中篇【弐】 失態なんて、
あー、どうせこんな小説誰も見てないだろー……
とかなんとか思いながら更新をサボっていた自分を罵り殴りたいです。
ちゃんと見てくださる人もいるのに、自分は阿呆ですわ。
評価、感想、作者の励みになります。
朝いつもより早く胸を高鳴らせながら教室に着いた僕だったが、非常に残念なことに、言音の席はまだ空のままだった。はあはあと少し小走りにやってきたために荒くなった息を整えて、自分の机に座る。右斜め前の空席をぼうっと見ながら思い出す。言音はいつも僕より遅く来るんだったじゃないか、こんなに早くからいるわけがない。
こんなことに今頃気付く僕はつくづくと思うが、病的に会いたがっていたらしい。
――最近は特に酷い……。
気付けば、言音のことばかり考えている。起床時、登校時、授業時、食事時、就寝時。帰宅時も入れようとしたが、そのときばかりは友人との会話に専念していて他の事は考えていないことに気付いた。
僕は機会を待っていた。何か僕の背中をぽんっと軽くでいいから押してくれるような何かを。
例えばそれは、高校最大の行事といっても過言ではない皆が心浮き立つ修学旅行でもいいし、三年間お世話になった校舎と仲間たちにお別れをする卒業式でもいい。それらは確実に思春期真っ盛りの学生たちに勇気を与えてくれるイベントだし、実際にその時期に成立したカップルなんてのは山ほど聞く。
されど悲しきかな、僕たちの学校の修学旅行は高校二年のときであって、しかもこんな残暑を感じる季節にはない。高校最後の卒業式なんかもってのほかだ。
しかし気になるのは、十分ほど前に別のクラスに入って行った友人が残した言葉だ。
『それじゃあお前の後押しをしてやろう』
あのセリフはどういうことだったのか。あの時の彼は突き詰めてもにやけているばかりで教えてくれなかった。
――君が背中を押してくれるのかい……?
思って、それはないだろうという結論に達する。あの面倒くさがりの彼だ。人のために何か行動を起こすところなんか想像もつかない。相談は乗っても、よっぽど人が困っていない限り手助けなどはしないのだ。
まあ逆を言えば、本気で困っている人のためなら、周りを顧みず助けてあげるのだが。そこが彼の良いところであり、それと同時に面倒なところでもある。
しかし僕はそこまで切羽詰った感じは見せなかったはずだ。内心では非常に危ない状態になったとは思うけど、少なくとも彼の前ではボロは出していない。僕がどうしようもないくらい窮地に立って、それでもまだ勇気が出ないときに手を差し伸べる。おそらく、彼はそんな感じだろう。
じゃあ後押しとはどういうことなのか。
……わからない――――
「あ、ユッキー。おはよーぅ」
ここで突然かけられた声に飛び跳ね上がらなかったのは、日頃あの友人と付き合っていて、幸か不幸か、ポーカーフェイスが発達してしまったおかげだろう。
僕は何事もなかったかのように声の方向を向き、重い片手を挙げていつもの言葉でそれに応える。
「やあ」
声が震えていなかったかどうか心配だ。しかしそれも杞憂に終わったらしく、言音は気にした様子もなくゆったりとした足取りで自分の席に着く。眠たげに目を擦りながら、いつものように、ガガガと嫌な音を立てながら椅子を引いてきて、僕と対面同士に座る。
「ふぁああああああ〜……あぅ」
欠伸のベストオブザイヤーなんて賞が存在したら堂々の一位を飾るだろうなと僕は思った。非常に気持ちよさそうに、がぱあと小さな口をとても大きく開いて、簡単に言えば欠伸、小難しく言えば眠たいときに不随意に起こる呼吸動作を行った。
「こら、はしたないよ」
僕がたしなめるも、
「いいじゃんー、ユッキーしかいないんだしー」
そう言って言音は相手にしない。
それは、どういう意味だろうか。『貴方だけには見せられる姿ですわ』なんて願っても無いことを示唆しているのか、『お前みたいなアホには見られてもなんとも思わねーよ』という見下しの姿勢を表しているのか――――って、僕は馬鹿か。考えすぎだ。また無意識の内に思考の奥深くに入り込もうとしていた自分を叱咤する。
――ああ、でもさっきのは後者だったら嫌だなあ。あんな態度をとられたら僕は正気でいられるだろうか。……いや、案外いけるかも。いつもはあんな口調で話しているが、ちょっと天然が入っているボケボケ娘っていうのも、なんだかギャップあってそそられる気が――――
「……ユッキー?」
はっ、とそこでまた自分が変な妄想に取り込まれていたことに気付く。
目の前にはいつもと全く変わらない――決して口調が変わったりしない――怪訝な顔をしたお惚け娘がいた。
「あ、いや、なんでもないよ」
必至でそう取り繕う僕を言音はどう思ったのか、不思議そうな顔を心配そうな顔に変えて言う。
「ユッキー今日はどうしたの?」
「へ?」
「何か変だよ? 声もちょっと変だし、何かよそよそしい感じがする……」
なんてこったい。声が震えていたのが言音に気付かれていたなんて。
しかもよそよそしい感じがするって、意外と鋭いヤツだ。鈍感なんて言った事を撤回する必要がありそうだ。
「そんなことはないさ。ちょっと今日は早く起きすぎたみたいでね、眠たいんだ」
「あ、私もーっ! 何か今日は目が冴えちゃって早く来ちゃったんだー!」
自分と同じ境遇が嬉しかったのか、身を乗り出して同意する言音。
