決着
瞬と鬼人の闘いは、別の場所にも見物人がいた。
彼らは、山奥の洞窟の中で、事の成り行きを見守っていた。
「妹が死ななくて安心したか?」
水晶に映し出される光景に見入っている女性に、少し耳障りで甲高い声がかけられた。
声を掛けた男は、角張った顎と細い目をしたキツネっぽい顔をしていた。
口が裂けているかのように大きく、人間とは違う雰囲気を持っていた。
水晶の前の若い女性は、その問いを無視して、妹の様子を窺っていた。
彼女は、綾香の姉だった。
幼い時に両親を亡くし、それ以来の再会だった。
「さて、私たちの悲願である“霊石”が、あなたの体に宿ったでしょう? 人間の汚い念をたっぷり吸収したのだから。さぁ、一緒に魔界へ行きましょう。そして、汚いゴミみたいな人類を滅ぼすのです」
綾香の姉は、自分のお腹をさすった。
確かに何かが宿っていた。
それが、魔界と人間界の間にある結界を壊す霊石なのは理解していた。
それを、キツネ顔の魔界の下っ端に渡せば、人類が滅ぶことも理解していた。
人類が滅ぶべき存在だということも、嫌になるほど教えられ、理解していた。
だけど、納得できなかった。
赤ちゃんを殺せなかった母親。
村人を撃つより、自分が殴られる方を選んだ警官。
人類のために奔走する謎の狗神兄弟。
ほんの数例ではあるが、綾香の姉の心に何かを残した。
そして、妹との再会が、彼女の心に影響を与えていた。
“人類は、滅ぼしてはいけない”
「霊石は、渡しません」
綾香の姉は、キッパリと魔物に宣言した。
「ハッ? 何かの聞き違いでしょうか?」
キツネ顔の魔物が、綾香の姉に近付く。
彼女は、怖くなって後ずさりした。
「妹には生きていて欲しい。だから、霊石は渡しません」
再び宣言した彼女に、魔物の態度が変わった。
「なるほど、これが肉親の情と言うやつか……。なら仕方がない。霊石さえ宿れば、お前など必要ないのだ」
魔物は、こう言い放つと、体が変化した。
まるで、蝉が幼虫の殻を破って出て来るように、人間の殻を突き破って何かが出て来た。
現れたのは、今まで、さぞ窮屈だっただろうと思われるほど大きな、白い狐だった。
白狐は、真っ赤な口を大きく開けると、綾香の姉に噛みついた。
狙いは、霊石が眠る腹だ。
綾香の姉は、腹を食い破られ、悲鳴を上げる。
悲鳴は、洞窟内を木霊し、響き渡った。
彼女は、出血が激しく、もう声も上げられない状態だった。
薄れ行く意識の中で、天からの声を聞いた気がした。
自分の行いを考えると、てっきり地獄から迎えが来ると思っていたのに、その声は、彼女を妙に安心させ、邪悪な物には思えなかった。
うっすらと目を開けると、若い男性の顔が見えた。
申し訳なさそうな顔をした彼は、低い声で呟いた。
「間に合わなくてすまない」
血まみれの綾香の姉に寄り添ったのは、背の高い青年だった。
彼が、彼女の傷口に触れると、出血が治まり、痛みが和らいだ。
だが、既に大量の血液を失っていたので、死人のような顔色は変わらない。
青年は、白い狐に向き合うと、怒りに震える目で睨みつけた。
平気で人を踏みにじる行為は、彼が最も許せないものだった。
「怒っているのですか? 狗神 剣。怒りは、冷静な判断を狂わせますよ」
狐が話しかけて来た。
口を開かないので、テレパシーのようなもので交信して来ているらしい。
「利用価値が無くなったら平気で傷つける。そんな行為を見せつけられて、冷静でいられる筈がない」
いつもは感情を面に出さない剣が、少し上擦った声で答えた。
そして、虚空から長太刀を出現させた。
「いきなりバトルですか? せっかちですね」
のんびりした狐の言葉に、剣は苛立ちを募らせる。
「急ぐのは当然だ。お前の死を、彼女に見せて安心させる」
剣は、太刀をスラリと抜き放つと、狐に突進した。
狐は、くわえていた霊石を飲み込むと、迎撃体勢に入る。
狐が跳躍する。
剣の長太刀が空を切り、狐は、彼の後方に着地した。
狐は無傷だったが、剣の肩口に鮮血が滲む。
「動きが遅いですね。眠くなりますよ」
狐のバカにした発言に、剣は冷静に対象した。
「なら、眠っていてくれ」
狐は、鼻に皺を寄せて笑うと、言い返した。
「あなたを殺した後にそうしますよ」
再び、両者が交わる。
狐の動きは、剣の太刀筋を上回っていた。
次々と、剣の体に傷が増える。
「いつになったら私を倒してくれるのですか?」
狐のからかうような問いかけに、剣は答えた。
「そろそろだ」
両者の争いは、洞窟の外に出ていた。
そこは、夜の森。
木々のざわめきが、脅かすように響いていた。
地面に、靴の足形があった。
蛍光色で光るその上に、剣は自分の足を乗せた。
剣は、狐に背を向ける格好で立っている。
狐は、その様子を不思議そうに眺めていた。
戦いの最中に相手が自分に背を向けたら、やはり戸惑う。
さらに剣は、足の位置はそのままで、上半身だけを捻り、狐の方に向いた。
「何のつもりです? 遊んでいるのですか」
狐の問いに、剣は答えた。
「違う。避難しているんだ」
狐は、その言葉で気が付いた。
周辺の木々に無数の火の玉があり、狐は囲まれていた。
火の玉の正体は、炎呪札と呼ばれる剣のアイテムだった。
剣が念じれば、火の玉に変わって飛んで来て、相手を焼き尽くす。
狐は、完全に罠に嵌っていた。
「糞ったれ!」
狐の放った罵声に、剣は微笑む。
「そう言う台詞のほうが、お前らしい」
360度から飛来した火の玉に、狐は黒焦げになる。
火の玉は、剣の体を掠めて飛んで行くのもあった。
当たらない位置の目印が、あの足形だったのだ。
白かった狐は、無残な残骸と化していた。
剣は、狐の腹を切り裂くと、霊石を取り出した。
赤い血の色をしたそれは、ソフトボールくらいの大きさだった。
「おい……」
剣は、狐に話しかけられた。
「まだ生きていたのか? すまん、腹を裂いてしまって」
冗談とも本気とも取れる返事を、剣は狐に返した。
狐は、それを無視して話した。
「この世が地獄に変われば、神の時代が来ることが解らないのか? 人類は、苦しめられなければ、神を顧みる事はない。歴史が証明している」
狐の遺言に、剣は答えた。
「すまない、あいにく歴史は得意じゃない」
狐を倒した剣は、洞窟内に戻った。
綾香の姉は、まだ意識を保っていた。
「大丈夫か?」
虚ろな目の彼女は、痛々しいほど弱っていた。
「もう、ダメみたい……。天罰ね」
消え入りそうな声で、彼女は呟いた。
「最後は人の心を取り戻した。よく頑張った」
剣の労いの言葉に、綾香の姉は軽く微笑んだ。
「優しいのね。優しさのついでにお願いしてもいい?」
剣は、同意の印に頷いた。
「妹のことを頼みたいの。次に魔物が利用しようとするのは、妹の綾香だから」
姉妹の絆の強さを感じつつ、剣は請け負った。
「安心しろ。妹さんは、俺たちが必ず守る」
剣の力強い言葉に安心したのか、綾香の姉は安らかに息を引き取った。
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