2.リン はミ に ました
私は 諦めなければいいのだろうか?
私がフリフリしていた。
「あ、あの……ニル? これは何かな?」
孤児院の私の研究室。およそ四日ぶりの睡眠――というか気絶――から目覚めてみれば、私の服が物凄くフリルだらけでリボンだらけで少女趣味な意味合いで可愛らしいものになっていたのだ。
「昨晩のリンゴは素敵でしたわぁ♪」
「いやいやいやいやいや」
頬染めてくねくねされても何もしてませんよ、私は。
「と、わたくしの小粋な冗談はさておいて、それはリンゴへのプレゼントですの」
フリフリフリフリしてしまった己が身を見て、ニルを防御魔法の接触制限から解除していたことをちょっと後悔した。
「いやその、ニル? 私、こういう服を着せられるのは――」
「一緒にお出かけしたいのですわ♪」
そうと言うニルは、市中に紛れるやや地味な平服に着替えていた。
「え、あ……そっか、私が引きこもってたからニルもろくに外出できなかったんだ……」
うっかりしていた。
ニルの予告状の件は解決されていない。私という護衛なしに表を長時間歩きまわることを王宮は好ましく思わない。
魔法による安全対策は講じたけれど、細かいところまで気が回っていなかった。
「わたくしも窮屈でしたけれど、リンゴも根を詰めすぎてそろそろ効率が悪くなっているのではないかしら?」
「それは……確かにそうだけど……」
何時間か寝てしまった分のロスを取り返したいという焦りも大きい。
「リンゴのやろうとしていることは、まだ時間がかかるのではなくて? 長期戦なら適度に休むことも必要と思わないかしら?」
「……」
ニルが言うこともまた事実。
遮二無二取り組んで来たけれども、落ち着いて考えてみればこんなやり方は体を酷使するばかりで効率はまるで良くない。一日二日で終わるものでもないのだし、ミケに打ち明けて時間がかかることを伝える必要もあるのではないだろうか……。
「そう……しよう、かな?」
答えると、ニルは笑顔をさらに明るくして私にぎゅっと抱き着いた。
「ありがとうですわ、リンゴ」
「お、お礼を言われることじゃないよ。ニルこそ気遣ってくれてありがとう」
焦燥感がなくなったわけではないけれど、少し心に余裕が戻ってきた。
そうだ。私はミケのためにこんなところで倒れるわけにはいかない。うん、一休みすべきだ。一休みしよう。
「うん、ニル。表に行こうか。ああ……でも、着替えさせて」
「えー、ですわ」
「ニルに比べて私だけが目立つっていうかさすがにこの格好は恥ずかしいです」
「よく似合っていますわよ?」
「やめてください、心が折れてしまいます」
生まれたての仔鹿よりも不安定な気分です。勘弁して。
「むぅ……諦めますわ。あ、それからポチさんはリンゴから逃げるように外出しましたの」
「じゃあ、ミケを誘って表に行こうか」
ミケも引きこもっていたら体に良くないし、せっかくだから一緒に表へ
「――え、居ませんわよ?」
……。
「ごめん、ニル。もう一回言ってくれるかな?」
ああ困った困った。ちょっと疲れすぎたみたいだ。耳がおかしくなったのかな。変な言葉が聞こえたような気がするよ。気のせいだよね。気のせいさ。気のせい気のせい。あっはっは。
「ですから、ミケさんは外出したんですわ」
外出――がいしゅつ。外にでること。よそに出かけること。
「ほんぎゃああああああああああああああああああああ!? お、お、お、追いかけなきゃ追いかけなきゃ追いかけなきゃ!?」
「行き先ならわたくしが把握していますわ」
「よし行こうすぐ行こうたちどころに行こう!」
「わーすーれーてーたーぁー」
あああああ、とフリフリした服を着替え忘れて飛び出してきてしまった私は、服を腕で覆ってしゃがみ込む。
「わたくしが誘導したわけでもないのに、こ、こんなことになるなんて……すばらしいですわぁ!」
「そこ、喜ばないの」
王都の商店街である。
多くの店で給与が出る月末が過ぎたばかりの昼間ということもあって、売り手も買い手もわんさと押し寄せかなりのにぎわいを見せていた。
そして、そこに肘の先までしかない右腕に買い物カゴを通したミケが居た。
「ううぅ……ねえ、ニル? ミケに合流しよう?」
「まだ、わたくしはもうしばらく見守りたいですわ」
私とニルは建物の影に隠れて、こそこそとミケの行動を追っている。
「でも、ミケが危ないかもしれないし……」
「あら? ミケさんにはリンゴが万全を期して魔法をかけているのではなくて?」
「それは……そうだけど……」
