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境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
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705 誓いの口付けを

 ウェディングドレスの目の覚めるような白。身体を軽く動かす度に煌めくように計算されて配置された真珠。胸元に輝く宝石。
 薄いヴェールの下の表情は、それぞれに違う。やや緊張していたり、視線が合うと微笑んできたり。

 見惚れていたのはどれぐらいの間のことだろうか。それ程長い時間では無かったと思う。彼女達は謁見の間を前まで進んで来ると、俺の周りに規則正しく広がるように立ち止まる。
 そして俺も正面に向き直る。そこで長いローブを纏ったペネロープが静かに言った。

「今日という祝福されるべき日を迎えられたことのお慶びを申し上げます。私もタームウィルズの月神殿を預かる巫女頭として、皆様の新たな門出を祝福する場に立ち会えたことを光栄に……そして、心より嬉しく思います」
「ありがとうございます。こんなにも沢山の方々に御臨席賜り、このように暖かく祝福されて……僕も嬉しく思っております。どこか――夢でも見ているような気分かも知れません」
「皆様は長い戦いを乗り越え、大きな脅威を退けてこの場に立っておいでです。そうしてこの日この時に辿り着いたのです。愛する人達と共に喜びと幸福を分かち合うことができるのも、沢山の人々から惜しみない称賛と祝福を受けるのも、報われるに相応しい行いを重ねてきたからこそでしょう」

 ペネロープの静かな声に、一礼する。

「私は月女神シュアス様に仕える身ですが、ティエーラ様、精霊王とテフラ様やフローリア様……沢山の高位精霊の皆様方が、見守っておいでです。今日の婚礼の儀は素晴らしいものになるでしょう」

 ペネロープの後ろに、ティエーラとコルティエーラ。そして精霊王達が並ぶ。シュアスはクラウディア本人だから……形式に従うと本人に誓うという形になってしまう。だから高位精霊達に見届けてもらうことで婚礼の儀を進める、というわけだ。

「それでは、月女神シュアス様と、精霊の皆様の前で、愛の誓いを」

 ペネロープの言葉を受けて巫女達が祈りを捧げる。精霊の力がどんどんと高まって俺達の周囲を包んでいく。小さな精霊達までもが一時的に顕現して、小さな光の粒となって回る。

「私、テオドール=ウィルクラウド=ガートナー=フォレスタニアは彼女達――ステファニア=ヴェルドガル、グレイス、アシュレイ=ロディアス=シルン、マルレーン=フォブレスター、クラウディア、ローズマリー、シーラ、イルムヒルトを妻とし、生涯愛することを月の女神と精霊に誓います」

 俺の言葉に、皆も続いた。1人1人、俺への愛の誓いを口にしていく。

「では互いに、誓いの指輪を」

 指輪の入った宝石箱を、女官達が恭しくかしずいて差し出してくる。その蓋を開き、指輪を1つ1つ手に取ってみんなの指に嵌めていく。
 みんなの指に収まるごとに、指輪の放つ煌めきと秘めた魔力が増しているように思える。
 誓いの指輪に精霊達の祝福が集まり、婚礼の儀の進行にしたがって力が強まっていくのだ。

「では――」

 誓いの口付けを、とペネロープが口にする前に、ステファニアが一歩前に出て言った。

「ペネロープ様にお願いしたき事が御座います」
「なんでしょうか」
「私は……確かに第一夫人という立場にあります。しかしこれから共に歩んでいく家族……尊敬し、愛するべき人達に対しては私なりの信義や誠意を通したく思うのです。どうか、誓いの口付けはグレイス様からにしてはいただけないでしょうか」
「ステファニア」
「……ステファニア様、それは」
「良いのです。私は、今日という日を一点の曇りなく、憚ることのない日としたいだけなのですから」

 俺とグレイスの言葉を、ステファニアはかぶりを振って止める。
 ペネロープは少し驚いたようであったが……ステファニアの言葉をしっかりと思案するような仕草を見せると、口を開いた。

「信義や誠意を通したいとまで申されては、そのお気持ちを無下にはできません。これから先、心安らかに過ごしていくために必要とあらば、婚礼の儀を取り持つ者として私はこの申し出を認めたく思いますが……列席者の皆様はどうでしょうか?」

 ペネロープが問うと、列席者の中から答えた者があった。

「余は……ステファニアの父であるために公平な立場とは言えぬが……それは何ら名誉を傷つけるものではあるまい。寧ろ、そのような気持ちをこの場にて示せる事を、王家に生まれた者として喜ばしく思う」
「私も、信義を理由として申し出ることのできる勇気と、その親愛を称えたく存じます」

 メルヴィン王とジョサイア王子だ。
 そしてジョサイア王子が拍手をすると、それが列席者の間に波及していく。

「ステファニア……」
「いいのよ。私もみんなも、テオドールと共に歩んでいきたいと思っている。私達の間に、諍いは必要ない。だから誰のためでもなく、私は私自身に誇れると思うことをするの」

