五 息吹を憑ける者 下
西の桜、それは打潮の西方を統治する業倉氏が生み出した最凶の兵師。状況に応じ自ら動く、精密兵器。望月はその一人だった。
揺るぎない証として、業倉氏の家紋・輪桜が首筋に刻み込まれている。焼いても剥いでも、いまだその紋は輪桜の輪郭を残していた。
「オレは西の桜だった、だけど、昔の話だよ」
硬直している笹戯に大刀を投げ返す。
ガランという刀が床に落ちた音で、ようやく笹戯は平静を取り戻した。
「……業倉じゃあ、人殺しただけで出世できるんだってな。西の屍桜って奴だ。ただでさえ、えげつない烏合の衆なのに、更に落ちぶれたってわけだ」
「否定はしねえよ」
すべて本当のことだ。西の桜なんて、しょせんは、ただの人殺しでしかない。敵を欺き、容赦ない制裁を下す。人間の屑、その桜がさらに落ちぶれた姿、それが今の望月だった。
「さっきまでの腑抜けた態度はどうした? まだオレと戦うつもりか?」
「朽ちたサクラが、えらそうに……」
ため息を吐く望月に、笹戯はまた挑発をはじめる。
「そういや三月ほど前に死んだ姫がいたよなぁ……」
「姫は関係ない」
ぴしゃりと言い返した望月を見て、笹戯は薄ら笑いを浮かべた。
「西の桜って言ってもたいしたことねぇんだなぁ。いや、たいしたことがないから桜を辞めさせられたのか? 姫に忠誠でも誓ってたのか? 業倉閼伽祢、奴も、えげつない桜の一人だったんじゃねぇか?」
その言葉に、全身から血の気が引くのが、望月には解った。
後は雨音寺由祇に任せ、日向宮は大広間から立ち去った。歩くことしばし、見事な大木の下に小さな影が一つ。
―――おじさん。おじさん。
懸命に呼びかけてくる姿が愛らしい。
日向宮は笑みを見せる。
『約束通り会いに来た、姫』
そう答えると更に嬉しそうに、姫は尻尾を振った。
黄金色した、小柄な姫君だ。
こちらに駆けつけようとしているのだろうが、縄につながれていて前足が上がり、手招きしているように見えた。
「ヒューガちゃん、足汚れちゃうよ?」
「そうだな、代わりの足袋を頼む」
「もぉぉ、ヒトヅカイ荒いなぁ」
頬を膨らませる風花に、日向宮は苦笑を浮かべた。
「いつもすまぬな」
土の上にそっと足を乗せた、普段の日向宮には到底許されることのない感触だ。少し湿り気があるが、柔らかくて気持ちが良いと日向宮は思う。
いつからだろう、宇都京は華美に飾り立てられ、ほんの近所へ移動するにも、何かに乗せられ、顔までも隠されるようになった。自然の息吹を遠ざけるためだろうかと日向宮は思う。自然は人にとっては偉大すぎて、時に膨大な息吹が溢れ出る。先ほどの望月のように混乱しかねない。
姫はくるくる回りながら、身体をすり寄せて来た。
『……』
くるくるしゅりしゅりくるくるしゅりしゅりくるくるしゅりしゅりくるくるくる……。
しばらく対話は無理そうなので、日向宮はされるがまま時を待った。
そっと木肌に触れると、様々な記憶が、日向宮に流れてきた。
『……楓と言うのか。良い名だ』
大木を驚きながら見上げている雨音寺由祇。その横で彼を愛おしそうに見つめている少女は、瀬生橘によく似ている。
「あっ、あなた様は……」
その少女の声に、日向宮は振り返った。
大木に残像が深く焼きついている少女、瀬生撫子が、足元を凝視していた。
「履物を、今すぐご用意いたします」
「構わぬ。変わりの物を、持って来させている」
撫子はかなり緊張していて、手足が震えていた。その様相を、楓は不思議そうに見つめている。
「この子は、そなたの犬か」
「は、はい……」
毎日欠かさず、散歩をし、毛を梳いてあげているようだ。大木はそれをいつも見守っているらしい。優しい大木だ。そして、優しい少女だ。
「とても、良い子だ。大切にするがよい」
優しく包み込むように、日向宮は微笑んだ。これで少しでも緊張が解れたらよいのだが。
風花が来るまで待たせるのも、可愛そうか。
「そろそろ、散歩の時間かな」
犬とともに、撫子をこの場から離れさせる。
少女の姿が消え、独りになるのを待ち、日向宮は空を仰ぎ見た。
姿かたちは何もない、しかし途轍もなく大きな気配がこちらの様子を伺っている。それを、日向宮は、はっきりと捉えていた。
―――現人神様に会い見えることが出来ようとは、有難き幸せ。
