旅の一座
木々の隙間から朝陽が降り注ぐ中、朝餉の仕度をする女達の声と温かな食事の匂いが辺りを包む。
ここは、旅の芸人一座の野営地。
大陸中を旅して周り、踊りなどの見世物で客を集める事を生業としている者達の一団だ。
「ネス!ヴィーを見なかった?」
豊かな赤毛を緩く編んだ少女が弟へと声を掛けた。少女は一座一の踊り子。裾の長い茶色いスカートの中にはすらりとした長い足が隠れ、細い両手はシャツの袖に包まれている。そんな彼女の両手には湯気を立てるスープが入った二つの木の器。煌めく緑の瞳は、探し人の姿を捉えようと忙しなく彷徨っている。
「今朝はまだ見てない。ヴィーの事だから見回りでもしてんじゃねぇか?」
答えたのは少女と同じ赤毛を短く刈った少年。十五歳の、弟のネス。答えたネスはさっさと自分の食事を取りに行ってしまう。
ネスの答えを受け、彼女は歩き出す。スープが冷めてしまう前に食事を届けたかった。
「ヴィー!」
歩き出してすぐに探し人は見つかった。
夜色のフード付きマントがトレードマークのヴィー。一座の護衛の男だ。そして、彼女が淡い恋心を寄せる相手。
「おはよう、ミア。」
「おはよう!見回りしてた?ご飯、持って来たわ。」
「ありがとう。共に食べよう。」
ヴィーの声は穏やかだ。一座の他の男達よりも少し高いが落ち着いていて、耳に心地よい。ミアはいつもその声にうっとりと耳を傾けてしまう。
ミアからスープの入った器を受け取り、ヴィーは近くの木箱に腰掛けた。ミアもその隣に並んで朝食をとる。
ヴィーはいつもマントのフードを深く被って黒い手袋をはめている。それらは食事の時にも絶対に外さない。酷い火傷の跡が全身にあるらしいが、その傷跡を見た事があるのは団長とミアの両親だけ。悪戯でフードを取ろうとする者もいるが、一座の護衛として働くヴィーは気配に敏い為成功した者は一人もいない。
「ネス。まだまだだ。」
ヴィーの声でスープから顔を上げたミアは呆れた顔になる。ネスがヴィーの背後からフードを取ろうと迫り、伸ばした腕をヴィーに掴まれていた。
「ちぇー、今日もダメかぁ。なぁ、ヴィー、飯が終わったら稽古付けてくれよな?」
「あぁ。構わない。」
ネスも一座の護衛として働いている。元々ミアとネスの父が護衛で、そこにヴィーが加わり、ネスも見習いとして仕事を教わっているのだ。
「私も見て良い?」
折角の想い人との時間を弟に邪魔され、ミアは不機嫌だ。少しでも側にいたくて聞いたのだが、ヴィーは首を横に振る。
「少しやるだけだ。すぐに荷を纏める。」
最近ヴィーが冷たい気がすると、ミアは唇を尖らせた。
ミアはこの一座で生まれ育ち、ヴィーとも物心がついた頃から共にいる。その頃からずっとヴィーは夜色のマントに黒手袋姿だったが、顔を見た事がなくても、ミアはヴィーが好きだった。兄妹のように育ち仲の良い二人だが、ミアが恋心を自覚して以降ヴィーはミアと距離を取り始めたような気がする。
「そんな顔をするな、ミア。」
フードの奥からの苦笑した声音。手袋をはめた右手がミアの頭をぽんぽんと撫でる。まるで子供扱いだ。
「私、もう十七よ。子供じゃないわ。」
「それはすまない。食事をありがとう。」
食べ終わった空の器を受け取り、ネスの隣に並んで去って行く背中をミアは見送る。
多分もうじきネスには抜かれるだろうが、ミアより少し高い身長のヴィー。夜色マントの背中を見つめ、ミアは小さな溜息を吐き出した。
ヴィーへの恋心を自覚したのはいつだったか、ミアははっきりとは覚えていない。
踊り子という仕事柄、客の男達によく絡まれる。不快なそれをいつも助けてくれるのがヴィーだった。
踊り子の服は露出が激しく、男達はミアを舐めるような視線でニヤニヤと眺める。だがヴィーはさり気なくミアを隠してくれる。そして、ミアを変な目で見ようとしない。フードで隠れて瞳は見えないが、ヴィーから不快な視線を感じた事はただの一度もなかった。
そして、護衛の仕事をするヴィーは凛々しいのだ。
小柄な男だが、その体格をカバーするように繰り出される剣撃は素早く重い。身のこなしには何処と無く品が漂い、普段の行動も紳士的。ミアのみならず一座の他の女達も、うっとりとヴィーに見惚れている事がよくある。
「ミア、ヴィーは駄目よ。」
ヴィーと自分が食べた器を持ったミアが後片付けをする女達の中へ加わると、母のビアッカに声を掛けられた。
この言葉は初めてではない。
ミアがヴィーをうっとりと見つめていると、母も父もミアにそう言うのだ。何故駄目なのか訪ねると、火傷の所為で子を作れないのだという。そうは言われてもミアは中々諦められない。子を作る事は重要だとは思うが、恋心とは、そんな簡単にコントロールが効く物ではないのだ。
重たい溜息を吐いて肩を竦めたミアをビアッカは抱き締める。よく似た母娘だ。ビアッカも元踊り子。髪と瞳の色も同じ二人。
「どうしても、ヴィーは駄目。諦めてちょうだい。」
もう一度繰り返された母の言葉は重たく、ミアの心にのし掛かった。