2.測定されました
この世界には、まだ『士官学校』に相当するものがない。
いや、もしかするとあるかもしれないが、私の知る範囲ではそれに該当するものはない。
では、誰が軍を率いているのかといえば、王族や貴族であり、その下で命令を具体化する騎士や従卒である。
騎士制度については、地球の歴史上のそれとは少し違うのだが、まあ概ね同じ。彼らの役割は、平たくいえば、士官または下士官だ。
最前線で戦うことすらある彼らが、徴兵隊や傭兵隊に舐められては王族も貴族も満足な指揮ができない。だから、自然と個人の武勇が必要なものとみなされている。
そんなわけで、
「ポートランド君は、他スべて壊滅的でスが、体力測定と魔力測定で極めて優秀な結果を示シまシたので合格でス。おめでとうございまス」
「おっしゃあ!」
脳筋下士官候補生枠で、ポチは『学園』入試の合格が決まりました。
「授業は来週から始まりまスので、ソれまでに格好が付くようにシておいてくだサいね」
変わらない糸目でニコニコとアナーク学園長。ああはい、私の仕事ですねそれは。ちゃんと授業が始まるまでに叩き込んでおきますから。
「ん? な、なんか悪寒が……?」
脳筋下士官候補生から脳筋士官候補生に枠が変わるようがんばろう。がんばらせよう。
「サて、リンゴサんは……スでに合格にシない方がおかシいくらいの成績でスが」
「これでも二十三歳ですから」
あと、前世もあるし。
「いえ、ソれを鑑みてもスばらシい成績でス。ハリランダ市長の下で行政にも携わっていたと聞き及んではいまシたが、失礼ながらここまでとは思っていまセんでシた」
「お気になさらず。わざと武名が立つようにしていますので」
『不老魔術師リンゴ』は魔法脳な魔法莫迦だということにしておいた方が、都合が良いのです。
「ソれででスね、体力測定と魔力測定は受けなくとも合格でスがどうなサいまスか?」
「じゃあ、受「もちろん、受けますわ!」……らしいです」
拒否権はないようで。
くすくすとアナーク学園長は笑いながら他の教師に準備を命じた。
さて、体力測定開始です。
「えい」
立ち幅跳び。一.五ヤーグ――ざっと一四〇センチ。
「やあ」
ハンドボール投げ。二〇ヤーグ――大体十八メートル。
「とう」
五〇ヤーグ――およそ四五メートル――走。十秒くらい。
その他に、反復横跳びと中距離走。
以上です。
「何と言いまスか……普通でスね」
「体は十三歳女子ですから」
立ち幅跳びと五〇ヤーグ走は平均より若干悪く、反復横跳びとハンドボール投げは平均より良いそうな。中距離走は壊滅的。息を整えるために床でへばりました。ぜーはーぜーはー。
お疲れ様でした。
「どういうことですのっ!?」
医師から安静にするよう求められたニルが叫んだ。
「どういうことって言われても」
これでもちゃんと全力です。
「リンゴ強かったですわよね!? 暗殺者相手にすっごい速さで駆けてましたわよね!?」
「いや、アレは魔法で補助してたからで。何もないとこんなもんだよ」
可愛いけれども素の能力はさっぱりなのだ、この体。
筋骨隆々なボディビル女子になりたいわけではないが、それにしても筋肉が全然付かないので少々困る。腕も足もちっとも太くならないのです。ニルと腕相撲したら、そのままひっくり返っちゃう自信があるよ。
「そ、そうですわ! 魔法! リンゴは魔術師ですもの、そうよね……そうよ! 魔力測定なら!」
ニルは目を閉じて、自分に言い聞かせるように額に指を当て、ぶつぶつ唱えている。
「……ところがどっこい」
聞こえないくらいの声で、ぼそっと私はつぶやいた。
「「「……」」」
体育館は静寂に包まれた。
「あの……リンゴ? これは……本当に、ですの?」
「ワタシも……少々信じがたいでス」
「僕も……まさか、僕より低いってのは……」
水晶球に目を向けていた三人が、それぞれ困惑に声を濁らせる。
「だから、私の体は素だと大したことないんだってば」
魔力測定機である水晶球は、私の魔力を『一〇一rj』と表示していた。これはかなり低い。
宮廷魔術師の魔力はおそらく九〇〇以上。確かめたことはないが、二〇〇〇を超える人物も居るだろうと推測している。
そこから下がって、在野の魔術師は五〇〇以上。ポチは五七四だったのでこのあたり。百人に一人くらいの魔力量。
さらに下がって、一般人は二〇〇以上。ニルは四三八だったのでこのあたり。ここに全体の九割の人が居る。
一〇〇前後というのは……悲しいかな、未だに私以外見たことがない。
放逐された身だけど、見捨てられるには見捨てられるだけの理由があるのだ。
「で、でも! リンゴは見たこともないような大魔法を何発も連続していたんですよ!?」
「僕も信じられんねぇ。リンゴさん、これ壊れてんじゃないっすか?」
む。
「失礼だね、ポチ。私が作ったものがそう簡単に壊れるわけないじゃないか」
元日本人の誇りにかけて頑丈で壊れにくい測定機を――
「『作った』ですの!?」
ニルにがっしり肩を掴まれててててて
「リンゴが! これの! 開発者だったんですの!?」
「ニニニ、ニル、ゆ、揺すらないで揺すらないで揺すらないで」
中身出ちゃう中身出ちゃう。
「古代遺跡から出土した解析不能の魔道具ではないんですわよね!?」
「う、うん。完全無欠に私のオリジナル。だから、作った当時の私の魔力値を『一〇〇rj』に定めたんだよ。魔力量の単位自体存在しなかったし」
