生誕祭六日目2
シルヴァンに引き摺られて城に連れ戻されたヴィーは部屋に押し込められ、マーナの小言を聞かされながら重たいドレスを着せられた。髪を結われ、化粧まで施され、完成したヴィーの姿をうっとりと眺める頃にはマーナの機嫌も治っていた。
「ドレスを着る必要性がわからない。」
動き辛いし剣を持てない。腰に剣が無い状態は心許ない。自分で自分を守れないのがヴィーは不満だった。その為、手で剣を持とうとしたがマーナに止められる。ドレスに剣は不格好だと言われ、ヴィーは顎に手を当てて考える。
「マーナ、短剣を二本くれ。股に巻くベルトもあれば欲しい。見えないようにドレスを割いては駄目だろうか?」
「駄目に決まっています!昔とは城内も全く変わっています。貴女様のお命を狙う者は、もうおりませんよ。」
手を握って、マーナはヴィーを見上げた。その顔は気遣わし気に眉が寄せられ、瞳は泣き出しそうに揺れている。
それだけではないのだがなとヴィーは苦笑して、頑丈そうな扇子を手に持って我慢する事にした。
十五年、ヴィーの側には剣があった。ロイドに師事して護衛の仕事を教わり、城から持ち出していた二本の短剣を売って自分の体に合った剣を買ったのだ。ヴィーの体の一部となったそれが側に無いのは、酷い喪失感に襲われてしまう。まるで腕が一本無くなったような気分だなと、ヴィーはこっそりと溜息を吐き出した。
マーナに先導されながらヴィーは城の中を歩く。ドレス姿では大股で歩く訳にもいかず、進みは遅い。昔を思い出しながらドレスの裾を捌いて、ヴィーは擦れ違う人々をさり気なく観察した。
「何故皆私を見ると泣く?」
城の中を歩くヴィーに気付いた人々は皆一様に喜びを顔に浮かべ、涙を零す者までいた。いつ帰って来ても良いような手筈とは一体何をしたのだとヴィーは苦笑する。
「皆、シルヴァン様が貴女様をお探しになっていた事を知っているのですよ。昨夜からシルヴィア様の話で持ちきりです。」
それにしては歓迎ムードが濃過ぎる気がするのだがと首を傾げるヴィーに、マーナは笑顔を向けた。
「シルヴァン様の小さな努力の積み重ねでございます。あの方が悲し気に瞳を伏せると、女性だけでなく男性までもなんとかしたくなるようですわ。」
人心掌握に長けているのかとヴィーは納得した。幼い頃にはよく泣いてヴィーから離れようとしなかった双子の弟は、王となる為にどんな努力をしたのだろうかと思いを馳せる。
ヴィーがここに居た頃には第一王子のギルフォードがいた。次代の王は彼で、その為の教育を受けていたのも彼だった。第二王子の死の後でシルヴァンは継承権第二位となったのだが、七歳までのシルヴァンは勉強をサボってはデュナスやマーナに叱られて、ヴィーと共にザッカスから剣の教えを乞うのが好きな子供だったのだ。長い時が流れたのだなと感慨に浸っていると、目的の場所へ着いたらしい。
マーナが警護の騎士に訪れを告げた重厚な扉は王の執務室。シルヴァンは生誕祭の間も雑務をこなしているようだ。
通された部屋の中には机に向かっているシルヴァンとデュナス。そして一人の老人。厳めしい顔付きの見覚えのある彼は誰だったかと記憶を探り、ヴィーは優雅な微笑みを浮かべた。
「トリルラン卿。久しいな。貴方がヴァンの政の師匠か。」
「ご機嫌麗しゅう存じます、シルヴィア王女殿下。娘があのような事態を引き起こし、殿下にはなんとお詫び申し上げれば良いか…」
「全て過ぎた事。気に病む必要はない。」
あまり表情の動かないこの老人はイルネスの宰相、マッカス・トリルラン。双子の父の代から王に仕えている男。そして、前王を毒殺したとされている王妃の父。だがトリルランが詫びたいのは父王の事ではないのだとヴィーは知っている。彼が言っているのは母ラミナの件だ。母を殺したのも、王妃だった。
それまでの日常が音を立てて崩れ去った七歳のあの日。ヴィーは母と共に王妃にお茶会へと招かれた。
産まれた時から命を狙われる事が運命付けられていたヴィーは、常に護身用の短剣をドレスの中に忍ばせ、母に手を引かれて王妃自慢の庭へと向かったのだ。その頃のヴィーは自分の日常が精一杯で、王妃の心の内など全く知らず、珍しく招かれた事に首を傾げながらも特に不安を感じてはいなかった。
