生誕祭五日目4
長い白銀の髪を複雑に結われ、重たいドレスを着せられたヴィーは椅子に深く腰掛けてぐったりと背凭れに体を預けた。マーナがいたらドレスが皺になるだとか優雅に座れだとか怒られそうだが、今ヴィーは一人で部屋にいる。
いつの間にか外はとっぷり日が暮れて、部屋はランプの灯りで照らされていた。
「腹が減ったな。」
呟いて、ヴィーは窓に近付いた。
ついさっきまで着ていた男物の服が懐かしい。子供の時に着ていたドレスよりも重たいのではないかとうんざりしながら裾を捌く。
暗い外を見て頭に浮かぶのは、バーンズ一座の皆の顔。
夕飯はもう食べた頃だろうか。
ミアとネスは泣いていないだろうか。
ビアッカとロイド、バーンズの笑顔を思い出して、もう皆が恋しいと思う。こんなに自分は弱かったのかと、ヴィーは苦く笑った。ふと、気配に気が付いて大きな窓を開けてバルコニーへ出る。
「こんばんわ、ヴィー。」
暗がりから現れたのは、別れた時のままでマント姿のライだった。
「王太子殿下は自由なのだな。」
ヴィーがいるバルコニーは二階にある。するすると登って来たライが降り立つとヴィーはゆっくり近付いてライのマントの裾を掴む。
「野営地に、行っていたのか?」
「よくわかりましたね?」
「なんとなくだ。ネスとミアはどうしていた?」
「泣かれて、怒られて来ました。」
苦く笑ったライを見上げて、ヴィーはくすくすと笑う。二人がライに詰め寄る姿が目に浮かんだ。
「ヴィー、とても美しいです。凛々しいあの姿も素敵でしたが、ドレス姿の貴女は、このまま攫ってしまいたくなる。」
「ドレスは窮屈で、籠の鳥になった気分だ。」
肩を竦めて溜息を吐くヴィーに、ライは優しく微笑んで囁く。
「貴女程の美しい鳥であれば、籠に入れたくなってしまいますね。」
「私を籠に入れるか?」
「いいえ。貴女は自由に飛び回るのが似合います。」
「そうか。ライ、お腹が減ったよ。」
「お食事、まだですか?」
「あぁ。ヴァンの仕事が片付くの待ちだ。このドレスも、一体誰に見せるんだか。」
「私は拝見出来て光栄です。」
「マーナ以外で見たのはライが最初だ。」
「とても嬉しいです。…ヴィー、良い物を差し上げます。」
首を傾げたヴィーが見守る先で、ライは懐から拳大の包みを取り出した。開かれた包みの中身を見て、ヴィーの顔が綻ぶ。
「ビアッカか?」
「はい。もう恋しくなっているのではと、預かって来ました。」
「正解だ。ライが来なければ泣いていたかもしれない。食べて良いか?」
「どうぞ。毒見はいりますか?」
「いや。一緒に食べよう。」
「はい。」
二人で並んでバルコニーの手摺に寄り掛かり、ビアッカが焼いたパンを食べる。このパンは、祝い事や何かがあった時に彼女が焼く物だ。木の実と果物がたくさん入った、ザクザクした食感のパンをヴィーは噛み締める。
「生誕祭の後は国に帰るのか?」
「暫く滞在させて頂く予定です。バークリンは今母が支えています。私は、シルヴァン王の治世を学びに来たのです。」
「バークリン、立て直すのか?」
「そう出来たら良いと思っています。」
バークリンはイルネスの次に大きな隣国だ。バークリンもイルネス同様、戦争を繰り返していた。
戦に勝てば土地は広がる。負ければ取られる。そんな事を繰り返して、疲弊するのは民ばかり。戦の為に働き手を奪われ、大切な者の命を奪われ、兵士の為だと物資も奪われる。
同じ事をしていた二国に違いが現れたのは、イルネスの前王、ヴィーの父が即位してからだ。
「ジルビオール様は、立派な方でしたね。」
「父を知っているのか?」
「お姿は一度だけ。母が今でもよく褒めています。」
「ルミナリエ殿か。彼女のお陰で、バークリンは立ち直り始めている。」
「貴女は、本当に何でもご存知なのですね?」
驚いて顔を覗き込んで来たライを見上げ、ヴィーはにっこりと微笑んだ。
