パズルのピース
悪夢に魘された文吉は、布団を跳ね退けた。
肌に粘つくような汗が、彼の恐怖の度合いを物語っている。
今、ここに居る文吉は、既に少年では無い。
あの悪夢から、50年の月日が経っていた…。
天限寺の住職を務める彼は、かつて、父親が殺されたこの場所を、今でも寝室に使っていた。
当然、夜中に魘され、良く眠れない事も多い。
そこに居るだけで、気分が悪くなる事もあった。
もちろん、その場所を物置にして、滅多に入らない部屋にする事もできた。
だが、彼は、そこを寝室として使い続けていた。
それは、彼が自分に架した罰だから…。
苦しまなければ、自分を許す事ができないから…。
文吉和尚は、体にまとわり着く汗を拭うと、布団から起き出した。
身支度を整え、寝室を出た。
長い廊下を歩き、本堂へと向かう。
すると、庭を掃く音が聞こえて来た。
音がする方を見ると、一人の少年が、箒で庭を掃いていた。
「瞬! こっちに来なさい!」
和尚の大声に、少年は反応した。
彼は、箒を肩で支えると、テレテレと近寄って来た。
少年の名は、狗神 瞬。
この寺の居候だった。
瞬は、黒い瞳が印象的な少年だった。
背は中くらいで、敏捷に動けそうな体格をしていた。
髪は黒く、悪戯っぽい表情をする。
彼は、人を小馬鹿にする黒猫のイメージが有った。
「和尚さん、何? この広大な庭を一人で健気に掃除する素直で健康的な若者に何か用?」
少しボーイソプラノの、小気味いい言い回しに、和尚は笑ってしまう。
「実はな、都会から遠縁の子が遊びにくるのじゃ」
瞬は、和尚の話の腰を折った。
「3日前には、都会から怖い顔の刑事さんが来たと思ったら、今度は都会のモヤシっ子か……。ここは何時から宿泊施設になったの?」
瞬の愚痴に、和尚は苦笑する。
「まあ、そう言うな…。仏に仕える者、来るを拒まずじゃ。ところで用件じゃが、お前に駅まで“その子”を迎えに行って欲しいのじゃ。その娘の名前は、
姫岡 綾香と言う。
べっぴんさんじゃぞ」
瞬は、姫岡 綾香を迎えに行くため、自転車を用意した。
自転車の二人乗りは犯罪なのだが、この田舎町ではお巡りさんも多めに見てくれる。
ただ、和尚さんは口うるさく言いそうなので、こっそり寺の門を出た。
門の外は、割と大きな二車線の県道になっている。
瞬は、広く取ってある歩道で、自転車を走らせた。
すると、寺の近くでエンジンをかけたままの、白いワンボックスカーが止まっているのに出くわした。
車は、スモークガラスで中が見えないようになっていた。
瞬は、自転車を漕いで、その横を呑気に通り過ぎる。
しかし、急ブレーキをかけて止まった。
キキーッ
軋んだ音が、辺りに響く。
瞬は、自転車に跨ったまま、ワンボックスの方まで戻って来た。
そして、運転席の窓を、軽く叩いた。
ウインドが下がり、顎の角張った男と対面する。
七三分けの男は、目が細く、抜け目が無さそうな顔をしていた。
信用0の作り笑顔が、瞬の心に警戒警報を鳴らした。
「あんたさ、人間じゃないだろ? 加齢臭を隠すために付けたシトラス系の香水くらいプンプン匂うんだよ…。
魔物の匂いがさ」
真顔で話す瞬の前で、男の表情は険しくなる。
意外と目つきが鋭かった。
男は、大きく広角を上げた。
鼻筋に、犬のような縦皺が入る。
細い目といい、先の尖った鼻といい、男は狐をイメージさせた。
そして、ワンボックスはいきなり急発進!
取り残された瞬が、黙ってそれを見送るはずが無い!
「たかだか3000ccの車で、逃げられると思ってるの?」
自転車相手なら、逃げられて当然なのだが、瞬には逃がさない根拠があるようだ。
信号待ちまで粘り強く追いかける気だろうか?
いや、違います。
すぐに追いつく気だった。
瞬は、自転車を物凄い勢いで漕ぎ始めた。
ほとんどバイク並みの加速をする。
しかし、災難はすぐそこにあった。
交差点で、瞬の進行方向の信号が青にもかかわらず、横から乗用車に衝突された。
瞬は、自転車ごと吹き飛び、交差点の真ん中に投げ出された。
キキーッ キュン キュン
タイヤの軋む音と、エアブレーキの慌てた悲鳴が響く。
ダンプカーが、瞬の背後で急停車した。
自転車は、当然スクラップと化していた。
服もボロボロになった。
だが、瞬は何事も無かったかのように立ち上がると、遠くを見ていた。
白いワンボックスが、遠ざかって行く。
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