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アントロポファジー  作者: 珈琲狂愛者
4/5

もぐもぐ

 彼女と付き合い初めてから、2年と半年が経った現在。それなりに仲良くデート(という名のショップ巡り)をしてきたが、お互い知らないことは多々ある。今後、そういう知らなかったことが亀裂を作り、疑いの気持ちがそれを大きくさせるとバイブルのラノベが教えてくれた。なので、もっともっと互いのことを知ろうと思う。



『及川くんの家、ですか?』

『そう。最近お金を使わせ過ぎて、申し訳ないと思いまして』

『そんなことはないですけど、及川くんの家ですか……楽しみです』

『じゃあ、今度予定が合う日にしましょうか』

『今日で』

『へ?』

『今日でお願いします。ダメ、ですか?』

『いえ、ダメなんてそんなことありませんけど田村さんに用事がないのでしたら……』

『及川くんの家に行ける以上に大事な用事なんて、私にはありませんよ』

 

 ふふっと、彼女は笑った。屈託のない笑顔で純粋にそんなことを言われてしまったら照れるを越えて、罪悪感すら生まれる。


『なら、今日にしますか』

『ですねー』

 

 言ってからしまった、と思った。まさか今日すぐに部屋に入れるなんて思っていなかったから服やら勉強道具やらが散乱して素晴らしいことになっている。


『け、けど、家の前で数分ほど待っていてくれますか?』

 焦って付け足すと彼女は小さくはい、と答えた。微かに笑っていた。



 いつもの交差点を左に曲がると、初めて来た道だったのか彼女が挙動不審な動きを見せていた。吹き出しそうになるのを堪えながら、何度も彼女を見ていた。

 彼女は可愛い。何度そう思ったのかはもう数えられないが、何度思っても彼女への思いは色褪せない。不思議なことだ。



『及川くんの家……』

 僕の家を見ながらポツリと溢した彼女の頬はほんのり色づいていて艶っぽい。

 そんな彼女から一歩離れてドアに手をかけた。

『僕が良いって言うまで絶対に中に入らないでくださいね。すぐ、すぐ済みますから!』


 念を押すように強く言うと、彼女はころころ笑った。彼女がやけに上機嫌で僕もつられて似合わない笑顔を浮かべていた。

 彼女のはーい。という返事を遠くで聞きながら、僕はマッハで自室に戻った。これで時間短縮出来ただろうか、と肩で息をする。

 走ったからだけじゃなく、僕の心臓はドキドキと異常に高鳴っていた。

 もう少ししたら彼女が僕の空間にいるんだ。夢じゃない。現実の彼女が、僕の部屋に。

 そのためにも、床に散らばっている雑誌類や服を適当に押し入れに詰め込む。母が日常的に部屋の掃除をしろと言う意味が今分かった気がする。

 とりあえず詰めるだけ詰めて、部屋全体に消臭スプレーをかけて、ある程度良いと感じたらまた玄関に走った。


『はぁ、はぁ。……どうぞー……』

『そんな息切れる程頑張らなくって良かったんですよ!』

 彼女は丸い目を更に丸くして驚いていた。

『いや……ごほっ、なんともないです。とりあえず、上がってください。……僕の部屋を紹介します』

『はわぁ……及川くんの部屋……』

 ナゼかキラキラと輝いた目で僕を見る彼女。何を期待しているのだろうか。

『僕の部屋、まったく楽しくないですからね。出来るだけハードルを下げて考えてくださいよ?』

 焦って付け足すと彼女はブンブン首を振った。

『いーえ、及川くんの部屋は及川くんの素敵な体臭で満ち溢れていて最高の場所に違いありません!』

『その自信はどこからですか』


 それは遠巻きに僕のことを臭いと言っているんですか、と聞くとそんな訳ないですよ! と怒られた。

