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ミケの一日

「ひゅー……ひゅー……」

 薄い呼吸音の中、あたしは目を覚ました。

 部屋は上からぶち抜かれ、天の光が差し込んでいた。

 その光の中心はおびただしい量の紅で染められていて、そこで膝を突き、二度三度と嘔吐を繰り返しながら、ぐちゃぐちゃになってあたしの方にやってくる女の子が居た。

「ひゅー……ひゅー……」

 やっぱり、来てくれた。

 チビどもは走ってあたしのそばに寄り、何事か叫んでいる。

 あたしの視界は半分ないし意識も途切れ途切れだけれども、チビどもはちゃんと元気だった。

 あたしは、すべきことをやり遂げた。

「ひゅー……ひゅー……」

 チビどもの頭を撫でてやろうと手を伸ばそうとして、その手が両方ともすでに失われていたことを思い出し、情けなくなる。

 せめて笑ってやろうとして、顔が面白いくらい膨れ上がっていることを思い出し、悲しくなる。

 叫び続けて完全に枯れたノドはちっともいうことを聞かないし、足で文字を書くなんて芸当もできそうにない。

「ひゅー……」

 チビども以上に顔を真っ青にして、涙をぼろぼろこぼしながら、必死に歯を食いしばって、血の海を這うようにして学生服姿の女の子があたしの前まで来てくれた。

 何も伝えられないから、せめてあたしは胸を張った。


 ――どーです? あたしにしちゃー大したもんじゃねーですか?


 優先順位は間違えなかったし、最後まで演じきってみせた。

 チビどもが報われる機会は奪わせなかった。

 傷ひとつ付けずに守りきれたはずだ。

 だから、もう一度だけ褒めて欲しい。

『よく頑張ったね』って撫でて欲しい。

 力いっぱい抱き締めて欲しい。

 いつも通りに笑って欲しい。

 そうしてくれたら嬉しい。

 あたしの人生は幸せだ。


 あたしは





























 あたしは、()()に目を覚ました。

「ふぁあ……」

「あっ……ミケ、起こしちゃった……?」

 あたしのあくびに申し訳なさそうに反応して、あたしのベッドの横で小さくなる。

「ご、ごめんね。本当にごめんね。す、すぐ出て行くから」

 あたしの額に置いていた濡れた手ぬぐいだけを取り替えて、ぺこぺこと二度も三度も頭を下げて、バケツを持って早く去ろうとする。

「あー、あたし、寝飽きたーだけです。別に起こされたわけじゃねーですよ」

「そ、そう? あ、じゃ、じゃあ、ご飯作る? 何が食べたい? おかゆ? おじや? パンを浸したスープ? ま、まだ重いものは早いと思うから、消化の良いものにした方が安全だと思うけれど、た、食べたいなら。うん。な、なんでも。なんでも用意するから教えて。ね?」

 おたおたと、慌て慌ててあたしを気遣う……いや、あたしの顔色を伺う。

「それじゃー、あたしはおかゆが食べてーです」

「うんうんうん! す、すぐ作るから。五分だけ。さ、三分だけ待って。ごめんね」

 ぶんぶん首を縦に振って、バケツをひっくり返さん勢いで走り出そうとするのを、あたしは留める。

「あー……済まねーですけど、トイレに連れてってもらいてーです」

「あっ! え、あ、ご、ごめんね。そ、そうだよね。寝起きだよね。と、トイレ行くよね。ごめん。ごめんなさい」

 バケツを捨てるようにその場に置いて、ベッドに横たわるあたしにかかっていた布団をそっとめくる。

 腕がなかった。

 右は肘と手首の中間から先が。左はかろうじて肩を残してその先が。

 傷口になっていた部分はすっかり癒えて、出血もなければ痛みもない。

 その他にも打撲や骨折などは多数あったが、その大体がすでに痕跡を消していた。

 未だに体力は戻らないけれども、ほぼ完治したのではないだろうかと思っている。

「えと、か、肩、貸すね? いいかな?」

「お願いするです」

「うん。い、痛かったら言ってね? すぐだよ? すぐにだからね?」

「わかってるですよ」

 そうっとそうっと、もうまるで痛みのないあたしの右腕を自分の首にかけて、あたしが立ち上がるのを補助してくれた。

「痛くない? 痛くない? 大丈夫? 我慢しちゃダメだからね? 絶対我慢しちゃダメだからね?」

「だいじょーぶです。全然痛くねーです」

 トイレまでの短い道のりの間、あたしの代わりに痛みを受けているかのように、涙目で何度も何度も問う。その姿が、あたしにはつらい。

「ここまででいーです」

「だ、大丈夫? 手伝わなくて平気?」

「さすがに用足す姿は恥ずかしーですよ」

「あっ、ご、ごご、ごめん。ごめんね。ごめんなさい!」

 照れて顔を染めるのではなく、血の気を引かせて真っ青になって頭を下げられる。本当に気にしていないのに、そのことを伝えるのですら、何分もかかってしまう。

「そ、それじゃあ、私はごはんの用意をしてるけど……ちょ、ちょっとでも痛みを感じたり、何か違和感を覚えたりしたら、すぐ呼んでね? 絶対、すぐだからね!? 絶対絶対すぐにだからね!?」

