生誕祭三日目
生誕祭三日目。
朝日と共に起き出して、ヴィーは日課の見回りに出た。朝餉の仕度をする女達に挨拶をして、公演の練習をする踊り子やミアに手を振ったりなどしながら問題の有無を確認して歩く。
良い天気だなと空を見上げたヴィーの背後に、気配無く近付く男が一人。
「ヴィー、おはようございます。」
両手でぽんと肩を叩かれ、ヴィーはその声で犯人が分かり脱力する。地面に膝を付こうとしたが背後からの手に止められた。
「ライ…こんなに出歩いて問題は無いのか?」
「問題、ですか?」
後ろから抱えられている為、ヴィーは首だけで振り向いてライを見上げた。笑顔のライは言っている意味が分からないというように首を傾げている。
「すっげぇな。それどうやってやんの?」
共犯者だったらしいネスが物陰から現れ、ライを尊敬の眼差しで見つめながら二人に近付いて来た。ネスはヴィーの背後を取る方法を知りたいのだ。
「鍛錬です。」
にっこり微笑んで、ライは答えになっていない答えを返す。
ヴィーが自分の足で立ったのを確認してからそっと体を離したライの頬は、ほんのり朱色に染まっていた。
「今日は、朝食をご一緒にいかがでしょう?」
ライが持って来たらしい籠をネスが掲げ、ニヤリと笑っている。ネスは昨夜の食事でライが持って来る食べ物を気に入ったようだ。
「中身次第だな。」
「きっと気に入ります。」
「そうか。」
「毒見もします。」
「至れり尽くせりだ。」
ふふっとヴィーが笑うとライは嬉しそうに顔を輝かせる。ネスは恋する男の表情を眺めて、呆れたというように笑った。
「また来てるの?」
両手に朝食の器を持ったミアがやって来てライの姿に顔を顰める。朝の挨拶を交わしたミアはネスの持っている籠を見て首を傾げた。
「またヴィーへの貢物?」
「はい。ご一緒にいかがですか?」
「貢物、否定しねぇんだ。」
ネスは呆れた声で呟き、籠を木箱の上に置いた。掛かっていた布を外すとライ以外の三人が中を覗き込み、ミアとネスは首を傾げる。豪勢だが見た事のない料理ばかりなのだ。
「エルランの料理か…」
「お好きですか?」
ヴィーはフード越しにライの笑顔をじっと見つめて、こくんと頷く。ほっとしたように笑ったライに、ヴィーは食べたい物を告げた。
昨夜と同じようにライが毒見をした料理をヴィーが食べる。ネスは気にせずガツガツ手を伸ばし、ミアはライとヴィーの様子に首を傾げた。
「なんでヴィーはライが口を付けた物を食べてるの?」
「毒見をしてもらっている。」
「は?」
ぽかんとしたネスとミアは、籠の中の料理に伸ばしていた手をピタリと止めた。それを見て、ライは苦笑する。
「毒なんて入ってませんよ。」
「だろうな。」
ヴィーの言葉の意味が分からず、ミアとネスは顔を見合わせた。お互いに理解していないのを見て取り、ヴィーをじっと見つめているライの横顔に視線を移す。
「試されているのでしょうか?」
「私は、ライがいる場所の食べ物を口にするのが怖い。」
「私の、いる場所…?」
「仮定の話だ。」
「……そうですか。」
苦く笑って、ライはミアが運んで来た食事を口に運ぶ。その所作は優雅で、上品だった。
ヴィーとライのやり取りを眺めていたネスとミアも食事を再開して滅多に口に出来ない料理を堪能した。
食事の後は公演の準備で忙しくなる為、ライはまた来ると言って帰って行った。
公演の準備を終えたヴィーとネスは前日と同じように宣伝をして歩き、時間が近付くと広場に戻って客を捌く。その途中で、ヴィーが何かに気が付いたように顔を上げて遠くを見つめているのがネスの視界に入った。問題でもあったかとネスもヴィーが見ている方を見やるが何も無い。ネスが内心首を捻っていると、ヴィーがネスの方に歩いて来た。
「ヴィー、どうした?」
「すまないが、ここを任せても良いだろうか?」
「あ?良いけど、なんかあったのか?」
「あぁ。ライが連れて来る人物に何を聞かれても私の事は答えるな。」
「ライ?ヴィー、どこ行くんだ?おい、ヴィー!」
