2.孤児院で触られました
中央には王城がある。
王城の内外には王家直属部隊が配され、その周囲には城勤めの閣僚や高級官僚の宿舎がある。そういった詰め所や住居の向こうには貯水池や避難所があり、その先には第一街壁が見える。
第一街壁を越えると、ゆったりと広く土地を使った豪邸がいくつも並んでいる。その土地の余裕は第一街壁から遠くなるに連れて小さくなり、住居と住居の間が人ひとり通るにやっとな狭さになるころ第二街壁が現れる。
第二街壁の向こうは、すぐに倉庫群が建ち並んでいる。これらの倉庫は大店の商家のものであり、得意先は街壁の内側の人々。だから、第二街壁のそばに建てられている。特徴的な倉庫群を抜けると、ようやく一般的な住宅と商店が混雑する活気ある城下町が姿を伺わせる。
そして、第三街壁が、これらすべての市民の生活を守り城下を堅固に包み込むよう王都アスミニアは作られたのだ――
が、
街の拡大は止まらなかった。
第三街壁の外側を取り囲むように粗末な家々が林立し、土塁を下って堀を越えたその果てにさえも生活の場は広げられている。
彼ら『外側の人間』は民ではない民であり――その集落を『スラム』と呼ぶ。
「わたくしも、うわさには聞いていましたけれど……凄いですわね」
「ニル。あまり顔を出さないで」
「ええ、わかっていますわ。わたくしも、好奇心で命を落としたいとは思いませんの」
そう声を硬くし、ローブに顔を隠した。そんなニルに、
「――いやいや、姫さん。そこまで危険でもねぇから」
と、ポチの何気ないツッコミが入った。
「またポチさん、わたくしの夢を壊しに来たんですのぉおおおお!?」
「えええええっ!?」
「どうして! ポチさんは! いつも! わたくしの! 夢を! 夢を! 夢を!」
「ちょっ、リン、ゴさんっ、止め、て欲し、いっすぅー!」
ポチは襟首引っ掴まれてがっくんがっくん揺さぶられる。でも、きっと今回も学習しない。
「お姫様はあぶねー方が好きですか?」
よくわからない、という風に、今日は普段着のミケは小首を傾げる。
「ああいえ……失言でしたわ」
しゅん、と小さなくなってニルはスラムの民であるミケに謝る。
「? よくわかんねーですが、この辺であたしが変なのに絡まれたことはねーですよ?」
私はそっとニルの手を握って、大丈夫だよと微笑んでみせる。
「こほん。ミケさんはこの辺りをよく通ってらして?」
「です。あたしは、この道で『学園』と孤児院を往復してるです」
「その孤児院というのが……リンゴが出資していると聞くあの孤児院ですわね?」
「ですです。リンゴ姉さんが作ってくれたあたしらの家です♪」
と、ミケは屈託なく笑った。
財布の中身石まみれがっかり騒動からさらに数日。
心配事もなくなり元気になったミケは、持ち前の快活さを取り戻し、すっかりニルと打ち解けた。
そして、授業とミケの休みが都合良く重なった今日、ニルと私とおまけでポチは、ミケの招待を受けて孤児院へと足を運ぶこととなった……のだが。
「リンゴのお姉ちゃんリンゴのお姉ちゃんリンゴのお姉ちゃん」「絵が売れたよ売れるようになったよ」「聞いて聞いてシリカがシリカが」「……好き」「おやっさんとこで作った俺の最初の一振りもらってくれ」
「ぐえ」
孤児院に入るなり、わらわら現れたお子様ズに私は揉みくちゃにされていた。
「おめーら、うっせーです。お客様も来てるですよ」
「みけー、たすけてー」
へるぷみー。魔法使えば動けるけど、危ないし。
「あたしは、リンゴ姉さんの教え通りお客様にうめー粗茶を出すです」
「こっち優先してぇー」
