ち、私もわかるな。」


 とろりと微笑んだヴィーの顔を見て、ルアナの頬も緩む。


「ヴィーもそういう人がいるの?」

「いるよ。彼を想うだけで、胸が苦しくなったり、幸せに満たされたりするんだ。不思議な感覚だ。」

「私も!私もね、デュナスの事を考えてると、心臓がきゅーってなるの。」

「昨日は、結局どうなったんだ?」


 昨日上機嫌で戻って来たデュナスは、照れたように笑ってヴィーへと礼を告げるとすぐにシルヴァンを引きずって執務室に引っ込んでしまったのだ。それ以降顔を合わせる事が無く、ヴィーは事の顛末を聞く事は出来なかった。


「母さんとも話し合って、お受けする事にしたの。これをね、もらった。」


 ルアナが捲った袖から現れた左手首には緑の小さな宝石の付いた白銀色の腕輪があった。指輪では、食堂で働くルアナは外さなくてはならないからとデュナスは腕輪を選んだらしい。


「それでね、私、宰相さんの養女になるの。あちらにはもう話を通してあるみたいで、後は色々細かく話を詰めるって言ってた。」


 頬を染めて微笑むルアナは、昨日までと違って幸せそうだ。その表情は見る者まで幸せな気持ちにさせる力があるなとヴィーは思う。


「私も力になる。困った事があればなんでも言ってくれ。遠慮はするな。」

「うん。ありがとう、ヴィー。」

「私からも礼を言わせておくれ。でも王女様になんて、どうやって話したら良いんだか…」


 ヴィーが持って来た品物の確認をし終えたアーシャが困ったように首を傾げ、気を使うなとヴィーは笑う。今まで通り普通に話してくれと頼んだヴィーに、二人は笑顔で頷いた。


「アーシャ、糞爺には天罰がくだる。安心してくれ。」

「そうなのかい?仕事が早いんだねぇ。」

「他にも悪どい事をたくさんやっていたようだからな。…私は、アーシャにも幸せになって欲しい。」


 赤紫の瞳に映るアーシャは、ルアナとヴィーに両手を伸ばし纏めて抱き締めてから声を上げて笑う。


「大丈夫、私は幸せさ!」


 可愛い娘がいて、食堂に来てくれる客達がいる。毎日が充実していて心から幸せなんだと言って笑うアーシャは、強く逞しい女だなと、ルアナとヴィーは抱き締められながら思った。



 朝の配達を終えたヴィーがガンの店へ戻ると、深くフードを被ったマントの男がライと共に開店準備を終えて待っていた。戻って来たヴィーを見て、ガンはお帰りと声を掛ける。とりあえず事情を聞くのは後に回して、ヴィーは配達した品物の売り上げをガンへと手渡した。


「お前の弟が来てるぞ。そのマント、実は国の衣装なのか?」

「まぁ、そのような物だ。」


 フードの中で苦笑して答えたヴィーに、ガンは結婚の申し込みの極意を語り出す。ガンの話しぶりからすると、どうやらヴィーが誰かに結婚を申し込みたくて悩んでいるのだとシルヴァンが話したようだ。


「要は金じゃなくて気持ちだ。うちのかみさんはなぁーー」


 ライが笑顔で相槌を打ち、ヴィーもなるほど、などと口に出して相槌を打ちながらガンの亡くなった妻との馴れ初めを聞く。一番真剣に聞いているのはシルヴァンで、金が無かったガンが野に咲く花を一輪渡して結婚を申し込んだというくだりでは、その時の言葉や相手の反応などを詳しく質問していた。

 ガンが語るのに満足した頃に客が来て、三人は礼を言ってガンの店を後にする。商店の立ち並ぶ通りを適当に歩きながら、ヴィーはシルヴァンの背中を平手打ちした。


「いったいぞ!ヴィア!!」

「何故私が結婚を申し込む事になっているんだ。自分だと素直に言えば良いだろう?」

「そうだが、気恥ずかしいではないか!双子なんだから良いだろう?」

「双子は関係無いだろう。それにザッカス無しで何をしている?ライにくっ付いて来たのか?」

「一緒に考えてもらおうと部屋を訪ねたら、こいつはヴィアに会いに出掛けると()かしたんだ。だから無理矢理付いて来てやった。」


 側に護衛がいない様子から、ライは護衛は撒いたがシルヴァンの事を撒くのは諦めたらしい。苦く笑っているライを見上げたヴィーは、肩を竦めてからシルヴァンに向けてわざと大きな溜息を吐く。