 そう言ってステファニアは微笑みを浮かべた。

「……分かった」

 頷くとステファニアも俺を真っ直ぐ見たまま頷き返してくる。

「皆様も祝福して下さるようです。では――改めて誓いの口づけを」

 ペネロープが言うと、グレイスを除いたみんなが、一歩下がる。
 グレイスと……見つめ合うような形になっていた。

「……その、私は」

 グレイスは……まだ逡巡しているようだ。
 一歩前に出る。そして、グレイスのヴェールを上げた。整った顔が露わになる。グレイスはいつものように優しく微笑むのではなく、少し……緊張したような面持ちで。

 タームウィルズに来てから……背丈が大分近付いているような気がする。目線の高さは何時の間にか同じぐらいになっていて、もう少ししたらグレイスよりも背が高くなってしまうかも知れない。

 グレイスの肩の辺りに触れて、そのまま引き寄せる。僅かな抵抗。それも最初だけだった。引き寄せられるグレイスは、目を閉じて。
 そして俺も目を閉じ、口付けを交わす。柔らかな感触と、仄かに香る、甘い匂い。
 吐息を間近に感じながら、そっと離れる。大きな拍手が巻き起こり、周囲を舞う精霊の輝きが増していく。グレイスの、潤んだような瞳がそこにあった。

「もう少しで……背丈、追い付かれてしまいますね」
「……そう、かもね」

 頭をよぎった事は、グレイスも同じらしい。もっと俺が小さな頃。グレイスの腕に抱かれて眠った夜のことを思い出してしまう。だからこれから先は……俺が守って行きたいと思う。

 自分の気持ちを落ち着かせるように深呼吸する。次は――グレイスに微笑みを向けられ、みんなに譲られる形で、ステファニアが前に出た。

「え、っと。次はわ、私?」

 グレイスに譲って。そのまま俺の婚約者になった順番通りになる、と考えていたのかも知れない。だけれど、今度は皆がステファニアを立てた形になるのだろう。その流れにまた拍手が大きくなる。

「みんなも、自分に誇れるようにしたいってさ」
「ん……」

 そう言うと、ステファニアは神妙な表情で頷く。
 ヴェールを上げて、ステファニアと向き合う。ヴェルドガルの3人の王女はいずれも容姿端麗と言われているが……さっきまでの威厳はどこへやら。頬を赤らめている今のステファニアは何というか、小さな女の子のように見えてしまう。どっちの表情も、彼女らしくはあるけれど。

 少し緊張して硬くなっているステファニアを引き寄せ……互いに目を閉じて口付ける。唇に伝わってくる感触と香りと――。
 そっと離れると、ステファニアは少し呆けたような表情をしていたが、小さく咳払いをして後ろに下がった。そんなステファニアを、みんなは微笑ましいものを見るように見送る。

 続いて、アシュレイがみんなから譲られる形で前に出る。ここからは、婚約者になった順番ということになるだろう。
 そっとヴェールをめくると、そこに頬を朱に染めたアシュレイの顔があった。緊張はしているが、決心も固まっている、という印象だ。紫色の綺麗な瞳で、俺を真っ直ぐに見つめている。

「その……ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「こっちこそ。これからもよろしく」

 アシュレイの言葉に微笑んで返し、その細い身体を抱き寄せる。腕の中で小さくなっている彼女に顔を近づけると、目を閉じた。そのまま俺も目を閉じて――口付ける。 
 少し身体を硬くするが、すぐに身を任せるように力が抜ける。そっと離れると、頬を赤らめたアシュレイがはにかんだように微笑んだ。

 拍手と喝采。列席者の中にはエリオットとカミラ、それからケンネルもいて。
 ケンネルはハンカチで目元を拭っているようだ。そんなケンネルをアシュレイも見たらしく、嬉しそうに小さく肩を震わせ、そしてみんなの中へ戻る。

 次は――マルレーンだ。ヴェールを開ければ……いつもの屈託のない笑顔がそこにある。

「これで……テオドールさまや、みんなと……ずっと一緒にいられる、よね」
「うん。みんなで、のんびり暮らそう」

 鈴が鳴るような。マルレーンの綺麗な声に答える。マルレーンはにっこりと笑い、みんなの見様見真似、といった様子で更に一歩前に出た。そんな彼女にそっと触れて引き寄せ、そして口付ける。
 目を開いて離れると、マルレーンは少し頬を赤くしながらもにこにこと嬉しそうな表情だった。気恥ずかしさより嬉しさが勝るという印象だ。

 前に出てくるのはクラウディア。ヴェールを取ると、頬を赤くしながらも金色の神秘的な瞳で、俺を見詰めて来る。

「テオドールと初めて会った時は……こんなことになるなんて全然思っても見なかったわ」
「それは……俺もかな」
「私は今まで皆に取り残されてきたけれど。これからは、テオドールやみんなと、一緒に歩いて行きたい。時間を無為に過ごすことと生きていくことは違うから……これからの変化に戸惑って迷惑をかけてしまうことも、あるかも知れないけれど」
「いいよ。そういうのを乗り越えていくのも、一緒に生きていくってことだろうし」

 クラウディアは……俺の言葉に静かに頷いた。迷宮から解放されて、感情面での変化が出るかもと、クラウディアは気にしていたようだけれど。
 だけれど、思う。地上の民のために月から降りて来たクラウディアは、昔からクラウディアだ。その優しさは元からのものなのだと。

