三 天照らす命 下
読経のようだな、と望月は思った。
何も見ずにここまで話せる又虞巴は、ある意味、尊敬に値する。
「皇帝の御子となれば、お世継ぎとなる可能性が出てくる。つまり、お世継ぎの成りえるだけの存在に成らなければならないということだ。
御自身の教養、器だけではない。何より現人神として、天帝としてのやんごとなき器でなければならない。皇帝という打潮の頂点に立つには並大抵でない力が必要。後ろ盾となる権力も必要だということだ……」
第二皇子である空蝉宮は母方の身分が高くないので皇位継承権を放棄している。要点をまとめたら、以上だ。
「他の皇子に本名が存在するか否か、定かではないが、帝の嫡子である皇子は皆、そのお住まいが呼名となっている。空蝉宮様はその名の通り、空蝉宮にお住まいなのだ。ただ、弁柄宮様は代々『東宮』と呼ばれる宮にお住まいになっている」
狼牙が泣きそうになっている。もうそろそろ限界だと思い、望月は奇声を上げた。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっっっ!!!!」
「な、何?」
意味が解からず、由祇が問う。
「長ぇ、長ぇよ、なんでそんな次々出してくんだよ? 端折れ! 端折れ!」
由祇も共感できたのだろう、怒る事無く、苦笑いした。
又虞巴も軽く咳払いして言った。
「……では、皇子は何名いらっしゃるか。覚えているか?」
ここで間違ったらまた、あんな講義が待っているのだろうか。それは勘弁して欲しい。
「……七名」
「その御名前は、知っているか?」
安心しろ狼牙、皇子の名前とやらも、きっと八割がた関係ない。指を折りながら望月はそう思っていた。
「第一皇子が弁柄宮、次が空蝉宮、第三皇子、ヒューガ、……ノ、ぬあ?」
何か、望月は引っかかるものを感じた。それを見抜き、由祇が目を細める。
「どうした?」
「……いや、何でもない」
望月は両手を振った。
「第三皇子は日向宮だろ。第四皇子が錦部宮、第五皇子が爾々儀宮、第六皇子が雁金宮。で、最後が瑳依宮」
「すでにお亡くなりになっているのは?」
「錦部宮と雁金宮」
「母君が同じなのは?」
「日向宮と錦部宮」
「それだけ知っていたら十分だろう」
と又虞巴は頷いた。
「なぜ?」
恐る恐る望月は訊ねる。
「もうじき、第三皇子である日向宮様がいらっしゃるからだ」
最悪だと望月は思った。
「……腕の立つ人材を探していたのは護衛のためだ。おまえも俺たちと一緒に日向宮様を警護してもらうことになる」
説明しながらも由祇は怪訝そうな顔をしている。そこへ、橘が飛び込んできた。
「望月って、日向宮と面識あったんだね!」
大声で叫びながら、橘が、望月たちが組んでいた円陣の中心まで滑り込んできた。
その勢いにひきながらも、辛うじて、望月は答えた。
「い、いゃ……、なぃ」
「嘘ばっかり」
橘は、汗を腕で拭いながらも、癪に触る笑顔を浮かべている。
ただ一人、平然と由祇が橘を見ていた。
「日向宮様がいらっしゃったんだな」
「うんうん、そうそう」
そう答えながらも橘は肩で息をしている。
由祇がこちらを一瞥し、橘の勢いを要約してきた。
「望月、日向宮様を知っているんだな」
「なぜ言い切る?」
由祇までもが。
「日向宮がね、歌を詠んだんだ」
「歌ぁ?」
望月が背中を反らせ視線をむけると、橘は自分で襖を閉めながら、とある歌を復誦した。
神名備の 迎えはいぬと 思いきや 待ち望みし月 ついに現る
神名備の森の先にある瀬生についた時、ついに月が姿を見せた。
ただそれだけのことだ。わざわざ詠むな、まどろっこしい。
「明け方に月が出ることあるだろ、有明の月とかナントカってやつ、それが出てたんじゃ……」
「タッチー、ツッキーいるの? だって」
それを、早く言いやがれ。
「うん、いや、実は……、さっき会ったようなんだ」
どうにも歯切れ悪いが、望月は話すしかなかった。
楓を連れ、望月は都へ続く道へと走った。鈍りつつある身体を鍛えようと思っていたが、ほんの少し走っただけで神名備の森と砂利道が見えてきた。
望月が通ってきたのは獣道だったが、都へはこんな立派な道が続いているらしい。幅がかなり広く、牛車でも神輿でも楽に通れるはずだ。土手になっていて、その両斜面には、若草が生えていた。
