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六 左手に桜 右手に橘
 うっそうとした神名備の森を日向宮は歩く。
 牛車に乗るでもなく馬に乗るでもなく、皇帝の第三皇子である日向宮は、自らの足で歩いていた。

 今は風花が、京の人たちに見られたらアタシ殺されちゃうよ、と言いながら渋々馬に乗っている。
「ヒューガちゃん、ツッキー探してたんじゃないの? 一緒に連れてかないでいいの? アタシ、ツッキー好きなんだけどなぁ」
 残念そうに手綱を引いている風花に、日向宮は笑いながら言った。
「例えばだ、風花。望月が刃を剥いたなら、そなたは返り討ちにできるかな」
「あ、そっかぁ……。ムリだねぇ」
「なぜあやつが月読見を持っているのか、まだ解らぬ。瀬生にいた理由も、まだ解らぬ。私の母は業倉ワザクラの出、恨みを持たれていたとしても、仕方あるまい」
 望月が業倉で何を見たのか。まだ十九歳だった閼伽祢アカネが、なぜ死ななければならなかったのか。それについてはまだ何も知らない。
「月読見について、それは瀬生の若君に任せよう。あの子はたいそう興味を持っていた。しばし一任し、様子を見る」
「だからみんなの前でツッキーのことつくよみぃ、つくよみぃ〜って言ってたの? セーカク悪いねぇ、ヒューガちゃん」
「無駄な労力を省くのは上の勤めであろう、風花。情報を得るには、ただChessを打ちに行くだけで良い。行方不明にされぬよう、ある程度の存在価値は見せねばならぬがな」

 扇を閉じながら眼を伏せる日向宮に、風花は言った。
「さっそく命狙われたのに、ヒューガちゃん、ノン気ぃ。ムダなローリョク作ってるよぉ」
「今回の事は、何も心配することはない。姫が教えてくれたのだ。あの穂村という女が、ゾクを手引きしていたそうな。狙いは瀬生の若君、ほんの一手目に過ぎぬのだろうがな」
「姫? ああ、わんこのカエたん?」
「姫もそうだが、瀬生のすべてが私に物語る。瀬生の屋敷は実に異彩を放つ品ばかり。Chessに楓の大木、壁に障子、すべてが私に物語ってくる」
「そのヒューガちゃんがよく言ってるモノガタリって、なんか楽しそぉだよねぇ」
「そう……、愉快」
 呟くと同時に視線を上げ、扇を広げた。

「さっそく、物語が一つ」
 扇の元へ何かを呼び入れる。

―――実に面白きウツワであった。

 その声は、やはり日向宮にしか聞こえない。風花にはいつも日向宮が独り言を言っているように聞こえる。

―――月読見を操りし青年。鬼神キジンと呼ぶに相応フサワしき器であった。

「だろうな。そやつのどこかに、刺青はなかったか? 輪桜ワザクラと呼ばれる紋の……」

―――まさに。首筋に、その輪桜という紋章を受けていた。

「首筋に……」
 眼を大きく開き、感極まった日向宮の声は震えた。
多咲タサキだ」

―――ほう、あの青年、その様な優美なる名が。

「さよう。その業は多彩にて多大、咲き乱れる花の如し」
 扇子を唇にあて、その名の持つ響きを味わうかのように、日向宮は呟いた。
多咲タサキ望月モチヅキ

「ツッキーのこと?」
 日向宮とその視線の先を見ていた風花が、退屈しのぎに口を挟んできた。その風花に目をあわせ、日向宮は微笑む。
「そうだよ」

―――この女子オナゴの腕にあるも、月読見に似た得物エモノと思われるが。

「さすが、良い目をしている。この万力鎖マンリキグサリこそが『風花』。地に触れることなく、風のままに舞う、雪花のごときシロよ」

―――成る程。すべては現人神様の思うがままであらせられるか。

「いや、中々に世知辛セチガラい。だからこそ、そなたの気も晴らせるというもの」

―――如何にも。神剣・月読見との共鳴、実に素晴らしき一時であった。

「それは本望」
 次は禍神へ、日向宮は笑みを見せる。

―――では、またのお呼びを願い申す。

「さらばだ」
 今は亡き業倉の姫君・閼伽祢アカネの愛を一身に受け、当主・業倉ワザクラ明才メイサイをも認めさせた鬼才の桜『多咲』。その多咲が月読見に選ばれたのは当然の話。
「多咲望月の動向は瀬生で聴けば良い。実に……、楽しいこととなった」
 声を出し笑いはじめた日向宮を、ただ風花はいつものことのように見ていた。

