1.男について語りました
私は外見年齢相応の屈託のない明るい笑顔でご挨拶します。
「ゲルモンド家第二子、リンゴ・ド・ゲルモンドです。亜似偽未ともどもよろしくお願いいたします。さあ、ご挨拶して、汚似異ちゃん♪」
「リンゴさん、僕が悪かったっすからやめてください……」
「ふふふ、何を言ってるのかな? 私は貴様の望む通りの呼称を使っているだけだよ? ほら、先生方に挨拶を。もしくはそのまま果てよ♪」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
ははは。安い土下座よのう。ぐりぐり。
「あ、あの、リンゴ? わ、わたくしは普段通りの呼び名で構いませんから……」
「そうかい。そう言ってくれると助かるよ、ニル」
職員室である。
私とポチが『学園』への入学を決めたといっても、そのまま試験もなしにフリーパスとは行かない。『学園』は未来のエリート養成所であり、また中等教育と高等教育を本分とした教育機関――平たくいえば、中学高校大学一貫校――だからである。
なお、初等教育は行っていない。『学園』は義務教育やら国民皆学やらを目指して作られた貧乏人にお優しい希望の塔などではなく、あくまでも国力の維持増強を最低限の労力で賄うことを命題とされた国家戦略機関なので、自力で初等教育を満了できない者にまで手を差し伸べたりはしないのである。
そんなわけで、入学試験です。一斉入試じゃないけど問題は一緒。その辺は割とゆるい。きっと不正入試もあるんだろうなぁ。
「リンゴ、頑張って! ポチさんは落ちても構いませんわ」
「まあ、受かってくるよ」
「ぐおぉおお、ここまで来て負けるもんか!」
ちなみに、ニルはガーナ市を訪れる以前に合格している。私だけが合格すると、ポチの居ない学舎で私とニルが一緒に学校生活とわかってポチは燃えているようで。
さて、実際の試験である。
現代文、数学、歴史学、宗教学の四教科の筆記試験。それらに加えて、体力測定と魔力測定がある。
名前が同じものもあるが、日本の入学試験とは少々趣が異なる。
まず、現代文。
アスミニア王国で標準語として使われているのは『北部語』である。私がニルやポチと話しているのもこの言葉だ。
『北部語』は大陸北部の十数カ国が標準語としている一般的な言語である。周辺国が使う他の言語も『北部語』と似た部分が多いため、この地域一帯の多国語話者は意外に多い。
そんな『北部語』試験だが、内容は『手紙を読んで、その返事を書く』である。
時節の挨拶や敬語を間違わず、教養を必要とする隠喩を読み解き、相手との立場の違いも念頭に置いて、流麗な字で書く。文字の綺麗さも採点範囲だ。
「さらさらさらっと」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
次は数学。
この世界に生まれてから初めて私が神に感謝したのが、アスミニア王国が主に十進法を採用していることである。
まかり間違って十二進法や六十進法が当たり前の世界なんぞに転生していようものなら、どれほど苦労したことか……本当に、この世界の人間も手指の本数が十で良かった。
試験は、四則演算に図形の基礎知識、鶴亀算等の代数を用いなくとも解けるものであった。
「さらりんぱっと」
「ぐ、ぐがが……」
その次は歴史学。
アスミニア王国史と周辺世界史となる。
歴代のアスミニア王の偉業とアスミニア王国戦争史が中心で、現在のアスミニア王国に隣接する周辺国の概要も問われた。
あと、現アスミニア王以下王族の似顔絵から名前を答えるものもあった。ニルも居た。ヒゲ描きたい欲求には耐え切った。
「ヒゲ……ヒゲ……」
「ぐ、ぁ……」
ここで一旦小休止。
試験を受けないニルは学園長と護衛に連れられて帰城している。近くに居たらヒゲ描くのに。
休憩明けに宗教学。
まあ、これはいちいちうるさい小坊主どもを黙らせるための試験らしいので、毎年内容は同じ。いくつか聖句を書いたらそれでおしまいである。丸暗記科目。教会が認めたくない革新的なことを発表して睨まれたくない私は、聖句も教典もちゃんと覚えている。
「さーらさら」
「……」
「間に合いましたかしらっ!?」
と、ニルは『学園』の体育館に飛び込んでくるなり目を走らせ、何かを確認して、ほっと息を吐いた。
「ニル、戻ってきたの?」
夕方。ニルが王城へ向かってからまだ五時間ほど。まさかこんなに早く再会できるとは思っていなかったので少々驚いた。
「当然ですわっ! これから『不老魔術師リンゴ』の能力の一端が見られるというのに、その場に居ないなんてわたくしには耐えられませんのっ!」
「能力の一端が見られるって……」
「測定ですわ測定! 体力測定と魔力測定。ああっ、どれほどの結果が見られるのか楽しみでなりませんわ!」