道の真ん中で、望月は身体中の腱を伸ばす。
手ごろな枝が落ちていたので投げてみたが、楓はまったく興味を持たなかったので、空で三等分に刻んでみた。ついでに両手足に仕込んでいる短剣を投げようかとも思ったが的が見つからない。
若草萌える斜面に、望月は寝転がった。
緑に見えた土手だが、こうやって目線を下げると、蒲公英や土筆がたくさん生えていた。それらの合間を紋黄蝶が舞うように飛んでゆく。
季節はまた春になろうとしている。いや、気がつけば春になっていた。何があろうと、どんな状況に陥ろうと、時は確実に流れるんだなと望月は思った。春の息吹が風となって望月の鼻筋を掠める。右脇には楓があごを乗せて寝そべっている。遠くからは一頭の馬の足音。規則正しく刻まれている。
次第に、その蹄の音が近づいてきた。
保呂が風になびいている。保呂とは、本来背に放たれた矢の衝撃を吸収するために身にするらしいが目的を果たしているのか疑わしい、布のことである。視界の端にあるそれは完全に装飾用らしく、はためく度にきらきらと輝いていた。
その布が淡い緑に見えたのは、一面の草花のせいだけではなかった。保呂の主が着ている装束のせいでもあるらしい、金銀の織り交ざった黒糸で刺繍が施されている布地が、眼に染みるほどの真紅だった。
真っ赤なものを見ているとなぜ白いものが緑色に見えてくるのだろう。そんな大して興味のないことを考えながら望月は再び眠ろうとしたが、それは叶わなかった。
「そなたが、月読見か」
声の方向へ、望月は上体を起こした。
殺しておこうか、と少し迷ったが思い直し、
「……人違いだ」
とだけ言い、軽く往なそうとした。
しかし相手は揺るぎなく、決して立ち去ろうとはしない。
「いや。そなたこそ月読見」
望月は大きく息を吸い、大げさにため息をついた。
「なぜ言い切る?」
「月読見が、私に物語ってくる」
意味が解らないが、答えは当たっている。対処に困り望月は、また大きくため息をつき春の息吹を吸い込んだ。
月読見という名前を知っている。
そして今ここにある剣が月読見だと確信している。やはり殺しておくべきだろう。従えているのはわずか一人、まずはその女から殺らなければならない。そう思い望月は楓を背後に移した。
「早まるでない、そなたと相対する心積もりならば寝首を掻いている。そうであろう」
確かにその通りだった。しかし、先程の動きだけでこちらの心情を見抜くとは、冷汗が出る。
改めて望月はその人物を見つめた。
赤の衣装がとてもよく似あう、色白の貴族の、男だった。年は二十代半ば、あるいは後半ぐらいだろう。体温を感じさせないような、涼しげな美丈夫が白馬に乗っている。転寝を邪魔され不機嫌極まりなかった望月は、青魚のような奴だ、秋刀魚か鯖か……、でも貴族だろうしなとひとしきり考え、「細魚」と勝手に名前をつけた。
脇にいるのは女だ。恋人というわけではなく、付添いだろう。気品とは無縁そうな女だった。年は二十歳前後、望月とそう変わらないと思われる。
「いいじゃない、ツクヨミ、ツッキー」
話し方だけでなく顔ものっぺり、むっちりとした女だった。唇がぽってりと厚く、頬も摘まんだらよく伸びそうだ。細魚が青魚ならこいつは深海魚だなと望月は思う。
「ツッキー……」
その呼び方は間違っていないな、と望月は言った。
「オレは望月って言うんだ」
「アタシ風花、よろしくぅ」
そう言いながら望月をぺたぺたと触ってくる腕には鎖を巻きつけていた。両端には小さな分銅がついている、鎖分銅あるいは万力鎖などと呼ばれる鎖物武器だ。腹に一物はなさそうだが、腕は良いに違いない。
「望月なんと申す」
「ふぇ?」
細魚の問いに、望月は思わず間抜けな声を上げてしまった。理解するまで時間がかかったが、どうやら、望月を姓と思ったらしい。
「いや、望月ってのが名前だ。それで終わりだよ。苗字なんてない」
春風が弾けた。
保呂が若い草木の息吹をたなびかせる。ちょうど月読見が、鞘の呪縛から解き放された時のように。
細魚はふわりと地に降り立ち、ゆっくりと、望月に近づいてきた。
「それは真かな」