私はミケに十分なだけの魔法をかけている。もしミケに許可のない他人が周囲に近寄れば即座に防御魔法が発動する。もちろん弓矢や毒物などにも対応するようにしてある。
それだけの守りを付けている以上、私がそばに居ても居なくても安全面では大差がないといえば大差がない。
「う゛ー……でもぉ……でもぉ……」
「リンゴ、そんなに前に出るとその服が人に見付かりますわよ?」
「ぴえっ!?」
ばびゅっと私はゴミ箱の陰に隠れる。
「あぅう……着替えてくれば良かったぁ……慌てすぎたぁ……すっごい後悔してるぅ……」
「はぁん……リンゴが可愛いですわぁ……♪」
「そこ、だから喜ばないのっ」
着替えてくれば良かった。本当に着替えてくれば良かった。
『んー、鮮度が悪ぃーです。この値段じゃ買えねーですよ』
「よし、音とれた」
若干聞き取りづらいが、魔法でミケの声を拾うことに成功。
『いやぁ、ミーシェのお嬢ちゃん。これ、今朝一番に仕入れたばかりの採れたてだぜ?』
『そーです。このにおいは採れたてで間違いねーです』
『なら、この値段で!』
『ちっちっち、あめーですよ。コイツぁー直射日光浴びせちまったのを買い叩いたやつにちげーねーです』
『なっ、なぜそれを!?』
『においをごまかそーと後から土付けるのは悪くねー手ですが、付けすぎです。こんだけにおいがすりゃー怪しーってのは『ネコミミ』じゃねーでもわかるですよ』
『うっ!?』
『ふふん、まだまだ若ぇです。てーわけで、若旦那。半値で全部もらうです』
『み、ミーシェのお嬢ちゃん、も、もうちょっと慈悲を……慈悲をぉ……』
『慈悲でメシは食えねーです。でも、代わりにもうちっと買って行ってやるです』
『おおぉ、ミーシェのお嬢ちゃん!』
『こっちの泥付きも同じごまかし方ぁしたーですね? これも半値でもらってくです』
『うぎゃああああ!?』
……。
「あ、ミケさんが八百屋の若旦那を泣かせましたわ! 凄いですわ!」
「うわぁ」
なんてタフな交渉してんの、ミケ。
『おーう、ミーシェ嬢じゃねーの』
『おう、です。相変わらず声でけーですよ』
『はっは、スマンスマン。ケガの具合はどーでい?』
『リンゴ姉さんが治してくれたーです。悪ぃーわけがねーです』
『たはは、いやはやすげぇ話だ。腕なくしたってぇ聞いたときはぶったまげたが、二週間で買い物に来たのにゃあ、もっと驚いたぜ』
『なら、驚きついでに負けろです』
『げっ、そう来るかぁ……』
『スラム育ちなら不具くれーいくらでも見るです。あたしらは、つえー生き物です』
『ははっ、それもそうだな。よっし、こっちの肉なら半値に負ける! 大サービスでぇい!』
『んじゃ、これを買うです』
『……ミーシェ嬢、俺はその肉を含めなかったつもりなんだが?』
『うめー肉よこせーです』
『聞いてよ!?』
……。
「あっ、ついにあのお肉を半値で売らせましたわ!」
「おまけまで付けさせてるし……」
ミケ、強い。
『ふはは! やはり我のところにも現れたか、小娘ミーシェよ!』
『おっす、です。相変わらず客商売の態度じゃねーですよ』
『くくく……我は半端な商売などしておらぬわ! 値段と鮮度に文句があるならよそに行けば良い!』
『そこにゃー文句がねーです』
『うむ。よくぞ言った、小娘ミーシェ。褒美として――』
『これとこれとこれを半値に負けるです』
『……小娘ミーシェよ。我は良心的な商売を心がけておるつもりだ』
『半値に負けるです』
『ゆえに、これらを半値にすると原価を割り込んでしまうのだが……』
『負けるです』
『……』
『……』
『小娘ぇミーシェぇええええええええええ!』
『負けろぉですぅううううううううううう!』
……。
「ああっ! 店主が満足しきった顔で崩れ落ちましたわ!」
「なんで崩れ落ちたの!?」
どちらも暴力は振るっていない。
その後もミケは商店街の店主らをばったばったと値切り倒し、二時間もするころには買い物カゴが一杯になっていた。
その間、ミケがケガをしそうになったり不便さに困り果てる姿は見られなかった。
昼間の大通りを選んでいたからなのかもしれないが、それにしても私が危惧するほどの治安の悪さはないように感じられた。むしろ、積極的にミケを助けようとする人の姿が多く見られたことにいささか驚かされた。
「……」
「ほら、リンゴ。ミケさんが移動しますわよ?」
「うん……今行くよ」
ここで勘付かないほどにはボケちゃいない。おそらく、このミケの買物を見守る流れは作られたものだ。
ただ、意図がよくわからない。
『ひとりで表に出ても平気』なアピールなのだろうか?