「不安があるのなら、何時だって聞く。クラウディアはクラウディアだから」

 腕の中で、こちらを見上げるようにクラウディアが俺を待つ。その細い肩を抱き、そっと唇と唇を合わせる。
 離れた時――クラウディアは顔を赤くしていたけれど、真っ直ぐに俺を見ていた。

「次は――マリーね」
「わたくしは……最後でも良いのだけれど」

 クラウディアから言葉を掛けられたローズマリーがそんなふうに言ったが、シーラとイルムヒルトは首を横に振った。

「マリーが頑張ってきたのは、みんな知ってる」
「だから、一度テオドール君と戦ったからとか、そんなふうに遠慮する必要なんてない、と思うわ」

 そうしてみんなから促され、ローズマリーがおずおずと前に出る。
 ヴェールを上げれば……ローズマリーはやや硬い表情だ。

「何というか……落ち着かないわ」
「羽扇が無いから?」
「……かも知れないわね。自分の態度を偽るのに慣れてしまって、その……大切なものと、真っ直ぐに向き合うというのは……苦手なのよ」

 俺の言葉に、ローズマリーは苦笑した。

「みんなちゃんとマリーの気持ちは分かってる。だからマリーは、そのままでもいいさ」
「ええ――。ありがとう」

 微笑む。そして大きく深呼吸をすると、ローズマリーは覚悟を決めたというように俺を真っ直ぐ見てくる。そんなローズマリーを抱き寄せて、目を閉じて口付けをすれば……ローズマリーもまた、俺に応えるように、俺の肩に回した腕に力を込めてくる。
 離れると、紅潮したローズマリーはまた自分を落ち着けるように息を吐いて。そして胸の辺りに手を当てたまま、そっと後ろに下がる。

 そして、シーラが前に出てきた。
 耳はヴェールに隠れているが、尻尾はドレスのフリルの間から見えている。そこから窺える感情としては、若干、緊張しているかなという、印象だ。
 ヴェールを開けると、シーラの耳も見える。表情は動いていないが……真剣な表情、かも知れない。

「月から帰って、これで旅も終わりって……ステファニア殿下が言った時。私も寂しくなった。でも……だから、その後でああいう話が出て嬉しかった」
「そうだな。これからは仲間じゃなくて家族だから」
「ん。家族って響きは好き。ずっと私達と家族でいて欲しい」

 シーラは目を閉じて、微笑んで頷く。
 そうしてゆっくり前に出てくる。そっと抱き寄せて、シーラとも誓いの口付けを交わす。
 軽く頬を撫でられる。そうして離れると、ほんの少しだけ頬を赤らめ、一度大きく頷いて後ろに下がる。マイペースな……シーラらしい反応ではあるかな。

 イルムヒルトがシーラと入れ替わるように前に出てきた。ヴェールを開くと、そこには穏やかに微笑む彼女の表情がある。

「家族……か。うん。嬉しいな。タームウィルズに出てきた時は……周りの人達は自分とは違うってことだけわかってて、不安ばっかりだったけれど……シーラちゃんやテオドール君と会ってから、嬉しいこと、楽しいことが沢山増えて。だから私も、これから先もずっと一緒にいられるのは、すごく嬉しい」
「少し、変わった家族の形だけどね」
「ふふ。でも、みんなと一緒なら楽しそう」

 イルムヒルトはにこにこと笑って答えた。
 そうだな。きっと、賑やかで楽しいと思う。
 イルムヒルトの腕に触れて、そっと引き寄せる。目を閉じて、口付けを交わせば、暖かくて柔らかな感触が唇に返ってくる。

 少しの間そうして、離れれば。イルムヒルトは嬉しそうに目を細めて笑う。

「今、この時を以って、女神と精霊に祝福された新たな家族がここに誕生しました。これからの幸福と前途を祝福したいと思います。どうか、皆様の惜しみない祝福を!」

 全員への誓いの口付けが終わったところで、ペネロープが満足そうに笑みを浮かべて声を響かせる。
 拍手と歓声、そして精霊達の煌めきも最高潮に達していた。指輪の魔力も共鳴するように増大し……深く静かに落ち着いていく。誓いの言葉と口付けによって、指輪の祝福が完全なものになったということだろう。みんなの暖かさや繋がりのようなものを、指輪を介して感じる。

 そんな暖かさの中で大きく息をつく。いきなり8人と口付けというのは、中々ハードルが高かったというか……立て続けに誓いの口付けをすることになって頭がくらくらしている。
 それでも無事、みんなとの結婚が成立した、ということになる。みんなと視線が合うと、微笑みを向けられた。何というか……俺の方が赤面してしまう。

 ……だがまあ、これで婚礼の儀も一段落だ。続いてタームウィルズの街に繰り出し、花婿花嫁の姿を見せつつ、みんなをフォレスタニアに招待して披露宴という流れになるだろう。

 ふと天井を見上げて――謁見の間に差し込んで来る陽の光が、暖かくて眩しく感じられて、俺は目を細めるのであった。
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