食堂の恋4
ヴィーとライが連れ立って城へ戻ると、通用口の騎士がシルヴァンからの言伝を告げた。そのまま案内された部屋で二人が待っていると、しばらくしてからやって来たシルヴァンは渋い顔をしている。お茶の用意だけさせて人払いをして、テーブルを囲んで座った三人は紅茶の入ったカップを口に運ぶ。温かな紅茶を一口飲み込んで、シルヴァンはライへと視線を向けた。
「バークリンが戦の準備をしているようだ。」
反応を探るようにライを見つめるが、シルヴァンの視線を受け止めているライは仮面のような笑顔を浮かべていて考えは読めない。手にしていたカップを置いて、ライは頷いた。
「戦狂いの王レバノーンと宰相の仕業です。」
「狙いはどこだ?」
「バークリンの南のシーリアです。塩を止めてもらっていますから、痺れを切らせたのでしょう。」
バークリンの南に位置するシーリアは海に面した国。それ故に海産物と塩を他国へと輸出する産業が盛んなのだ。そして塩とは生活に欠かせない上に、戦をするにも重要だ。
「その言いようだとお前の仕業のようだが、何故そんな事をした?シーリアには確か、バークリンの姫が嫁いで王妃になっていたな?」
厳しいシルヴァンの視線の先では、笑顔を崩さずライが頷いた。
「王太子の母となりました。彼は七つ。中々聡明に育っています。」
「それはどうでもいい。お前の狙いはなんだと聞いている。」
「罠です。バークリンに根を下ろしている膿を一掃します。」
「そんな事が出来るのか?」
腹を探り合うような会話を眺めながら、ヴィーはしゃくしゃくと焼き菓子を囓る。口の中に広がる甘みと紅茶の微かな渋みとの調和を楽しみ、次はどれを食べようかと手を彷徨わせる。のんきな様子のヴィーを横目で見て、シルヴァンは大きな溜息を吐き出した。
「ヴィア、気が抜ける。やめてくれ。」
「あぁ、すまない。小腹が減ってしまってな。」
指についた菓子のカスを舌で舐めとって、ヴィーは椅子に深く腰掛け直す。わざとらしく真面目な顔を作って、両手を股の上で組んだ。
「気にせず、続けてくれ。」
「お前は…その様子だと、知っていたな、ヴィア?」
「まぁ、ちょっとした鍵探しは手伝ったよ。」
「鍵?なんだ、それは?」
チラリとライの表情を確認してから、問題無さそうだと判断してヴィーは"鍵"の説明をする。それは、アーシャから譲り受けたキアク公爵の金の首飾り。あれは、初代キアク公爵がバークリンの王から賜り、代々家督を継ぐ者に受け継がれていた大事な物。本来であれば大事に保管され、後を継いだ証拠として手渡される物なのだが、紛失した事を二十年以上、現バークリン宰相でありキアク公爵でもあるガルダは隠し通して来たのだ。
「その鍵はガルダ・キアクの孫ノインへと渡り、ノインがキアク公爵となります。ガルダには表舞台から去ってもらい、シーリアとの戦で膿を全て排除します。」
「だが、戦などすれば多くの死者が出る。いくら膿を一掃する為とはいえ、そんな事は免罪符にはならんぞ。」
そうですねと、ライは微笑む。
「この戦は形だけ。シーリアにも全面的に協力してもらい、死者は出しません。軍も私が掌握済みですから、膿だけを排除出来るよう、万事整えてあります。」
「お、前は…本当に恐ろしい男だ!だがな、お前はこんな所にいて良いのか?ここで何をしている?」
「私が国にいては彼らは動きません。レバノーンも。ですから、イルネスには全て事が終わるまで静観して頂きたい。バークリンを囲む他の二国にも秘密裏に申し入れ、協力を取り付けてあります。」
王が何度変わろうと戦に明け暮れていたバークリン。戦の絶えない大国は、王太子を産んだ女が王妃となり、表向きではわからないように、王や貴族が気付かないように隠されながら少しずつ、変化していた。その変化で目に見える大きな物は、王太子の前に産まれた三人の王女達が年頃を迎えた頃から始まり、周りの国と徐々に休戦協定を結び始めた事だった。
始まりは第一王女アリシアが十八歳を迎えた年。彼女はバークリンの西に位置する王国、ミジールへと休戦の為の人質として輿入れした。その三年後には第二王女ルシエラが。初陣以降破竹の勢いで勝利を収めて来た王太子ライオネルとの戦での敗戦を受け休戦協定を結んだシーリアへと輿入れをして、第三王女ナーディアはその翌年。彼女がバークリンの北の王国グラインへと輿入れすると同時に休戦協定を結んだ。更にその翌年にはバークリンの東の大国イルネスと休戦協定を結び、以降六年、バークリンは戦をしていない。
「良いだろう。お前が目指す物だ、悪い事にはならないと信じてやる。」
「ありがとうございます。陛下のお父上、前王ジルビオール様の目指した先、共に築ければと考えております。」
「戦の無い国、か。」
「ライならば夢物語で終わらせないと、私は信じているよ。」