「こちらこそ、禍神に遇えようとは、瀬生は実に面白きところ。何故、そなたはここに参った。巫師の声に惹かれたか、それとも、私の声が聞こえたか」
―――両方。
禍神の返事に、日向宮の唇から艶笑がこぼれた。
これが、長い年月培われてきた、現人神の力だ。
巫師とともに現人神が、瀬生の地から、あらゆる息吹に呼びかけたのだ。瀬生の力を、日向宮が掻き回したのだ。望月が倒れたのも無理はない。嘉凛もさぞや反論したかったに違いない。
原因は日向宮。日向宮には息吹と会話し、森羅万象の物語を読み取る力がある。
ではなぜ、そんなことを嘉凛が知っている? 瀬生が不思議がるのは必至。しかしこの力は、優れた巫師だからこそ知りえた秘め事だ。
言の葉にするのは禁忌。
嘉凛は、かろうじて堪えたようだ。
今はまだ良い。
瀬生も嘉凛も日向宮も、それが満場一致の、今の見解。
「そなたは何時、目覚めた。今し方目覚めたのではないな。瀬生を選んだ巫師の、嘉凛の呪力の、賜物か」
―――神のごとき剣から血を受けた。神名備の森で、力を得たのだ。
日向宮は幾度か、業倉の祭壇に足を踏み入れたことがある。神剣・月読見を我が手に納めようとしたものの、それは叶わなかった。月読見は何も語らず、祭壇が物語ってきたものだ、そう遠くない未来の物語を。月読見を操る存在の登場を。
月読見を操る存在が、ついに見つかった。禍神を目覚めさせるまでの存在が。
日向宮の心は期待に膨らむ。
「ほう。ならば、その元へ行くがよい。その神剣は今まさに刃を抜こうとしている」
―――それは、面白い。
「憑ける神剣、名は月読見」
日向宮は、真っ直ぐと、望月がむかった方向を指し示した。
「辿り憑け。そして力となれ」
―――承知。
そう答える禍神には、すでに月読見と望月が見えているのだろう。
―――では、馳せ参るがゆえ、失礼致す。
遠ざかる息吹を感じながら、日向宮は心から呟いた。
「瀬生は実に、面白きところ」
業倉閼伽祢、業倉の姫君。
あなたは自由に生きなさい。鳥のように、思いのままに。あなたが奪ってきた命に罪を感じているのなら、すべて私が償う。あなたの罪はすべて、業倉の、私の罪なのよ。
そう言って微笑んでくれた姫は、もういない。
ふと、姫はどんな顔をするだろうと、望月は思った。
業倉を離れてなお人を斬り続けている望月を、どう思うのだろう。
きっと許してくれるのだろう。いくら身を汚しても、無様な姿を晒しても、姫は許してくれるだろう。
返り血が染みつき、気がふれたように泣いていた望月を、何度も姫は抱きしめてくれた。
姫には感謝している。
心から感謝している。
感謝しかできなかった望月を、姫は愛してくれた。ならばせめて、侮辱させるわけにはいかない。
「……見せてやるよ」
意識無く、望月の口から言葉があふれてきた。
「望月?」
躊躇いがちに問いかける穂村の声は遠い。
月読見が閃き、呼びかけてきた。
―――血を、血を、わが身に血を、さらなる力を。
姫が、業倉が、望月に託したこの『月読見』が血を欲している。
ならば、心ゆくまで、味わあせてやろう。
「人殺し、烏合の衆、オレの事なら何とでも言え……」
月読見を引き抜いた。
「魂を鬼とし、数多の命を糧とし、生きる術を得た屍桜……」
鞘から開放された月読見は、生贄を定め、いよいよ煌く。
「その姿、見せてやるよ」
鮮血が潮を吹いた。
その血が染み渡り、月読見は眩むほどの光を放つ。
「死んだと思ったか? 急所は外してやった、わざとな」
寝台にぶつかった笹戯を蹴り転がす。木の床へ仰向けにされてなお、何が起こったのか解からず、笹戯は呆然としていた。
望月は剣先を下むけた。月読見には、まるで蔦のように、血が絡みついている。笹戯の頬へ血が滴り落ちるには、少し時間がかかった。
「血抜きってやつだよ、頭が朦朧としてきただろ? だが腕はちゃんと動くように斬ってやった。上げてみろよ」
自分の血を顔に浴びてなお硬直している笹戯に、望月は叱咤した。
「上げろっていってんだよ!」
そして、動かそうとした手を月読見で串刺しにし、指を無理やり広げさせる。
「西の桜は烏合の衆だからな、各々が業を生み出す。中には拷問好きな奴がいてなぁ、いろんな業を教わったよ」
望月は右腕から短剣を滑らせ、握った。