 橘は、椅子に座って報告を聞いていた。左腕の傷が痛むせいか、目の下にはくまができている。
「……で、望月の首に、輪桜の紋があって、それが西のサクラの証だと」
「はい。西のサクラだった、昔の話だと、望月さんは言っていました。そこまで聞いて、引き換えしてきました。恐ろしかったので……、申し訳ありません」
 深く頭を下げる狼牙ロウガに、由祇は言った。
「いや、いい引き際だった。それ以上いたなら、まず間違いなく望月は気づいていただろう。穂村の気配でさえ、一瞬で見抜いたんだ」
「うん、充分だよ。ありがとう、狼牙君」
 橘も愛想の良い笑顔を浮かべる。
「お疲れちゃん」
 そして狼牙が消えたと同時に顔色を変えた。

「望月、気づいていたのかもしれないね」
「……え?」
 その由祇の驚きに反応して、橘は腕を組もうとした。腕の傷を触りそうになり慌てて引っ込める。
「望月に関する情報を整理しよう。望月は西のサクラだったが、今はもう違う。業倉に秘蔵されていた神剣『月読見』を持っている。瀬生に来たのは海外に出たかったから。聴いているかぎり、業倉の手先というより、業倉を抜けてきた印象を受ける。瀬生の敵である可能性はかなり低い。可能性が無いわけじゃないけど、ぐんと低くなった。僕の耳に届くのは、むしろ歓迎なんじゃない? 輪桜の紋を見せたのも、わざとっぽいし。下手に探り入れてきたら殺すぞって感じ?」
「……だから、あえて、見逃したと?」
「なにせサクラだもんねぇ」

 橘は、思い切り顔をシカめながら、頷いた。
「望月があのサクラとは、まさかとは思っていたけど、事実だって突きつけられたら空恐ろしくなっちゃった。僕は舐めていたのかも知れないな……」
 望月を、日向宮を、そして季艶院キエンインを。
 強く唇を噛み締めている橘に、どう声をかけるべきなのか、由祇は迷った。

 腕を負傷。そして黒幕が実の姉だと一番に見抜いたのは、日向宮だった。橘には耐え難い屈辱だろう。その上、西のサクラという最強の、諸刃の剣がすぐ側にいる。その望月が、季艶院の手先である穂村と平穏に帰ってきたというのは、何を意味する?

 眼を伏せたまま、橘が口を開いた。
「……望月は、どこにいる?」
「まだ離れにいると思うが……。呼んで来ようか?」
「いや、僕が行く」
 椅子を引き、橘は立ち上がった。

 襖を開ける間も惜しいかのように、橘は言った。
「もしかしたら穂村は、捨て駒を整理するためだけに来たのしれない。僕を殺そうとする可能性も高いけどね。由祇、穂村は殺れるか?」
「本当に、止むを得ないのならばな」
 出来るかぎり避けたいが、可能である。

「じゃあ、穂村と共に季艶院へ挨拶に行くのもいいかな」
「挨拶?」
「うん、お礼をしないとね」
 池を泳ぐ鯉を眺めながら、橘は声を出して笑い出した。
「面白くなってきたね、望むところだよ」
「橘……」
 腹を抱え、気が触れたに橘は笑い続けている。
「由祇が心配することは何もないよ。これは、僕と季艶院との問題だ。望月も供に、都へ行ってもらおうか」
 諸刃の剣ということは、橘は百も承知だ。現に今も橘は傷を負っていて、左腕から血を流している。
「……ああ、そうだな」

