新/043/【血】
※:10月27日/変更完了。
「──あ………ああぁあぁぁああああぁぁぁああ!!?」
貫かれ、鮮血を撒き散らし、自嘲するように笑いながら、目の前で神崎夜月が倒れていく。
どこから見ても、完全に致命傷。
──間違いなく、神崎夜月は死ぬ。
それを理解してしまった瞬間、恐怖という名の暴流を塞き止めてくれていた強者の支えを失い、メメの心で何かが決壊した。
西園寺七海は夜月を最強と見るが、進藤メメは夜月を無敵として見ていた。
もちろん、頭では夜月だって敗北するということも、死ぬということもあると理解している。
だがしかし、それはあくまで理屈の上で、だ。心の内では夜月のことを誰よりも何よりも強い、圧倒的で絶対的な存在だと思っていたのだ。
それは自分が乗り越えるからには強大で居てほしいという願望と、今はまだ乗り越えることが出来ないという恐怖から来るモノだった。
その夜月が、敗北し、死んだ。
あまりに受け入れ難い事実は、理性が認めても、感情が認めず、結果メメの脳はエラーを無数に引き起こし、呆然と立ち尽くす。
──そんな場合では無いというのに。
細い足首を誰かに掴まれた。ひんやりとして、命の波動を一切感じられない手だ。
「ひっ!!」
メメは弾かれたように状況を再認識させられる。
今は三方を死体の群に囲まれているのだ。停止している場合では無い。
掴まれた足を無理矢理振り払い引き剥がす。幸いにも死体はSTRが低いので剥がすのは容易だ──一体なら。
一体、二体、三体と、這いよって足を掴み、更には腰に抱き着かれる。
先程スカートを脱ぎ捨てた為に、パンツ越しに顔を押し付けられ羞恥心が激しく反応。更にそれが男だと分かり、嫌悪感が凄まじく刺激された。
先程言った通り、引き剥がすのは容易だ。だが問題は重量。筋力が落ちたとはいえ重さは変わっていない。人一人分の体重をかけられれば、動きは止まり引き倒される。
「っぁぁぁぁああああああ!!!」
なんとか振り払うも、今度はブラウスやサマーセーターを掴まれ動きが止まり、再び足や腰に何人もが組つく。
引き倒されれば終わる──いや、もう既に終わっている。
メメだってそのことくらい、しっかり分かっている。
夜月がいない以上、メメにある勝機は0だ。逃れたところで、死ぬのが遅いか早いかの違いしかない。
それでも逃げるのは、恐怖故だ。
しっかりと覚悟はしていた。敵とはいえ、殺す気で弓を引いたのだ。武道家として、メメはしっかりと自分の死を覚悟していた。
だがしかし、せめて、敵意か殺気か憎悪か怒りか悪意か欲望か、とにかく何でもいいから感情を持って、意思を持って殺してほしい。
ただ淡々と、無人の工場で機械が行う流れ作業のように、自分の命を奪うのは許容出来ない。
無意識に踏み潰された蟻のように死ぬのは絶対に嫌だ。
死に対する恐怖というよりも、自分の覚悟が、自分の信念が、自分の生き様が、自分の全てが否定されるようで、心が絶望で塗り潰されていく。
サマーセーターを破るように脱ぎ捨て、ブラウスのボタンが弾けるのも気にせず身を捩り、振り払う。
ほぼ半裸で冷たく硬いタイルの地面を転がり、距離を取る。
だが当然ながら死期が少し延びただけ。いや、延びてないかもしれない。
「な、な、み………」
二メートルも離れていない真横に、金属鎧を軋ませながら、桐原光がゆっくりと歩み寄る。
メメは無様に四つん這いになりながら頭を上げる。
願いを込めて頭を上げる。せめて嫌悪でも侮蔑でも嘲笑でもいいから、なにか、なにか感情を持って、その剣を振り上げてほしい。
「──ああ………」
何もない。
その瞳はメメを一切映していない。路傍に転がる石と進藤メメという名の少女の区別すらついていないだろう。
両目を瞑り、もうじき来る死に歯を食い縛りながら耐える。