この世界にアルファベットはないので読み飛ばされるけど。もちろん『rj』は『リンゴ・ジュース』の略です。
「ああん、さすがわたくしのリンゴですわ。凄い、可愛い、格好良い!」
んぎゅーっと抱き締められる。
「おい、姫さん! 誰のリンゴさんだって!?」
「少なくともポチさんの、ではありませんわね」
いつもの二人が対決する間に抜け出す。うーん、頭がくらくらする。
「ワタシは、古代遺跡から出土シた解析不能の魔道具と聞いて購入シまシたのに……高かったでスのに……」
アナーク学園長が凹んで地面に『の』の字をたくさん書いていた。
みんなフリーダム過ぎる。
「しかし、ハゲさんのところから盗まれて、どこに行ったかと思ったらこんなところにあったんだねぇ」
なくなったのは八年前。ハゲさんの家に賊が侵入し、貸していた魔力測定機ごと金目の物をごっそり盗まれた事件があった。
幸い、捕縛した犯人に政治や思想的な背景はなく、単なる泥棒だったのでそれ以上の事件は起きず一件落着となった。
が、盗み出されたものは逃亡中にことごとく売り払われてしまい、行方不明に。結局ハゲさんの手元に戻ったのは半分程度しかなかったのである。
そうしてなくなった魔力測定機と予期せぬ場所で再開。しかも、現役で使われている。製作者としてちょっと感慨深い。
「アナーク学園長、これの買い戻しはできますか? 購入時の三倍額出しますけど」
「『学園』とシては、未知の技術の塊なのでいくら積まれてもお売りシたくないところでスが……先ほど『アスミニア王家からの要請でもリンゴサんを優先スる』と誓ったばかりでス。否とはとても言えまセんね」
おや、即答。
「ただ、リンゴサん。許サれるのであれば、入学試験の期間中だけでも貸シ出シてもらえまセんか? ようやくまとまった数のデータが揃ってきたところでスので……」
魔力測定機自体は以前からある。
ただ、それは魔力に反応する石を握って、その色の変化でなんとなーく判断するというぼんやりした方法。石によって反応が異なるため、測定精度も悪いと来ている。
こうして相対的ではない絶対的なデータが得られれば、それだけでも魔法において他国を一歩も二歩も先んじることができるだろうと思う。
「んーむ……」
少し悩む。
この魔道具の機能は本当に『魔力量を測定する』ことのみ。逆さにしてもそれ以上の結果なんて出て来ない安全な魔道具だ。
でも、それを成すための構造が、この世界の人間にとってオーバーテクノロジー。一個『気付き』を得るだけで下手をすれば百年単位で魔法学史の針が進む代物である。
誰かが死ぬ遠因にでもなればと思うと胸が悪くなる。というか、すでに悪い。想像したら気持ち悪くなってきた。
とはいえ、魔力量の大規模データは正直惜しい。
平民の栄達の助けにもなるだろうし、魔力が原因となる疾患の発見にも役立つだろうし、平和的な利用であればむしろ推進したいくらいである。
「じゃあ、ニルに貸そう」
「えにゅっ?」
ポチとの睨み合いからポチとの取っ組み合いにならんというところから、突然話題の中心に回されたニルが変な声を上げた。
「そして、ニルはアナーク学園長の望む通り、試験期間中だけ又貸しして構わない。要するに『魔力値データを集める分にはご自由に』『でも、魔道具自体の研究は不許可』だよ」
わざわざ王家を間に挟んでの貸し借りなのは、責任の所在を『アナーク学園長』や『学園』ではなく『アスミニア王国』にするためのこと。
「アナーク学園長。言うまでもないですが、万一のときの賠償請求はこれを売買した額面ではないです。確実に常軌を逸したことになるのでお忘れなく」
はっきりと脅しだが、これくらいは言っておかないと納得してくれません。私の胃腸が。オェー。
「もちろん、わたくしは構いませんわ。……ふふふ、リンゴグッズがまた増えますの♪」
「ワタシも構いまセん。魔法学の教授たちには睨まれソうでスが、上がらない成果に彼らも辟易シつつありまシたシ。ソれほど大きな反発はないでシょう」
よし、円満にまとまった。
「なんてーか……めんどくせーなぁ」
「ポチの言う通りだよ。本当に面倒臭い」
まあ、長々話して何を決めたかといえば、『魔道具として研究するのはやめてね?』『はーい♪』だけなのだ。
「けど、これでもまだ簡単な方だよ」
ハゲさんが信用して手紙を出したアナーク学園長だから、製作者であると名乗り出たし、貸し出すことにしたのだ。そうじゃなければ、名乗り出ず、後で忍び込んで盗み出すし。
カンカン、と少し高い音で体育館がノックされた。
「どうゾ、お入りくだサい」
「失礼します。アスミニア王城よりまかりこしました名も無き伝令者にございます。ニルウィ・ラ・エルス・アスミニア様、リンゴ・ジュース様、ポートランド・ド・ゲルモンド様は居られますか?」
戸を開いて姿を見せた伝令者は、落ち着いた仕草で三歩進んで膝を突く。名を名乗らないことも含めて、この国での礼儀作法としては実に正しい。
「伝令ご苦労。わたくしはニルウィ・ラ・エルス・アスミニア。こちらの二人がリンゴ・ジュースとポートランド・ド・ゲルモンドよ。顔を上げて伝令を聞かせてちょうだい」
返事をするのはこの場の最上位者であるニル一人。これもまた礼儀だ。
許可を得た伝令者は伏せていた顔を上げ、そのままの姿勢で口を開く。
「はい。アスミニア王国第二王女、ミリー・ラ・エルス・アスミニアよりお三方を本日の晩餐にお誘いしたい旨お伝えに上がりました」