伸ばされたヴィーの右手を取り、ライは指先へ唇を近付け触れさせる。上目遣いで見上げて、穏やかに微笑んだ。
「ご期待に添えるよう、力を尽くします。尽きましては陛下、レミノアとの婚姻の話ですが、そろそろ日取りを決めたく存じます。デュナス殿の件も片付きそうですし、陛下の話が進まない事にはあちらも進められないのではないですか?」
ヴィーの手を握ったままのライの言葉に、シルヴァンは飲んでいた紅茶を喉へと詰まらせた。赤紫と碧の二対の瞳に温かな視線を送られて、シルヴァンの顔は咽せたのとは別の理由で赤く染まる。拳を口に当ててわざとらしい咳払いを一つして、シルヴァンは頷いた。
「ヴィアとレミノアの頑張りで、最近では貴族達からもいつ結婚するのかとせっつかれ始めている。トリルランとデュナスとも相談して決めよう。それで、デュナスの件とはなんだ?食堂のルアナがついに頷いたか?」
面白い事を聞いたぞという表情を浮かべたシルヴァンは身を乗り出し、ヴィーは楽しそうな声を上げて笑う。
「恐らくな。あちらで話が纏まればデューも戻るだろう。」
冷めた紅茶を飲み干して、ヴィーは八百屋の手伝いをしている事、食堂のルアナへとデュナスからの手紙を届けていた事を話す。アーシャの過去には触れず、擦れ違いがあった二人だがお互いを想い合っていて、誤解が解けて解決しそうだと説明した。
「デュナスには頼りっぱなしだったからな。幸せになって貰いたい。」
穏やかな笑みを浮かべたシルヴァンは、過去へと想いを馳せる。
母のラミナが毒殺され、己の分身だと思っていた姉が攫われ姿を消し、取り乱して泣き続けていた幼いシルヴァンを叱責して目標を与えたのはデュナスだった。剣の腕を磨き、政について学び、母を殺したというのに許された王妃へと復讐をしてやろうと死に物狂いの日々を過ごした。そんなシルヴァンの傍らには常にデュナスがいた。王太子も、父王も、復讐の目的だった王妃もいなくなり、王位に就くしかなくなって尻込みをするシルヴァンの尻を叩いたのもデュナスだったのだ。
『我々ガーランドは、いつでもお側におります。貴方を支え、間違いを犯しそうになれば叱責して道を正して差し上げます。ですからどうか、貴方の望むままに、良い王とおなり下さい。』
まだ六年。だが、必死に歩んだ六年だった。まだまだ手を付けるべき事が沢山ある。まだまだ、これからだ。
「俺は、皆が幸せに笑えるようになれば良いと思うのだ。」
身分など関係無く。衣食住に困る事無く。手を伸ばしさえすれば当然のように幸せを掴める世の中にしたいと、シルヴァンは思う。
「なりますよ。イルネスは早くから奴隷制度を廃止していますし、民が浮かべるのは笑顔が多い。そうではない国は、未だ多いです。」
「そうだな。ネスも言っていたが、お前は民に慕われている。話を聞いた騎士も民も、お前に感謝をしていたぞ。」
ライとヴィーに微笑まれて、シルヴァンは照れて頬を掻いた。嬉しそうに笑ってから両手を天に突き上げて体を伸ばす。
「ならばまだまだ、頑張りがいがあるな。バークリンの今後にも目が離せんし、何より、大事な姉が嫁ぐかもしれん国だ。俺が納得出来なければヴィアはやらんからな!」
「肝に銘じておきます。」
「人の事を言っているがヴァン、レミノア姫本人に結婚の申し込みはどうした?王だからと免除されると思うなよ。」
ぐっと喉を詰まらせて、シルヴァンは顔を顰める。ライへと助けを求めるような視線を送り、それを受け止めたライは優しく笑う。
「強い娘ですが、憧れてはいると思います。兄としてもしっかりと申し込んで頂きたいですね。」
そういうものか、と視線で問うたシルヴァンに、二人はそういうものだと笑顔で頷いた。頬をひくりと引き攣らせたシルヴァンは、小さな唸り声を上げて顔を両手で覆う。
「ちなみにだがライオネル、お前はヴィアにどうやって申し込んだ?」
「ただ欲しいと。ですが、正式な申し込みはまだです。まだ地盤を固めている途中ですからね。」
そうだな、と言ったヴィーと手を握り合い、二人は視線を交わし微笑む。甘く微笑む双子の姉と未来の義理の兄の様子を目にして、シルヴァンは白銀の髪をくしゃりと握って頭を抱えた。
「ではデュナスは?教えてくれるだろうか?だがレミノアはどんなのを望むんだ?…ヴィア!俺はどうすれば?!」
「落ち着け、ヴァン。私は女として生きて来なかったからな、あまりよくわからん。だが、やる事に意味があるのではないかとは思う。」
「一般的なのは、相手の好きな花の花束を送ったり、宝石の付いた宝飾品を送ったりするようですよ。」
天の助けを得たとばかりの表情を浮かべたシルヴァンはライを縋るように見つめる。ライが知っている知識とレミノアの好み、ヴィーの女としての評価を真剣な様子で聞くシルヴァンの結婚の申し込み方法調査は、上機嫌で城へと戻って来たデュナスに執務室へと連れ戻されるまで続いたのだった。