「デュナスには聞いたのか?」

「聞いた。だがあいつは俺には教えんと意地悪く笑ってな。あいつの助けは借りん!」


 良い年をして、兄弟喧嘩のようだなとヴィーは笑った。


「笑っていないで助けてくれ!何をどうしたら良い?」


 情けない声を出して縋り付いて来た弟の背中をぽんぽんと叩いて宥めながら、ヴィーはふとした疑問を口にする。


「今まではどうしていたんだ?」


 ヴィーもシルヴァンも二十二だ。結婚の申し込みはともかく、恋人の存在がまさか初めての訳が無いだろうとヴィーが言うと、シルヴァンは黙り込む。


「まさか、レミノアが初めてですか?」


 驚いた表情のライの視線に晒されて、シルヴァンは爆発した。


「初めてだ!悪いか?!俺は十六で王になったんだ!それまではずっと離れから出る事が許され無かった。そんな機会がある訳がなかろう!!」


 側妃ラミナが殺されシルヴィアが姿を消し、シルヴァンまでが何かをされては堪らないと、前王ジルビオールは騎士に護らせてシルヴァンをガーランド一家と共に離れに閉じ込めたのだ。訪ねて来るのはジルビオールとトリルランだけ。そんな中でザッカスとデュナス相手に剣を鍛え、ジルビオールとトリルランが訪れた時には政について学ぶ。そんな生活をしていて、恋だなんだなど出来る訳が無いと叫んだシルヴァンを、ヴィーは宥める。


「わかった、すまなかった。声を落とせ、ここは街中だ。」


 ヴィーに背中を優しく摩られて、シルヴァンはぐっと黙り込む。フードの中の顔は赤いのだろうなと想像して、ヴィーはふふふ、と笑う。


「笑うな。」

「いやな。立派な王になったかと思いきや、昔のままの可愛い部分もあって嬉しいなと思ったんだ。」


 フードを被った頭をぽんぽんと撫でられて、シルヴァンは拗ねたような声音で言葉を紡ぐ。その内容に、ヴィーとライは優しく微笑んだ。


「女自体が初めてな訳ではないのだ。王になってから、貴族達はやたらと俺に女を当てがいたがって、何人かは相手もした。だがレミノアは、なんというか…違うんだ。喜ばせたい。」

「妹は、多くを望む娘ではありません。貴方が一生懸命考えた事であれば、喜ぶと思いますよ。」

「だが、ああしておけば良かったなどと後から悔やみたくないのだ。最善を尽くしたい。」

「では参考までに。バークリンの北のグラインに鉱山があるのはご存知ですよね?」


 ライの言葉にシルヴァンとヴィーは頷いた。

 グラインには鉱石や石炭が取れる鉱山があって、そこで取れる石を磨いた宝石が有名な国だ。


「グラインの王は嫁いだナーディアに代々王妃が受け継いで来た大きな宝石の付いた首飾りを贈って永遠の愛を誓ったそうです。あそこは王であっても妻は一人しか認められていませんからね。」

「ほう!それで、ナーディア殿の反応は?」

「殺す気か、と怒り狂ったそうです。」


 苦笑したライを見上げて、双子はフードの中で困惑した表情になった。首を傾げている二人を見て、ライは楽しそうに続きを話す。


「毒石だったんですよ。グラインの王家ではその首飾り以外でも、赤く輝くその石を側に置いて愛でていたんです。だから、あそこの王族は石の毒に当てられて短命でした。ナーディアは鉱石に詳しいんです。怒り狂ったナーディアの指摘でその石の成分を調査したゴーセル王は、国宝だったその石を全て処分しました。」

「なんだそれは、参考にならんではないか!」

「ですがその出来事で二人の絆は強まりました。まぁ、極端な例ですが、古く大切な物を贈って愛を誓うのも一つの手ですよ、という話です。」


 古く大切な物か、と更に悩み初めてしまったシルヴァンを見て、ヴィーは母ラミナが大事にしていた髪飾りはどうしたと口にした。それは、彼女がジルビオールから贈られた物で、常に身に付けて大切にしていた物だ。


「あれは、父上と共に墓に入れた。母上の墓には父上の指輪が入っているよ。」

「そうか…では二人は、今でも共にいるのだな。」

「愛し合った二人は幸せだっだろうが、前王妃が浮かばれんよ。俺は、誰かにそんな思いをさせるのは嫌だ。」


 フードを目深に被った双子は寄り添い合い、母と父の命を奪った女性の事を考える。息子の一人が六歳で亡くなってしまい、そこから心を病み始めてしまった彼女。恋敵を排除しても王の心は手に入らず、心の拠り所だったもう一人の息子も失ってしまった彼女の人生は幸せだったのだろうか。仇であった故人を想って、もうそんな悲しみを繰り返したくはないなと、双子は同じ想いを抱えて手を繋いで歩いた。

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