 怒られる理由も、彼女が期待している理由も分からない僕は、ただ頬を蒸気させている彼女の可愛さを堪能していた。自分、気持ち悪いな。

 もしかして、僕が彼女の部屋に行く時にドキドキしたように彼女も同じようにドキドキしてくれてるのだろうか。

 だとしたら、無駄なドキドキなんだけれど、僕に対してまだそんな乙女な感情を抱いてくれてることが分かって、嬉しくなった。

 居間を素早く通り抜け(先程母がいないのは確認したが念のため)、僕の部屋の前の廊下で止まった。


『えっと、僕の部屋です』


 一々紹介すると、僕の部屋がそれほど素晴らしい場所だという意味に思えて、気恥ずかしくなる。

 更に彼女が本当に嬉しそうな顔を浮かべるものだから、尚更だ。


『わあ、ルリルタンのグッズが沢山……』


 入った直後の彼女の言葉だ。確かに、彼女の言う通りであるがそこまで驚かれると、自分の趣味を否定されてるのかと不安になる。

 いや、違う。そんなことを思うな。彼女は唯一の僕の理解者なんだ。否定するはずない。


『つい、ショップでルリルタンを見ると買ってしまう癖があって……』

『分かります! 私もですよ!! しかも、ルリルタンは一際可愛くて目立つのでもう、遊びに行く度に買ってしまって……でも、可愛いから満足ですけどね!』


 鼻息ふんふん、荒くして彼女は僕に襲いかかる程の勢いで身体を前のめりにさせた。

 ちょっと、近い、ですかね。とは思うものの、言いはしない。


『ルリルタンのこと、本当に好きですね』

『勿論好きですよ。可愛いですし、なにより……』

 彼女は上を向きしばし言葉を吟味した後、更に続けた。

『及川くんと話す機会になりましたしね』

『は、はあ……』

 彼女は本当に純粋で、邪念がない。だからこそ、今の言葉も真っ直ぐに僕の胸に届いて耳まで熱くさせた。

『あっ! 及川くんの顔、真っ赤ですよ。これで私の勝ちですね!』

 誇らし気に言う彼女。けれど、そんな彼女もまた僕に負けず劣らず赤くて、なんとも言えなかった。

『その勝負、まだあったんですね』

『ふふん。勝ち逃げは許さないのです』


 子供らしく笑ってみせる彼女。まだ、僕らは世間的には子供だけど心はいっちょまえに成長しているから、そんな笑顔を見るのは久しぶりだと、ボンヤリ考えた。

 どうか、彼女はこの無垢なままでいて欲しい。

 そして、穢れた社会に出て彼女まで染まってしまわないように、僕がずっと側にいれたら良いのに。

 そうだな。いっそのこと、彼女の息を止めて永遠に僕の物にしてしまえば、彼女は汚れずに済むのかな?

 例えば、僕が彼女のことを頭から爪の先まで食べて一心同体になってしまうのも良い手かもしれない。……なんてね。

 僕が彼女にそんな酷いことするはずない。優しい、唯一の存在である彼女を消すはずがない。なのに、どうしてかこういう妄想は日に日に加速していく。

 彼女を自分のモノにしたいという利己的な考えから、彼女を食べてしまいたいという残虐な思想まで。

 ああ、もう。あの本を読んだから妄想はどんどん具体的に形になってしまう。


『及川くん。どうしたんですか、怖い顔して』

『えっ? あ、ははっ。ちょっと考え事してただけですよ、すいません』

『そう、ですか』

 彼女は柔らかい笑顔を僕に見せた。ああ、そうだ。彼女を殺したら僕はこの笑顔を見ることはないんだ。だから、心底にある殺意と食欲よ、どうか収まってくれ。

『あっ、すいません。飲み物とか何も出してなくて……どうぞそこら辺に好きに座って待っててください。すぐに、何か持ってきますね!』

『焦らなくて大丈夫ですよ』


 と、彼女は言ってくれたが急がない訳にはいかない。とりあえず彼女が炭酸を飲めないのを知っていたので、オレンジジュースとリンゴジュースとお茶をコップにそれぞれ注いでお盆に乗せた。