「横着もしねーですし、手間を惜しんだりもしねーです。約束するです」

「う、うん……」

 心配そうに、目を首をあたしに向け、振り返り振り返り、落ち着かない様子で台所へと向かう()()を、あたしはどうしたらいいのだろうか。

「あっ。そ、そうだ。ミケ!」

 と、あたしが足元に新しく設けられた取っ手でトイレのドアを閉めかけたところで、彼女は大事なことを思い出したようにあたしを呼ぶ。

「何です?」

 びくっと、何気ないあたしの返事にまで身をすくめなられる。

「え、えっと……ミケ、お、おはよう……?」

 ただそれだけの言葉を、怯えるように言われることは本当に悲しい。

 あたしは何も気にしていない。

 あたしは何も後悔していない。

 あたしは一切失わなかった。

 あたしは全部を守りきれた。

 責める気持ちなんてカケラひとつない。

 一生このままであっても本気で構わないと思っている。

 だから、そんな顔をしないでください。

 だから、そんな目で見ないでください。

 あたしは元気です。あたしは心の底から満足しています。あなたが大好きなんです。どうかわかってください。どうか、以前と同じようにあたしに話しかけてください。それが願いです。それだけがあたしの願いです。

 あたしは目一杯目一杯、これでもかというくらいに目一杯明るく笑って応える。


「おはようです。――()()()()()()




 あの事件から、一週間が経った。

 あたしは三日間眠り続けていたそうだ。

 その間、リンゴ姉さんはありとあらゆる手を尽してあたしを生かそうとしてくれたらしい。

 使われた魔法薬は体中の血を数回入れ替えるくらいの量で、リンゴ姉さんは教えてくれないけれども原材料費だけでも小さな村の年収を上回るほどではないか、とお姫様は語った。

 ただ、そこまでしても腕は元に戻らなかった。

 リンゴ姉さんが言うには「自然治癒力を高めるやりかたでは四肢の欠損を回復することはできない」のだそうだ。

 お姫様が無理をいって連れてきたお城の典医も、リンゴ姉さんの治療に驚くばかりで「腕を生やすことなど百年経っても無理だ」と首を横に振った。

 でも、リンゴ姉さんは諦めていない。

「……ん」

「あっ。ミケ、ご、ご飯食べ終わった? ごめんね。す、すぐお茶淹れるから。あ、あったかい方が好きだよね? で、でも、冷たい方がいい?」

「慌てなくていーですよ。腹ごなしに少しぼーっとしててー気分ですから」

「そ、そう? ごめんね。ありがとう。ごめん」

 あたしに謝り、リンゴ姉さんは書きかけだったノートに猛烈な勢いで数式を連ねていく。

 あたしやポチ公はもちろん、お姫様すらもまったく意味がわからない高度な数学。リンゴ姉さんはこれを使ってあたしの腕を治すつもりらしい。

 方法はわからないが、リンゴ姉さんは大まじめに可能だと信じている。内容の一割も理解できなかったが、実績もあるのだと説明された。

 だけど、

「う……ん……」

 ふら、ふら、とリンゴ姉さんの筆の動きが緩慢になり、船を漕ぎ始める。

「リンゴ姉さん、寝た方がいーんじゃねーです?」

「あっ!? ……だ、大丈夫。ごめんね、うん。大丈夫だから」

 と、白いローブから魔法薬を三本取り出して、それを一気にあおった。

「ふぅ……うん。大丈夫」

「リンゴ姉さん、顔真っ白です。寝ねーといけねーですよ」

「ご、ごめん。もう少しだけ、もう少しだけ。ね? ごめん。待ってて、ほんのちょっとだけ」

 あたしが目を覚ましてから、リンゴ姉さんが休んだ姿を一度も見ていない。

 眠気覚ましだろう魔法薬の本数も、一本が二本に、二本が三本になっている。

 無理を続けていることは素人目にも明らかだった。

 何を言っても聞いてはくれないのは、目を覚ましてからの四日間でわかっている。今のは、声をかけずに寝てしまうのを待って寝床に運んでもらうべきだった。

「……」

 今度こそ失敗しないように、あたしは静かに静かにリンゴ姉さんが眠るのを待ち続けた。

 あたしの一日は、今日もこうして過ぎる。

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