挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
683/1147

660裏 人魔決戦 後編

 凄まじい防御能力、とローズマリーは感嘆した。
 イグニスとヘルヴォルテ、そして援護射撃を行うローズマリーを相手にして、ザラディはかすり傷1つ許さない。最小限の動きで避け、そこから反撃が可能な瞬間だけを見落とさずに的確な反撃を繰り出してくる。ヘルヴォルテも手傷を負っているし、イグニスも幾度も攻撃を食らっている。自分への瘴気弾に関しては爆裂光や衛星弾といった様々な魔道具で凌いでいるが、それも何時まで続くやら。

 恐らく、ローズマリーが間合いを詰めたところで全く歯が立たないだろう。魔法の鞄の中に詰めた薬剤も、正体を察知する前に危険を感知して対処してくるはずだ。

 だが――。ヘルヴォルテとイグニスが同時に後ろに弾き飛ばされてくる。ザラディは深追いしない。ローズマリーが広範囲に散布されるような、気体状の薬物をばら撒こうと構えたからだ。

「ヘルヴォルテ。みんなの加勢を」

 ローズマリーも、ヘルヴォルテも気付いていた。後方の異変を。あのベルハインという魔人の能力は厄介だ。もう少し人手がいる。

「あなたは――」
「問題ないわ。あいつはわたくし達に任せなさいな。後方が気になって、焦るほうが判断を誤るわ」
「分かりました」

 ヘルヴォルテは静かに頷いて、その場から離れる。

「ベルハイン相手では英断か、焼け石に水かのどちらかではあろうがな。ここからはお主と人形、それから、斧の魔法生物で儂の相手をすると?」
「……気付いていたのね」
「無論」

 ザラディの3つの目で見据えられ、ローズマリーが冷や汗を流しながらも薄く笑う。イグニスが斧から手を離すと、マクスウェルが宙に浮いた。

「人数を減らしたのはお前を、侮っているわけではないわ。ヘルヴォルテをあちらに向かわせたのは……後方の手が足りないからという事の他に意味がある」
「――我が名はマクスウェル」

 マクスウェルは名乗るとイグニスの少し後ろに控えるような位置に浮かぶ。

「まだ――不慣れでな。仲間が多すぎても使えない技がある」

 そう言って。イグニスとマクスウェルがザラディに突っ込んでいった。



 ――もう少しだ。もう少しでゲイザーが敵飛行部隊を射程に捉える。その結果が齎す光景を脳裏に思い描きテスディロスは薄く笑った。
 その時だ。砦の上方から飛び出してきた無数の影がある。背中に翼を生やした、悪魔じみた姿をした石の怪物。

「あれは……ガーゴイル!?」

 それを見て取った副官が叫んだ。テスディロスも、敵方の砦より現れた新手に目を丸くする。
 空飛ぶ石の怪物。金縛りの邪眼を受け付けないその性質は、ゲイザーとの相性が最悪の相手と言える。
 しかも砦から飛び出してきたのはガーゴイルだけではない。
 何やら、白い顎鬚を蓄えた竜人といった風情の人物と、風景が映りこみそうなほどに磨き込まれた銀色の鎧を身に纏った騎士の姿。

 鏡の鎧を身に纏った騎士は、老いた竜人の前に立ち塞がるように空中に陣取る。竜人はガーゴイルの行く先を指し示すように、真っ直ぐ前を指差す。それに呼応して、ガーゴイル達がゲイザー達の元へと真っ直ぐに殺到した。

「ゲイザーの位置を掴んでいるッ!? くっ! ゲイザーを守れ! ガーゴイル共を近付けさせるな!」

 テスディロスが大音声を響かせる。ゲイザーを前に出したのに合わせて敵が手を打ってきたのは間違いない。ここまで何も反応を見せなかったのはゲイザーを十分に引き付けるためか。
 そればかりではない。空に浮かぶ船から、砦から。涙滴型の飛行物体が次々と飛び出してきたのだ。魔人達の与り知るところではないが、それはティアーズと呼ばれる古代の飛行型ゴーレムを修復し、改造を施したものだ。