 由祇には、季艶院が橘を嫌っているのは解っていた。痛いほど解っていたのに、まさか本当に殺そうとするなんて、思わなかった。考えたくなかったのだ。
 だが始まってしまった。
 橘は、宇都京ウツノミヤコで何をするつもりだろう。季艶院は、どう切り返してくるのだろう。自分は、その二人をどうしたらよいのだろう。
 整理のつかない問題に心を捕られていた由祇の左腕を、橘が掴んだ。
 先客がある。
 望月がいる桃の舎へ入ろうとしているその背中を見て、二人は足を止めた。

 日向宮は瀬生を去った。報酬をもらったら、次は自分が旅立つ番だ。嘉凛と瀬生の街を探索しようとは言っていたが、長居は無用。しかし次はどこへ行こう……、などと思いながら望月が身支度を整えていたら、前方から人影が近づいてきた。
「わざわざ、足をお運びくださり、ありがとうございます」
 顔を上げながらそう言うと、瀬生セノウアオギリが笑った。
「お見送りいただけるのですか?」
 笑顔を作り聞いたのだが、嫌な予感は的中した。
「望月君、しばらくこの瀬生に留まらないかね」

 橘を襲ったのは季艶院。共に、この瀬生梧の子供だ。
 きっと、この父親は、事実や経緯のすべてを悟っている。それでいてなお穏やかな顔をしているのだから、どう対応すべきか分からない。
「日向宮様はたいそう瀬生を気に入ってくださった。望月君、すべて君のおかげだ。君は、私と橘の、命の恩人なんだよ」
 梧は優しげな笑顔を見せる。
 咄嗟トッサとはいえ、気がつけば望月は、橘と由祇の味方をしていた。仕事の依頼があったとはいえ、西の桜という過去と、それに値する技量を見せてまで、橘たちを庇っていた。それは事実だ。
「橘を護れば良いのでしょうか?」
「いや」
「では、貴方を?」
「いや」
「……季艶院を?」

「いや。槐に橘、二人とも私にとっては自慢の子供だ。どちらであれ、君が護りたいと思ってくれるなら、親としてはとても嬉しいんだがね。どちらの味方をするも良し、ただ傍観するも良し」
「意図が、量りかねますが?」
「私は商人なんだよ、望月君。価値ある人間を、むざむざと手放したくない。ただ、それだけだよ」
 価値ある人間、か。まったく、子が子なら親も親だな。
「……はあ」
 呆けた返事をする望月に、懇願とも強制とも取れる声で、梧は言った。
「この波乱の末を、君も見届けないかね」

 神名備の森に、憑ける神現る。そを軸に、打潮は、波打ち始める。

 梧のはるか背後に、橘と由祇の気配を感じた。
 二人ともかなり人目を引く容貌をしているというのに、気がつけば、ずいぶん見慣れたものだ。傷が痛むのに意固地になって我慢している橘の姿と、本人以上に考え込んでいる由祇の姿が浮かんできて、望月は苦笑いするしかなかった。
 それに、嘉凛との約束もまだ果たしていない。

 何が神で何が軸なのか、見当さえつかない。だが、打潮が動きはじめたのは確かだ。
 自分がどれだけの力になるのか、解からない。今の望月には、行く当てもない。ならばいっそ、波打ち始めた打潮の行末を、見るのも悪くないと望月は思った。
この小説は、いわゆる王道とはかけ離れた小説でしたね。
なにより、主人公のくせに謎が多すぎるという望月は、小説としてかなり難しい設定でした。

物語も、今の久川の文章能力を120%使わないと書ききれないような内容でした。
この小説、かなり書くのが難しかったです。見ている限りではそう見えないかもしれませんが。

ですので、もっと力をつけてから、再度書きなおします。絶対に。

まだ回収しきれてない複線があると思った方、その通りです。そしてすべての複線の答えは、でき上がっていたりします。

絶対に、もっと力をつけて、書きなおします。

最後になりましたが、ご閲覧いただきありがとうございました。