混乱するネスを残して、ヴィーは人混みの中へと消えた。
開演間近で客はほぼ中へ入っている。ネス一人で問題は無いが、ヴィーの残した言葉が気掛かりで、ネスは腰の剣に手を伸ばして感触を確認する。
出会って間も無く、多くの時間を過ごした訳ではないが、ネスはライを気に入っていた。悪い人間ではないと思う。だが、ヴィーが姿を隠すような問題を連れて来るらしい。ヴィーの感は鋭く、いつも必ず当たる。その為一座は大きな危機に見舞われる事なく今までやって来られたのだ。
ネスはじっと、ヴィーが視線を向けた先を見て待った。
程なくして、ライが人混みの間を縫って一座の天幕の方へ歩いて来るのを見つけた。そしてライには二人の連れがいるようだ。二人共、ライが野営地へと訪れる際に身に付けているマントを着てフードを深く被っている。
「流行りかよ。」
マント姿の二人からヴィーは逃げたのだと理解して、ネスは嘆息した。
「ライ!公演観に来たのか?」
入り口にいるネスが手を挙げて声を掛けるとライが気が付いて笑顔で近付いて来る。
「こんにちわ、ネス。ミアの踊り、本番を観たくて来ました。」
「お前、友達いたんだ?」
マント姿の人物の一人はヴィーより少し身長が高いくらいで、性別は分からない。もう一人は背が高く、体格ががっしりとしている事から男だろうなとネスは考えた。
「ミア、というのがお前が入れ込んでいる踊り子か?」
性別不明の方がライにそう聞いた。肯定するライの返事を聞きながら、ネスの心臓は早鐘を打ち、動揺を必死に押し隠す。声が、ヴィーとそっくりだったのだ。
「姉さん、迷惑してるぜ?まぁ飯は美味いけどさぁ。」
ライがヴィーの存在を隠しているのだと悟り、ネスは話しを合わせる。
いつもと変わらない顔でライは笑い、金を払って天幕へと入って行く。三人共、剣を持っているのが音で分かった。問題について父親に報告する為にネスはそっとその場を離れる。
「親父。」
「問題か?」
持ち場にいたロイドに耳打ちし、ヴィーの事、ライとその連れのマントの二人の事を報告した。
「何もないと良いが、お前も警戒しとけ。」
「分かった。」
渋面を作ったロイドの言葉に頷いて、ネスは持ち場へと戻る。
天幕の中はロイドが目を光らせている。ネスは入り口に立って、公演の間中気が気では無かった。
問題無く公演は終わり、ライとその連れが出て来た。ミアの踊りの事など当たり障りの無い会話をライと交わす間、フードの奥からじっと観察する視線が注がれているのをネスは感じた。
「それじゃあ、また。」
「あぁ。また美味いもん、よろしく!」
笑顔で手を振り合い、ライは連れと共に去って行く。
緊張で大きく息を吐き出したくなったが堪え、ネスは後片付けの仕事へと戻った。
ヴィーは野営地にいた。
一座が戻って来るのを迎え、荷物の整理を手伝う。全ての仕事を終えてから、ネスとロイドがヴィーを捕まえた。
「ヴィー、ライとは知り合いじゃないって言ってたよな?」
腕を組んだロイドの言葉に、ヴィーは肩を竦めて見せる。
「あぁ。だが、連れの方を知っている。」
「マントの奴ら?二人いたぜ?」
フードの奥から注がれていた視線を思い出し、ネスはぶるりと体を震わせた。ヴィーもマントにフードを被った姿だが気心が知れた仲だ。得体が知れないとはああいう事かとネスは考え、ヴィーの姿を見た人々が警戒するのは仕方の無い事だったのだなと実感した。
「どんな二人だった?」
「一人はでかい男で、もう一人はヴィーより少しでかいくらい。そんで…声、似てた。」
俯いたネスの髪をヴィーがぐしゃぐしゃに撫でる。ネスはその手を払わず、好きにさせた。
「放っておいてくれたら良いんだがな。……ここは、居心地が良い。」
「お前が居たいなら、好きなだけ居れば良いんだ。」
「親父の言う通りだ。ここはヴィーの家だ。」
何も答えず、ヴィーはネスを抱き寄せた。その上からロイドが二人を抱き締めて、三人でぎゅうぎゅうに体を寄せ合う。
日常の変化がすぐそこまで迫っているのを誰もが感じ、だが、目を逸らしていた。