 ゲイザーが損害を減らし、戦いを優位に運ぶ要であるのだから、それを魔人、魔物問わず守らねばならない。しかし――魔人とシャドウレイヴンが前へ出たところで、異変は足元から来た。水晶のような槍が直下から飛び出し、ゲイザーを刺し貫いたのだ。二度、三度と、連続して槍が部隊の中心にいたゲイザーのみを狙って刺し貫いていく。

「何っ!?」

 地下からの強襲。ガーゴイルを止めようと前に出た魔人達に合わせるように、空飛ぶ船も前に出る。魔人達の飛行術が乱されたそこに、ガーゴイルがぶち当たっていく。

 そして――畳み掛けるとでも言うように。異変は彼らの後方でも起こった。
 思わず振り返った魔人はテスディロスと副官だけではない。後方から、はっきりとした戦意と敵意とが押し寄せてきたのだ。様々な思念、感情が飛び交う戦場とは言え、見逃すはずがない。突然現れたのだ。
 後方に広がるのは穏やかな海だけ、だったはずだ。その海面が不自然に盛り上がる。

「馬鹿なッ! 海からの伏兵だとッ!?」

 テスディロスの表情が驚愕に染まる。盛り上がった海面が、そのまま陸上へと押し寄せてくる。それは巨大な水竜の姿。
 タームウィルズの迷宮の入口から、海の底に作られた石碑へと。転移による増援。人魚の女王と水守り達による、陸地への海の侵食。
 海の底で、何者がどうやってそれを巻き起こしているかは分からない。しかし何故この場所に砦を建造し、何故この場所にベリオンドーラを縛り付けたのかをテスディロスは理解した。しかし、全ては遅きに失している。

「下がれ! ベリオンドーラまで下がれ! 撤退だ! 撤退しろ!」

 叫ぶテスディロス。しかしその命令が戦場のどこまで伝わり、どれ程の者が実行することができたか。
 あっという間の出来事だ。海岸線がそのまま動いて戦場となっている平野に侵食してくるような、不自然な水の動き。あっという間にアーマーリザード達を飲み込む程の水位まで達したかと思うと、眼下の海洋があちらこちらで鮮血に染まった。

 水の中に――何かがいるのをテスディロスは見てしまった。無数の半魚人を従える水竜。
 アーマーリザードもハウンドナイトも。腹の深さ程までしか水に浸かっていないグランドトロールやグレイオーガでさえ、それらに抗う事ができない。

 それはそうだ。水中で暮らす魔物に、水中へと引き込まれて対抗できる陸上の生き物がいるとするなら、それは紛れもない化物に他ならない。ましてや、数で押されては。
 ゲイザー達は空へと逃れたが――だからと言ってそこが安全かと言えば違う。殺到したガーゴイルは他の魔物に目もくれず、執拗にゲイザーだけを狙っている。

 割って入ろうとしたシャドウレイヴンは、水底から飛び出した水晶の槍のようなものに次々貫かれて落とされて行く。水面から大渦が巻き上がってシャドウレイヴンが巻き込まれていく。魔人達ですら落水すればただでは済まないだろう。ましてや、飛行術を乱されては。

 砦から新手の飛行部隊――ヴェルドガル王国騎士団が続々と現れ、空飛ぶ船も再び前に出てくる。煌めく狼のような光が舞って、強引に間合いを詰めようとしたゲイザーが次々噛み砕かれた。
 敵は今や攻勢に打って出た。空中部隊同士の拮抗が崩されようとしている。

 そして……一切合財が水に飲まれた地上部隊はもっと深刻だ。
 ベリオンドーラの保有する魔物の数は相当なものだった。相手がどの程度の規模を想定していたのかは分からない。しかし明らかに数で勝ると感じたからこそ、正攻法で損害を抑えつつ相手の消耗を誘ったのだ。だからこそ、地上には大勢の魔物が展開していて――。

