生誕祭最終日3
貴族達の挨拶に区切りが付いて、ヴィーは部屋に引っ込んだ。
ドサリと椅子に腰掛けたヴィーを見たマーナは苦笑を浮かべただけで、特には何も言わずに許してくれるようだ。
「淑女の口調は舌を噛みそうになる。」
背凭れに頭を預けて天井を仰いだヴィーは長く息を吐き出してから脱力する。
男として生きるようになってから、 意識して声を低く出して短く話すようにしていたヴィーにとって、貴族達と会話するのに使っていた言葉遣いは頭を使って疲れた。脳みそがじんじん痺れるような感覚がして、このまま眠ってしまいたいくらいだ。
「広場の方にはいつもの服装では駄目だろうか?」
「それは承服出来かねます。」
「顔が気持ち悪い。」
「一度落としてやり直して差し上げますわ。ドレスも、今の物よりは楽な物を選んでありますよ。」
紅茶の良い香りが鼻をくすぐり、ヴィーは体を起こして椅子に深く座り直す。差し出された紅茶を受け取り、香りを確認してから一口飲んでほっと息を吐き出した。
「軽食もご用意してございます。少し召し上がりますか?」
「あぁ、食べる。」
食べられる時には食べておく。長い旅の生活で身に付けた習慣だ。食べておかないといざという時に力が入らなくなってしまう。
マーナが用意してくれた物を綺麗に食べ切って、紅茶を飲み干してから一息吐く。よし、と気合いを入れてヴィーは立ち上がった。
「ライオネル殿下とのダンス、マーナも拝見致しました。」
真紅のドレスを脱がしながらマーナが口を開いた。マーナの静かな声に、ヴィーはじっと耳を傾ける。
「幼い頃はあんなに苦手でしたのに、ご立派になられてマーナは嬉しゅうございます。」
「あれはライのお陰だよ。」
「本当にライオネル殿下は素敵な殿方で、微笑み合うお二人はまるで一枚の絵画のようでしたわ。」
背中の紐を解かれ、締め付けが楽になる。ヴィーの体から離れたドレスをマーナが皺にならないように掛けて、ヴィーは化粧を落としに向かった。
「シルヴァン様もレミノア様となんだかんだと仲良くやってらっしゃいます。……時の流れとは、こんなにも早いものなのですね。」
寂しそうに零されたマーナの呟きに、ヴィーは穏やかに微笑んでマーナに歩み寄る。
「何を年寄りじみた事を言っている。まだまだそんな年ではないだろう?」
「そうですわね。なんだか感傷的になってしまいました。」
「デュナスはどうなんだ?」
「あの子は仕事ばかりで、シルヴァン様のお相手が見つからない限りは考えられないそうですよ。それに、あの子の初恋はシルヴィア様ですから。」
「初耳だ。まさか私を待っていたなんていう事はないだろうな?責任を感じてしまう。」
驚いたヴィーを見上げて、マーナは優しく笑って首を傾げた。
「どうでしょうね。母といえど、大人になったあの子の心の内まではわかりませんわ。」
ふふふと笑うマーナの声を聞きながらヴィーは初めて知った事実に思いを巡らし、だが、気にする事はやめて放置する事を決めた。
二着目のドレスはマーナが言った通りに楽だった。
昼から宵闇へと変化する空のグラデーションで、裾へ行く程色が濃くなっている。布は体に沿うようなタイプで締め付けもない。上半身は体の線が強調され、腰からストンと裾が広がる。その下には相変わらず短剣とナイフを忍ばせてはいるが、普通に見る分には気付かれないだろう。
髪もぎゅうぎゅうにひっつめられるようだったのが解かれ、緩く編まれている。貴族用との使い分けかとヴィーは一人納得した。
「似合っているな、ヴィア。」
王城前広場から見えるバルコニーへと出られる部屋の中、待っていたヴィーの前に現れたシルヴァンも先程とは装いが変わっていた。夜会用の正装ではなく、ゆったりとした服にヴィーのドレスと同じ色の長いマントを肩に掛けている。そして、ヴィーと同じように長い髪が片側で緩く編まれていた。違いといえば、ヴィーが左でシルヴァンが右に髪が纏められているくらいだ。
