表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

前篇【弐】 君はいつも、

感想、評価、お待ちしております!

 そこで実にタイミングよく、キーンコーンカーンコーンという通常と何ら代り映えのしない授業終了のチャイムが鳴る。「じゃあ今日はココまでですー」という数学教師の、もう聞きなれたやけに間延びした声を聞いてから、ウチのクラスの学級委員長が起立を促す。

 礼が終わり着席をした途端に、騒がしくなる教室。わいわいがやがやと、各々が自分たちの休憩時間を満喫する中、一人だけ負のオーラを周囲に撒き散らしている者がいた。

 言音である。

 半径一メートル以内に入った人間をすべて不幸にさせてしまうようなその人物は、椅子に座ったまま首を傾げて、何もないある一点のみを見つめてぼうっとしていた。口をだらしなく開いて身体全体の力を抜いているその格好は、とても高校一年といううら若き思春期の乙女には見えない。

 質問に答えられなかったことを悔やんでいるのか、それとも未だに数学教師のチョーク投げの痛みの余韻が残っているのか。間違いなく後者だなと思ったのは、ただ単に消去法を実行しただけ。アイツが勉強関連で悔やむことなんて事があったら、僕は、それこそショットガンで打たれたときのような衝撃を受けるに違いない。

 今日は来ないのか、などと思ってそいつを一、二分眺めていると、急に我に返ったようにビクッと身体を跳ね上げ、周りをきょろきょろと見だした。左斜め後ろで僕が言音を見ていることに気がつくと、恥ずかしそうにわたわたと両手を振る。それから何かを誤魔化すかのようにコホンとわざとらしい咳払いをし、自分の椅子をガガガと嫌な音を立てながら引きずってこっちにもってきて、僕と対面するような位置に来た。

 慌てて僕は、授業で出番が終始皆無だった数学のノートと教科書をしまう。

 授業が終わるといつも机を挟んで僕の真向かいに座るこの行動も、気付けばもう何ヶ月も続いている。入学して数日が立って以来、この残暑が厳しくなる季節まで、よくそんなに続けられるものだと思う。こいつは何を考えているのだろうか。コイツはこの行動をどう思っている? ただの暇つぶしか? それとも俺に気があるのか? わけがわからない。僕としては万々歳なわけだけど、もちろんそんなことはおくびにも出さない。そんなことをしたら僕の気持ちがコイツに伝わってしまう。

 や、鈍感すぎる言音には全く伝わらないかもしれないけど。こういうのは気持ちの問題だよね。

「ううー、ユッキー……また先生に怒られちゃったよーぅ……」

 先程の激しいボケとツッコミのキャッチボールをした当人とは思えないほど萎れた雰囲気で、言音は呟くように僕に言う。

「君がいつもグースカ寝てばかりいるからだろう?」

 なるべく挑発的になるよう、僕は呆れた風に言う。

「ち、ち違うよ! 私はただ……ただ……! 世界中の恵まれない子どもたちのために目を瞑って一生懸命祈りを捧げていただけだよっ!」

「授業中に?」

「う、うん……」

「へえ。でもそれにしちゃあ、ずいぶんとゆらゆら揺れていたね?」

「あ、あれは……世界中の人に、……そう! 世界中の人に願いを届けるには色々な方向に祈りを飛ばさなきゃいけなかったんだよ!」

 この子は世界のために変な電波を発しているらしかった。なんて滅茶苦茶な言い訳だろう。

「な、何かな!? その疑いの眼差しは!?」

「いやいや、疑うだなんてそんな。僕は君を信じているよ。君が嘘を吐くなんて考えられないからね。君が嘘を吐くなんて、そんな最低最悪の行為をするはずがないもんね。あ、そうそう。僕、嘘そのものは嫌いじゃないけど、嘘を吐く人は大嫌いなんだ。大っっ嫌いなんだ。大っっっっ嫌いなんだ。あ、ごめんごめん。君には関係ない話だったよね」

「ふぇ!? あ、ううう……」

「どうしたの? 君には植物プランクトンの全長ほども関係の無い話だけど、何でそんなに泣きそうなの?」

「あ、あああのぅ……」

「何? どうしたの?」

「実は、……ミジンコの全長くらいなら、関係ある、かも……」

「…………」

 同じ微生物類で切り返してくる辺りコイツやるなと思いながらも、祈りというのは嘘でしたというなんとも情けない非常に遠回しな発言に、僕は呆れたような表情を強くせずにはいられない。

 すると途端に、言音がしゅんとした表情になり、

「ごめんなさぁい」

 『俯きからの上目遣いアンード蚊の鳴くような頼りない声』攻撃を仕掛けてきた。

 きゅうしゅにあたった。こうかはばつぐんだ。なーんて、小学校の頃よくやった愛玩動物同士を戦わせるという文字だけ見ると何とも残虐なゲームの中にあったモノローグの一部が、余裕がありそうで本当はない僕の頭の中に浮かんでは消える。