「だから……決定打になり得ない奇策で時間を稼いで、兵力が充分に展開されるまでを、待っていたと……!?」

 ヴァルロスらが戦場から不在になったことも、無関係ではあるまい。
 初めから人間達が全ての策を行使してしまえば否応もなく前提が崩れ、ヴァルロスやミュストラ、そしてテスディロスら覚醒魔人が戦場で前に出るという展開になっていたはずだ。そうなれば後は平野に存在する全てを使っての乱戦。真正面からの削り合いになる。それを、敵は嫌った。

 戦場に仕掛けられた罠。弱腰を嫌う魔人達の性質。高位魔人や覚醒魔人の消耗を避けたいという思惑。盟主の復活という目的が控えていること。そして……目的がある故の、高位魔人不在の戦場。
 敵方は――これらの全てを把握し、ベリオンドーラを縫い付け、戦局を誘導した。そしてこの瞬間に仕掛けてきたのだ。戦闘の損害が大きくなるのを嫌うが故に。

 その事実にテスディロスは慄然とする。歌。魔人達の混乱と阿鼻叫喚を助長するような不穏な音色が戦場に響き渡っている。これは何だ。戦いを好むはずの魔人達が恐怖に潰走している。自身の心の内にも陰が差してくるのをテスディロスは感じていた。

「退け! 退けーッ!!」

 ――勝てない。攻勢に出ると同時に魔術的な手段で士気まで揺さぶって来ている。
 最早どうやって砦を、タームウィルズを攻略するかではなく、一刻も早く、1人でも多くの兵をベリオンドーラに引き上げさせ、ヴァルロス達が戻るまでの間を凌ぎ切ることを考えなければならなかった。



「ははははっ!」

 響き渡る哄笑と共に。
 あちらこちらから無数の攻撃がグレイスへと降ってくる。右から切り込んで来るブレンツェル。頭上から同時に降り注ぐ瘴気弾。弾き、散らし、受け止めて、蠢く霧の中から姿を現した魔人への反撃を見舞う。

 好んで騎士の格好をするだけのことはあり、ブレンツェルは近接戦闘においても相当なものであった。グレイスと正面から切り結ぶことができるほどの技量。そして反射神経を備えている。加えて、その得体の知れない特殊能力。それら全てを動員し、グレイスとの戦いを楽しんでいる様子が見られた。

 楽しんでいる。しかし遊んではいない。確実に殺しに行って殺せない相手であること。
 その事実にブレンツェルは喜んでいるのだ。この上ない獲物だと。
 瞬く魔人の影。正面から切り込んできたかと思えば薄れるように霧の中へと溶けて消え、僅かな間を置いて姿を現し、左から踏み込んできた。斧で受け止め、火花を散らしながら斬撃を応酬しあう。
 奇襲かと思えば真っ向からの近接戦闘。そう思わせての奇襲。打ち払う斧の一撃の勢いに乗るように後ろに飛んだブレンツェルへと、グレイスは猛烈な勢いで間合いを詰めて切り込むが――薄れた身体に既に手応えはない。

 ぞくりとした悪寒を感じてグレイスが後ろへ跳ぶ。寸前までグレイスのいた空間を、四方八方からの瘴気弾の十字砲火が通り過ぎていく。

「行くぞ――くぞ。行――」

 ブレンツェルの声が、あちらこちらから重なって聞こえる。声の方向が特定できない。
 生き物のように蠢く黒い霧の中で、グレイスは双斧を構えながらいつどこからブレンツェルが仕掛けてきても対応できるように闘気を漲らせた。黒い霧は恐らく、見た目が霧に似ているだけだ。斧で風圧を巻き起こそうが吹き飛ばせない。ブレンツェルの意思に従って動くだけだ。
 ならばどうするか。思い出せ、とグレイスは自分に言い聞かせる。テオドールはどんな戦い方をしていたか。みんなはどんな戦い方をしてきたか。真似はできなくても活かせることはある。

「もっと……もっと広く……」

 それは――テオドールが時々行っている全方位シールドの使い方に近い。闘気を薄く広く身体の周囲に纏い、触れた物に僅かでも早く反応する。
 そうして自身の斜め後ろで、揺らぐような気配を感じた。

