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マジェンタの瞳  作者: よろず
第二章イルネス
32/82

新たな日常2

 花々が咲き誇る城内の庭園には、花の香りに混じって紅茶や甘い菓子の香りが漂っている。テーブルセットの周りには咲き誇る花のようなドレスを身に纏った若い娘達が腰を下ろし、小鳥の囀りのような笑い声を上げ言葉を交わす。


「シルヴィア様は今晩の夜会にライオネル殿下といらっしゃると伺いましたわ。」


 煌めく金の髪に澄んだ空のような瞳の少女がヴィーへと微笑み掛ける。その言葉を受けて優雅な動作で手にしていたカップをソーサーに戻し、ヴィーは凛とした花のような笑みを浮かべた。


「貴女のお父様が開かれる夜会だそうですわね?とても楽しみにしておりますわ。」

「お二人がご出席なさる為、父も張り切っております。シルヴィア様はよくライオネル殿下と共に夜会を訪れていらっしゃるでしょう?やはりそのようなご関係なのかしらってわたくし達気になっていましたの。失礼でなければ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 マリアンヌと取り巻きの五人の少女から期待の眼差しを向けられたヴィーは、浮かべた笑みを変えないままでゆっくりと言葉を紡ぐ。


「わたくしをシルヴァン陛下の元へと帰らせて下さったライオネル殿下には感謝していますの。それに…とても、素敵な殿方ですわ。」


 恥じらうように瞳を伏せると、途端に少女達は若い娘特有の高い声で口々に素敵、だとかやっぱりだとか言って騒ぎ始める。その喧しさに内心では顔を顰めつつも、ヴィーは優雅に微笑んだままで隣のレミノアへと視線を移す。


「わたくし達双子がバークリンとの懸け橋となれたら良いと思っておりますの。ねぇ、レミノア?」

「わたくし自身もそうなりたいと存じます。わたくし達の代で、長い戦いの歴史に終止符を打ちたいものですわ。」

「その為にはイルネスも一つになる必要があるわ。マリアンヌ様は多くの若いご令嬢方に慕われていると聞きましたの。わたくし達の王の為に出来る事、共に考えて下されば大きな助けになると思いませんこと?」


 ヴィーの視線の先ではマリアンヌの笑みが凍りつき、取り巻きの少女達はあからさまに動揺して互いに顔を見合わせている。

 マリアンヌは十六歳。前の年に社交界へとデビューしたばかりで、その際に王であるシルヴァンとダンスをする機会があり彼に恋をしてしまったのだ。それからというもの、妃の地位を狙う多くの令嬢を時に蹴落とし、時に協力して妃候補のレミノアへと嫌がらせをして来たのだった。戦ばかりのバークリンなど野蛮で、その国の姫など崇高なシルヴァン王には不釣り合いだと公言してきた。

 だが今、マリアンヌの目の前にはシルヴァンに瓜二つの女性が微笑み、諦めろと暗に告げている。妃は一人で良いというシルヴァンの考えは国中の人間が知っている。その妃の座にレミノアがおさまれば望みは無くなるのだ。愛人などシルヴァンが持つ訳が無いのだと誰もがわかっている。彼はそれだけ気高い精神の持ち主故に、民にも貴族達にも慕われているのだから。


「王の望みが何か、ご存知かしら?」

「そ、れは、戦を無くし、民が幸せに日々を暮らせる事ですわ。」


 優しいヴィーの声に震える声でマリアンヌは答え、頭の中で考えを巡らせる。


「すぐ隣に位置し、国境が接する地域も大きく、イルネスと同じくらいの大国バークリンとの和平が重要となるのはわかりますでしょう?再び戦が始まれば泥沼化するわ。そうなれば陛下の理想は遠退いてしまう。」

「お、お言葉ですが、それはシルヴィア様がバークリンへと輿入れするだけでは駄目なのでしょうか?」


 マリアンヌの右隣にいる金髪碧目の少女の問いに、ヴィーは穏やかに微笑んで頷く。それだけでは足りないのだ。弱い。元々はレミノア一人の役目だったが、ヴィーは国を考えなければいけない場所へと戻って来た。だからこそ、恋をしている少女へと酷な事を告げなければならない。