咲き誇る花の中で、美しく着飾った王妃が優雅に微笑んでいた。机の上には宝石のような菓子が並び、三人だけの静かなお茶会。王妃が手ずから淹れた紅茶が目の前に置かれ、微笑みを浮かべたままの王妃が一口含む。それに倣ってヴィーも紅茶へと手を伸ばし、だが隣の母が立てた音に驚いて飲まなかった。
椅子から落ちて、母はもがき苦しむ。母を呼びながら駆け寄ろうとしたヴィーは、背後から伸びて来た手に止められる。ぞくりとして見上げた先には黒いフードを被った男の姿。死を覚悟したヴィーが最後にと目を向けた母は、苦悶の表情で口から血を吐いて事切れた。それを最後に、ヴィーの視界は黒く染まる。
「ヴィア?どうした?」
シルヴァンの声でヴィーは過去の幻影から引き戻された。
いつの間にかシルヴァンがすぐ側にいて、ヴィーの顔を心配そうに覗き込んでいる。
「すまない。慣れない服を着て疲れたんだ。」
微笑んだヴィーを疑わしげに見たが、シルヴァンは何も言わなかった。
「やはり、私は席を外しましょう。」
気を利かせたのか、扉へ向かおうとしたトリルランをヴィーは止める。
「貴方の所為ではない。気にしないでくれ。」
呼び止められたトリルランは少し悩む様子を見せたが、ヴィーの言葉で留まる事にしたようだ。
勧められた席に優雅な所作で腰掛けて、ヴィーは続いて座った男達を眺める。
「デュナスは宰相補か。出世したものだ。」
「シルヴィア王女殿下がお姿を眩ませてから、陛下も私も努力したのです。」
「あわよくば復讐してやろうとな。」
「陛下、お言葉が過ぎます。」
にやりと笑ったシルヴァンをデュナスが窘める。煩わしそうに手を払ってシルヴァンは続けた。
「だが、我らが手をくだす事も無く皆自滅した。王妃は得られぬ愛に狂い、ギルフォードは勝てる戦で死んだのだ。エルランも変わった。」
「あの国は変わらねば滅びていただろうな。」
「エルランに産まれ落ちていたならば、ヴィアは俺の妻だったな。」
「やめてくれ。同じ顔の夫などゾッとする。」
マーナがお茶の用意をして戻って来て紅茶を淹れる姿をヴィーは眺める。それを見て、シルヴァンが顔を顰めた。
「毒見が無ければこの城の物を食えぬと聞いた。」
「ライか。本当は毒は食い漁って耐性を付けたんだ。だが、彼の目的が謎だったから念の為な。」
一座に居着いたばかりの頃、毒草を見つけては口にして、熱を出したり泡を噴いたりするヴィーをビアッカとロイドが真っ青になって処置をしてくれたのを思い出す。下手をしたら死ぬぞとドヤされて、それでも懲りずに続けたヴィーを助けてくれた二人には多くの迷惑を掛けたものだと思い、苦い笑みが漏れた。
「蓋を開けてみれば、ただの恋する男だったな。」
マーナから紅茶を受け取り、香りを確認してから一口飲む。懐かしい味だなとほっと息を吐いたヴィーに、シルヴァンは渋い顔を向けた。
「ヴィーが見つかったのはライオネルのお陰だが、あそこの兄妹には頭が痛い。」
「レミノア姫か?娶ってやれば良い。バークリンとの休戦協定も確固たる物になるだろう。」
「現王が失脚しない限りはなんとも言えん。」
「ルミナリエ殿が御しているだろう。側妃共が五月蝿いようだがな。」
渋い顔で紅茶を飲んだシルヴァンがじっとヴィーを見つめている。その視線は受け流して、ヴィーは菓子を手に取り口に放り込む。程よい甘みが口の中に広がる。後でミアとネスに土産で持って行ってやろうとヴィーは考えた。
「耳は健在か。紅い瞳の女よりも強いようだな。」
かちゃりとソーサーにカップを置いて、ヴィーは王である弟の碧い瞳を見返した。口端をあげてニヤリと笑う。
「この耳が欲しいか?」
シルヴァンを見つめつつ、ヴィーは両脇のデュナスとトリルランが浮かべる表情も観察する。二人共、ただ静かに紅茶を飲んでいた。
「あれば便利だが、無くても問題無い。イルネスの鳥は優秀だ。」
「そうか。」
空になったカップを置いて、ヴィーは立ち上がる。男達もすかさず立ち上がり、堅苦しいなとヴィーは苦笑した。
「城の中を歩いても構わないか?」
「好きにすると良い。…あの離れも、残してある。」
「そうか。では、ご機嫌よう。」
微笑んで、ヴィーは淑女の礼を取る。昔叩き込まれたが、使わなくても覚えている物だなと考えながら王の執務室を後にした。