じたばたしてる私を放ったらかしに、ミケは本当にお湯を沸かし始める。ひどい。
「い、いいんですの?」
「リンゴ姉さんが来りゃーいつだってあーなるです」
「リンゴさんだし、どうせ平気だろ」
おのれポチ、覚えてなさいな。
「リンゴのお姉ちゃん」
「すっごい絵描けたよ」
「シリカねシリカねー」
「……二度と帰さない」
「コイツを使ってくれ」
べったりくっつくチビたち。
「いやだから私は一人しか――きゃっ!? ちょ、ど、ど、ど、どこ触ってんのっ!?」
ぴた、と一瞬喧騒が止んで、
「あっ! ずるいずるい!」「だって、絵を見せたいよ!」「シリカもシリカの話聞いて欲しいー」「……触れるなら触りたい」「俺だって剣振って欲しいぜ!」「今、『きゃっ』て言ったっすよね、リンゴさん! 萌えるっす!」「どこですの!? どこを触ったらリンゴからそんな声を出させられるですの!?」
爆発したような騒ぎになった。
「うひゃっ!? だ、だだ、だから、触んないで――にゃっ!?」
魔法禁止なんて言ってられず、私は胸を隠して慌てて飛び退いた。
「あ、あのね、君たち、わ、私は一人しか居ないわけだから順番に――」
「じゃあ、部分でいい!」「目ちょうだい目、絵を見てー!」「耳取って耳耳ーシリカのシリカのお話聞いてー」「……おなか」「手さえあれば振れるよな!」「『にゃっ』て可愛いっす! おっぱい隠すリンゴさんたまんないっす! フォオオオ!」「ああもうたまりませんわ! お持ち帰りしますの! 撫で回しますの!」
「ふんぎゃー!?」
「「「「「ごめんなさい」」」」」
「そのまま、正座三十分!」
「な、なんで僕まで……」
「ポチよ。そのお莫迦な脳髄に刻み込め。私は『きゃっ』とか『にゃっ』とか叫んでない。叫んでない。叫んでないったら叫んでない。おぅけぇい?」
「で、でも、リンゴさんがうろたえるのが可愛かっただけっすから別に「ポチは物理的に記憶を改められる方をお望みか」僕、何も見てないっす! 覚えてないっす!」
よろしい。
「ニぃールぅー?」
「わ、わたくしは手は出してないですわよ?」
とりあえず、すべすべほっぺたを伸ばしておく。
「ほひゃー♪」
「ニル、なんか喜んでない?」
「|ひょひょほんへはいへふはよ《喜んでないですわよ》?」
と、言いながら目が楽しそう。
「まあいいか……ニル、早速騒がしくして悪いね」
「あら、もうおしまいですの? ……もとい、わたくしは構いませんけれど、本当によく懐かれているんですわね」
「うん。私、そんなに帰らないのに、どうしてなんだか……」
Mっぽい発言は記憶の隅に片付けて、ニルの疑問に私も同意する。
「あたしも含め、リンゴ姉さんはみんなの大恩人だからじゃねーですか?」
と、ミケがこぽこぽお茶を淹れて私とニルに出してくれた。
「恩ねぇ……私は大したことしてないと思うけど……」
「んなこたねーですよ」
視線を向けると、正座中のお子様たちも首よ飛んで行けとばかりにぶんぶんぶんぶん縦に振りたくっていた。
「んー……でも、本当に何もしてないよ? 私、お金は出しているけれど王都に住んでいるわけじゃないからあまり面倒見てないし」
「ちげーです。全然ちげーです。全然全然全然ちげーですよ」
はて、どういうことだろう。
「ミケさん。もしあなたが構わなければ、あなたが感じたリンゴへの恩を語ってはもらえないかしら?」
「お姫様、いーですよ。いー機会です、リンゴ姉さんも耳かっぽじって聞くです」
「――あたしらみてーな詰まんねーのに目を向けてくれた神様みてーな大恩人の話をするです」
ニルはリンゴさんに構ってもらえると幸せです。「ほひゃー♪」