 言音の余り余った可愛さにこの場でゴロゴロとのた打ち回って悶絶し、相手の反応を伺うのも実に楽しそうなことイベントだとは思うが、そんなことをして言音に嫌われでもしたら、僕の薄膜で出来たガラスのハートが割れて砕けて粉砕し小麦粉のように粉末になってしまう。それだけは何とか避けたいので、甘いとは思いながらも、いつもなんだかんだでコイツを許してしまう。

 言音は、何も言わず黙り込んでいる僕を怒っていると思ったのか、びくびくしながら僕の機嫌を伺っている。右斜めから、左斜めから、更には机に乗り出して真下から、と物理的に様々な方向から僕を見ている様子は、無邪気で無垢で犯罪的に可愛い。衝動的に四年くらいの刑を与え牢に入れてやりたくなる。もちろん、僕の部屋という名の牢屋だが。

「よし。正直なことはいい事だね」

 先生も似たようなこと言ってたし。

 そう言って、机を支えにして顔と顔が拳三つ分くらいまで迫っていた言音の額をやんわりと押し離しながら、そのまま軽くタッチするように頭を撫でる。言音と距離を置く際に触れた額は、この残暑で少しだけかいた汗で体温が奪われていて、ひんやりとしていた。

 産毛のように細く柔らかい髪に触れる。

 これが描くときに苦労するんだ。サラサラしているくせに纏まっていて、先端だけが少しくせっ毛で跳ねているところが、それをよりいっそう思わせる。

 頭を撫でている手をそのまま横に滑らせ、手櫛の形にしてひと()き。今まで一度も絡まったことはない。

 手で触った感触は布、しかし一旦手を水平に滑らせると洗い立ての肌のような感触を覚えるこの髪は、何か中毒症の元になる毒素を出しているのかと錯覚するほどに、ときどき無性に触りたくなる。

「う、ん……っ」

 手を頭の上に戻し、撫で続けると、言音は僕の言葉の返事とも、ただ無意識の内に漏れた音とも付かない声を発した。

 この頭を撫でるという行為を、いっそのこと言音が嫌がってくれたら楽なのだろうが、こんな風に気持ちよさそうに目を細めて、それも離れるどころかむしろ頭を擦り付けてくるような態度をとられたら、やめられる筈がない。しかしこのように言ったからといって、嫌がられたら嫌がられたで先程言ったような僕のガラス細工が壊れるのでやめて欲しいが。

 しばらく、撫でる、梳く、撫でる、の行動を反復していると、言音はやはり思い出したように先程の弁解を始める。

「で、でもでも! 真剣には寝てないんだよ! 寝てたけど、えっと、何て言うか、私の脳は寝てなくて、常に活動してる状態で、実はちゃんと聞いていたって言うか――」

 途切れ途切れに今考えた言葉を並べているだけで非常に苦しい感じだとは思うが、一度は負けを認めているので、今度はちゃんと聞いてあげようと思う。

 こんな甘い考えを持ってしまう辺り、やっぱり僕はこの子にどうしようもなく恋をしているんだなあと改めて感じる。ただ言音に触れるというだけの行為だが、それだけで僕の心は天にも昇る気持ちを覚える。

「それでねー、私のお母さんったら――――」

 僕が手を動かしながら恍惚の表情をしていることには気付かず、いつの間にか言音の話題は、先程の弁解から自分の母親のドジっぷりのお披露目会にまで発展していた。こいつの話はいつも右往左往して変化するものばかりなので、軽く相づちを打つくらいがちょうどいい。いちいち反応していたらキリがないのだ。

 突いただけで爆発しそうなほど泣きそうだった表情はどこへやら、今は完全にその片鱗すらも見せず、とても楽しそうに一人話を続けていた。

 それに加えて大げさに身振り手振りをしながら話すもんだから、時々突き出している僕の手に当たって少し痛い。

 あまり撫ですぎるのも迷惑だしこの場合話すのに邪魔かなと思い、手をおもむろに引っ込める。

「あ、……」

 せっかく僕が話の邪魔をしないようにゆっくりと手を戻したのに、何故か急に話し声が止み、代わりに言音の名残惜しげな声が聞こえる。

「どうしたの?」

「え? あ、いや……」

 僕が理由を聞こうとしてもなんだか歯切れが悪い。コイツのこんな態度は珍しいな。いつもなら聞いてもいないことをおのずからペラペラと話すのに。

 いつもと少しだけ違う言音の態度に違和感を持っていると、コイツには似合わない、意を決したような表情を作って、

「あ、あの、ユッキー! もっと――――」


「お話の途中悪いが帰るぞ、ユッキー」


 僕に何かを言おうとしていた言音の言葉を遮りながらズイっと間に割り込んで帰ろうと言いだしたのは、無表情な、見方によっては不機嫌そうな表情をした少年だった。

 その容姿はあまりに目立ち、この彼がこのクラスに入ってきてからというもの、周囲の人間のざわつきが止まらないでいた。

 灰色の髪。

 これだけで十分と人目を惹きつけてしまうのに、十人が十人とも振り返ってしまうような整った顔立ちをしているから、歩いていて目立つことこの上ない。常に無表情を装っている顔を柔和にしたらモテモテだろうに、彼はそれに気付かない。