「そこッ!」

 迷わず闘気を纏った斧を叩き込む。瘴気剣で斬撃を受け止める、軋むような音が響き、火花が散った。
 驚いたようなブレンツェルの表情。ブレンツェルがその能力を行使し出して以降、初めてグレイスが先手を取った形だ。
 ブレンツェルの表情が喜悦に歪み、グレイスが踏み込む。猛烈な勢いで双斧と瘴気剣が振るわれた。斬撃と斬撃。
 月光神殿の下部に立ち並ぶ列柱を砕きながら嵐のように舞う。グレイスの斬撃の圧力に瘴気剣が耐えかねるとでもいうように亀裂が走る。

 崩壊よりも早く。ブレンツェルは瘴気剣を手元から消して、斬撃を潜ってグレイスへの間合いを詰める。瘴気を纏った貫き手を腹部に見舞えば、グレイスも迷うことなく斧を手から離し、闘気を纏った拳で応対する。半身になって貫き手を闘気で逸らし、踏み込んで頭上から打ち下ろすような裏拳をブレンツェルへと見舞う。空いた腕でブレンツェルは受け止めるも、石畳に大きな亀裂が走った。

 衝撃と重圧。軋むような鈍痛。反撃とばかりに至近距離から瘴気弾を口から吐き出せば、腕に闘気を集中させたグレイスが力尽くで弾き飛ばし、闘気を目の前で爆発させるように炸裂させた。力技で己の技を押し切られた。その事実に目を見開くブレンツェルの身体が爆風で後ろに押され、武器を振るう間合いが開いた。斧を握り締めてグレイスが踏み込んで来る。それを――。
 胴薙ぎの一撃は虚しく空を切っていた。ブレンツェルの身体が、溶けるように消えて行った。

「……血の匂いが消える。であれば霧に変身しているわけではない。単純に転移をしている……というわけでもなさそうですね」

 グレイスは斧を構えたまま眉を顰めた。
 変身能力とは違う。ブレンツェルの身体は余韻を残すように消える瞬間に薄れていき、現れる時は一瞬だ。
 だが魔人としての変身を除けば、身体の形そのものは一定であった。吸血鬼と戦った時は霧になろうが血の匂いは薄れなかったのに、ブレンツェルの場合、それすらも消え失せる。
 転移魔法にも似ているが違う。ブレンツェルが消えてから現れるまでの時間がまちまちだ。消えてから現れるまでのタイムラグが確実に存在している。

 どちらでもないというのなら、その正体は一体何か。その正体に近しいものに1つ、グレイスには心当たりがあった。
 どこかからかブレンツェルの声が響いた。

「認めよう。お前は俺を上回る体術と膂力を持つ。まともな戦いでは勝てん。だからこそ、我等をも越えるその研鑽に敬意を払う。今より、全身全霊、全能力を注ぎ込んで、お前を――殺すッ!」

 押し寄せるような殺気。四方八方から瘴気弾が迫る。弾丸を撃ち込まれる角度を闘気の領域で見て取り、舞うようにグレイスが動けば、周囲を覆う黒い霧もそれに付いていく。
 前後上下左右。黒い霧の中であれば、どこからでも瘴気弾が飛来する。避け、弾き、跳躍して転身。砲弾のような猛烈な勢いでグレイスがそこから飛び出すも、黒い霧の包囲は破れない。追い縋ってくる黒い霧の――その動きを見て取ったグレイスが、空中で足を止め、右手に闘気を集中させる。

 発射される瘴気弾を――グレイスは避けなかった。その内の一発を反撃の糸口と見定め、瘴気弾が実体化した瞬間にカウンターとばかりに闘気の砲弾を叩き込んだのだ。
 グレイスの肩口から血がしぶき、代わりに左腕から白煙を上げながらブレンツェルが霧の中から実体化する。

「やる、な!」
「あなたの能力は、別の空間を作ること。そして霧の密度が濃い場所に、扉や窓を作ることです」

 要するにローズマリーの持っている魔法の鞄に近い能力だろうとグレイスは推察したのだ。だが、もう少し規模が大きい。ローズマリーのそれが魔法の鞄なら、ブレンツェルのそれは魔法の部屋とでもいうべきか。
 その中から窓を通して攻撃を仕掛けたり、扉から自由に出入りもできる。だが、攻撃してこれるのなら、反撃も可能だと。グレイスは実践して見せた。

