詩篇~箴言~伝道の書(コヘレトの言葉)~雅歌~イザヤ書~エレミア書~哀歌~エゼキエル書
次は詩篇です。
詩篇は詩が沢山書いてあります。
これらは読む詩ではなく、歌う詩、つまり歌詞だったそうです。
ここで合いの手、だか、太鼓叩く!みたいな痕跡は残ってますが、
どんなメロディだったのかは、さすがに分かりません。
有名なのは詩篇23篇。
例え死の陰の谷を歩こうとも、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられるからです。
次は箴言で、教訓集だそうです。
その次は伝道の書です。
ここには「労働なんて虚しい」とか、人のやる気を削ぐようなことが沢山書かれてます。
次は雅歌。ラブソング集です。神様はあまり関係ないww
その次にイザヤ書、エレミヤ書と続きます。
両方とも預言者の名前で、内容は預言集です。
その中でキリストの出現が預言されている部分もあります。
ああしろ、こうしろ、もうすぐこんなことが起こるなど、そんなことが書いてあります。
次は哀歌です。
エルサレム陥落の嘆きの歌が書かれてます。
次がエゼキエル書です。
ユダヤ人がバビロンに連行された時代の人の預言集です。
「こんなことになったのは、神がユダヤを守れなかったのではなく、ユダヤに信仰が足らんから天罰でこうなったんだ。悔い改めようぜ!」ということが延々書いてあるらしいです。
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旧約聖書というのはユダヤ人がバビロンに連れて行かれたときに、民族のアイデンティティを維持するため、今まで言い伝えだったものを再編して文字に起したらしいです。
また、バビロニアは宗教に寛容で支配下にある民族が何を信じるのも許していましたが「一応、どんな宗教なのか知りたいから文字に起してね」と言っていました。
それで旧約聖書がまとめられました(間違ってるかも……あとで修正するかも)
なので旧約聖書に一貫している「信心が足らないと神様はそっぽ向く」という設定は、実は昔からそうだったわけではなく、エゼキエル書にあったように捕囚時代に強まった「俺らが悪かったんや……」という思想が、それ以前の記録、物語の設定を改変したとも考えられています。