「花占っての、知ってるか? 花びらを一つ一つ千切っていってなぁ、占いするんだ。おまえの指は五本、山桜と同じだな。試してみようか? 指と爪、選ばせてやるよ」
月読見が笹戯の血を吸っている。まるで悦んでいるかのように輝いている。その光があまりにも眩しく、望月は目を細めた。
恐怖の余り震えている笹戯の耳元へ、そっと望月は唇を近づけた。そして囁いた。
「西の桜はやるよ、どんなことでも、容赦なくな」
「殺せ、いっそ殺してくれ……」
懇願する笹戯の髪を鷲づかみ、望月は目線をあわせた。
「誰が殺すと言った? 力を見せてやると言ったんだよ」
「望月!」
穂村が叫び声を上げた。
「解かってるんだろ、西の桜を本気で侮る奴なんていない、こいつの言ったこともただの挑発だ。勝負すらなっていないだろうが! もういいから……」
上体を上げながら、なぜか、望月の表情に笑みが浮かんだ。これは喜びから出たものか、満足から出たものか、解らない。
「穂村、何か勘違いしていないか? オレは感情だけで剣を振るったりしない。別に好き好んでやってるわけじゃない」
そう言い放ってから視線を笹戯へ戻し、また顔を寄せた。
「こいつには吐いてもらわねぇといけない、洗いざらいな」
顔は見えないけれど、穂村が蒼白しているのが解る。
「……このまま、生殺しにするのか?」
「わざわざ瀬生の屋敷を襲って、何一つ取らずに退却。こいつ自身に何の利益がある? わざわざ宿取って陣を張るなんて、よほど羽振りがいい仕事なのか、断れない仕事なのか……。とにかく、裏がないはずねぇだろ? 後にいる、黒幕を皆殺しにしないと意味がない」
別に脅したわけではなかったが、望月がそう憤ると、穂村は心底恐ろしげに息を呑んだ。
「何の為に、誰が、こいつらを仕むけたのか」
血を求めている月読見を悦ばせるように、ゆっくりと望月は言った。一分の隙も与えないよう、笹戯を睨みつけたまま拷問に戻る。
「さあ言え、おまえを買ったのは誰だ? 瀬生に送り込んだのは誰だ?」
笹戯は黙りこくったままだ。
「まずは一枚、言う……」
親指の爪に短剣を滑らせる。そしてくいと剣身を持ち上げると簡単に爪は剥がれ落ちた。
指先から流れる血が、床に溜まっている血に混ざってゆく。月読見の歓喜の声が、望月には聞こえるような気がした。
「血まみれだなぁ、早く手当てしないと自慢の大刀が持てなくなるぞ。言えよ、日向宮を殺すことが目的なのか? それとも、瀬生で襲うことに意味があったのか? もう一度言おうか? オレは好き好んでやってるんじゃない。吐け、吐いたらもう何もしねぇよ」
笹戯はやはり何も言わない。
「言わない……」
次は人差し指。望月が爪を剥がそうとした瞬間、背後から刀が伸びてきた。
笹戯の身体から大量の血が湧き出てくる。その笹戯の心臓を貫いた刀は、もちろん望月の物ではない、穂村の物だ。
「……何のつもりだ、穂村?」
穂村が殺したのだ。
笹戯は、完全に事切れていた。
「何のつもりだ? 無駄殺しじゃねぇか! 穂村、おまえ、護衛だろう。雑魚を片づけるだけじゃ何の解決にもなんねぇだろうが!」
「望月こそ、鬼か? えげつないにも程があるぞ……」
「それ、本気で言ってんのか?」
そう問いながら、望月は確信に至った。
「……いや、違うな」
「何がだ?」
「おまえは、笹戯に口を割られたら困るから、殺したんだ」
「……僕だ」
ただでさえ白い橘の顔色が青ざめていて、由祇は心配になった。呼びかけても、右肩を揺らしても、焦点があわない。
「的は僕なんだよ、由祇」
僕だ僕だと繰り返しながら、橘は頭を抱えていた。
「的がおまえ? どういう意味だ」
「狙いは日向宮じゃなかった、僕だったんだよ」
顔を歪め、橘は憎しみを搾り出すかのように叫んだ。
「あのクソ女、ふざけやがって!」
「女……」
由祇は眩暈がした。ようやく、理解したからだ。
「……季艶院」
橘は、思いきり右腕を壁に叩きつけた。
「ああ、季艶院だ。日向宮の警護なんて理由でっち上げて、穂村を送り込んできたんだよ。僕の首を取るためにな」
由祇は眼を伏せた。
「……穂村は今、敵の巣にむかっている。いや、自分たちの巣だな」
「くそ、やられた……」
「望月も一緒だ」
由祇がそう言うと、橘は、ようやく落ち着きを取り戻した。
「……望月か。あの男が、季艶院の手先という可能性は、低いな」
「だろうな……」