失神出来ればどれほど幸運だったか。中途半端に精神力が高かったせいで、メメは今この瞬間ですら、思考能力が残っている。そして、みっともなく生にしがみつく自分の本能が、走馬灯を瞼の裏側に映した。
武術の道場ということ以外は、ごく普通の家庭で、両親とも、姉とも仲はとても良好だった。
友達は多い方じゃなかったが、ぼっちというほど孤独でもなかった。
告白をされることはあったが、初恋すら自分はしたことがなかった。
辛いことは一杯あったけど、楽しい日々だった。
「──なんで、あなたなんでしょう?」
そんな人生アルバムの最後のページに映し出されたのは、自身にとっての恐怖の象徴。
親でも姉でも友でもなく、まさか神崎夜月が一番最後に脳内を占めるとは、あまりの皮肉に思わず苦笑してしまう。
「なぁなぁみぃぃ」
既に傍までよってきた光が黄金の剣を振り上げる。
やはりその瞳にメメは映っていない。
心臓を握り潰されそうになる程の恐怖が、生存本能を刺激して、咄嗟に逃走しようと身体に力を入れる。だが理性が意味の無いことだと無理矢理身体の力を抜いた。
無様過ぎる死に様。
人間の無力さと愚かさを象徴しているようで、雛程ではないにしろ、夜月に最後の最期で憧れを抱いた。
「あの怪物は、最期でも変わりませんでしたね」
その呟きは誰にも聞かれず微風に乗って散り行く。
そして俯く頭に、剣が振り下ろされ──
◆◆◆
《LPの全損を確認。
ability:【潜む者】が発動しました》
《あなたの【血】に潜む【者】が覚醒します》
《覚醒率:26%》
《現在のlevelでは100%の覚醒は不可能です。
今後、level-UPに伴い覚醒率が上昇していきます》
《現在の【Status】に【血】に刻まれる種族値が加わります。
現在の覚醒率では100%の種族値は加わりません。
今後、覚醒率の上昇に伴い種族値も上昇していきます》
《■■■/種族値
energy:[LP+260/1000][MP+260/1000][SP+260/1000]
physical:[STR+52/200][VIT+52/200][AGI+78/300][DEX+78/300]
magic:[M-STR+52/200][M-PUR+78/300][M-RES+52/200][M-CON+78/300]
skill:[飛行・Ⅰ][幻魔法・Ⅰ][空間魔法・Ⅰ]
ability:【上位眷属創造】【黒翼】【■■■】【■■■】【■■■】【■■■】【■■■】【■■■】【■■■】【■■■】
tolerance:[毒・Ⅱ/Ⅹ][病気・Ⅱ/Ⅹ][炎・Ⅰ/Ⅴ][水・Ⅰ/Ⅴ][土・Ⅰ/Ⅴ][風・Ⅰ/Ⅴ]》
《【潜む者】の覚醒に伴い、以下のabilityが消失します。
ability:【拒食症】
ability:【不眠症】》
《name:神崎夜月/■■■
level:13
exp:6109
title:【先駆者】【挑戦者】
energy:[LP・504][MP・400][SP・507]
physical:[STR・187(152)][VIT・150(127)][AGI・247(188)][DEX・212(193)]
magic:[M-STR・125(114)][M-PUR・147(134)][M-RES・181(151)][M-CON・142(129)]
skill:[格闘・Ⅸ][短刀・Ⅸ][暗器・Ⅷ][投擲・Ⅷ][杖・Ⅵ][拳銃・Ⅶ][狙撃銃・Ⅴ][気功・Ⅷ][幻魔法・Ⅰ][空間魔法・Ⅰ][飛行・Ⅰ][軽業・Ⅸ][気配察知・Ⅷ][気配遮断・Ⅷ][罠察知・Ⅶ][調合・Ⅴ]
tolerance:[苦痛・Ⅹ][恐怖・Ⅸ][混乱・Ⅸ][支配・Ⅸ][魅了・Ⅷ][毒・Ⅹ][病気・Ⅶ][魔眼・Ⅲ][雷・Ⅲ][闇・Ⅲ][幻・Ⅲ][炎・Ⅱ][土・Ⅰ][水・Ⅰ][風・Ⅰ]
ability:【上位眷属創造】【黒翼】【思考加速】【冷徹】【超回復】【超抗体】【武の力】【頑強】【柔の力】【剛の力】【羽の力】【潜む者/26%】【不屈】
