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マジェンタの瞳  作者: よろず
第一章生誕祭
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生誕祭最終日

 ふかふかのベッドの上、パチリと目を覚ましたヴィーはぐっと身体を伸ばしてから柔らかな絨毯の上に裸足で降り立つ。軽く身体を動かして筋肉を解し、足に巻かれた包帯を取った。ただ皮が剥けただけだった為もう痛みは無い。

 着替え部屋に向かって昨日持って来た自分の服を着て、剣帯とマントを身に付ける。ベッド横の机に置かれた水差しからグラスへ水を注ぎ、一息で飲み干した。水差しの隣にはマーナが昨夜の内に用意して置いてくれた果物と簡単な朝食。分厚いカーテンを開けて朝の光で部屋を満たしてから椅子に腰掛け一人静かな朝食を取る。

 食べ終えたヴィーは腰に剣を差してから窓に歩み寄り、外側へ開く両開きの窓を開けて外へと顔を出した。じっと耳を澄ませて、見つけた気配の方へと視線を向ける。


「おはよう。朝から大変だな。」


 人の姿の見当たらないその場所へ微笑み掛けて朝の挨拶をした。

 "鳥"はまだ朝日が昇って間も無い時間だというのに既にヴィーを見張っているようだ。もし一晩中いたのだったら大変だなと内心で苦笑をもらし、ヴィーは窓から出て地面へと降り立つ。夜は生誕祭最後の舞踏会で、王城前の広場でも誰もが参加可能の舞踏会を開くらしい。ヴィーとしてはミアとネスと共にそちらへと参加したいのだが、城の中で貴族達への挨拶をしなければいけないと言われている。ライの妻としてバークリンに嫁ぐのであれば必要な手順ではあるものの、舞踏会になど参加した事の無いヴィーは憂鬱だった。

 通用口の騎士達へと挨拶をしてヴィーは深くフードを被ってから城の外へと出る。昨日同様ガチガチに緊張した騎士からは、昼頃には戻るようにとデュナスからの伝言を告げられた。それまでは見張り付きの自由が許されるようだと納得して、ヴィーは走り出す。護衛を撒くのは簡単だ。"鳥"の方は何処までついて来るかに興味があった。

 朝の人が疎らな通りを駆け抜け、狭い道へと入る。何度も曲がった末に死角で壁を上り屋根に上がった。屋根伝いに適当に走って飛び降りる。また道を走ってから屋根に上るという事を繰り返していたら、途中までは付かず離れずついて来ていた"鳥"はヴィーを見失ったようだ。

