掌編――人魚
ねえ、知っていて?
人魚の肉を食べた者は不老不死を得るんですって。
ええ、私も最初は御伽噺だと思っていたわ。
そう、こんな体になるまでは……。
人魚の肉を食べたのはいつだったかしら。
あまりに昔の話で、もうよく覚えていないわ。
どこから手に入れてきたのか、母様が死にかけた私に食べさせてくれたのがそれだった。
私は健康な体を手に入れ、同時に永遠の時も手に入れた。
それから。
長い間。
それこそ気が遠くなるほどの長い時間、私は一人でさまよっているの。
何があっても死なない、って訳じゃないわ。
ビルの上から飛び降りたり、車にはねられたりして、体を焼かれてしまったらおしまい。
さすがに灰から復活はできないらしいのよ。
母様の死を目の当たりにした時には本当にショックだったわ。
火に投じられた母様の体はまだ生きていたのに。
火の中から聞こえてきた母様の最後の言葉はいまでもはっきり覚えているわ。
恐ろしい呪詛の言葉。
あまりの恐ろしさに、私は耳をふさいで縮こまっていたわ。
知らずに自分を燃やした男への、そして助けにこない娘への、呪いの言葉。
母様を焼いた灰から、母様は二度と復活してこなかった。
あれから、私は一人ぼっち。
同じ時を生きてくれる相手なんていやしない。
きっとこれは母様の呪い。
いいえ、人魚の呪い。
どこにも私の居場所はない。
ひとときの宿を求めて転々と流されていくだけ。
たまに自分の時間を止めたいと思ったこともあったわ。
でも、だめ。
人魚が私を死なせてくれない。
母様よりも、私のほうが体の回復が早いの。
だから、もう痛いことはしたくない。
あら、雨が降ってきたわね。
そろそろ宿に帰らなくちゃ。
ナオヤが心配するわ。
私をかりそめにでも愛してくれる独り身の男性。
宿を借りるのはそういう愛に飢えた人がいいわ。
夜毎私の体を愛撫するだけで、私の言うことを何でも聞いてくれるようになるもの。
ナオヤは私を満足させてくれるのが上手いのよね。
今までの相手とは全然違うわ。浮気もしないし。
私を捨てようだなんて微塵も考えたことがないみたい。
本当はそろそろ出て行く頃合だけど、もうしばらく一緒にいようかしらね。
今私が出て行ったら、ナオヤはどうするかしら?
泣いてくれるのかしらね?
「おかえり。ほら、ヒメ。ご飯だよ」
ナオヤの声。
私はピンと尻尾を立て、にゃーん、とかわいく鳴いてみせた。
しばらくは一緒にいてあげるわ、私のかわいい人。
別館ブログからの転載です。