「双子を強調し過ぎではないか?」
「ちょっとした遊び心だ。この方が民も喜ぶ。」
ニヤリと笑うシルヴァンに苦笑を向けて、ヴィーはそういうものかと納得しておいた。
民の前には、シルヴァンとヴィーと護衛だけで行く。レミノアとライオネルはまだ貴族の舞踏会の方にいて、民には顔を見せない。イルネスの貴族達には受け入れられている彼らだが、民もそうとは限らないのだ。
「デュー、言葉遣いはもう良いか?」
シルヴァンの後ろへ控えていたデュナスへ確認をしたが、彼は笑顔で首を横に振った。それを見て、ヴィーはわざとらしく肩を落として溜息を吐き出す。
「ザッカス、お前の息子は厳しいな。」
ザッカスはどうやらシルヴァン専属の護衛らしく、常に側にいる。ヴィーの言葉にザッカスは苦い笑みを浮かべるだけで何も言わない。
「デューは俺にはもっと厳しいぞ。王になり立ての頃、"余"と言えないだけでネチネチネチネチと、しつこいくらいだった。」
「ヴァンには同情する。"わたくし"と言えなければ私は何をされたのだろうな?」
「きっと夜中まで説教だ。」
「ぞっとするな。」
双子の会話にデュナスの頬がひくりと動き、それを目にして双子は噴き出した。
「お二人共、そんなに説教されたいのであればお望み通り、明け方までお付き合いします。」
低い声を出すデュナスを双子は笑って見やり、同時にデュナスの肩を叩く。
「「明け方までなら酒が良い。」」
同じ動作で同じ事を言った双子はお互いの顔を見合わせて破顔して、デュナスも真顔を保てずに笑った。
「まったく…仕事を全て終えたらお付き合いしますよ。」
「ヴィアは飲めるのか?」
「仕事柄あまり飲まなかったが、飲める。ザッカスも付き合うだろう?」
「そうですね、是非ご一緒させて下さい。ですが今は、騎士も民もお二人をお待ちしております。」
ザッカスに促され、王の顔になったシルヴァンと笑みを優雅なものに変えたヴィーはバルコニーに繋がる窓へと向かう。
開いた窓から騎士が二人進み出て、すぐ後に高らかにラッパが鳴り響く。響いた音の余韻の中、シルヴァンとヴィーは並んでバルコニーに立った。途端に上がった歓声と指笛に、ヴィーはネスとミアが言っていたのはこれかと内心考える。
シルヴァンが片手を上げるとざわめきが引いて静まり返った。
「長らく旅に出ていた姉が余の元へと舞い戻った。余の血を分けた、双子の姉。どうか皆も、彼女を迎えてくれると嬉しい。シルヴィアだ。」
シルヴァンに背中を押され、ヴィーは一歩前に進み出て淑女の礼をとる。途端に湧き上がった歓声に、ヴィーは酷く驚いた。こんな、ぽっと湧いて出たような存在だというのに、貴族だけではなくて民までも好意的な反応をしている。デュナスが何かをしたのかと内心首を捻る。
シルヴァンが最後の言葉を告げると音楽が奏でられ、広場ではダンスが始まる。その様子をバルコニーから眺めているとシルヴァンはヴィーの手を取った。
「降りるぞ。」
「自由な王だな。」
苦笑を浮かべたヴィーに、シルヴァンはニヤリと笑う。
「上から見ているだけではわからない事だらけだ。共に過ごしてこそ、望みがわかる。」
「護衛は大変だ。」
「ザッカスのような者が一人いれば事足りる。」
「前の二人も優秀そうだな。」
バルコニーから続く階段を降りる双子の前には騎士が二人、後ろにはザッカスが付いている。デュナスはバルコニーにとどまるようだ。
双子が広場へと出ると人々は笑顔で迎えた。邪魔にならないよう、端で人々の笑顔を見守る。
「ヴィー?」
騎士に連れられて、ネスとミアがヴィーの側へとやって来た。
ドレスを着て化粧をしている為か、半信半疑のようだ。