 良い運動をしたなと満足して、ヴィーは祭り最終日の朝の街を歩く。一座の野営地へと行けばまた見張られてしまう為、自由な街歩きをしばらく楽しむ事にした。

 ライアの街は広い。商業区と工業区、居住区と別れていて、居住区は貴族と平民では住む地区が違う。だがどこを歩いても通りも建物も整備されている。

 工業区で工芸品を見て歩いていたヴィーは背後から肩を叩かれ、フードの中で苦く笑った。


「おはようございます、ヴィー。」


 振り返った先には、ここの所多くの時を共に過ごすようになった男。簡素な服装で髪を赤紫のリボンで結った彼はヴィーを見つけて嬉しそうに微笑んでいる。


「全て撒いたはずなんだがな。」


 苦笑を声音にのせたヴィーへ穏やかな笑みを向けて、ライは頷く。


「お見事です。お供しても宜しいでしょうか?」

「あぁ。城での交流は良いのか?」

「そちらはレミノアに任せています。挨拶は済ませてありますし、今は貴女と時を過ごしたいのです。」


 フードを少し後ろにずらしたヴィーは、考えを読むかのようにじっと碧の瞳を覗き込んだ。そして、ふっと表情を和らげる。


「惚れた男にそう言われれば、女は喜ぶ。」

「貴女もですか?」

「どうだろうな。喜ばれたいのか?」

「はい。」

「素直だな。」


 ふふっと笑ってからフードを被り直してヴィーは歩き出す。ライはその隣に並んだ。


(ふくろう)とは優秀なのだな。」

「………貴女は、全てをご存知なのですか?」

「いや。知ろうとして、教えてもらえる事だけだ。」


 微笑んだまま、ライは歩いている。ヴィーも特に反応は探らず、露店に並ぶ商品を眺めながら歩いた。


「ギルフォードを討ち取ったのは貴方らしいな?」


 ヴィーの言葉に苦笑して、ライは首を横に振る。


「戦場にはいましたが、私は後ろで指揮を執っていただけです。混戦状態でしたので、詳しくは把握出来ていません。」

「表向きは、な。赤騎士殿、私は貴方に興味がある。」


 ライは穏やかに微笑んだままでヴィーのフードの頭を見つめた。


「確信しているようですね?良過ぎる耳が、命を狙われた理由ですか?」

「まぁな。私を消すか?」

「貴女を知る前なら、迷わずそうしていました。ですが、今の私には出来ないようです。」


 ヴィーの手を取って立ち止まり、ライはその手を口元へと持っていく。そっと唇に押し当てて、逆の手でフードをずらして赤紫の瞳を見つめる。

 フードの奥から現れたヴィーの表情は、嬉しそうに綻んでいた。


「恋とは身を滅ぼしかねない。だが安心しろ、私は強い男が好きだ。」

「私は該当するでしょうか?」

「だから惚れた。力にこそなれ、貴方の邪魔になる事はしないと誓おう。」

「それを聞いて安心です、とは言えませんね。見張らせて頂きます。」

「今だってほぼ見張っているようなものだろう?ライはよく私の行き先に現れる。」

「気配が無い分、鳥よりはましかと思います。」

「まぁな。貴方の信用を得られるのであれば、それで構わない。」

「本当に貴女は、不思議な方だ。」

「惚れ直したか?」


 ニヤリと笑うヴィーに苦笑を向けて、ライは手を伸ばしてヴィーのフードを直す。握っていた手にもう一度唇を押し付けてから、ライはその手を引いて歩き出した。


「とことん、ハマってしまいそうです。」

「そうか。どんどんハマってくれて構わないぞ。虜になってくれ。」

「もうなっています。ですが、彼は貴女の命を奪う事を躊躇いません。どうかお気を付け下さい。」

「脅しか?」

「忠告ですよ、愛しい(ひと)。」


 にっこりと微笑むライを見上げて、フードの奥でヴィーの唇は孤を描いた。ならば気を付けようとヴィーが呟いて、手を繋いだ二人は寄り添い合い、祭り最終日の街を楽しんだ。



 デュナスの言い付けを守って昼を少し過ぎた頃に二人が城へ戻ると、ヴィーは待ち構えていたマーナと数人の侍女に捕まった。そのまま引き摺られるように部屋へ押し込まれ、簡単な昼食の後に着ていた物を全て剥ぎ取られて浴場でピカピカに磨かれる。風呂の後には髪と顔を弄られて、全てが終わる頃にはヴィーはぐったりとしていた。


「舞踏会の前に、私は心が折れてしまった。」

「何を仰いますかシルヴィア様。とてもお綺麗ですよ。ライオネル殿下もお喜びになるでしょうね。」


 ぐったりと椅子にもたれたくともマーナの目が光っていて叶わず、ヴィーは淑女らしく椅子に浅く腰掛けて小さな溜息を吐き出す。

 武器の所持は、着替えの際の攻防の末に許された。

 ドレスの中、両脚のふくらはぎと右の股にベルトを巻き、そこに小降りの短剣一本とナイフを三本忍ばせてある。これがあるだけでも気分が違うなと、ヴィーは胸を撫で下ろした。

 来客の訪れが告げられて、入室の許可を出して現れたデュナスから舞踏会の簡単な説明を受ける。


「陛下はレミノア姫をエスコートして入場します。貴女はライオネル殿下のエスコートで会場に入って下さい。私は陛下の側に控えておりますので、シルヴィア様もなるべくお側にいて下さいね。側に居て下さればフォロー出来ますから。」