party:【NO NAME/2】
guild:》
◆◆◆
──その時、黄金の剣を振り下ろそうとしていた桐原先輩が、まるで紙屑のように高々と吹き飛ばされた。
「え??」
涙で濡れた顔を上げた私から発せられた声は、恥ずかしい程に間の抜けた声でした。しかし、それくらい理解が追い付かないのです。
恐怖と屈辱で過呼吸気味に加速した吐息を必死で落ち着かせ、視界を歪ませる涙を裾で乱暴に拭う。
そして辛うじて辺りを見回せる程度に回復した私が見たモノは、黒い、それこそ闇の如く黒い三対六枚の翼。
その内の一つが桐原先輩の背中を強打し、弾き飛ばしたようです。
「………神崎、先輩」
その翼の主は、数メートル先に転がっていたはずの神崎先輩。
先程までは無かった三対の黒翼が背中より生えており、本人がゆっくりと起き上がってきている。
「………せ、先輩?」
何故か震える。かつてない程に。
先程までパラサイト・アイテムによってその胸にやるせない絶望が広がっていたというのに、目の前の恐怖という名の暴力は容易くそれを塗りつぶす。
黒だと思っていた絶望は、別にそんな事などなくて、本物の恐怖とは比べるのも馬鹿らしいものだと実感してしまった。
なるほど、本当に馬鹿らしい。
悔しいとか、悲しいとか、そんな感情は本物の前では感じることすら許されず、ただただ、諦めることを強いられる。
黒き三対の翼をその背に、神埼夜月という名の本物は、傷など最初から無かったように起き上がり、天を仰ぐ。
実際には数秒なのでしょう。しかし、それを見ている側は久遠の時を過ごしたようでした。
神話、それも大厄災として語られる神話のプロローグ。
私はそれを目撃した。
「後、お願いします」
私はそれだけ言った後、ごろりと冷たいタイルの地面に寝転がる。
もう、なるようにしかならない。
◆◆◆
(──おお!!)
シャーネは七海達の護衛中、学校にて暴れ狂う魔力を感じ取り、影から浮上する。その間にも二人は走っていくが、すぐに追いつけるので放置。それよりも、遠目に広がるあまりに冷たく、あまりに美しい黒色を、うっとりとしながらその瞳に焼き付けることに専念した。
(ふむ。種族の覚醒の方が先だったか。rankの覚醒が先だと思ったが)
──ability:【潜む者】
──落子の証。
母体となる者が孕む胎児に、自らの種の情報が刻まれた【血】を流し込むことで、その子供を自らの子とする、特定の種族達の繁殖方法。
ただし産まれてくる子は例外無く母体の種族に引っ張られ、覚醒条件が整うまでその子の内に潜み続ける。
そして覚醒条件を満たすと、今までの種族の【血】を侵食し、今まで潜んでいた【者】の【血】が上書きされていく。
もっとも、【血】が覚醒する確立は極めて低い。
何故なら母体は基本的に自分よりも弱い者しか選べないからだ。【血】を流し込まれた子は、その【者】の強さに応じて母体から栄養を摂取する。通常通り緒から送られる栄養ではなく、魂という名の栄養を。それに母体は耐え切れず、出産を前に死ぬことが一般的だ。稀に出産出来たとしても、弱い母体の種に引っ張られる為に、子が【血】の強さに耐え切れず死んでしまうケースも多々。そしてなにより、覚醒条件を満たしたとしても、侵食してくる【血】に耐え切れない。覚醒率は極めて低いと言っていい。
そして夜月の血に潜む【者】は、絶対的な力を持つ存在。
要求される力は、竜クラスの生物でも心許ない絶対者の【血】
それでもシャーネは夜月がいつか覚醒すると、確信していた。
愛故の贔屓目というモノも少なからずあるだろうが、それ以上に夜月の存在の格と、なによりも神埼夜月という男の、強靭で頑強で壮絶なまでの精神故に。
(ふふふふふっ♪これでまた、夜月と妾は近づいた)