「揺るぎない物にする為には、わたくしとレミノア、両方必要ですわ。」




 肩を落として去って行く少女達の背を見送りながら、レミノアとヴィーは重たい溜息を同時に吐き出した。顔を見合わせて、苦く笑う。


「彼女とわたくし、想いは同じですのに…」


 憂いを帯びた表情で零すレミノアの背中をヴィーは優しく叩いた。


「だがこれが貴女が与えられた仕事だろう。ヴァンへと想いを寄せたのは副産物に過ぎない。」


 声が届く範囲に人がいない事を確認した上でのヴィーの発言に、レミノアはピクリと反応を見せ、表情を穏やかな笑みに変えた。


「兄上から?」

「いや。ライは何も。」

「彼がついているのは監視という事だったのですわね。」


 その言葉にヴィーは目を丸くした。驚いたと書かれたヴィーの表情を読んで、レミノアは口元を右手で隠してくすくすと笑う。


「コツがありますのよ。」

「そのコツを聞きたいな。気配が全く無い。」

「それを教えてはわたくしが怒られてしまうわ。彼、いつも無表情で怖いんですの。いたっ」


 物陰から木の実が飛んで来てレミノアの額に当たった。話し過ぎたレミノアに対する注意のようだと見て取って、ヴィーは喉の奥で笑いを押し殺す。


「いつかご挨拶したいものだ。」


 ほんのり赤くなったレミノアの額を指先で撫でてヴィーは微笑む。レミノアも微笑み返し、二人並んで城へと歩き出した。


「毎日お茶会に夜会にとお忙しくしてらして、シルヴィア様のお身体が心配ですわ。ご自愛下さいませ。」

「身体は平気だが気疲れするな。今日のように若い娘さんの恋心をへし折るのは流石に胸が痛む。」

「わたくしもです。」


 二人の視線の先に、二つの人影が角を曲がって来たのが見えた。一人は白銀の髪を緩く結った碧い瞳の王。そしてその隣には金茶色の髪を赤紫のリボンで結った王太子。簡素だが上質な服を身に纏った二人は並んで歩き、二人の姫君の下へと辿り着く。


「額が赤いな。何かあったか?」

「少しぶつけただけですわ、陛下。お二人揃ってどうなさったの?」


 レミノアの額を指先で撫でたシルヴァンは、首を傾げて見せたレミノアから顔を逸らし、赤い顔でつっかえつっかえ言葉を紡ぐ。


「いや、その…今日はマリアンヌが相手だと聞いてな。なんというか、お前が、気に病んでいるのではないかと、だな…」


 要は心配して来たのだと言っているシルヴァンの赤い顔を見つめて、レミノアの表情がとろりと緩む。こういう所が好きだと、心の中で思う。


「ヴィアとお前にばかり負担を掛けて、俺は何も出来んからな。」

「ありがとうございます。でもこれは、陛下が出てはいけない問題ですから。女の仕事ですわ。」


 レミノアが王妃になるのを認めさせなければならないのだ。それを王の力で無理矢理ねじ伏せてしまっては歪みが生じてしまう。だからヴィーと二人で、レミノアの存在はイルネスの為になると吹聴し、会話の中でレミノアの知識の広さ、政への明るさを披露している。


「傷無しに物事が成せるなど、夢物語です。」


 ヴィーの隣で微笑み、ライはそう告げる。それに反発心を露わにしたのはシルヴァンだった。


「だが、傷が大きければ後の歪みとなるだろう。」

「そうです。ですから、最小限に留める必要があります。陛下はジルビオール様が下地を作った上に立った。王太子の死によって。」

「最小限だとは言えんがな。俺は幸運だった。気付いたら、全てが整っていたのだ。」


 眉間に皺を寄せて睨むように見てくるシルヴァンの視線を受け止めて、ライは微笑みを崩さない。


「何が最小限かは、何処を中心に捉えるかで変わります。陛下は立つべくしてイルネスの王となられた。天命だったのでしょう。」

「俺は時々お前が怖いよ、ライオネル。」


 体中の空気を全て押し出すような大きな溜息を吐き出して、シルヴァンはレミノアの背を押して歩き出す。


「ギルフォードが王位を継いでいたら、イルネスはガタガタだっただろうな。」

「ヴィア、お前まで何を言い出す。故人を落とすものではない。」

「事実を言ったまでだ。お前もそう思っていただろう?」


 シルヴァンは答えなかったが、それは肯定の沈黙だった。

 イルネスの王太子だったギルフォード。彼は、王になれる器を持っていなかった。幼い頃から剣や政を教わっていても中々身に付かず、戦に喜びを見出してしまっていたのだ。それは前王ジルビオールが目指したものとは真逆を行く道で、存命の折、ジルビオールは何度もギルフォードの考えを正そうとしていた。だが結局考えが改められる事は無く、戦況を読み誤り、好きな戦で戦死した王太子。彼の死をきっかけにして元々伏せっていた王妃は完全に心を病み、愛する男を道連れにこの世を去ったのだ。ジルビオールの意志を継いだシルヴァンが王位に就いたのは、民にとっては最小限の傷だったといえる。もしギルフォードが王位を継いでいれば、イルネスは再び戦の歴史に突入していただろう。


「お前達の目には一体何が映っている?」


 首だけで振り向いたシルヴァンの視線の先で、並んで歩くライとヴィーは同じような笑みを浮かべている。それは、相手に考えを読ませない、真意を隠す笑み。答えたのはライだった。


「イルネスにも大きな利益となる事です、陛下。決着がつくまでお待ち下さい。」

「良いだろう。なんだかんだで、お前の事は信用している。」

「有難いお言葉です。ヴィーの事も悪いようにはしませんよ。」

「それはまだ結論は出せんな。」


 ふんと鼻を鳴らしたシルヴァンは前を向き、シルヴァンの隣ではレミノアが美しい鳥の囀りのような声で笑う。その背中を見つめるヴィーも穏やかに微笑んで、そっとライへと体を寄せた。


「人の気配が無いな。貴方の仕業か?」

「いえ、人に見られるのは嫌だと陛下が人払いをされました。流石に他国の廊下の人払いなど、私には出来ません。」

「なんだ、余裕でやってのけそうだがな。」

「買い被り過ぎですよ、ヴィー。」


 ヴィーの赤紫の瞳に映るのは、穏やかな本物の微笑みを浮かべたライの姿。それを満足気に見上げて、ヴィーは甘えるようにライへと擦り寄ったままで廊下を進んだ。

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