 さすがに三種類あれば一つ位は好きな飲み物もあるだろうと、考えたのだ。

 そして、適当に余っていたお菓子を冷蔵庫から取り出してお盆に乗せた。

 最後に、溢さないように慎重かつスピーディーに移動して部屋に戻ると、彼女は僕の棚に並べたルリルタングッズを眺めていた。

 後ろ姿だが、真剣に見ているのが分かる。邪魔しないようにと音を立てずに机の上に置いて、彼女の背中を見た。

 どれくらい見ていたのかは分からない。短かったのか、長かったのかさえも。しばらくすると、彼女がふと振り返って『あっ!』と驚きの声をあげた。

 そりゃそうだ。飲み物を取りに言った奴が帰って来るのが遅いと思って見たら、後ろにいるのだから。


『も、もう。いたなら教えてくださいよ……』

『集中していたみたいだったので声かけるのが、申し訳ないかなぁと……やっぱりルリルタン好きなんですね』

『大好きです。及川くんも、ルリルタンも私の一番です』

『……最近の田村さんはどこか積極的ですね』

『それは、天然心臓破壊機の及川くんには言われたくないですう』


 天然心臓破壊機か。僕の知らないうちにそんな大それた異名が付いてるのは知らなかった。

 ……ちょっと待て。それって僕がラノベの主人公にありがちな鈍感ハーレム野郎の思想と同じということではないか。

 確かにラノベは恋愛のバイブルとしているが、理想とはしてないのであって、そういうのはあまり好ましくない。


『そんなことないです』

『あります』

『ないです』


 と、不毛な争いを続けたり、会話したり、ルリルタンの愛情度について競ったり、なんだかんだ言ってお互いのことを好きだと言い合ったり、最終的には、バカップルエンドで落ち着いた。

 学校帰りということもあり、彼女は長い時間はいなかった。帰り際、また来たいです。と、呟いた言葉に嬉しくなった。

 ああ、もう、僕は田村さんがいなかったらこんな明るい人生を遅れてなかったんだろうな。

 彼女との会話の熱が冷めぬまま、自室に戻るとそこにあってはいけないものがベッドの下に落ちてるのを見つけてしまい、青ざめた。

 何でだ。僕はこれだけは、と確実にしまったと思っていたのに何故こんなところに落ちているんだ。

 これが、彼女にでも見られてしまっていたら、僕は首をくくらなくてはいけない。それほど危険なもの。

 すぐにそれを拾い上げて、埃をほろった。それは一見変鉄のない一冊の本である。


『タイトルでバレなきゃ良いけど』


 題名はアントロポファジー。

 カニバリズムを肯定する内容となったノンフィクションである。

 僕は彼女を何度か食べたいと思ったことがある。それは人間の道徳として有り得ない。なのに、食べたい。自分の精神が異常になったのかと思った。けれど、違った。世の中には僕と同じことを考える人が少数だがいた。中には実際に食べたことあるという内容のコメントをブログにあげてる人もいた。羨ましく思った。

 そうやってカニバリズムのことについて調べている内にネット上の真実の掴めない言葉だけじゃ足りなくなった。

 本当に食べた人、食べたい人の話を見たい。そんな中僕が出会ったのはこの本だった。

 僕の気持ちを代弁するかのように、同意出来ることがいくつも書かれていて、自分は正常なんだと思えた。


 まあ、既に世で知れ渡っているのはカニバリズムの方だから、流石の彼女でも見たとしても内容までは気づかないだろう。

 ほっと安堵すると同時に僕の部屋に残った彼女の残り香に興奮する。それでも僕はその匂いで彼女を抱きたいとは思わない。

 むしろ、僕で彼女を汚したくないからそんなことは思えないのだ。代わりに、そんな彼女を綺麗なまま食べてしまいたいと思う。


 ああ、彼女に僕の思いが伝わりませんように。


 震える指先で、本のタイトルをなぞった。




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