生誕祭六日目3
ヴィーは一人、城内を散策していた。擦れ違う人々に泣き出さんばかりの顔をされるのは煩わしく、人のいない道を選んで歩く。
城の敷地内には住んでいたが城内を歩く事は無かった為、懐かしさは感じない。むしろ物珍しく、興味深い。調子に乗って歩き回り、ヴィーは履いている靴の所為で後悔に襲われていた。履き慣れない踵の高い靴で足が酷く痛み出したのだ。いっそ脱いでしまおうかと悩みつつ、廊下の端に置かれている長椅子に腰掛ける。ズキズキと痛む足に顔を顰めて、散策はここまでで着替えたいなとぼんやり考えた。まだ行きたい場所はあるのだが、広い城内をこの靴で歩き回るのは得策ではないようだ。
「ヴィー、探しました。」
目の前を通り過ぎようとしたライが振り返った。いつもの簡素な服ではなく、タイをつけた昼の正装姿で髪は赤紫のリボンで一つに結っている。
「やぁ、バークリンの王太子殿下ではないか。イルネスの秘された姫をお探しか?」
ドレスの中で靴を脱いで、ぷらぷらと足を揺らしていたヴィーは右手を差し出した。それをそっと取り、跪いたライが指先にキスを落とす。
「お探ししておりました、シルヴィア王女殿下。正式にご挨拶をと思ったのですが、自由に飛ぶ貴女を中々捕まえられず、城中探し回ってしまいました。」
「それは悪い事をした。丁度羽を休めていた所だ。」
微笑んで見つめ合い、ヴィーは隣に座るようにライを促した。
「その服も窮屈そうだが、ドレスよりは動き易そうだな。剣も持てる。」
「何かありましたか?」
隣に腰掛けたライを眺めて唇を尖らせるヴィーに、ライは首を傾げる。
「淑女は武器を所持してはいけないらしい。短剣を忍ばせようとしたら怒られた。苦肉の策でこの扇子だ。」
パッと扇子を開き口元を隠したヴィーを見て、ライは小さく笑った。
「国によっては淑女も武器を持ちます。私の母は、ドレスの中や髪飾りにまで何やら仕込んでいるようですよ。」
「流石ルミナリエ殿だ。"戦う姫君"、だったな。」
「よくご存知で。ドレスで戦うにはコツがあるそうです。」
「ご教授願いたいな。私はドレス姿で少し歩いただけでめげてしまった。」
ふうっと溜息を吐いて、痛む足を靴にそっと差し入れた。皮が剥けて血が出ていそうだが歩けなくは無い。
「足が痛みますか?」
「あぁ。履き慣れない靴で歩き回る物ではないな。」
「……触れても宜しければ、私が貴女の足になりましょうか?」
ほんのり頬を染めて微笑むライを見上げて、ヴィーは苦笑した。
「ドレスの分、余計に重いぞ。」
「大丈夫です。宜しいでしょうか?」
顎に手を当てて、ふむ、と呟いてヴィーは考える。
一度、ライには抱き上げられている。その時には得体の知れない男だった為に特に何も思わなかったが、今の自分がどう感じるのかに興味があった。
「では、宜しく頼む。」
「はい。失礼致します。」
椅子から立ち上がり、屈んだライはヴィーの背中と膝裏に手を差し入れてぐっと持ち上げた。体を安定させる為に、ヴィーは両手をライの首に回す。
「近い、ですね。」
真っ赤になって呟いたライが可笑しくて、ヴィーはくすくすと笑った。
「この前は平気な顔をしていただろう?」
「あれは、顔が見えませんでした。」
「根を上げるか?」
「いえ。お好きな所へお連れします。」
「……実はな、行きたい場所がある。だが一人では勇気が出なくて…一緒に行ってくれるか?」
「喜んでお供致します。」
穏やかに微笑むライを見上げてヴィーは体を預けた。逞しい体だなと考え、胸の高鳴りを覚える。
ライはヴィーの案内に従い、城の端の庭に出て先へと進む。奥へ奥へと進んだ先の生け垣の壁に阻まれた向こう側。城の端の端、立ち入る人間などいないそこに、小さな家があった。
「ここは?」
呟いたライに、ヴィーは静かな笑みを浮かべて答える。
「秘された姫の住処だ。」
「先程も秘された姫と仰いましたが、ヴィーの事ですか?」
「……昔話だ。興味はあるか?」
「貴女の事ならば全て知りたいです。」
「物好きな男だな。」