両手を祈るように組んで恍惚とした表情で天を仰ぐニル。うーむ、ファンって凄い。
「というか、私は、王城での報告に一日や二日拘束されると思ってたよ」
ニルは政治上の理由で伯爵領へ遣わされたお姫様である。たとえニルにとって建前のつもりでも、そういうことになっている。
行楽ではないので完遂の報告を上位者にしなければならないし、それよりも暗殺騒ぎがあったことは本人からの聞き取りを必要とする部分も多いはずなのだ。
「わたくしもそう思い、諦めていたのですが、リンゴのことを自慢……もとい報告したところ姉上たちが認めてくださいましたの」
自慢って言ったよ、この人。
「何を話したかわからないけど……まあ、暗殺者でもなんでも来たならば私はニルを守るよ。ご期待には沿いましょう」
「はいっ! お願いしますわ♪」
ニルは抱き着いて頬をすりすりしてくる。うーん、なんていうかお高い血統書付きのネコに懐かれている気分です。気持ち良いからいいけど。
「ところで……あの変な雰囲気は何ですの?」
「何って言われてもなぁ」
その視線の先では、
「好成績出さなきゃ好成績出さなきゃ好成績出さなきゃ……出さねぇとリンゴさんが、姫さんの毒牙にかかって……う、うわぁあああ」
崖っぷちの自覚があるらしいポチが苦悶していた。
自業自得だから同情はしないけれど、こんなところで躓かれても保護者代理として困る。
「ポチー、ポチポチポーチ」
おいでおいで、と私はぱたぱた手を振る。
「リンゴさん……何か御用っすか……?」
足取り重く、幽鬼がごとく虚ろな目をしている。これではダメだろう。
「ポチが緊張しているみたいだから、ちょっとね」
「大丈夫っすよ……僕は、本番に強いタイプっすから……」
「うん。消え入りそうな声でも強がるところは評価しよう。――でも、死にそうな顔で戦いに挑むのは評価しない。戦場でそんな顔してるやつが居たら、私は殴って引っ張り倒して後送するよ」
ぴた、とポチの動きが止まり、私の目を見る。
「なぜ、私がそんなことをするか、わかるかい?」
「……戦場に出しても死ぬとわかるから、っすか?」
私は首を横に振る。
「二人に一人はパニックを起こして味方の邪魔になるからだよ」
ごくり、とポチのノドが鳴り、目に少しばかり力が戻る。
「いいかい、ポチ? 男ってのは口先だけ強がってもダメなんだ。それは格好悪い。頭の先から足の先まで強がり通さないと格好良くはならないんだよ。意地は、張り通して初めて意地なんだ」
ポチの背が伸び、顔が引き締まる。
「意地を張るというのはね、男の『特権』だよ。女は、意地を張ったところで心配されておしまいなんだ。どれだけ強かろうと、どれだけ役立とうと、そんな理屈なんてゴミのようにして意地を張った男が守ろうとする。女は詰まらないよ」
ハゲさんの手紙を忘れたとは言わせない。私はハゲさんに守られてしまったのだから。
「ポチ。こんな見てくれでも私はポチの保護者のつもりだからね。これを尋ねる権利はあると思うんだ。聞いていいかい?」
「はい、リンゴさん!」
ポチの足がしっかと体育館の床を踏み締め、五体に気合がみなぎった。
「――心配してあげようか?」
「――絶っ対に嫌ですっ!」
ポチは、私の目を真っ直ぐに見て、迷いなく声を張った。
「よし、頑張れ男の子!」
「押忍!」
ばしん、と背中を叩いて、私はポチを測定に送り出す。
君はお莫迦だが、その一点だけは他の誰より理解している。ハゲさんより良い男になるかと言われると疑問だけど、可能性はあるよ。
あーあ、ホント羨ましいなぁ。男の子。
「か……格好良いですわ……」
はたと気付けば、目の前には目をきらきらさせたニルが。
「リンゴ格好良いですわ格好良いですわ格好良いですわっ!」
「んぎゅっ」
抱き寄せられ、胸の谷間に挟まれた。そのまま、ぐるんぐるん振り回される。落ちない。凄い。
「ああん、もう、どうして! どうしてこんなにリンゴは格好良いんですの! 格好良いんですの! 格好良いんですの! 格好良いんで、うぁぷ! ……は、はら?」
「もが。え、ちょ、鼻血っ!?」
興奮しすぎたニルの鼻から血がぼたぼた。
「り、リンゴがあまひに格好良ひゅぎて……」
「いいから、しゃべらないで上向いて。あああ、ハンカチハンカチ。はい、清潔だからそのまま鼻に当てて」
すぐ降ろしてもらって応急処置。
「お手数かけまひゅわ……」
「うーん……。困ったな、なかなか血が止まらない。寝かせた方がいいか……。ニル、ひざ枕するけど体を寝せることはできる?」
「リンゴのひじゃまくりゃっ!?」
ぷっひゅーっと血が噴き出た。
「わぁあああああああ!?」
「は、はれぇ?」
医務室、医務室、医務室ぅ!
「――やったよ、リンゴさん! 僕、男の意地を見せてき……あれ? リンゴさん? リンゴさーん? ……リンゴさんはどこにー?」