まだ完全ではないだろうが、それもまた時間の問題。
◆◆◆
黄金の剣を遥かに超越する力を前にしても、死体の群は変わらず進軍する。理由は単純、そう命令されたから。
それを知りながらも夜月は天を仰いだままだ。
無気力に転がるメメや、無防備に背を向ける夜月に対して、緩慢な動きで近づき──三対の翼の一振りで払い飛ばされる。まるで団扇で扇いだ埃のように容易く。
「ななみぃぃぃぃ」
先程弾き飛ばされて木に激突していた桐原光が起き上がる。
眼球をあちこちに回しながらも、夜月に対してその黄金の剣を構えた。
そして夜月はようやく天から眼を離し、今度は俯く。
「なぁなぁみぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
光は恐怖や迷いを一切感じず、剣を地面と水平に持ち上げ、そのまま疾走する。
──ギョロリ
俯いたままの夜月の右目が光に向けられた。
「…………………わお」
寝転んだ真横を疾走していく光によって生じた風圧をその身に感じながら、引きつった苦笑を盛大に浮かべた。
何故なら眼球が黒いのだ──白目の部分が。
そして濁った黒だった瞳は妖しく輝く金色へと変わり、更には猛禽の如き鋭さを備える。
翼で分かりきっていたことだが、もはや絶対に人間とは呼べなくなった。
「なあああああああああなあ──」
光が間合いに入った瞬間、三対の羽が再び振るわれる。
高速の翼は鞭のようにしなり、凄まじい突風を纏う。目の前に黒い絶壁が出現したかのようで、そこに立ち向かって行く光は美しい外見とマッチして勇者として見えた。もちろん、無謀な蛮勇だが。
「──ぐがっ!」
辛うじて反応できたらしく、剣を盾に羽を防ぐ。しかし力が違う。再び宙に弾き飛ばされる。今度は正面からで、しっかり反応もした。なので空中でなんとか体勢を立て直すことに成功して、メメの横に着地する。
地面を通って伝わる振動を真横から受けながらも、メメは夜月から目を逸らさず、光に全く気を割かない。
さっさと逃げればいいかもしれないが、頭を巡り続けた感情の濁流のせいで、今のメメにはその気力がない。
──ちなみに、メメはtolerance:[恐怖・Ⅴ]に上昇している。
「七海ぃぃぃ!!!」
着地した後、今度は剣より黄金の光線が放たれた。それも一発ではなく、何度も剣を振るって六つの光線が中空に線を刻み付ける。
夜月は防がないし、動かない。【必殺技】が使用されている確立を考えていない訳じゃない。ただ、動かない。
ドドドドドドッ!!
三発の光線が夜月の身体に命中。他の三発は翼に当たる。
だが特に問題は無く、むしろ着弾したこと──いや、放たれたことすら夜月は気づいていないかもしれない。
しかしそれは光も分かりきっていた。今のでは攻撃にすらならないと。しかし何らかのアクションを起こすだろうと予測し、着弾前には夜月に向けて疾走していた。夜月が攻撃に対処する一瞬の隙をつくために。
もちろんその目論見は外れている。そもそも、勝負を挑んでる時点で目論見など無駄。
黒翼を警戒してか、素早く夜月の正面に回る光。
そのまま滑らかに、今までの怪我など一切感じさせずに、上段からの一撃を夜月の顔面目掛けて振り下ろす。
「七──」
だが夜月はその必殺の剣を片手で掴み取る。関節を固定して膂力を上げたとはいえ、夜月にしてはあまりに無造作だ。それでも一切の問題など無く、容易に剣は掴まれて動きを停止させた。
「──うるせえよ」
顔を伏せたまま、夜月は初めて声を上げた。
気だるげで、不機嫌さを隠さない神崎夜月の声。声色は変わらず、されど心に湧き上がる恐怖は別格。
頭を地に擦り付け、神に対する呪詛を永遠と呟き、目を閉じて通り過ぎるのを必死に待つ。それがこの声を聞いた者が取るべき姿かもしれない。
「最悪だ………最低で最悪だ」
俯きながら呟かれる声はきっと小さいのだろう。が、否応無くメメの鼓膜を震わせる。心の震えと共に。
