1.中身が明らかになりました
へこみけ。
そんな言葉が頭をよぎったけれど、日本語だから通じないので言わない。
アスミニア王国が使う『北部語』にもシャレに相当する言葉遊びは存在するのだが、日本語話者が私一人しか居ないのでこの気持ちは伝わらない。日本語で考えると面白い名前を見付けたときは笑いをこらえるのに苦労する。「君ら、大まじめな顔で何シモネタ連発してんの」とツッコミたくなったことも数知れず。この悔しさのやり場を提供していただきたい。
名前といえば、私の名前『リンゴ・ジュース』――まあ、もちろんのこと偽名だが――も日本語の読みで『リンゴ・ジュース』なので、『北部語』話者からすると「ちょっと変わった名前だね」と受け取られる。意味を説明したハゲさんからは「お前、も少し捻れ」とありがたいお言葉を頂戴したが。
それはさておき、
「……見付かんねーです」
授業と授業の合間の休憩時間。一週間前と同じ『学園』メイド姿のミケが、私の前で机に突っ伏して凹んでいた。
「あら、ミケさん。どうかしまして?」
「お、本当だ。ミケ姉じゃん」
と、その様子を目ざとく見付けたニルとポチがやってくる。
「お姫様、こんちはです。ポチ公は、歳上に対する挨拶くれー覚えろですよ」
ぺちん、とポチがミケにはたかれる。
アスミニア王国の礼法では、身分の上下にかかわらず歳上は敬われる。
とはいえ、それをそのまま厳格に適用しては使用人を扱いにくいので、貴族や雇用主は使用人の年齢を『聞かない』のが普通だ。知らなければ礼を失しても問題なし。形骸化している礼儀である。
「いいじゃんか、挨拶くらい。ミケ姉だってできてねぇしさ」
「あたしは、いーですよ。ポチ公と違ってお偉方と会うことなんてねーですから。でも、ポチ公は知らねーと恥かくです。覚えてんならちゃんと使えです」
さらにぺちぺちとはたかれるポチ。
「痛てて、わ、わかったって。やるから、やるから! 勘弁して欲しいっす」
「うし。じゃあ、やり直すです」
ポチは咳払いをひとつ、その場に跪いてミケの手を軽く取る。
「早晩に輝く明星がごとき極偏の白よ。西海の果てに在りしとうたわれる真なる紺碧よ。緑野の奥深に気高き神竜の守りし魂玉の紅よ。肌に瞳に唇に、その美しきを称えるに言の葉は足らず、造形を現すに天の彼方に座されるいと貴き方々の名を借りてもなされず。ミーシェ・シャル。どうかその|顔<、かんばせ》を寸刻の間、お向けいただきたい」
ポチは言い終えると同時に、ミケの手の甲に触れるだけのくちづけをする。
「お姫様。これは合ってるです?」
くりっと首だけ振り向いて、問うミケ。
「た、多分……合っていますわ、けれど……ど、どうしてポチさんが『長節美文』なんて覚えていますのっ!?」
今、ポチが用いた挨拶は、最も正しい礼法のひとつ。相手の外見や立場年齢で切り替えねばならず、さらに韻の踏み方も複雑かつ不規則変化が数十とあり、儀礼兵や儀礼官くらいしかまともに使えないとされる悪名高い極めて難しいものである。
「いや、姫さん。どうしてって言われても……リンゴさんに叩き込まれたからとしか」
音が出る勢いで私を見るニル。うん、気持ちはわかる。私だってこんな面倒臭いの使いこなせない。
「前にも言ったけど、ポチは記憶力は凄く良いんだよ。活用する気がまったくないだけで」
「ど……どれだけ才能の無駄遣いをしていますの……」
きょとんとした顔で目を瞬くポチ。もうそれでいいです、君は。
「ところでミケ、何の用事だったのかな?」
「あっ。そーです、ポチ公なんかに構ってる場合じゃねーです」
「ひどっ!?」
さりげなくないがしろにされるあたりはさすがポチである。
「リンゴ姉さん、どーしても見付かんねーですよ」
「何が?」
「――財布の持ち主、です」
見晴らしの良い、人気のない小高い丘がある。
丘、といっても『学園』の敷地内。実験や演習があるため、『学園』の敷地は広く、また緑も多く残しているのである。
ぽかぽかと春らしい陽気、風も強くなく小鳥がさえずる声の聞こえるのどかな昼休み。私とニルとポチは、ミケを『学園』から給仕として借りて、お弁当を持ってそこまでやってきた。
この状況を一言で表すと、
「これなんてポチハーレムピクニック?」
野郎、ポチ。
快活お姫様ケンカ友達属性、ニル。
シリアス過去付きメイドさん属性、ミケ。
最強魔術師系歳下外見お姉さん属性、リンゴ。
両手に花どころか、手が足りない有り様。もはや許しがたい。死ねぃ。
「ぎゃあ!? だから時折何すんすか、リンゴさん!?」
「ポチ。自分の胸に手を当ててそのまま貫いて考えなさい」
「死ねと!?」
そんな心あたたまる会話は横に置いて。
「はい、あーん。ですの♪」
「あむ」
もぐもぐ
「ああ……至福のときですわぁ……」
「ニルも段々遠慮がなくなってきたよね」