「ミア、ネス。楽しんでいるか?」
「ヴィア、減点だ。言葉遣い。」
意地悪く笑ったシルヴァンに指摘され、ヴィーは肩を竦める。
「きれーい!お姫様みたい!」
「姉さん、お姫様だから。」
ネスの指摘は無視をして、ミアはヴィーに駆け寄ってまじまじと観察する。
「こうなると本当に女の人にしか見えないね。胸も結構ある。」
「ミア程ではないよ。ささやかなものだ。」
「ヴィア言葉遣い。」
「……陛下はデュナスよりも口うるさいのね。目を瞑るという事が出来ないのかしら?そのような態度ではレミノア様にいつか愛想を尽かされてしまいますわよ。」
溜息を吐き出してからのヴィーの言葉に、ミアとネスはぽかんとして、シルヴァンはふんと鼻を鳴らした。
「今レミノア姫は関係無いであろう。そもそも余はなんとも思っておらぬわ。」
「まぁまぁ、素直におなりなさい?わたくしは誤魔化されませんわ。……ミア、ネス、そんな顔で見ないでくれ。私も恥ずかしいんだ。」
ヴィーに指摘された途端、ミアとネスはぶはっと噴き出して、お腹を抱えて笑い始める。体を折り曲げての盛大な大爆笑だ。
「ご、ごめん、ヴィー、似合ってる。似合ってるんだけど…!」
「どーしてもマントにフードのヴィーがチラついて、俺、耐えらんねぇ!」
転げ回る勢いの二人にヴィーは苦く笑って、シルヴァンへと八つ当たりで靴の踵で爪先を踏む。
「こらヴィア、足を踏むな!お前達も笑い過ぎだ!俺の身が危ない!」
「ヴァン、言葉遣い。」
「こんな状態で余とか言っていたらそれこそ笑い者だ。俺も耐えられん。」
「良いんだぜ、王様、好きなだけ余って言えよ。俺、耐えるから!」
「耐えてないではないか!失礼な子供だな!」
「ヴァン、王がそんなに声を荒げるものではない。これはデューの説教だな。見てみろ。」
ヴィーが視線で示した先、バルコニーの上ではデュナスが笑顔で怒っていた。頬がひくひくしているのは危険信号だと双子は知っている。
「ザッカス!後は任せた!踊り子の娘、踊るぞ!」
「え?うそ、王様と?!」
ミアの手を掴んだシルヴァンは逃げるように踊りの輪の中へと入って行く。最初は王の乱入に戸惑った人々も、シルヴァンが当然のように踊り始めると皆受け入れて、あっという間に馴染んでしまった。
「すげぇ王様。流石ヴィーの弟だ。」
「私達も踊るか、ネス?」
「ヴィーと踊るのとか、初だな。」
「稽古はよくしたがな。そうだネス、彼は私の剣の師匠だ。」
踊りの輪へ向かう前に思い出して、ヴィーはザッカスへと振り返った。
「ザッカス、ネスは私が剣を教えたんだ。」
「身のこなしがシルヴィア様によく似ていると思ったらそういう事ですか。将来有望そうな少年ですね。」
「騎士団に入れても恥ずかしくないくらいだ。」
「褒め過ぎだって、ヴィー。」
「失礼するよ。」
一言断って、ザッカスはネスの腕や足など体に触れて筋肉を確かめる。
驚いたネスはじっとするしかなく、一通り確かめて頷いたザッカスは立ち上がり、ネスの頭を大きな手で撫でた。
「ネス君、君達はいつ街を経つんだ?」
「明日一日休んで、明後日の予定です。」
「もし良ければ明日、騎士の訓練に参加するか?お互いに良い勉強になると思うんだが。」
「え?えぇ?!俺が、ですか?」
「面白そうだな、私も良いか?」
「もちろんです。シルヴィア様がいらっしゃるとなれば騎士達の士気も上がるでしょう。」
「ネス、良い経験になる。損は無いぞ?」
伸びて来たヴィーの手にくしゃりと赤毛を掻き混ぜられ、ネスは呆然としたまま頷いた。
「明日、私が迎えに行く。」
「では、そのように致しましょう。」
話がついて、ヴィーはネスの手を引いて踊りの輪の中へと向かう。
王と王女が混じった王城前広場での舞踏会は人々の笑顔が溢れ、夜遅くまで続いたのだった。