「ギリギリ人間としての身体だったのに、身体までもが本当に怪物になるとは…………皮肉過ぎる」
光が必死に黄金の剣を引き抜こうとしているが、一切微動だにしない。押し込んでも無駄で、ゼロ距離からの光線も無駄。[吸魂]を試みても当然無駄。
「アニメとか漫画みたいにさ、こういう化け物に覚醒したり、侵食されたりすると、大抵暴走するのに、俺はしなかった。いや、正確に言うと抑え込めちまった。結構簡単でさ。今思えば一回爆発してみるのも良かったかもしれない。感情を思いっきり解き放ったらどうなるか………あんま興味はないんだけど、気持ちが良いかもしれないな。椿ちゃんとの性交くらいは気持ちが良いかもしれない………あ、その程度なら別に暴走する必要もなく解消できるのか。まあともかくとして、抑え込めちまったんだよ。分かるか?つまるところ今の俺は鬱憤が晴らせず、最高に最悪な気分なんだ。こうして長々と呟いてしまうくらいにな。まあ、すぐに雨散霧消するんだろうけども。それでも今は機嫌がすこぶる悪い」
夜月としてはかなり、というかかつてない程の長文を呟いた後、そこでようやく夜月は顔を上げた。
黒と妖金の眼球は右だけらしく、左目は何時も通りの濁った黒い瞳。
それでも湧き起こる恐怖は和らぎはしない。
「とりあえず──」
自分を蹴り上げようとしている光の足を踏み潰しながら、夜月は無造作に剣から手を離す。
急に剣を離された為に、後ろにバランスを崩す光。踏み潰された足では踏ん張りが利かず、しょうがないので無事な足に力を込めて、後方へと飛び退く。
後方へと飛び退く桐原光と黄金の剣に対し、夜月は黒い羽を一つ振るう。
「──ッ!!」
地面から足を離し、更にバランスを崩していた関係で、横から迫る羽に対応する事ができない。光は強烈な衝撃と共に勢い良く身体が吹き飛ばされる。
数メートル水平に吹き飛び、硬い地面に叩きつけられて、更に転がり、最終的に用務員の用具入れに激突。金属の激突音と共に、背中からぶつかった光は海老反りに身体を曲げる。鎧のおかげで致命傷にはなっていないが、それでも十分に強烈なダメージとなった。
「気持ち悪いくらいしっくりくるな……最悪だ」
何時もの夜月だったら決定的な隙を逃さず即座に追撃をかけていただろうが、今は違う。はっきり言って、既に光とパラサイト・アイテムなどほとんど意識していない。最低限の気は割いているも、興味関心は消え失せている。加えて言うなら殺意も敵意も。
現在夜月がやっているのは、戦闘では無い。確認だ。この不気味で最悪で最低で、それでいて最強の力の確認だった。光はその為の、サンドバックにすぎない。
「………微妙に力の流動にズレがあるけど、まあ及第点かな?」
三対六枚の翼を羽ばたかせるように動かし、風を起こす。端から見ると軽い感じ動作なのに、どう考えても台風が直撃した日のような強風だ。
それにしても元々は無かった筈の機関なのに、随分と簡単に扱える。まだまだズレはあるものの、それでも自在と言って良いくらいに動かせた。
今までの光への攻撃も、実のところあまり期待しておらず、思いの外攻撃力が高くて驚いている。
──夜月は自覚していないが、翼は身体の一部なので力はSTR、操るにはDEX、更に翼での攻撃は[格闘]と判定されているのだ──
「なああ、なああ、みいぃぃぃ」
ぎこちない動作で光は身体を起こす。
驚異的な回復力を見せていた筈なのだが、どうも限界が近づいているようで、回復が追い付いていない。
その光の様子を目の端で捉えながらも、変わり果てた自分の確認を優先する。
「魔法かな……微妙なのしかないけど」
腰にある短刀を引き抜く。
一度漆黒の刀身を撫でた後、魔法の展開に移る。起き上がり回復に集中している光は完全に無視して。
「──【色彩変化】」