でなければあの時、橘も由祇も、殺されていただろう。
「穂村と望月。力の差は、火を見るよりも明らか、だろ?」
「ああ」
橘は笑ってみせたが、強がっているだけだと、由祇は解っていた。
日向宮が噛んでなかったのが不幸中の幸いだった、望月が刺客でなかったのが幸いだった。今、橘が生き残っているのは、ただついていただけだ。
穂村は言う。
「何を言っている? 私はただ、同情しただけだ」
「同情? おまえが? 笑わせるな。爪ってのはな、生えてくるもんだ。生えてくるまで時間はかかるが、比較的後に響かない傷だ。その前に剣を突き刺した傷の方が、絶対に後まで残る。それくらい解かるだろ?」
冷静ぶって刀を引き抜いているが、穂村の手が、震えているのが解った。
「……解ってるが、見ていられなかったんだ」
「ではなぜ、痛みつける前に止めなかった?」
「私におまえを止められる訳が無い」
「ではなぜ、途中で止めに入った?」
穂村は何も言わない。
「おまえは、さっきの姿を見るまで、オレを侮っていた。あの時までオレは、おまえの前では剣を振るってなかったし、見せたのは絶叫して倒れるような失態だけだった。襲撃するのをオレが寝込んでいた部屋にわざわざ変更したぐらいだしな。まあ、警備の人数を考えたら、その判断は正しかっただろう。ここまで悠長に足を踏み入れさせたのも、笹戯と二人でなら楽にオレを殺せると思ってたんだろ? だが、それは無理だと考え直し手出しするのを止めた。笹戯を見捨てたんだ」
やはり何も言わず、穂村は息を飲んでいた。
元が口下手なのだろう。望月も元来は無口だった、ただ生き延びるために、殺しあう度、口先が滑るようになっただけだ。
「興奮したオレなら笹戯を殺すかもしれない、そう思っておまえは傍観していた。殺す気がないとしり、仕方なく、殺させようと仕むけた。それでもオレは笹戯を殺そうとはしない、それどころか尋問すると言い出した。おまえにとって最悪の展開だった、違うか?」
殺気を込め、望月は断言した。
「おまえは、オレが笹戯を殺す気が無いと知ったから、止めに入ったんだ」
穂村は無言のまま刀の血を払った。そして手に力を込める。
深く息を吸い込み、ついに口を開いた。
「ああ、その通りだ」
再び刀を構えるも、穂村の額には汗が浮かんでいた。
「で、どうするんだ? 私を殺すのか? おまえは西のサクラ、加え、その紋はわざと潰したのだろう。正体を知った私をどうする?」
脅しでも、挑発でもない。穂村は確認しているに過ぎない。死を覚悟した目だ。哀れな目だ。そんな人間を望月は幾度となく殺してきた、容赦なく。
「おまえこそ、オレを殺さないと不味いんじゃないのか?」
「勝てると思えんがな……」
覚悟、と叫び穂村は刀を振り下ろしてきた。
真正面から、真っ直ぐに、望月の中心を目がけている。
その左腕の外側を払い、望月の左肩まで滑らせる。穂村の左の肩を掴み両腕を完全に固定してから、望月は、のど元へ指先を定めた。
「そうだな。おまえにオレは殺せない」
「殺せ、殺してくれ、望月……」
心からの叫びなのだろう。穂村もまた必要とあらば自分の命など容易く投げ出す、そう育てられてきたはずだ。どうせ死ぬなら楽に死にたい、人間誰とてそう思うはずだ。今死ねなければ、死以上の処刑が待っている。
「悪いができない」
と、手を緩める事無く、望月は言った。
「それを決めるのは橘か、梧さんだ。だがそうだな、オレが『西の桜』だったことを黙っててくれるなら、おまえのことも見逃してやるよ」
「脅しか?」
望月は軽く笑い、穂村を開放した。
「いや、交換条件だ」
そして両ひざをつき、穂村の顔を下から覗き込む。
「取引は嫌いか? 殺しあうよりは幾分マシだろ?」
見上げてくる望月に、初めて穂村は笑顔を見せた。
「意外と、話が出来る性質のようだな」
「やっぱり意外か……」
ため息をつきながら、首にある輪桜の痕を、望月は指で触れた。
「焼火箸で潰したんだけどな、見る奴が見たらまだ解んのか……」
「私には解からんがな」
「そうか」
穂村なりに気を使ってくれたのだろうかと思い望月は笑う。しかし、
「だが狙っている奴は多いだろうな。サクラの首は、高く売れる」
やはり穂村に思いやりの心はなかった。
望月が言った交換条件は、実はただの思いやりだったというのに。