 能力を看破されて尚、ブレンツェルは笑う。最早能力を偽装する意味もないとばかりに霧が集まっていき、ブレンツェルの目の前に黒い穴のような物体を作り出した。グレイスの周囲にも、黒い霧は蟠ったままだ。だが、まだ「窓」は開いていない。互いに攻撃の届かない位置。距離。

 そのまま。相手の出方を見定めるように2人の動きが止まる。
 暫く向かい合っていたが、先に動いたのはグレイスだった。大きく横に向かって跳躍。黒い霧が合わせるようにその動きに付いていく。

 ブレンツェルが目の前の黒い穴に向かって斬撃と瘴気弾とを繰り出せば、グレイスの周囲に展開する霧の中から「窓」が開き、剣や弾丸が空間を飛び越えた攻撃を展開する。
 纏った闘気で斬撃と弾幕を感知し、身をかわし、斧で払いながら右に左にグレイスは飛ぶ。ブレンツェルは一定の距離を保つように飛行。グレイスの猛烈な速度に霧も付いていく。

 精神力と集中力の削り合いだ。グレイスは飛び回りながら四方八方から繰り出される斬撃を捌き、ブレンツェル本体を追う。
 ブレンツェルは能力を制御しながら、グレイスからは反撃をしにくい位置に「窓」を作り出して攻撃を仕掛けながら、その動きについていく。

 距離を保ちながらの一方的な攻撃と見えて、実際はそうでもない。
 性質を理解された以上、制御を誤れば反撃を許す。
 そして、グレイスのその一撃は、魔人達をしてみても必殺と呼んで良いほどの破壊力を秘めている。
 今までのように「扉の奥」に逃げても斬撃ではなく、闘気の砲弾が飛んでくるだろう。
 霧の濃い部分を、見逃すほど甘い相手でもない。大きな範囲を動き回りながら動いているのも、霧の動きを見やすくするためだ。

 だから真っ向から、姿は現したままで集中力を削り合う形となった。
 拮抗しているだけに、どちらかの攻撃がまともに当たれば天秤は一気に傾き、そして二度と戻ることがない。

 霧の中で無数に火花を散らし、命を奪い合うために精神を削り合い、そして。

「くっ」

 足元を薙ぎ払うような一撃を僅かに避け損ねたか、グレイスが猛烈な勢いそのままに地表を滑るような格好で吹き飛ぶ。勢いを殺すように、斧を地面に打ち込む。黒い霧が四方八方から殺到し、グレイスの急制動を見逃さないとばかりにその動きに追随した。
 グレイスの動きが止まり、無数の「窓」が開く。グレイスと、ブレンツェルの間と。

「喰らえッ!」

 両腕に瘴気を漲らせブレンツェルが瘴気をばら撒くように撃ち放てば。「窓」から無数の弾丸が放たれる。グレイスの身体から爆発的な闘気が漲る。
 防御するなら構わない。このまま、押し切ってみせるとばかりに、ブレンツェルがありったけの瘴気弾を浴びせかけようとした――その時だ。

 間合いを保っていたはずブレンツェルの足元で、爆裂が起こった。
 凄まじい量の闘気を纏った石の欠片。散弾のようにブレンツェルの身体を叩いて宙に打ち上げる。
 グレイスが斧を振り上げるのに合わせ、地中に打ち込まれた闘気が爆裂したのだ。
 ヴェルドガル王国騎士団長。ミルドレッドの用いた武技の1つ。

「ぐ、おおおおっ!」

 ブレンツェルは見た。闘気――だけではない。ダンピーラの娘の、その衣服にもエンチャントが施されているのを。
 薄い光の幕は魔法の鎧、プロテクションの輝きだ。それで瘴気弾を凌ぐことで、闘気を防御には回さず、地面へ打ち込んで吹き上げるように放つことで反撃に転じた。
 理屈は分かった。だが、あちらとて無傷ではない。痛み分けであり、仕切り直しだ。
 全身を貫くような激痛と、眩むような景色の中で、ブレンツェルはその場を凌ぐために扉を作り出そうとする。
 グレイスは既に体勢を立て直し、ブレンツェルに向かって突っ込んでくる構えだ。だから、背後に扉を作り出し、下がろうとした。

