マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書 7
イエスはこんな話もした。
ある人に二人の息子がいた。
次男が「財産半分、生前贈与してくれよ」と言ったので、分けてやった。
次男は外国に行って、遊びまわって、もらった財産を使い果たしてしまった。
ブタの世話などして糊口を凌いでいた次男は「親父に申し訳ない。かくなる上は、帰って土下座して謝って、親父の農園の使用人にしてもらおう」と思って帰った。
実際、次男はそう申し出たのだが、父親は次男の帰還を喜び、良い服を着せてパーティーを開いてやった。
長男は「ずるいじゃん、そんなの~」と言ったが、こういう深い愛が、神様の愛なのである。
こういう分かり易い話で、イエスの人気はうなぎ登り。
とにかく律法学者は異端であるイエスが目障りなのだが、どうにも論破できない。
あるときなど、安息日にイエスが病人を癒すのを見て「安息日に働くのは律法に反する!」とつっこんだが、イエスは「あんたら、自分の息子が井戸に落ちたとして、その日が安息日だったら助けないで放置なの?www」と言われて、ぐうの音もでない。
ある日など、安息日に弟子が麦畑から麦を摘んだのを見て律法学者がツッコミを入れたが「ダビデも同じようなことしてたしねww」と旧約聖書の重箱の隅からイレギュラーな例を引っ張り出し、挙句の果てに「安息日は人のために定められたのであって、人が安息日のためにあるのではないwww」と言い放つ。
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モーセの時代に、安息日に薪を集めた人を処刑するように言った神様と同じ神様を信仰しているとは思えないくらいの違いです。
怒りっぽくって、ちょっとでも他の神様を拝むと拗ねる嫉妬深い神様を、めちゃくちゃ寛大な神様に、イエスは魔改造してしまいます。




