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アントロポファジー  作者: 珈琲狂愛者
5/5

ごっくん

 

 彼女と付き合って三年が経った。


 短かった。彼女との出会いを昨日のように思い出せる程に短い。けれど、彼女との思い出は一日二日で語り尽くせる程薄くはない。

 はじめ、チラリと覗く程度だった異常なる食欲は彼女の色香という餌を与えられる程大きくなり、三年経った今では自分一人で抱えられなくなっていた。


 彼女は美しい。けれど、美しいのは今だけ。勿体ない。他の奴等に持ってかれる前に、僕だけの物にしたい。それならいっそのこと、食べてしまえ。


 それが、僕の食欲の起源だった。なんとも、浅はかで強欲なんだろうか。僕が彼女の立場だとしたら、交際をすぐに止めるだろう。

 愚かにも美しく聡明な彼女は、僕の思いに気づかなかった。それで良い。彼女のことは騙し貫くつもりだ。

 最後の、最期まで。



「及川くんが家に来てくれるのは、これで何回目でしょうか……あの時とあの時とあの時と……」

「ちょうど十回目ですよ」

「じゃあ両方の記念日ですね。及川くんが私の家に北のが十回目記念日と、付き合って三周年記念日です」

「そんなに記念日なら、ケーキや何か買ってくれば良かったですね。すいません」

「良いんですよ。私が作りますから。及川くんはそれを食べてくれるだけで嬉しいんです」

「また、スクランブルエッグですか?」

「ふふっ。よく分かりましたね。大正解です」

「そりゃ分かりますよ。十回目ですからね。十回目中十回出てるんですよ?」


 雑談を交わしながらも、僕はある一つの目的で頭が一杯だった。

 今日、彼女を食べる。

 その為に鞄の中に必要であろう物をたくさん入れてきた。ナイフにハサミにノコギリに。そのせいで鞄はいつもよりも大きいけど、彼女には気づかれなかった。


「はい、どうぞ。恒例のスクランブルエッグです」

「いつも変わらなく美味しそうですね」


 彼女は僕の前に座った。笑いながら食べてくださいよ、と見るが僕の箸はそれほど進まない。だってそれより食べたいメインディッシュがあるから、ねぇ?


「褒めても笑顔しか出ませんよ」

「それだけで、僕は幸せです」

「あっまいですね。相変わらず。私達はバカップルじゃないんですよ? 健全なる異性交遊なんですよ?」

「確かに、僕ら程健全な異性交遊は聞いたことありませんよね。手も繋いだことありませんし」

「でも、キスはしたじゃないですか」

「……そうですね」

「手は繋いだことないのに、おかしいですね。私達。そう言えば、出会い方もおかしかったですしね」

「まさか、あんなところで田村さんと会うと思っていませんでしたよ」

「私もです。まさか、及川くんがって思いました」

「あの時は本当にこの世に地獄があるのかと言う程、鬱な気持ちになりましたが、あの出会いがなければ僕ら知り合えなかったんですよね」

 

 そして、こんな気持ちを持つこともなかった。


「後悔してますか?」

「まさか、そんなはずないですよ。田村さんは?」

「私もです。及川くんに会えて心から嬉しいです。ずっとずっと愛しています。どんな時も及川くんのことを想って、及川くんの頭皮から爪先まで愛情を注ぎます」


 彼女の目は本気だった。少し、驚いた。


「それ、一種のプロポーズかなんかれすら、は、へ?」

「そんなもんですね。……ああ、やっと、効きましたか」


 彼女が歪んだ。ぐあん、ぐあん。歪んで、ボヤけて、彼女が三人いる。いや、まさか。彼女は一人で。一人だから、あれ、へ、え? 彼女が地面に倒れた。僕が倒れたのか、あれ。なは、は。


「むう。なかなか、状況を把握してませんね。察しの良い及川くんなら私の気持ち、分かってくれると思ったんですけど」

「ら、んれ?」

「あら、薬入れすぎましたかね。折角の及川くんの味が楽しめないですね。残念です」

「あじ? どー、いう、いみ」

「及川くん、もしかして知らなかったんですか? 私の気持ちを。私は、貴方のことが好きなんです。大好きなんです。心から、全てを愛している。だから、貴方を食べたいんです」

「は、あ」

  

 彼女は僕に近寄り、笑った。当たり前のことを言ってるかのような自信満々の表情。確かに、僕も田村さんを食べたいと思った。けど、さあ。


「だから、及川くんの部屋にあの本があった時には思わず胸がぎゅうっとしちゃいました。ああ、及川くんも私のことをそんな目で見てくれてたんだって思ったら濡れてきました」

「ぬろ、れ」

「呂律が回ってませんね。それでも、好きですよ。そう言えば知ってました? ルリルタンって食人鬼の娘っていう裏設定があるんですよ。それって、私みたいですよね」

「たむら、さ、ん?」

「私のお父さん、お母さんを食べちゃったんですよ」

 