ち、近い……。
「でも変だよねー、眠たいのに寝られないなんて……いつもの私からは考えられないことだよー」
「そうだねえ。いつもの君は寝てばっかりなのにね」
「そ、そんなことないよっ! ご飯を食べる時だってあるよっ!」
「そっちか」
「他にも、歯磨きしたりお風呂入ったり――――」
『キンコンカンコン』
このまま言わせたら延々と続くのは目に見えているが、もうちょっと待ってから止めようと思っていると、始業のチャイムとは少し違ったチャイムが教室に鳴り響いた。これは学校から生徒への連絡や、呼び出しの際に使われる合図だ。こんな早くから連絡はないだろうから、呼び出しだと思う。
「何かな?」
「さあ」
言音も自分の行動をつらつらと述べるのを止め、放送に耳を傾ける。
「呼び出しかな? だとしたら私たちには関係ない話――――」
『えー、あー、コホン! 一年生の、ユッキーくんと言音ちゃん! 今すぐ職員室に来なさい!』
関係大有りだった。
「もおー! サボっちゃダメじゃないですかーっ! 昨日教えてあげるって言ったのにー!」
目の前でぷうっと頬を膨らませ、怒った顔をしているのは我らがアイドル、数学教師だ。肩ほどに切りそろえられた柔らかそうな髪が、それにあわせてゆらゆらと揺れている。人差し指だけ突き出した手が僕に向けられているが、小さい手だな、などと場違いなことを考えていた。
この状態の事の起こりなんてことは誰に説明を求めるまでもなく理解できる。
昨日行くはずだった放課後の質問に行かなかったのだ。一方的に取り付けられた約束事だが、来いと言われたからには行くのが礼儀だろう。悪いのは、それを完全に忘却の彼方に押しやってしまった僕。だからこうやって、数学教師の説教を甘んじて受けている。
「わからないと思ったことはですねー、その日の内にやっておかないと――――」
僕の隣には、同じく昨日の呼び出しをボイコットした人物が。コイツのことだから、サボったと言うことではなく、ただ単に僕のように忘れていただけだと思うが、数学教師の説教を目を閉じて舟を漕ぎながら聞いているところからすると、あまり反省はしていないだろう。十秒に一回はかくんっと頭が下がってしまっている。倒れないかどうかハラハラものだ。
「――――なのですよ。わかりましたかー?」
完全に聞いていなかったが、確認するようなセリフなので説教も終わりなのだろう。僕は「はい」ときちんと返事をするも、言音は「ひゃい!?」と何故か疑問形になっていた。半目になっていた表情を急いでなおしている。
「よし、じゃあ今日も数学ガンバローっ!」
立ったまま居眠りという世にも珍しい技術を言音が発動させたのは目に見えて明らかだったが、数学教師は全く気付いていないようだった。「おーっ!」などと反応を返してくれる言音に、ご機嫌な風にも見える。
まあ、この数学教師の天然具合も学校では有名なことなのでさほど驚かない。
「ほらほら、早く教室に戻らないとホームルーム始まっちゃいますよー?」
僕たちは数学教師に背中を押されながら職員室を出た。
「はい、これ。昨日はアリガトねー」
そう言って言音が僕の数学のノートを返してくれたのは、あと一分で授業が始まるぞという別に気合も何も入れないで机の上でぼうっとしているときだった。
ああそうか。昨日から何故か数学のノートだけないと思っていたら言音に貸していたんだった。渡したときは頭の中がごっちゃになっていたから良く覚えていなかったよ。
「どういたしまして」
お礼を言われたらどういたしましてと言う。これぞ日本の心だよね、などとよくわからないことを考えていると、ふと、言音の態度でどうでもいいことが気に掛かった。
――いつもは朝一で返すのに……。
言音は物の貸し借りにはとてもうるさく、常人よりも敏感だった。借りたものはその用事が終わるとすぐさま返すし、どうしても返すのが遅れるときなど必至に謝ってくる。だから僕は何の心配もなく言音に物を貸すことが出来るのだが、今この数学の時間は六限目。これが終わったらもう帰ることができると言う時間帯だ。僕としてはこの時間が来るまでに返してくれれば万事オーケーなのだが、言音にしては珍しい。いつもなら学校に付いた瞬間に返すはずなのに、何故? 学校に来てから写している様子なんかは見受けられなかったし……。
「はーい、じゃあ授業を始めますよー」
いつの間にか数学教師が教室内に入っており、委員長が起立を呼びかけていた。生徒が、お願いしまーすという君たち絶対にお願いする気持ちないだろと言いたくなるようなだらけた態度で挨拶をし、着席する。
さて、いつも僕はこれから絵を描く。数学の時間と特別決めているわけではないが、基本的にはこの美人先生の授業のときに行動を起こす。この人の美声が絵を描くときのBGMとしてぴったりなんだよ、なんて本人に言ったら怒られそうだが、事実なんだから仕様がない。
「教科書の九〇ページを開いてー」
一応形だけは、数学教師の言われたとおりのことをする。教科書を出し、開く。
かっかっか、と数学教師が黒板に何かを書き始める。
僕もノートに写し取ろう。先程返してもらったノートを取り出す。
そして、何の躊躇いもなく、ソレを開く。
そこには――――
言音の顔が、描かれたままになってた。
テストがー……