私はミケを縛り付ける気はない。安全だとわかれば――それでも心配ではあるが――外出を禁止するつもりもないし、そのような権利も持っていない。ミケは自由だ。
どうもしっくりこないものを感じながら、私はニルに連れられてミケを追う。
向かう先は、孤児院だった。
「あー、お邪魔しまーす」
「お邪魔しますわ」
「リンゴ姉さんは『ただいま』ってー言って欲しーですよ」
と、ぱたぱたやってきたミケはエプロン姿だった。
「ミケ……料理するの?」
「む。リンゴ姉さんだってーあたしの料理食ったことあるじゃねーですか」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
その状態で料理ができるのか、という意味だったんだけど。
「じゃ、じゃあ、私、何か手伝おうか?」
「要らねーです。お姫様、リンゴ姉さんを席に着かせて欲しーです」
「ええ。さ、リンゴ。料理ができるのを待ちますわよ」
ニルに手を引かれ、テーブルに向かうとお子様たちと、あとポチがすでに着席していた。
「……なんでポチは私の顔を見るなり目をそらすの?」
「べ、べべ、別に僕はそらしてないっすよ?」
はて。怪しい反応だけれども、思い当たるフシがない。
「ふむぅ?」
「そ、それより、リンゴさん。メシっすよ! ミケ姉のメシっす! うまいかなー、早くできないかなー?」
「ポチはもうちょっとごまかし方を覚えようね」
「――っ!?」
いや、そんな『莫迦な!? なぜわかった!?』みたいな顔されても。バレバレどころの騒ぎじゃなかったし。
「リンゴ姉さん。何、ポチ公で遊んでるーです?」
料理を終えたのか、ひょっこりミケが顔を出す。
「あ、配膳手伝うよ」
「いーですいーです。どーにでもなるです」
ふいふい、と手のない右腕を振って、ミケは台所へ戻っていった。
どうするのかと思ったら、寸胴鍋ごとカートに乗せて押してきた。
「このカートは?」
「ポチ公に手配させたです。他にもいくつか、リンゴ姉さんがウチに居ない間に補助できるもん増やしたです」
と、肩と肘で引っかけて使えるおタマをミケは見せてくれた。
「さあ、冷めねーうちに食って欲しーです」
出されたのはミケの好物。その名も『カレーもどき』。
私にはスパイスの問題で完全再現ができなかったカレーを、ミケが醤油ベースで作り上げてしまったカレーのようでカレーとは大分違うでもカレーのような雰囲気がないでもない料理、『カレーもどき』である。
「あっ、私が前に食べたときよりおいしい……」
「ふふん、です。いー肉使ったってーのもあるですが、ソース作りに酒を使うことを覚えたーです。味の深みが全然ちげーですよ」
「へぇー、こんなに変わるんだぁ」
うん。ご飯と一緒に口に運ぶと肉と野菜の旨味がたっぷりで、すぐに次の一口を運びたくなる。
「んめーっす。んめーっす!」
「食べ慣れない料理ですけれど、とてもおいしいですわ」
ポチもニルもお子様たちも、うまいうまいと大合唱。
寸胴鍋はあっという間に空になった。
「チビどもも腹一杯になったみてーですし、片付けるです」
「あ、ミケ。手伝うよ」
「要らねーですよ?」
と、ミケはひょいひょいと器用に食器を溜め置きの水で洗っていく。
本当に補助は必要そうになかった。
「じゃ、じゃあ、せめて食器を仕舞うくらいは!」
「それも要らねーです。あたしでもできるよーに食器棚変えてもらったーです」
足踏みペダルで扉が開く食器棚に、ミケは難なく洗い終えた食器を並べていく。
「そ、そうなんだ……」
私は複雑な気持ちで視線を少し落とした。
ミケは私を責めているわけではない。
それはこの二週間で理解したけれども、何もできないことに感じる言いようのない居心地の悪さはどうしようもない。
何かできることはないかと私はきょろきょろとあたりを見渡す。
「んー。リンゴ姉さんはあたしを手伝ってーくれるです?」
「う、うん! 何でもやるよ!」
「じゃー、ひとつお願いするです」
ぽん、とタオルを渡された。
「あーぅーあーぅー……」