ライの腕から降ろしてもらい、ヴィーは靴を脱ぎ捨てて裸足で歩いた。
小さな家にはもう誰も住んでいない。それでも手入れをされているのは、マーナとシルヴァンの仕業だなとヴィーは静かに微笑む。
「私はな、産まれると同時に殺されるはずだったんだ。」
イルネスの北東に位置する山脈の麓にある小国、エルラン。末姫だった母は、国を訪れた他国の王と恋に落ちた。
プラチナブロンドにルビーの瞳の美しい姫を一目見て、イルネス王は心を奪われたのだ。
愛し合う二人は共になりたいと望んだが、エルランは閉鎖的な国だった。懇願する二人に、エルランの王は条件を出す。末姫を娶らせはするが、女児が産まれたら即時に殺せと。そして、確実に殺させる為にエルラン王は侍女と騎士の夫婦を共にイルネスへと送り出したのだ。
「だが私は殺され無かった。エルランから隠す為に、ここで静かに暮らした。」
母と、弟と、ガーランド一家。
六人で、静かに、穏やかに。たまに現れる父とトリルランから政治の話を聞き、エルランの騎士だったザッカスから剣を学び、マーナと母からは読み書きや算術、淑女の嗜みを学んだ。
「エルランの王は、何故そんな条件を出したのですか?」
ライの静かな問いに、ヴィーは穏やかな笑みで答える。
「悪習だ。今は新たな王の元で潰えた。」
離れた所に立っていたライへと歩み寄り、ヴィーは少し上にあるライの碧い瞳をじっと見上げた。
「私のこの瞳、珍しいだろう?」
「はい。貴女以外で、私は出会った事がありません。」
「エルランにもいないんだ。あそこの民は皆白銀の髪に赤茶の瞳。王族の女にだけルビーの瞳が産まれる。そのルビーを守る為に、王族は近親婚を繰り返していたんだ。」
廃れて当然の悪習だなと、ヴィーは笑った。
「悪習と言えば、王が多くの妃を抱える事をどう思う?バークリンもその弊害が出ているようだが?」
ライから離れて歩き出したヴィーは問い掛ける。
裸の足の裏で、ひんやりとした草の感触を楽しんで歩く。
「……イルネスは、先の王妃様が狂われましたね。」
「あぁ。政治の上での結婚だったが彼女は夫を愛した。だが夫が心から愛したのは側妃だった。私は、悲劇の種ではないかと思うのだ。」
割り切ったままで終われば良い。だが人には心がある。情も湧く。そう簡単には終わらない。
「バークリンは貴方が産まれるまでは姫ばかりだった。だが、イルネスのように男が多く産まれたら?そして、皆が皆王位を欲しがったら?」
「最悪、国は疲弊し、民が苦しむ結果を生むかもしれません。」
「国は王族の為にあるのか、王族は国の為にあるのか、貴方はどう思う?」
少し進んだ所で振り返り、ヴィーはじっとライの顔を見つめて答えを待つ。
「王族は国の為、民の為にいます。民がいてこその王だ。履き違えてはいけない。高貴な血だとかくだらない事にこだわらず、私は、民が幸せに安心して暮らせるようにしたいのです。シルヴァン王のように。」
真っ直ぐに赤紫の瞳を見返して告げたライに、ヴィーは優しく微笑んだ。歩み寄って右手を取り、自分の頬を滑らせて耳へと触れさせる。
「迷いなく、そう言う貴方の力となりたい。…どうやら、私も貴方に心を奪われてしまったようだ。」
「あぁ、ヴィー!抱き締めても?」
「構わない。」
蕩けた笑顔でヴィーを腕に抱き、ライはヴィーの頬を撫でて瞳を覗き込む。フードから覗いたこの赤紫の瞳に、あの時ライの心は絡め取られてしまったのだ。
「口付けは、許されるでしょうか?」
熱を帯びた囁きに、ヴィーの白い頬は朱に染まる。
「どう、なのだろうか?そういう事は、よくわからない。」
「では、どうか許可を。貴女のその桃色の唇に触れる許可を、私に下さいませんか?」
ライの親指が唇の下の窪みを撫でて、ヴィーの体はピクリと揺れる。首から耳まで全てを赤く染めて、潤んだ赤紫の瞳は熱く見つめて来る碧い瞳を見返した。
「……許す。」
小さな小さな許可の言葉で、二人の影は重なった。
珍しい瞳と稀有な力を持つ姫が隠されていた家の庭。微笑み合う二人を見ているのは、木々を揺らす風と蒼い空だった。