「私は良い耳を持っているのだ。」
「風、と仰っていたものですか?」
「いずれ秘密を明かそう。貴方が私を手に入れる事が出来たら。」
右手の人差し指を唇に当てて、ヴィーは茶目っ気たっぷりに笑う。
「今すぐにでも、攫ってしまいたい。」
ふふっと笑ったヴィーの右手を取って、ライは人差し指に優しくキスを落とす。
「ですが、確実に手に入れようと思います。」
「あぁ。期待をしている。」
「それでは、久方ぶりのご家族での食事、お楽しみ下さい。」
「ありがとう。明日、共に一座の皆に会いに行かないか?」
「喜んでお供致します。」
「おやすみ、ライ。」
「おやすみなさい、ヴィー。」
来た時同様するすると地面に降り立つライを見送って、ヴィーは部屋の中に入る。ノックの音が来客を告げたのは、窓を閉めるのと同時だった。
ヴィーの返事を待って開いた扉から現れたのは、シルヴァンとワゴンを押したマーナ、ザッカスとデュナスだ。ワゴンの中身はマーナの手料理で、机の上に並べられるのを見守るヴィーの瞳は期待に輝く。子供の頃はマーナの手料理で育ったのだ。懐かしさに顔を綻ばせ、ヴィーはシルヴァンに促されて席に着く。マーナとザッカス、デュナスもそれぞれ座り葡萄酒の入ったグラスを掲げた。
「待ったかいがあったな。」
料理を口に運び、ヴィーは機嫌良く笑っている。
「ライオネル様からケーキをとても喜んで召し上がっていたと伺ったので、張り切ってしまいました。」
「とても美味しい。ありがとう、マーナ。」
ヴィーの言葉に、マーナは瞳を潤ませた。泣き出してしまいそうな妻の背を優しく摩り、ザッカスは苦い笑いを浮かべる。
「あの方には困った物です。いつも護衛を撒いてしまう。」
「本当ですよ。自由に街を見て歩く許可は出しましたが、護衛無しなど、何かあったら外交問題です。」
ぷりぷりと怒るデュナスにザッカスが同意して、ヴィーとシルヴァンが苦笑する。
「ライオネルなら自分の身は自分で守れるだろう。護衛がいると見張られているようで俺も嫌だ。」
「私も護衛が付くなら撒くぞ?」
双子の言葉に、デュナスは大きな溜息を吐き出した。
「ヴァンはまだ王の自覚が足りないようですね。ヴィアは一層淑女から離れていませんか?」
「男として生きていたんだ、仕方無いだろう。ライから聞いていないのか?」
男三人が絶句したのを見て取り、ヴィーは首を傾げる。どうやらライは詳しい事は何も話していないようだ。口外しないでくれという頼みを守ってくれたのだなと分かり、嬉しくて笑みが零れる。
「エルランの件は片付いたと、聞かなかったのか?」
不機嫌に顔を顰めたシルヴァンをヴィーは苦い笑みを浮かべて見た。
「聞いた。でもその頃には馴染んでしまっていたんだ。」
「エルランにも探す協力をして貰っていたのに全く行方が掴め無かった。…ヴィアは昔から隠れるのが上手かったな?」
探されているのはヴィーも知っていた。だけれどあの一座があまりに居心地が良く、離れ難かったのだ。
苦笑しているシルヴァンに、ヴィーは肩を竦めて見せる。
「産まれた時に隠れる運命が決まったんだ。上手くもなるさ。」
「シルヴィア様!」
「冗談だ、マーナ。泣かないで。」
ショックを受けた表情でプルプル震え出したマーナに手を伸ばし、ザッカスが抱き寄せる。
「我々には酷な冗談です、シルヴィア様。」
「すまない。だが私は生きている。気に病むな。二人が生かしてくれたんだ、感謝している。」
「勿体無いお言葉です。」
「マーナ、あまり泣くな。折角ヴィアが見つかった喜ばしい日だ。難しい話は無しにして、久しぶりの家族での食事を楽しもうではないか。」
シルヴァンの言葉に皆が同意して、昔の懐かしい話やヴィーの一座での体験など話は尽きず、五人の温かな笑い声は夜遅くまで城の一室を包んでいた。