 隣のクラスの彼と一緒に帰るようになってから、かなり日数がたっている。言音よりも長いということはないが、入学して一月後からのことなのでほとんど同じようなものだった。

「あれ、今日は用事でもあるの? 少し急いでいるように見えるけど」

 一緒の方向に帰宅するその彼が自分から早く帰ろうと言い出すのは、極稀なことだった。普段は僕のほうから彼のクラスに行くので、彼は友達と騒ぎながら僕を待っているのだ。

「うむ。少々野暮用が、な」

 言いたい事はどんな障害があってもすっぱりと言ってしまうのではないかと思ってしまうくらいはっきりとした性格の彼が、こう言い淀むのもまた珍しい。しかし僕にはわかる。こういうときは決まって、

「また妹さんかい?」

「うっ……」

 妹さん関係のときなのだ。彼は妹に駄々甘で、要はシスコンだ。これは僕の憶測でしかないし、彼はこのことをものすごい勢いで否定しているが、(はた)から見たらそうとしか見えない。

「実は、昨日ケンカをしてしまってな。帰りにケーキでも買って機嫌を取ろうかと……」

 この兄妹は毎日飽きもせず漫才のようなやり取りをする極めて良好と言える仲だが、ときどきこのようにケンカをしてしまうときがある。昨日がそのときだったらしい。

「やっぱり妹に貧乳貧乳と連呼したのが(まず)かったのだろうか……」

 彼のすっぱりと言ってしまう性格は、長所でもあり短所でもある。今回は、それが短所の方向に作用してしまったらしい。

「確かに妹さんは貧乳だけど、それはまだ中学一年生だからしょうがないんじゃない?」

「いやいや、ユッキー、最近の中学生を甘く見るな」

「え、もしかして」

「そうだ。恐ろしいことに、奈々の友達のバストサイズは――――」

「白昼堂々何て話をしてるのかな!?」

 彼がとても良いことを言おうとしていたのに、残念ながら、若干不機嫌そうな、しかしやっぱりツッコミの性分は捨てきれないような言音によって会話が途切れてしまった。とても続きが気になるので後で帰り道にでも聞こう。

 と、ここで言音との会話も途中だったことに気が付く。思い出しただけでは時間は戻らないし言音の機嫌も戻らないので正直に謝り、さっきの続きを聞こうとする。

「ごめんごめん、で、何を言おうとしてたの?」

 さっきの自分の言ったことや言音を見習い、正直に謝ったにもかかわらず、言音は急に慌てて顔を赤面させるばかりで、何も答えようとしなかった。「あの、えーっと……ぅ」などと言いながらはっきりとしない。

 横でそわそわしている彼を待たせるわけにも行かないし、何も言わないのならそろそろお別れを言って帰ろうかと思っていたが、「あ」と呟いた言音によってその意見は変えられた。

「そ、そう! 授業中のノート貸してよ! 今日寝てて――じゃなかった、黙想をしてて黒板写してなかったんだ! お願い!」

「な、何の?」

「数学っ!」

 ペチーンと両手を合わせてこのとーりと言いながら、言音は僕に拝むように懇願した。少し不自然な感じがしたが、そんなことは気にならない。

 だから、そんな、潤んだ目を、されたら、……。

 僕はまたもやある種の破壊攻撃を受けて悶絶しそうになるが、何とか堪えて、若干判断力を鈍らせながらも数学のノートを取り出して言音に渡す。

「終わったか? 早く行こう」

 そこで彼が待ちきれないとばかりに僕をせかす。別段断る理由もなかったので、机の左側に掛かっている薄っぺらいカバンを取って席を立つ。

 何か言音が言いかけた気がするが、早くケーキ屋に行って帰りたい彼がもうすでに教室から見える廊下にいたし、二度も言音の攻撃を受けて平然としていられるほど僕の精神構造は出来上がっていなかったので、足早に教室を出た。

 もちろん、

「じゃ、また明日」

 今日もいつもの言葉を言音に言ってから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。




某 - soregashi -

やっと復活! サイト作りました。気が向いたら立ち寄ってください


― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