「世の中にはな、オレの様な由緒も何も無い人間が、虫の数ほどいるんだよ」
「姓など、私も持っておらぬ」
姓を持たない貴族、皇族だと言ったも同然だ。だが、まさかこんな森に従者一人だけで皇子が、しかも馬に乗って移動しているとは、睡魔に襲われていた望月には思いもよらなかった。
「名乗る気が無いなら、別に構わねぇよ」
勝手に決めたから。という望月の内心など知らないだろうが、細魚は顔をほころばせた。望月のとなりまで歩み寄り、楓へ手を差し伸べる。
正直もう関わりたくなかったのだが、文句も言えず、座りなおし細魚へ顔をむけた。
「噛まれても責任もたねぇぞ……」
「私は噛まれた程度で、そなたやこの犬を咎めたりはせぬ。幸い口うるさい従者もおらぬしな」
すり寄ってくる楓の背を撫でながら、細魚は答えた。
「それにこの子は、私に歯むかいなどせぬ」
根拠のない自信だな、と思い望月はため息が出た。
しかし目を細めている楓を見ていると、確かに懐いているように見える。
風花も交え、しばらく楓と遊んだ後、細魚は天を見上げながら立ち上がった。
「今はもう時間がないが、望月、また会おう」
「また?」
「そう、これは天からの命」
「意味解んねぇよ」
望月の問いに微笑を浮かべ、細魚は保呂をひるがえした。風花もまたねぇと手を振りながら細魚の元まで駆けつける。そして、こう言った。
「じゃあ行こっか、ヒューガちゃん」
その風花の「ヒューガちゃん」と呼んだのが、望月には印象に残っていた。気になったのが、あまりにも、遅すぎたけれど。
「瀬生へ続く道にいたその御方が、この屋敷にお立ち寄りになると、なぜ考えないんだ?」
由祇の言うことは酷くもっとも過ぎて、望月は何も言い返せなかった。
「な〜んだ。やっぱり抜けてるんだね」
「やっぱりって何だよ!」
橘は楽しそうに腹を抱えている。いやここは怒る所だろうと望月は思った。従者の風花があの調子だったとはいえ、そして礼儀や作法を重んじない望月ではあったが、いくらなんでも、無礼すぎた。望月を雇った瀬生氏がこれから接待しようとしている人物に、あの態度はありえない。
「橘、どうお詫びしたらいい?」
由祇は深く考え込んでしまっていて、それはそれで辛いけれど。
「いやいや大丈夫だよ」
笑いすぎて涙が出てきた目を、擦りながら橘は答えた。
「きっと望月と話したいだけだよ、日向宮は」
世の中解からないものだ。望月は、皇族の若宮と対峙することになった。
「まさか、貴殿が日向宮様とは。申し訳ございません」
「気を使うでない。鳥にはそれぞれ鳴き方がある、そなたも然り。虚礼など似あわぬ」
「さようなこと申されましても……、こちらは瀬生氏に一時的に雇われたに過ぎない、しがない浪人の身でございますから……」
とりあえず顔を上げよと言われ、望月は従った。
大広間はとにかく広かった。これでもかというばかりに、畳が一面に敷き詰められている。望月から日向宮まで、途中に豪奢な襖二つをはさんだ続き間になっていた。
日向宮の近くでは、橘の父親である瀬生梧がにこにこと、蒼色の眼だけを笑わせず、細心の注意を払わせている。その左側やむかい側からはさらに露骨な睨みが刺さってくる。
針の筵と呼ぶにふさわしいこの場でも、日向宮は涼しげな顔をしていた。
肌は抜けるようで、それでいてきめ細かで美しく、髪の一束ですら余念無く整えられている。風花は席を外しているらしい。仰々(ギョウギョウ)しい家来などつけていないのに、比類無き気高さだ。嘉凛や由祇を見て御目が高くなってしまっていたとしても、なぜ気がつけなかったのだろう。勘や警戒心、そういったものが悉く鈍ってしまっているなと望月は嘆きたくなったが、今は泣言が言える状況ではない。
容赦ない注目に慣れない正座。早くも望月は、肩が凝ってきた。
「月読見、そなたは何故、流浪などしている」
だから望月だ、と思ったがもちろん口には出せなかった。
「……わたくしは、鳥のようなもの」
適当に言葉を濁らせただけだったが、日向宮は楽しそうに後を続けた。
「その心は、この世を自由に飛び回る、ということか」
「仰せの通り」
