バットマン「狗神 杉川村編」(16/29)PDFで表示縦書き表示RDF


バットマン「狗神 杉川村編」
作:オリオン



パズルのピース6


 次の日の朝、蟹江刑事は、寺の縁側から庭を眺めていた。
 玉砂利を敷き詰めた庭は、綺麗に掃き清められていて、清々しい気分にさせる。
 松の枝ぶりも申し分なく、盆栽の知識に乏しい蟹江にも、手入れが行き届いている事が解る。

 だが、蟹江の心は晴れなかった。
 ある一つの事件が、彼の心に取り憑いていたからだ。

 15年前の夫婦撲殺事件。
 それと、バットマンの事件。

 バットマンの事件では、後輩の吉田が犠牲になっているし、全国規模で収まる気配も無い。
 ただ、不思議な事に、この杉川村だけは、まだ一件もバットマン事件が起きていない。
 蟹江は、ラジオで毎日事件の経過を聴いていた。
 この村の事が報道され、妻や子供を避難させる人が急増しているらしい。
 ちなみに、この寺にはテレビは無い。

 この天限寺にも、少年が居るし、昨日は少女がやって来た。

 そして、バットマン事件は、別の側面も見せていた。

 誰もがバットマンで復讐されるのを恐れ、愛想笑いと、本心を出せない社会が定着しつつあった。


 恨まれたくない! 恨まれたくない!
 恨まれたくない! 恨まれたくない!
 恨まれたくない! 恨まれたくない!

 この思いで怯える人々で溢れ、職場や学校からイジメが激減した。

 表面上は良くなったように見える世の中だが、根本的な改善では無く、歪んだ形の解決なので、人々の心の奥底には、マグマのように、憎悪が渦巻いていた。

 本当は憎い! 本当は憎い! 本当は憎い! 本当は憎い! 本当は憎い!


 負のエネルギーは、増幅されて行く……。


 考え事をしていた蟹江は、後ろから声をかけられた。
 振り返ると、瞬が笑顔を見せていた。

「おはようございます」

 ハキハキとした挨拶に、まったりしていた蟹江は苦笑する。
 ちょっとテンションについて行けない。

「おはよう」

「刑事さん、元気がないね。モーニングコーヒーでも飲む」

 蟹江も、ちょうどコーヒーが飲みたい気分だったので、瞬に頼む事にした。

「ああ、わるいな、ミルクと砂糖をたっぷりな」

 蟹江の注文は、瞬には意外だった。
 思わず笑い出す。

「ごめん、刑事さんのイメージだと、真っ黒って感じだから」

 蟹江は、瞬の台詞を聞いて黙り込んでしまった。
 瞬は、相手が難しい顔をしているので、戸惑ってしまう。

「どうしたの? 怖い顔して…」

 瞬の言葉に、蟹江は反応した。

「死んだ後輩に、コーヒーを入れてもらった時に言われたんだ。
『失礼、先輩のイメージだと真っ黒って感じだから』
 それを、思い出した。
 あの時、俺があいつの言葉を信じていれば、もしかしたら、死なせずに済んだかも知れない。二人で杉川村に調査にくれば、吉田は死ななかっただろう。この村では、バットマンの事件が起きていないからな」

 蟹江の告白を、瞬は真顔で聞いていた。


「信じたから、刑事さんはこの村に来たんでしょ? 遅かったかも知れないけど……。その、二十代後半でサラサラヘヤーで目がパッチリ二重の優しそうな後輩の人も、喜んでいると思うよ」

 蟹江は、死んだ後輩の特徴を掴んだ発言に驚いた。

「吉田を知っているのか?」

「知らないけど、刑事さんの事を心配そうに見てる」

 瞬は、澄まして答えた。

「……」

「ウソウソ、本当は当てずっぽう。生まれつき勘がいいからさ」

 瞬は、そう言うと奥へ消えた。

 蟹江は、その後ろ姿を不思議そうに眺めていた。


 蟹江にコーヒーを入れるため、台所に向かった瞬は、和尚の声を聴いて立ち止まった。
 

「大丈夫だから、動揺するな……。仕方がないんだ」

 どうやら、誰かと電話で話しているらしい。
 所々、「刑事」や「娘」の単語が聞き取れるが、肝心な部分は小声で話すので、内容までは解らなかった。
 瞬は、多少、気になったが、そのまま通り過ぎた。和尚に関しては、瞬が関知することではない。

 瞬が台所に行くと、綾香がいた。

「オハヨー」

「狗神君おはよう」

 瞬は、綾香の目をみると、なぜか落ち着かない。「挙動不審にならないように気をつけねば!」と心に言い聞かせる。

「姫岡もコーヒー飲むか?」

 瞬に聞かれた綾香は、即座に答える。

「私がいれるよ」

「そっか、じゃ、ミルクと砂糖をたっぷりな」

「狗神くんは、甘党なの」

「違うよ、あの刑事さんのぶん。俺はブラックでいい」

「へえ〜、大人だね」

 綾香は、疑うように返事をした。やはり、蟹江刑事のイメージは、ブラックという事だろうか?


 蟹江、瞬、綾香の三人は、縁側に並んで座り、庭を眺めていた。

「綾香ちゃんは、やっぱり“バットマン”騒動から逃げるため?」

 蟹江の質問に、綾香は頷いた。 

「でも、パパもママもズルいよ。自分たちは大丈夫だって、私だけを杉川村に行かせるんだもん。子供だって、親が心配なの! 子供は親の心配をしてはいけないの?」

 堰を切ったように話す綾香は、泣いていた。仕事がある以上、親は家を離れられないだろう。いつバットマンの被害に遭うか解らない。そんな不安を、綾香は感じていた。
 

 蟹江は、改めてこの事件の解決を心に誓った。死んだ吉田のためにも、綾香ちゃんのためにも、そして、恐怖を抱きながら生活する人々のためにも。

 瞬は、綾香の肩を抱き、慰めていた。
 そして、やはり事件の解決を改めて決意する。

 綾香は、感情に任せて泣いていた。
 無力な自分、先行きの不安を考えると、感情がコントロールできなかった。  
 
 













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