二 一触 上
神名備の森の奥に、瀬生はある。
神名備とは、望月にはよく解からないが、神様が天下るための聖なる所という意味あいらしい。目の前にいる嘉凛に訊けばその辺りの薀蓄が出てきそうだが、望月の場合、耳から耳へと通してしまえば終わり。
血を浴びざわめき立っていた森も、少し時をへただけで、空恐ろしいほど静かになった。
渇いていたのどが潤わされた。
そんな感じだ。今は深い霧で、望月たちを包み込んでいる。
朝露に濡れる緑の道を黙々と歩く。木の上から見た海はまだ姿を見せない。ただ、寄せては返るさざ波の音が、次第に大きくなってきた。
「なあ、不思議なんだけど?」
「何が?」
「教えって神様から? 神様が喋るのか?」
「のどで音に表す、のとは違うわ。そうね……、あえて言うなら、読む感覚に近いかしら。文字や記号を解読する感じ」
「……読む」
望月は目をそばめた。
殺すか否か。
もはや仕留めそびれた感も否めないが、望月は質問を変えることにした。
「で、憑ける神ってのを探してるのか?」
「本当はあなたも気づいてるんでしょう? その、剣のことかもしれないわ」
嘉凛は美しい笑みを見せた。
さすが、瀬生が抱える巫師である。望月も負けじと笑みを浮かべて話を進めた。
「ふうん、オレの持っている剣が、聖なる剣だとでも?」
「ええ、きっと、長きにわたって祀られていたものだと思う。長い年月を経て、多くの息吹を吸着し、宿したのでしょうね。あなた、何か知らないの?」
「いや……、オレが知りたい」
事実、月読見について、望月が知っていることは限られていた。
一つ、宝剣として崇められていたということ。もう一つは、宝剣となるだけの何かが、月読見にはあるということ。それだけだ。
「……そう、それは意外ね」
まだ何か問いたげだったが、あきらめたように、嘉凛はため息を吐いた。
「正直言うと、この剣のことが知りたくて、お前についてきたんだ。巫師ってどんなことするのか興味あるしな」
どれ程の巫師かは確かに興味がある、嘘ではない。必要でないかぎり望月は、嘘はつかない、人も殺さない。
「なるほどね。とりあえず、あなたの力を見させてもらうわ」
「力?」
望月の手がまた月読見へ伸びる。それをさっしたのか、嘉凛は言葉を言い改めた。
「武術の能力を見るってことよ。今はある道場にむかってるの」
「……まだ戦えってか? さっきので充分だろ?」
嘉凛は、その一言に笑みを漏らした。
「わたしは、武術のことはよく判らないもの。道場に腕の立つ子がいるから、見てもらおうと思って」
「腕の立つ、子?」
「子供と言うより、少年ね」
また戦いにくい相手を用意してくるもんだと望月は思った。こんな、徹夜明けに。
霞がかる森を抜け、瀬生の街に入った。
まだ朝早いというのに、競りにむかっているのだろうか、人があちらこちらにいる。いたる所に箱が山のように積まれていて、右から左へと運ばれてゆく。見ているだけで望月は、目が回りそうになった。
長屋や平屋が並んでいて、どれもまだ閉まっているが、入口が大きい。どれも店なのだろう、通りの両側にぎっしりと連なっている。その数は千を超えるのではないだろうか。店舗の一つ一つはごく小さなものだが、きちんと区画されていて、中央には広い通路があった。
大通りを堂々と、嘉凛と望月は北上していった。
たらいを洗っている者、大きな箱を抱えている者、何かを数えている者。忙しなく働いているというのに、例外なく皆が、嘉凛に深々と一礼する。
貿易港というだけあり、磯の匂いの中に、さまざまな香りが混ざっていた。打潮のものよりはっきりとした匂いを放つ香や、大降りな花の匂い、果物らしき不思議な匂いもある。それらと一緒に、子猫の鳴き声が風に運ばれてきた。
山手に上っていくと同時に、店の様子が異なってきた。
「海洋中心大飯店」というやたら豪華な建物があった。
単なる飯屋ではなく、どうやら旅館のようだ。他にも「UNIVERSAL」など、大きな旅館に、望月には読めないような看板が上がっている。「王霧屋」「空の舟」などこぢんまりとした宿も数多くあるが、どれも皆、異国情緒に溢れている。特に「空の舟」という宿には変わった草木が生えていて、この宿に泊まりたかったなと望月は少し後悔した。
「……道場ってあれか?」
なだらかな丘の上に、神殿と呼びたくなるような塀と屋敷が見えた。その端に少しおもむきの異なる楚々(ソソ)とした建物が一軒。瀬生氏の屋敷とお抱えの道場といったところだろうか。
