騎士と姫君3
目の前で対峙するのは近衛隊に所属する騎士。街の噂で聞いてエリートだと知っている彼らと剣を打ち合わせて、ネスは信じられない気持ちでいっぱいだった。
一人目は自分と同じ年頃同じ背丈の相手で、一太刀合わせてすぐ、勝ててしまうと思った。ネスが振り下ろした剣を受け止めた力強さが、ライにもヴィーにも劣っていたのだ。動きもヴィー程早くない。
決着はすぐに着き、握りが緩んだ瞬間をついて剣を跳ね飛ばして終わった。
二人目はライと同じくらいの背丈で、最初の相手より実力が上だとわかった。だけれど、打ち合わせた剣の重さがライよりも軽い。動きにも気配があるし、視線をよく見れば狙いがわかる。ライは表情を変えず攻撃してくる上に、動きに気配が全くないのだ。
二人目に勝つ頃には、ネスは自分の稽古をつけてくれていたヴィーとライに畏敬の念を抱き始めていた。守られるはずの地位にいる二人は、何故こんな強さを身に付けているのか、それが普通なのか、ネスにはわからない。振り向いた先ではその二人は呑気に紅茶を飲んで、ネスへと笑顔で手を振っている。
「疲れたかい、ネス君?」
二戦目を終えたネスは汗を掻いてはいたが、まだそこまで疲れてはいない。旅をして周っているネスの体力は人並み以上にあるのだ。それに、ヴィーとライとの稽古の方が、短時間なのに疲れ果ててしまう。対峙しただけで感じる圧迫感を、これまでの二人の騎士からは感じなかった。
「まだ、全然大丈夫です。」
ネスの返事にザッカスは穏やかな表情で頷いて、次の相手を指定した。
最初は遊び感覚だった騎士達も今では表情が引き締まり、自分がやりたいと次々に名乗りを上げ始めている。
次は、二人目と同じくらいの背丈の相手。鋭い視線がネスを睨み付けている。ヴィーとライから醸し出される圧迫感に似た物を感じて、ネスは気を引き締めて対峙した。
始めの合図と同時に動いたのは相手の方だった。今までの二人よりも動きが早い。振り下ろされた剣を受け止めて、ネスの両手がビリリと痺れる。そのまま力でねじ伏せられそうになり、ネスは後ろに跳んで逃れた。
そしてふと思う。
盗賊相手には砂を掛けてでも、ずるい手を使ってでも勝てと教えられたが、騎士にはどうなのだろう。いつもならば先程の場面では砂を掴んで投げつけるが、ネスは迷った。
迷った隙に相手が間合いを詰めて来て、防戦一方になる。ライ程の重さではないものの、手が痺れる。
「ネス!騎士相手も同じ、負けは死だ!」
ヴィーの怒声が聞こえて、ギリギリと体重を掛けてくる相手の剣を受け止めている手から力を抜く。地面を蹴って素早く横に跳んで、足を振り上げガラ空きの後頭部に踵を振り下ろす。地面に沈んだ相手をそのまま踏み付けて、剣を突きつけた。
「そこまで!」
辺りがしんと静まり返り、肩で息をしながらネスは倒れた相手を伺うが、動かない。
「いやぁ、綺麗に入ったな。こいつを医務室に運べ!」
苦笑したザッカスの指示で騎士達が動き始めて、失神したらしき騎士が運ばれて行く。それを呆然と見送るネスの頭を、大きな手がグリグリと撫でてくる。
「流石シルヴィア様の弟子だな。動きに無駄が無い上に一撃に重さがある。迷いと荒さが抜けたら完璧だ。二人目と三人目の違い、わかるかな?」
聞かれて、ネスは首を捻りながら考える。
「なんか、こう…圧迫感、みたいなものが、三人目はありました。」
「最後の彼は戦場に出た事があるんだ。命のやり取りを経験している。」
なるほどと頷いて、ネスはヴィーとライを思い浮かべた。二人から感じる圧迫感の正体もそれならば、二人は一体どれだけの経験をしたのだろうかと考える。ヴィーは盗賊とやり合った際、再び狙われたりしないようにと命を奪う事が良くあった。それならライはなんなのだろう。
思考の海に沈み掛けたネスは、ザッカスの言葉で浮上した。
「ネス君、騎士にならないか?」
「………は?」
突然の事にぽかんとしたネスは、近衛隊の騎士達に囲まれた。口々に話し掛けられている為何を言われているのか混乱したが、褒められて、騎士へ勧誘されているという事はわかった。
これまでは、本番の戦い以外ではヴィーばかりを相手にしていて全く勝てたためしのなかったネスだが、騎士相手にここまで出来た自分は実は凄いのではないかと自信が湧いてくる。