 純粋無垢な彼女の口から出た言葉に、驚きの言葉を漏らしたつもりだったが、ただ読解不可能な言葉となった。


「私が小学二年生の時でしたかね。学校から帰ってきたら、お母さんがリビングで横になっているのが見えたから駆け寄ったら、その上にお父さんが跨がっていました。お母さんは恥ずかしげもなくピンク色の内蔵を見せて、お父さんはそれを貪っていました」

「……」

「とても、綺麗でした。お母さんも幸せそうな顔してました。ああ、これが究極の愛なんだなって思いました」

「わかり、ます、けど」


 確かに僕がその場にいたら彼女と同じことを思っただろう。そして、彼女と同じ行動を起こすだろう。だが、僕も食べたい。彼女を食べたい。

 食べられることは一向に構わないが、彼女を食べたくて仕方がない。


「ですよね。及川くんなら分かってくれると思いました。ちなみに、お父さんはその後異臭に気づいた近隣住民の通報により捕まりました。でも、私は捕まりたくありません。ずっと、ずっと及川くんの味を堪能していたいです」

「それなら、僕が、田村さんを、食べたい」

「お互い、食べ合う、ですか。これぞ究極の愛ですね。ああ、もう。及川くんがそんなこと言うから、私もう今にもイキそうです。どうしてくれるんですか。ああ、……もうっ!!」

「ぐっ、ふっ」


 突然の事だった。彼女が、僕の右腹を引き裂いた。今までに聞いたことない音が聞こえると同時に激しい痛みが襲う。

 ズキンズキン、じんじん、ガンガン。どれでもない。とにかく痛い。痛い。でも、彼女がくれた痛みだと思うと嬉しいが飛び出る。ぼく、きもい。


「綺麗……及川くん、今どんなAV女優よりもエロいですよ」

「褒めてる……? それ、って」

「大分呂律戻ってきましたね。短期間の作用だったんですね。この薬。それとも、食べる量が少なかったのかしら……」


 彼女は僕の言葉に返事を返さず、僕に近づいて、右腹に唇を当てた。チロチロ、舌を動かすから、針を刺すような痛みが創部を襲う。


「うっ……!?? あっ! ぐぁ、がっ!」

「眉間にシワ寄せて、ヨガってるんですか。厭らしいですね。そんなに私を興奮させないでくださいよ」

「っ! ならっ、舐めないっで、っ!! くださいっ、ってば!」

「じゃあ、私のも舐めさせてあげます」

 

 彼女は僕に、自身の太股を付き出した。そこからは新鮮な血が滴り落ちている。勿体ない。思った時には口を付けていた。


「うっ! ぐぅ、あっ……及川くんったら、激しい、ですねっ。そこ、切ったばかりだって、いうのにっ、遠慮なしですか……」

「……っ」

「舐め合い、しましょうか……」


 遠慮なんて出来るはずがない。ずっと、求めていた彼女の味。まだ、肉ではなく血液だけど、欲しくて仕方がなかった物だ。地面に落とすなんて愚かな行為出来ない。

 美味しい。薬物のように中毒性のある鉄の味。流血した時に、応急処置として舐める血とはまた違った味がする。

 特別美味しく感じるのも、彼女の全身を余すことなく流れていた血液だからだろうか。

 お互い悶絶し合いながら、創部を舐め合う。痛みはとうの昔に消え、ガンガンとした頭の痛みが麻薬のような快楽を与える。

 こんなに美味しいのなら我慢せずに食べてしまえば良かった。ああ、血液でこんなに美味しいのなら、彼女の本体はどんな味がするのだろうか。


「おいひ、です」

「嫌です。そんな顔されたら、私もう我慢デキマセンヨ。全部、全部、及川クンノ、セイデスカラネ」


 ガンガン、痺れる麻薬は彼女の突如の攻撃の痛みを和らげた。けれども、口唇の隙間からは抑えきれない悲鳴が飛び出る。

 痛みの発信源である腹を見ると、服の切れ目から赤黒いものが覗いていた。あれ、これって、内蔵?


「やっだ……及川くんったら恥ずかしくないんですか。そんなエッチな格好して、私を誘っているんですか」

「田村、さ、ん?」

「痛いんですか? 気持ちいんですか? それとも、食べて欲しいんですか?」

「あ、……あ、……」


 痛い。痛い。言葉に出来ない、位、痛い。目に涙がにじむ。痛い。頭がくらくらする。酸素が回ってない。口が乾いた。

 嫌だ、ぼくはしぬの? しにたくない。しにたくなんかない。しねないよ。だって、たむらさんのことたべてないんだから。


「いただきまーす」


 かのじょは、かわいいえがおで、ぼくのおなかへかおをつっこんだ。じゅるじゅる、おとがした。いたかった。わからない。おぼえてない。

 めのまえ、くらくてしろくて、わからない。すべて、きえた。さよなら、たむらさん。


 おいしい? たむらさん。



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