 しかし。
 引き寄せられる。足首に絡みつく、闘気を纏った鎖。迫ってくるグレイス。

「お、おお、おおおおおおぉッ!」

 裂帛の気合と共に、ブレンツェルは瘴気剣を作り出してそれを迎え撃つ。捕まってしまえば逃げられない。窓も扉も、間に異物がある時は閉じることができない能力なのだ。

 斬撃と斬撃の交差。闘気と瘴気の残光を残し、もんどりうって地面に転がる。
 瘴気剣ごと断ち割られた。自身の身体を闘気の刃が薙いでいくのを確かに感じた。
 グレイスは――荒い息を吐きながらも斧の柄頭を支えに己の足でしかと立ち、自分を見下ろしていた。
 自分を斬ったダンピーラの娘。見下ろす赤い瞳。その頬を伝う血の赤。降り注ぐ月明かりと瞬く星空。枝葉を拡げる霊樹の姿。
 迷宮の奥底とは思えない光景。何もかもが美しいとブレンツェルは感じた。

「――ああ。これは……悪く、ないな」

 真円を描く月に向かってブレンツェルは手を伸ばし、目を閉じる。そして、さながら自身の能力、黒い霧のように身体が崩れ去り、散っていく。
 グレイスはその散り際を見送ってから、目を閉じて大きく息をつくのであった。



 迫ってくる騎士人形と浮遊する斧。だが、ザラディはたかが人形、たかが魔法生物と侮るようなことはしない。
 あれだけの準備を万端整えて待っていた魔人殺しなのだ。自分の能力を知った上で逆手に取ってきた。
 ならば、直接相対した時、どれだけの備えを以って自分を迎え撃つのか。
 そこには興味がある。人形か、この斧か。それとも後方に控える魔術師の娘か。いずれかが対策法を握っているというのならば、それを見てみたいとも思う。

 ――異常は、すぐにザラディにも分かった。
 イグニスの攻撃を捌き反撃に転じようとしたその時。予兆をザラディの第三の目が捉えていた。ちりちりと走るような危機を知らせる感覚。その数、1つや2つではない。無数と言って良い程だ。

「これは――ッ!?」

 瘴気壁を作り出して大きく後ろへ飛ぶ。しかし何も来ない。攻め手は先程と変わらない。間合いを詰めて来るのは人形と斧。一定の距離を取って魔術師。何も先程と変わっていない、はずだった。

 人形の大槌を逸らし、反撃に転じる――事ができない。死を感じさせる程の予兆だけが無限の刃となって迫ってくるのだ。
 相手をする頭数は減ったというのに、ザラディはイグニスとローズマリーの連係の前に防戦一方となった。瘴気壁を展開する。しかし何も来ない。予知が当たらない。

 別の角度から打ち込んで来るイグニスに対処しようとして。その寸前に割り込んでくる危険な予兆の数々を捌き切れずにイグニスへの対処が後手に回る。ローズマリーの放つ光弾を受け止めようとして別の場所に反射的に瘴気壁を作り出し、普通に飛んできた爆裂弾の方が危険度が低い故に、そちらを受け止めてしまう。
 その不可思議な攻防の中でザラディは考えを巡らし、牙を剥いて笑う。

「そう――そうか! 攻撃を繰り出すか否かを、意思では無く、確率に委ねたか!」

 目を見開き、笑う。その視線が人形の背後で帯電する斧に向けられる。
 ローズマリーの表情は動かない。しかし、その推測は当たっていた。
 乱数に従い、攻撃の角度、斬撃の種類、そしてそれを何時繰り出すのか。それらの全てを組み上げた制御術式に委ねる。
 最善手でも悪手でもない。しかし威力だけは必殺のそれを、撃ち出す準備をしたままで前衛の背後に置く。確率の中で試行される数だけ、予知能力を持つ者にのみ感じられる情報の斬撃が繰り出される、という寸法だ。