「そうよ、……顔むくんでるわね、大丈夫?」
「悪い、眠い……」
それでも、先に少年の存在に気がついたのは望月だった。
「嘉凛さん!」
望月は、一晩森をさまよい眠気に襲われていたが、目を覚ました。
同性の目から見ても、目の覚めるような美少年だった。桔梗色した袴をぱりっと着こなし、大小二刀を腰に差している。竹ぼうきではき掃除をしているだけなのだが、紺色の髪と絹のような肌が輝いて見える。笑顔のせいだろうか。
「おはようございます。次はこの方ですか」
今まで多くの人間がここに連れられてきたようだ。
「朝早くに……、嘉凛さんが連れてこられたということは、例のおつげの方ですか。もちろん俺はかまいません。ただ橘がもうすぐ帰ってくるんですよね」
「タチバナ?」
勝手に話を進めるなと望月は言いたかったが、実際口に出たのはそれだった。
「すぐに会えますよ」
にこっと笑う。端整な笑顔だ。
「……おまえの弟?」
首をかがめ嘉凛の耳元に問いかけたのだが、少年にも聞こえていたらしい。
「いえ。俺は瀬生の方々に剣術を指南している、雨音寺 由祇です」
笑顔が消えるととたん不機嫌そうに見えるのは、整いすぎた顔立ちのせいだろうか。機嫌を取るかのように、望月は歯を見せて笑った。
「へぇ、雨音深斬流の?」
「知っているんですか?」
目の前の太い門柱には何も表札は出ていない。しかし望月は耳にしたことがあった。
「流浪してるとな、豆知識が増えるんだよ」
ほうきを片づけている由祇の背中に、望月は話し続けた。
「まさに一瞬の神業。まさに青天の叢雨。その刃に命を奪われたものは、まだ健在と自らの肉体に魂を宿したままだという……」
「それはあなたが考えたのでは?」
「いや、瀬生より少し西の村にいたおっさんが言ってた。かなり酔っ払ってたな。帝の剣術指南を務めるほどだってのも聞いたぞ」
「それは祖父と父ですよ」
軽く聞き流して、由祇は道場の中へ入り、竹刀を取った。
「もうお分かりかもしれませんが、ここは雨音深斬流の本当の道場ではありません」
「東に雨音深斬流あり、ちゃんと聞いてるよ」
「本当によくご存知ですね。よく瀬生の飼犬と言われるのですが」
臆することなく、由祇は笑う。
しなやかな木材の感触を足裏に感じながら、望月は後に続いた。
道場の中央へ進み、由祇はある一点を指差した。指の先に立てということらしい。
自然、由祇とむかいあわせになった。
少し視線を上げると一つだけ額が飾られている。墨汁で重々しく「森羅深斬」と書かれていた。
広くもなく狭くもない、古くもなく新しくもない、だが丹念に磨かれた道場だ。質素で飾り気が無い。正々堂々と、互いの力を試すにはふさわしい。
「師範代が務まるのは、瀬生には俺しかいません。今、俺は怪我するわけにはいきません。怪我は最小限にしたいので、竹刀で手あわせ願います」
人のことは言えないが、由祇は筋骨隆々(キンコツリュウリュウ)というにはほど遠い体格をしていた。背は決して低くは無いが望月の目線までしかない。最低限の肉さえついているか怪しい華奢な身体だが、竹刀を持つ姿は様になっていて、貫禄さえ感じさせる。
物心つく前から剣を握っていたに違いない。
「おまえ、歳いくつ?」
「十七ですが?」
「へぇ、オレより一つ下で師範代か、やるなぁ」
「……老けてるんだな」
望月の背後で嘉凛も同じ事を呟いている。癪ではあったが、あえて望月は歯を見せて笑い、一礼した。
「よく言われる。実は同年代だから、気を使わないでくれ」
由祇はくすりと苦笑いを浮かべ、下段正眼の構えを取る。
「お手柔らかに」
「そっちこそ」
そう応えながら、望月もゆっくりと重心を落とした。
こいつ強いな。
互い隙が見えず、睨みあっていた。先手を取り損ねた今、しばらく様子を見るしかない。長期戦になる覚悟を決め、望月は息を潜める。それは由祇も承知なようで、全神経をこちらにむけながらも、眉一つ動かさなかった。
不意に、由祇が口を開いた。
「……存外に上品だ。もっと、手荒く攻撃してくると思っていた」
「そりゃどうも。遠回りな嫌味で牽制しているのかもしれないが、礼を言っておく」
「そして冷静」
由祇の目に光が宿った。
無意識のまま、望月は竹刀を振っていた。
反射的に由祇の刀を払っていた。さもなければ手首を突かれていただろう。
「なるほど。まさに青天の叢雨」
また、二人は構えを取り直す。その動きには隙が見当たらない。
にやりと笑い、望月は訊いた。