 バークリンの王太子と第四王女が一番の賓客らしい。その為に王と王の姉がパートナーに付く。その舞踏会で、失踪していた王女のお披露目もしてしまうのだとデュナスは説明した。


「私はいつまでいれば良い?」

「最後までとは言いませんが、ある程度の時間は留まって頂きます。ファーストダンスは貴女も踊って頂きますからそのつもりでいて下さい。」

「私は踊れないぞ。」

「昔を思い出して下さい。最悪、ライオネル殿下が上手くリードして下さるでしょう。」

「他国の王太子殿下頼みか。良いのか、それは?」

「そもそも貴女の所為なんですよ。ヴィアがフラフラと出歩かなければ少しはレッスンも出来たというのに…それにですね」


 デュナスの眉が釣り上がり、小言が始まりそうだと悟ってヴィーは右手で払う動作をした。

 それを見たデュナスは大袈裟に溜息を吐き出して片手の指先で額を抑える。


「長い事離れていたというのに陛下と同じ事をなさるんですね。表情もそっくりです。」

「双子だからかな。広場での舞踏会、顔を出してはいけないのか?」

「あぁ、その事ですが、陛下もそちらへ顔を出します。その際貴女も共に行って下さい。国民への挨拶も兼ねますので。」

「ミアとネスも来ると言っていたんだ。見つけられるかな。」

「騎士に周知しておくので大丈夫でしょう。……バーンズ一座は、陛下の申し出を断りました。貴女の予想通りですね。」


 王の姉を長年面倒見ていた一座に、シルヴァンは王として提案をしたのだ。一座の全員をイルネスの国民として受け入れて、仕事と住む場所の世話をすると。だが、誰一人としてその申し出を受け無かった。


「自由に旅をするのが性に合った連中なんだ。」


 優しい表情で笑うヴィーを見て、デュナスは眉間に深く皺を刻む。


「ヴィアも、自由に飛び回っていたかったですか?」


 伏せられた赤茶の瞳を見つめて、ヴィーはふっと笑った。


「帰って来たからといって籠の鳥になる訳ではないだろう?王族の義務とやらを、私も果たさねばなるまい。」

「バークリンへ、行く気ですか?」

「"鳥"を鍛え直すのも面白そうだがな。」


 ニヤリと笑ったヴィーにデュナスは肩を竦めて溜息を吐く。


「彼ら落ち込んでいましたよ。隊長にお灸を据えられた上に鍛え直しだそうです。あまり虐めないで下さい。」

「だがな、私のような人間にも気配を悟られないようにする必要もあるだろう。」

「貴女が特殊過ぎるんです。耳を差し引いても気配に敏い。」

「長年護衛の仕事をしていた副産物だよ。」

「貴女は昔から、姫にしておくのが惜しいお人でしたね。」

「だからこそ、バークリンは私向きかもしれない。面白そうな場所だ。」

「……血生臭い噂を良く聞きます。ライオネル殿下も笑顔の裏で何を考えているのやら…」

「デュナス」


 顔を歪めていたデュナスは、凛とした声に顔を上げてヴィーへと視線を向けた。主にそっくりの顔をした彼女は嫣然と微笑み、デュナスを赤紫の瞳でまっすぐに見つめている。


「私の想い人だ。彼は信用出来る人だよ。」


 肘起きに肘を付き、左手の人差し指で耳飾りを弄りながら微笑むヴィーを見つめて、デュナスは頷いた。


「そうですね。なんでも疑うのは私の悪い癖です。しかしあの方も趣味が悪いですね。私だったらヴィアみたいな女性はごめんです。」

「私もお前はごめんだよ、デュー。やかましくて敵わない。」


 笑い合って、肩を竦めたデュナスはヴィーへと頭を下げて退出の挨拶をする。

 時間までもう少し待つように言い残して、デュナスは部屋を後にした。

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