とは答えたものの、自由に飛び回るっていうより、ただ目的もなく、適当に、流浪しているだけだ。そもそも自由って何だ? いまいち望月には解らない言葉の一つだった。少なくとも、天からの命なんてのよりはいいけどな、というのが感想だ。
「よかろう。もう足が痺れたか、崩してもよいぞ」
ふうむ、と望月を初めて遭遇した珍獣のように眺め回る。どうも性分を見切られたようだ。軽く扇子を唇につけ、日向宮はさらりと最悪な嫌味を選んだ。
「何時まで持つのか、試すのも良いな」
ボロを出すまでここにいろってか。とにかく早く望月は退却したかったのに、どうしようも無いではないか。
「解かりましたよ」
方々(ホウボウ)へ足を伸ばし、望月は言った。
「降参だ、降参。何だよ、人が頑張って誠意見せてたってのに」
その暴挙に、瀬生の使用人たちが青ざめた。
「悪いな、橘」
橘は大笑いしていた。そしてもう一人、日向宮も破顔して笑い出した。
「私が良いと言ったのだ、気にするでない」
「いや、けど、本当に申し訳ない」
そう言って、梧たちに頭を下げた。
「正直、日向宮より、この瀬生の人たちの方が気になってたんだ」
「なっ」
瀬生氏の使用人が一人、立ち上がろうとする。それを梧が目で押し殺した。その様を、日向宮は軽く笑い飛ばす。
「そうだな。私は姓を持たぬ一介の輩。似たもの同士、仲良くしようではないか」
「……根に持ってたのか?」
日向宮はまさかと言い、扇子で口を覆った。
「本当のことに過ぎぬ。もっとも私の場合、様々な血が流れ過ぎ、どこの氏の者か判らなくなっているな。北は岩長氏、島莉氏、そしてこの瀬生の方々とも、遠くだが血縁がある。……あえて私に姓をつけるならば、業倉になろうか。私の母は業倉氏の出、私の半身は業倉から生まれたものだ。巷では『西の桜』と呼ばれているそうな。知っておろう」
「……ああ」
ろくな話はしていない。桜はまだか、蛍はどうか、などという望月にはどうでもいい会話で時は過ぎていった。
「面白かった。めちゃくちゃ面白かった」
「……解かったから、さっさと自分の部屋へ戻りやがれ」
人の気を知っておいて、橘は部屋までついて来た。背後にいる由祇が少し疲れているように見える分、橘の機嫌の良さは異様に思える。
「日向宮たちはまだ駄弁ってんじゃねぇの? ヒマならもてなしてきやがれ」
「いや、いいよ」
既に用意されていた布団に、わざと背をむけ、望月は寝そべった。その正面側まで回り込み、橘は笑顔を近づける。
「謁見させるの実は戸惑ってたんだけど、良かったよ。望月って、意外と、敬語話せるんだね」
「へ?」
口を間誤つかせた望月を見て、橘は満面の笑みになった。
「どうしたの。僕は褒めていたんだよ?」
「……いや。どいつもこいつも、オレはそんなに馬鹿に見えるのかと思ってな」
「とんでもない。うちの小間使いはほぼ全員、文字を知らない。礼儀を学習させようにも読み書きが出来ないんだよね、なかなか苦労するんだ。でもちょっとばかり知識がある者はね、天狗になってて余計に使えない。そんなでは客が寄りつかない。場にあわせた言葉が使える人材となると、それだけで優遇物だよ」
「そりゃ、ぜひとも弾んでくれ」
「価値ある人にはね、僕は惜しまないよ」
含みある笑顔を残し、橘は去っていった。
なぜか由祇はまだこの部屋にいる。正直一人になりたかった望月は、軽く由祇を睨んだ。
「ああ見えても橘は商人の子どもだからな……」
言葉を無理やりつなぐように、由祇は話を切り出しだ。
「金のかかる嘘はつかないよ。望月、おまえのことは本当に気に入ってるんだろうな」
慰めてくれているのだろうか。しかし、橘に気に入られたら、洒落にならないくらい大変そうな気がする。
――血を見たくないなら瀬生に近づくな。
名も知らない男の遺言を思い出した。
「……あんた正しいよ」
血反吐が出そうだと望月は思う。
「何が?」
そう問う由祇にまで愚痴が出た。
「疲れた。とにかく疲れた」
「だろうな」
こんな魍魎跋扈する所にいて、よくそんな優しげな笑顔が出てくるものだ。由祇もある意味、化け物かもしれない。
とにかくもう限界だと、望月は手足を大の字に投げ出した。
「とりあえず、一眠りさせてくれ」
そうでもしないとやってられない、明日もまた化け物の相手をしなければならないのだから。