「一つ聞きたい、足技は有りなのか?」
「大怪我しない程度なら何でも。腕試しだからな」
「んじゃ早速」
二人の口元から笑みが消えた。
望月は由祇の左足首を払った。
体形を崩したところへすかさず追打ちをかける、竹刀を垂直に払ったが弾き返されてしまった。再度食らいついた右足もまったく動かない。
腹部を突いて間合いを取ってから、すかさず面を狙う。激しく面へ叩き込んでから小手を打とうとするもすべて捌かれてしまった。胴に振るわれた由祇の竹刀を阻み、同時に襟元へ手を伸ばしても、逆に長い指が望月の襟を捉えてくる。
瞬く間に、望月の長身が輪転した。
「ぅんっぐげっ!」
頭部への衝撃は防いだものの、気がつけば由祇の竹刀はすでに鳩尾にむかっていた。ならば、腰を捻り、右半身すべてで蹴り上げる。
すんでの事で、足は避けられてしまった。
「……柔術も使えるんだな」
上体を起こし、望月は言った。
「雨音深斬流は古武術の流派。森羅万象と戦い、実践から生まれた総合武術。斬るためなら手段は問わない。もちろん、竹刀もどう使おうが構わない」
先ほど竹刀を横に払った時、右手が竹刀から一瞬離れそうになったのを見ていたようだ。
話をしていても、由祇の眼は鋭い。数多の敵を薙ぎ倒した者のみに宿る、武士の瞳だ。わずかな隙も許されない。
「へえ、こりゃ刀だけの勝負にしときゃよかった」
泣言を漏らしつつ、望月は竹刀を脇に構えた。
そして剣先を天に指ししめす。
完全に、目は醒めた。
足を刈るか、腹を抉るか、やはり首を仕留めようか。
由祇もまた脇に竹刀を下ろした。刃は上をむいている、鞘へ刀をしまったような形だ。
下町の喧騒は遠い。静かなものだ。聞こえるのは小鳥のさえずり、水のせせらぎ。望月は耳を傾ける。
しばらくたち、ようやく屋敷の方向から少年の声が聞こえてきた。とたん、辺りがざわめき出す。彼こそがタチバナという人物だろう。
由祇の重心が動いた。その抜刀よりも早く、のどへ切っ先を突きつける。
望月は刀を止めた。
と同時に、脇腹へ痛みが減り込んできた。
「ぅっがぁ!」
「相打ちか」
間抜けな呻きを上げる望月をよそに、至極、あっさりと由祇は身を正した。
「っ痛てぇ。手加減しろって言ったのおまえだろ!」
「すまない」
腹を摩りながら、望月は呼吸を整えた。
脇に減り込んできたのが真剣なら、死んでいた。そう思いため息がこぼれた時だった。
「は〜い、そこまで」
やたらと緊張感を削ぐ拍手が聞こえてきた。
拍手と声の主は少年だが、少女のように見えた。
由祇より年下、十五・六だろうか。大きなつり目に小さめながら高く尖った鼻、髪は柔らかげで、全体的に猫を思わせる。何より目を惹いたのは、色だった。
白亜色の肌に、黄金色の髪と眼。打潮の人間にしては肌、髪、眼、すべての色が明るい。はるか西方の国の人々は、髪の色や肌の色がとても薄いと聞いたことがある。その西方の血が混ざっているのだろうと望月は思った。
「へぇ、瀬生氏の嫡子?」
確信を持って、望月は言った。
瀬生氏は色々な意味で有名だが、一番の所以は、さまざまな異国の血が混ざっていることにある。元は大国の一族と伝え聞く。
「ええ、よく知ってますね」
彼は深くにっこりと微笑み、握手を求めてきた。
「はじめまして。瀬生 橘です」
その透き通った手を握るのに、望月は一瞬だけ躊躇した。そう一瞬だけだったのだが、橘は見逃さなかった。催促するかのように手を更に差し出してくる。
「よろしく……、ってオレは、とりあえず、合格したってことなのか?」
「ええ、腕の立つ人を探していたんです」
にっこりにっこりと、やたら微笑んでくる。商人らしいと言えばそれまでだが、握手をしながら、得体が知れないと望月は思った。
「何のために?」
「商売をしていると、いろいろと護衛が必要になるんですよね」
「へぇ、いろいろねぇ」
言葉尻を取る望月に、橘は言った。
「ちょうど今日からは、特に、必要なんですよ」
瀬生の屋敷と道場は繋がっていて、望月は中から瀬生の屋敷へ案内された。
今まで見たこともないような長い渡り廊下を渡らされた。橋という方が正しいかもしれない。中庭にも廊下は架かっていて、様々な庭園や飛び石、池や鯉を跨いで、この離れまでやってきた。
広いにもほどがある、と望月は思う。
やっとのことで着いた離れも広く、一人寝るには大きすぎる。日頃使われていないようだが換気や手入れは行き届いていて、望月の口からため息がこぼれた。