いつぞやと違うのはイスではなく御座の上であるということくらいか。ニルに抱えられて、エサを与えられています。もう抵抗は諦めました。私は諦めが良いのです。
「あ、あたしもあたしもやりてーです!」
「はい、ミケさんもどうぞですわ」
「お姫様、ありがとです!」
なんだろうこの小動物になった気分。
「ぼ、僕も「寝言は寝て言うです」「何を考えてますの?」「またかい」うわぁああああん!」
ポチがまた無駄に男泣きを始めたけど割とどうでもいい。もぐもぐ。
「……っ! お姫様、こ、これ、クるですよ……っ!」
「でしょう! でしょう!」
嬉しそうに悶えるミケと賛同して興奮するニルのことは意識から外して、私は与えられるまま昼食を楽しむ。ミケのお弁当もおいしい。
「……リンゴさん、ミケ姉の話はいいんすかぁ?」
まだ悔しそうなポチ。はいはい、男の子は強くありなさい。ぽんぽん、と頭を二度撫でる。
「んー……うん、周辺に人は居ないと確認できた。じゃあ、始めようか」
「……リンゴに驚くのも飽きてきましたわね」
いやいや、半径三〇〇ヤーグ以内における魔力反応の探知を『リンゴの書』に命じただけで、大したことじゃないです。真似できれば世界地図の色分けが簡単になるけど。
「――あたしは、あちこち駆けずり回ったですよ」
入学式から一週間。
私にお説教を食らった後、ミケは財布の持ち主を探して仕事中も仕事時間外も校内をうろつき続けたのだが、どうにも接触できないのだという。
「ホントに頑張ったです。でも、見付けらんねーんです……」
ミケは力なくうなだれた。
今日も探して回っていたのだろう、その仕草には若干の疲労感がにじんでいた。
「リンゴさん。僕は、いっそ職員に落し物ってぇことで届け出ちまったらいいと思うんすけど」
「ポチの意見はもっともだけど、ミケの技量が仇になってしまったね。石という証拠が残っているのおかげで『落とした』のではなく『すり替えられた』とわかってしまう。職員に『落ちていたのを拾いました』と告げたところで、後で犯人とのかかわりを疑われるのは間違いないよ」
探られて痛くない腹というわけでもない。困ったことだ。
「姫さん、アイツの家わかんねぇか?」
「記憶にありませんわね。爵位持ちの直臣やその嫡子であればまだしも、陪臣やその嫡子となると……」
官憲が動員されることになると、ニルやアナーク学園長が後ろ盾となっても面倒は避けがたい。
「……しかたないね。ミケ、財布を改めよう。身元の手がかりがないか確認する」
「おおっ! あの財布の中身が見れるんすね!」
「こら、ポチ。喜ばないの」
「いやでも、あんなに重い財布っすよ? どれだけ入ってるか気になるじゃないっすか!」
「まあね、気持ちはわかるけどさ」
袋状になった厚みのある重い財布。
大陸北部では貴金属硬貨が主体でそれに加えて一部紙幣を用いているので、財布といえば硬貨を落とさない袋状のものが一般的だ。
ちなみに、国によっては穴の開いた貨幣が流通しているため、紐で通す財布を用いているところもあるが、使い勝手はそこそこだろう。
「いくら入ってるっすかね?」
「あたしも気になるです」
「はいはい、ミケもわくわくしない――ん? 空だ」
財布は、硬貨を数枚抜いただけであっさり空になった。
「「「えっ?」」」
しかし、財布はまだずっしり重い。
よくよく触ってみると、財布の底の方にゴリゴリしたものがいくつも入っているのがわかった。
「んー……石だね。これ、二重底にして石を入れてある」
「なんだ、見栄っ張りの財布っすか……」
「しょせんは小物の財布か、です……」
ポチミケはもうちょっとオブラートに包みましょう。この世界、オブラートないけど。
「それで、リンゴ。肝心の手がかりは何か見付かりましたの?」
「うん。何枚か引換券があったよ」
と、半券をニルに手渡す。
枚数は五。工務店から服の仕立屋まで様々だが、不思議とすべて名前が違った。
「わたくしが知る家名が一枚だけありましたわ」
おお、当たりだ。
「カルヴァリアン子爵家の……名前には覚えがないから庶子かしら? わたくしの記憶が正しければ、王都の別邸は王城から見て南側ですわ」
「お姫様、ありがとです!」
ミケはニルから引換券を受け取って、さかさかさかさか急いで財布にまとめる。
「ミケ。無理に忍び込んだりしないようにね」
「あたしはポチじゃねーですから、大丈夫です。てきとーに放り込むです! では、失礼するです♪」
スキップしそうな勢いで、ミケはるんるん走り去っていった。やれやれ一段落だ。
「……ミケさん、大丈夫かしら?」
と、ニルが漏らす。
「ニル、何か気にあることでもあるのかい?」
「いえ、わたくしが名前を覚えていなかったことが気になっただけですの。学園に問い合わせて確認してみますわ」