上昇したM-CON故に、一秒で展開を終える。
抑揚の無い声で発せられた魔法名と共に、手に持った漆黒の短刀が黒い魔力光に包まれ、刀身の色が黒から白へと変化した。これが【色彩変化】対象物の色を変える魔法だ。
「………まあ、隠蔽とか偽装とかには使えそうでいいな。魔法と聞かれると、微妙だけど」
次に移ろうとすると、光が回復を終えたようでこちらに剣を向ける。
面倒そうにそちらを一瞥し、短い溜め息の後、しょうがないので相手にしておく。
「なな──」
「──黙ってろ」
三対六枚の翼を後方に広げ、勢い良く前方に向かって羽ばたく。凄まじいまでの突風が前方に生じた。
強烈を極める突風は風の壁となって光を襲う。
光は背後の用具入れを支えに、なんとか防ごうとしたようだが、その用具入れごと突風は薙ぎ払った。
「おおっ?」
突風の予想以上の威力に、自分の踏ん張っていた足が浮き上がり、夜月もまた背後に飛ばされる。
(今度から気をつけないとな)
若干不馴れながらも羽でバランスを取り、メメの横にゆっくりと着地した。
それを見たメメは、自分の格好を思い出して顔を赤くするも、今更だと隠す気も無く自嘲気味に笑みを作る。
「…………霊長類卒業おめでとうございます」
恐怖を感じながらも、メメは皮肉を口に出す。照れ隠しだ。今の状態はあまりに無様なので、こうでも言わないと平静を保てない。
もっとも、夜月は特に気にしないのだが。
「……俺、何に見える?」
「堕天使………は、上等過ぎますかね?」
「良い度胸だ。覚えていろ」
「………………ならさっさと終わらせてください。終わったら私の身体くらい差し上げます」
「良し、二言は無いな。あっても認めないけど」
「──え???」
どういう意味?と、半身を起こして聞こうとしたメメだが、羽を畳んだ夜月はそれを無視して光の方へゆっくりと歩く。
固定されていた用具入れが吹き飛ばされたとはいえ、そこそこの支えにはなっていた。なので光はそこまで吹き飛ばされてはいない。それに吹き飛ばされただけなので、ダメージもそこまで大きくなかった。
剣を支えによろめく身体を必死に立て直そうとしている。諦めるという選択肢は無いようだ。
夜月は面倒そうに小さく舌打ちする。もっとも、予想していたし、例え諦めたとしてもやることは変わらないので、どうでもいいのだが。
夜月の全身から漆黒の魔力が噴き出す。翼や右目、なにより雰囲気と合間って、恐ろしいが故の神秘性を纏っていた。
光が立て直そうとする数秒を使って、魔法を完成させる。
上昇したM-CONでも即座の展開はできなかった。頭を巡る数式のような不可思議な羅列を整理しつつ、「今はあんまり使い道ないかもな」とぼんやり思い浮かべる。
「死んどけ」
展開が終わる寸前、嫌悪と殺意を混ぜた声を立ち上がろうとしている光にかけて、純白へと変わった短刀を構える。
「【小穴】」
魔法名を淡々と呟いた瞬間、目の前の空間に小さな黒い穴が出現。そして更に光の眼前にも黒い穴が出現する。
夜月は胸の前に空いた穴へと、朝日を浴びた白刃を突き刺し──光の顔へと突き刺さった。
──容易く。それこそあれだけの激闘が幻の如く、容易く。
──桐原光は絶命した。
「…………はは、呆気ない」
その様子を見ていたメメから漏れた声は、似つかわしくない程に、緊張感の欠片も無い、乾いて気の抜けた声だった。
Q:『メメちゃんは何で胸当てつけてないの?』
メメ:「……人の身体的特徴を指摘するのは良くないと思います」
Q:『種族値って?』
シャーネ:「levelではなくて、一定の年齢を満たすと必ずそこまでは上がる数値だ。もっとも、病弱だったり、怪我したりすると上がらなかったりするがな。
もちろん、個人差はある。ただ、そこまで変動したりはしない。
夜月の場合、年齢は満たしているんだろうけど、覚醒率が中途半端だからまだ種族値が完全に入っていないのだ」