 斧からの一撃が何時繰り出されるかは誰にも分からない。ただそこにあるだけで全く手を出さずして予知を乱し、ザラディの行動の自由を奪う。人間にはできない。魔法生物であるが故の攻略法。
 だから、テオドールの名付けた斧の名はマクスウェルなのだ。情報を力に変える悪魔を生み出した、景久の世界の学者の名を冠した斧――。

「面白いことを考えるものじゃな……!」

 ザラディは自身の能力を完全に逆手に取った、この斧を作った人物に称賛の念を向ける。
 ヘルヴォルテがいる間に予知を乱して来なかったのは、前衛1人にこの斧を付けるという想定をしていたからか。或いはこの能力を使い出す前に、ザラディの力を消耗させたり、動きを見ておきたかったからか。

 ともかく情報による無数の斬撃とは言え、実際に攻撃が繰り出される可能性がある以上は仲間を巻き込まない角度でなければならない。恐らくは、最初に自分に向かおうとしたダンピーラの娘が自分の相手をするはずだったのだと、ザラディは思考を巡らす。

 歓喜の表情のままでイグニスと数合打ち合い、反射的に瘴気壁をいくつも作り出して、イグニスの攻撃を捌き切れずに吹き飛ばされる。体勢を即座に立て直してザラディは笑った。

「く、くく。頭では分かっていても長年染み付いた癖は抜けんのう。じゃが、それならばこちらにも考えがあるぞ」

 ザラディの、額の目が閉じていく。その代わりに瘴気が身体から噴き上がった。予知能力を自ら封じることで余計な情報を遮断。自身の戦闘経験と知力、そして魔人としての能力で対応する、という意思表示。
 来た、と。ローズマリーは思った。ザラディの特殊能力を封じ、同じ戦場に引き摺り出した。欲を言えばもう少しザラディに正体を悟られる前に削りたかった。だから最初はヘルヴォルテと共に戦ったのだ。どの程度その精神を、瘴気の量を削れたかは分からない。
 いずれにしても、本当の勝負はここからだ。予知はマクスウェルが抑える。イグニスとローズマリー、そしてマクスウェルの、目に見える本当の攻撃にのみ反応するだろう。

「行くわよ……!」
「来るが良い、小娘ッ!」

 温存していた魔力を解放。マジックスレイブが幾つもローズマリーの周囲に浮かぶ。
 ザラディの周囲にも瘴気の塊が幾つも浮かんだ。防御のために用いていた制御能力を攻撃へ。

 ローズマリーの魔法の射撃、光弾、衛星弾と撃ち合いながら錫杖を縦横無尽に振るってイグニスと切り結ぶ。
 その後方に控えるマクスウェルにも意識を向けることを忘れない。予知能力は封じられているが、マクスウェルが必殺の一撃を繰り出すためにひたすら魔力を溜め込んでいるのは事実だからだ。
 実際の一撃がそこから繰り出されるその時は――ザラディの想像を超えたものになるのだろう。そちらにも牽制の射撃を撃ち放ってはいるが、ゆらゆらと揺れるマクスウェルは回避をするばかりで肝心の攻撃は繰り出して来ない。

「まだまだ――!」

 研鑽された戦闘技術と制御能力においても、ザラディの能力は突出している。
 ローズマリーとイグニスを相手に一歩も引かず、そしてマクスウェルからの意識を片時とも外さずに立ち回る。

 高い精度の予知能力を活かし切るために磨き抜かれた、制御能力と集中力。ハルバロニスの武術を修めたその体術。戦い方はローズマリーの知る少年のそれや、フォルセトの動きにも似ている。その姿。最大の武器である予知能力を自ら捨てて尚揺るがない研鑽と卓越した制御能力に、ローズマリーは魔術師として、どこかで称賛と憧憬に近い念を抱いた。