どうしてこうなった。どーしてこーなった。
「リンゴ姉さん。何、あうあう言ってるです?」
くるん、と私の目の前をふさふさしたものが踊る。とても触りたい。もとい、ミケの尻尾だ。
そして、そこから視線を周りにやると――
「? リンゴ姉さん、早く洗ってくれねーですか?」
ミケのつるつるとした白い肌が惜しげもなく全部さらされていた。
活動的なミケの体は、筋肉で細く絞られ無駄のない中に女性らしいしなやかさがあり、胸の薄さも含めてモデルのような美しさがある。
今となっては同性で、生理も来る前の体だというのに、その姿にはどきどきさせられるものがあった。
「せ、背中流しまーす」
お湯の風呂である。
『お湯の』と加えたのは、この世界ではなかなかお目にかかれない代物だからだ。
大陸南部には火山地帯があり、そのあたりまで行けば温泉入浴文化もあるのだが、アスミニア王国では王侯貴族でもなければ水とサウナが主。……ちょっと時代を遡ると、大陸北部では『汚れは服が吸うから体なんてあまり洗わなくても平気だろ』文化が全盛だったというから恐ろしい。
ともかく、そんな魔法の恩恵で湯気立つお風呂に、私はミケの背中を流しにやってきてしまった。
「んっ……リンゴ姉さん、ちっとくすぐってーです。強めで平気です」
「う、うん。強めね強め」
そんなこと言われたって、こんなきれいなの傷つけたらたまんないよ!
「あー……気持ちいーです」
「それは良かった」
くるん、とミケの尻尾が機嫌良さそうに動いた。やばい可愛い鼻血出そう。私はニルか。
もう無心で洗おう。ごしごしごし。
「あたしは、リンゴ姉さんに背中を預けられるです」
ごし……
「リンゴ姉さんは、あたしが嫌がることするですか?」
くり、と首をこちらへ向いてミケは問うた。
「しない。しないよ」
「ここに居るのが、リンゴ姉さんじゃなくてチビどもやお姫様、ポチ公――は危ねーですけど、まあ、あたしが真っ裸でも何にもしねーですよね?」
「うん」
悪い意味で『男の子』して暴走するかもしれないポチはともかく、彼女たちがミケに危害を加えるなんて思わない。
「買い物中、あたしは店主どもに値切りを吹っかけたーです」
「うん……」
半値半値と結構無理を言っていた気もする。
「でも、やっぱりやつら、あたしに何もしねーでした」
値切りには困った顔を見せていたけれども、誰もが最後には笑ってミケを送り出していた。
「リンゴ姉さんが言った通りです」
「私が……?」
何を?
店主たちなんて顔も性格も全然知らない。いつでも飛び出せるよう私は身構えていたのに。
「言ったじゃねーですか。『ミケは苦しんでも幸せになるための権利を手放さなかった。『学園』なんて凄い場所でメイドの仕事を得られたのは、ミケがそうあり続けて一所懸命に信用を積み上げたからだ』って」
ニルたちを連れて孤児院まで来たときの私の言葉。
「――あたしは、ちゃーんと信用積み上げて来たから、やつらに信頼されてんです♪ 無防備でも腕がなくても、やつらはあたしの嫌がることはなーんもしねーですよ♪」
「あっ」
店主らは皆、腕を失ったミケに態度を変えることはなく、またミケもそれを当然といった顔で受け止めていた。
「あたしはやつらを信用してんです。やつらもあたしを信用してんです。腕なんか関係ねーです」
ミケは穏やかな笑顔をして、私と正対する。
「――あたしはリンゴ姉さんを信用してんです。あたしに危害を加えたりしねーって、腕がなくても、腕があったときでも、その気持ちは一瞬足りとも揺らいでねーです。悪ぃーのはあの小男です」
ぽふ、とミケは前かがみに私の胸に頭を当てて。
「――リンゴ姉さん、助けてくれてありがとです」
腕を回し、抱き締めたのは私だったのに。
私はミケに抱き締めてもらったと思った。
たくさんたくさんたくさん泣いて、その間ずっとミケは「ありがと」を言い続けてくれた。
だから、私は涙を拭ってこう答えた。「ごめん」じゃなくてこう答えた。
「――どういたしまして」
私は、信頼に応えたい。