「ねぇ、君、シルヴィア王女殿下に師事していたって本当?」
一番最初の相手だった少年が肩を叩いて来て聞かれた。一瞬誰の事かわからなかったが、ヴィーの事かと思い至って、ネスは頷く。
「えと、シルヴィア様?がずっと教えてくれてた。最近は、あそこで笑ってる男も教えてくれる。」
「あそこでって…もしかして、ライオネル王太子殿下か?」
違う騎士に聞かれて、ネスは頷く。名前の呼び方が長くてややこしいなと頭が混乱し掛けている。
だが騎士達がざわつき始めて、ネスは面食らった。何か不味い事を言ったのだろうかと、嫌な汗が噴き出す。
「なぁ、ライオネル王太子殿下ってどうなんだ?お強いのか?」
声を潜めて耳打ちをされて、ネスは首を傾げた。
「あの方、街へ出た時にいつの間にか護衛を撒いてしまうんだ。のんびりへらへらしてると思ってると、気付くといない。」
「身のこなしもな、洗練されてはいるんだけどぽやぽやしてて、掴めないんだよ。」
騎士達のライに対する評価を聞いて、ネスは内心頷いた。だけれどと思う。いつも笑ってはいるが、ライはヴィーの背後を取れるし、気配が全く無くなる事がある。剣だって、ここにいる誰よりも強いのではないかと思う。殺し合いをしたら、ネスは気付かない内に殺されてしまうのではないかという恐怖を感じるくらいだ。
「失礼。ネス、ミアが呼んでいますよ。」
答える為に口を開こうとして、聞こえた声に口を噤んだ。騎士達の向こう側にライが立っていて、微笑みを浮かべてネスを見ている。なんとなく、笑顔の奥の瞳にぞくりとした。余計な事を口にしてはいけないような、そんな気分になる。
騎士達はピシリと敬礼して、その中をネスはライへと近付いた。すぐそばで見上げたライは、いつもの笑顔だ。
「ザッカス殿がネスの騎士入りの話をしたら、ミアが泣いてしまいました。」
「え?なんで?」
「ネスまで奪うのか、と言っていました。ヴィーが宥めていますがネスの方が良いでしょうね。」
「あー、わかった。」
駆け出して、ネスは大きな溜息を吐き出す。ミアが泣く理由がわかるからこそ、ネスの胸には苦さが広がった。
先程三人が座って紅茶を飲んでいた場所で、ミアはヴィーに縋り付いて泣いて取り乱していた。それをザッカスが困り果てたという表情で見ておろおろとしている。
「姉さん、ヴィー!」
「あぁ、ネス、すまないな。うちの馬鹿な騎士がミアを泣かせてしまった。」
「だって、ネスまで!家族、なのにっ!やだぁぁ」
声を上げて泣くミアを、ネスはヴィーごと纏めて抱き締める。
「姉さん、俺、騎士になるなんて言ってない。どこにも行かないよ。俺は一座の護衛だ。家族を守るのが仕事だ。」
「でもヴィーは?いなくなっちゃう…一緒に、来ないよ…」
ミアの嗚咽混じりの声を聞いて、ヴィーの顔が泣きそうに歪んだ。それに気付いて、ネスは二人を抱く腕に力を込める。
「ヴィーは来ないけど、もう一緒に旅を出来ないけど、でも、また会えるよ。ヴィーの事だから、俺らがどこにいても、ふらりと顔を出すって。」
幼い頃、街で迷子になると必ず迎えに来るのはヴィーだった。知らない場所で不安になって、物陰に隠れて泣いていても、必ずヴィーが見つけてくれる。
夜色のマントにフードを深く被って、黒手袋をした手が抱き上げて連れ帰ってくれた。いつでも側にいて、見守っててくれた兄だと思っていた人。
「俺だって、ヴィーと離れたくない。離れたくねぇよ!」
うああぁ、と声を出してネスまで泣き始めてしまい、ヴィーも涙を堪えられなくなる。ミアを抱き締めていた手を片方離して、ネスの頭へと伸ばした。
「馬鹿だな。今生の別れじゃないんだ。私なら、お前達がどこを旅していようと見つけられるよ。抜け出して、会いに行く。そう悲観するな。」
泣き笑いのヴィーの言葉に、二人はうんうん頷いた。
「それに、ネスが守りたいのは身近な家族だろう?騎士になると優先すべきは国になる。場合によっては、家族を見捨てる必要だって出るんだ。」
「俺、ヴィーみたいに、一座のみんな、守るよ。ヴィーの代わりに、家族を守る。」
ぐずぐずに泣くミアと、ハラハラ涙を零して微笑むヴィー。二人の姉を抱き締めて、強くなろうと、ネスは誓った。