 イグニスの戦槌を逸らし、人間では有り得ない関節の角度で振るわれる鉤爪を避けながらもザラディの拳が握り込まれる。
 ローズマリーに迫ってくる瘴気弾が分裂して四方に散った。
 瘴気弾から瘴気刃とでも呼ぶべき性質に変化している。身体のすぐ横を通り過ぎていく斬撃を避けながらも応射。ザラディが引けばその分を詰め、ザラディが押せばその分を引き、騎士人形とその主は老魔人と踊る。

 戦鎚と錫杖、魔法と瘴気弾が交錯して火花を散らし、あちらこちらで爆裂する。
 掌底を受け止めたイグニスの身体から異音。ザラディの攻撃能力は低いとはいえ、幾度もその身を盾にしたことで、限界が近付いている。勝負を――仕掛けなければならない。
 しかし、先に仕掛けたのはザラディだった。騎士人形を破壊してしまえばこの状況も崩せる。機先を制するように勝負時を感じ取ったのだ。

「砕け散るが良いッ!」

 ザラディの錫杖に瘴気が集中する。持てる手札の中での最大の攻撃。マクスウェルとローズマリーにも瘴気弾を撃ち放っている。
 瘴気弾を爆裂弾で撃ち落としながらもローズマリーが吼えた。

「マクスウェルッ!」

 その声に応じるように。電流火花を散らしたままで動いていたマクスウェルが動いた。
 マクスウェルの攻撃は――前衛の合図をトリガーにすることもできる。電磁力による加速を受けた斬撃が、瘴気弾を呆気なく引き裂き、文字通りの目にも止まらぬ速度でザラディへと射出された。

 それをザラディは経験に裏打ちされた勘だけで避けて見せた。勝負を仕掛けに行く振り。騎士人形を破壊しに行く振りだけを見せてマクスウェルの攻撃を引き出し、防御と回避に集中したのだ。
 肩口を切り裂かれたが、浅い。致命傷には至らない。猛烈な勢いに乗せて撃ち放たれたマクスウェルは遥か彼方。戻ってくるまでには間がある。

 それまでに人形を砕き、そして魔術師の娘を制圧する――!

 そこで、ザラディは見た。イグニスの身体にローズマリーの指先から魔力の糸が接続されるのを。イグニスの身体に流れ込む魔力。増大する圧力。
 第三の目を見開き、イグニスの動きの先を見やる。袈裟懸けの振り下ろし。一撃を避け、反撃を合わせさえすれば装甲を砕き、内部の機構に損傷を与えられる――!

 イグニスの戦鎚を皮1枚で避け、胸部装甲に錫杖の一撃を叩き込もうとして。
 騎士人形の身体から無数にも思える情報の刃が飛び出す。今のイグニスは自律行動をしていない。ローズマリーの術式の制御下にある。そこで操り糸に乱数術式を乗せて送り込み――本命の攻撃を覆い隠す。

「無駄な事を――!」

 攻撃は止めない。確率で動く、動かないを決めているのならば、攻撃に入っている自分の方が早い。胸部装甲に攻撃を叩き込んで、砕いたその瞬間に。

 眩い白光と耳をつんざくような大音響が炸裂した。
 イグニスの腰部に組み込まれた、アルフレッドの作り上げた音響閃光装置。イグニスに搭載されているが、イグニス自身の機構とは独立した装置。ローズマリーの直接制御が行われている時にのみに発動が可能な品だ。

 普通に用いてもザラディであれば対処したであろう。しかし、予知の情報の確度を乱されているその瞬間ならば。頼りになるのは本来の五感だけだ。だからこそ、ザラディは何が来るのかを見定めようとし、それをまともに受けてしまった。
 視覚も聴覚も封じられて何も見えず聞こえず。しかし予知能力だけは生きている。
 そこかしこで膨れ上がる死の予兆。無数の情報の刃。遥か後方で魔力を高めたマクスウェルが斬撃を繰り出す準備を整え終えている。

「ぬううううっ!」

 その全ての可能性を潰してみせるとでも言うように。ザラディはいくつもの瘴気壁を作り出す。だが――それを掻い潜るように、ローズマリーの放った魔力糸の斬撃がその首を切り裂いていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