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境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
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480 深海の演奏会

「ん……おはよう」

 明くる日。目を覚ますとそこはアイアノスの宮殿に用意された一室であった。ここも水が引けていて……部屋の中は割合過ごしやすい温度だ。
 シルクのような肌触りのさらりとした寝具は中々寝心地も快適である。寝具はやはり、水蜘蛛の糸で編んだものだろうが……水蜘蛛の種類と加工の仕方によって肌触りであるとか吸湿性、保温性など、用途に応じて性質を色々変えられるそうだ。共通しているのは総じて水濡れに強いことだろうか。魔法とも相性が良く、陸上でも高級素材として扱われることが多い。

 寝台はない。床の上に布団を敷いて寝る形だ。水があれば浮力が働く分、床の上に直接身体を横たえたとしても朝起きた時に背中が痛むということもないだろう。
 但し、寝具に関しては水が引いた状態のことも考えられているのか、適度な柔らかさと硬さで……寝覚めは中々悪くない。

「ええ。おはよう、テオドール」

 クラウディアは寝具の上で身体を起こして、小さく伸びをしていた。朝からすっきりとした表情を浮かべている。

「よく眠れた?」
「海底とは思えないぐらいね」

 そう言ってクラウディアは微笑む。昨晩は諸々終えて宮殿に泊まりに来てから……クラウディアが転移魔法を使った分もしっかりと循環錬気で補充したからな。朝から快調そうに見える。

「おはようございます」

 と、グレイスも笑みを浮かべて挨拶してくる。グレイスは先に目を覚ましていたらしいが、今日は隣に眠る日だったこともあってか、俺が起きるまではゆっくりとしていたようだ。

「うん。おはよう」

 とは言え、やはり、グレイスとクラウディアは早起きかも知れないな。2人とのやり取りの気配で他のみんなも目を覚まし始めたようだ。

「おはようございます、テオドール様」
「おはよう、アシュレイ」

 昨晩一緒に入浴したのはアシュレイである。何というか、海底で風呂というのも些か妙な感覚ではあったが。元々海の多い西に向かうということで、水着も用意してきていたし……アシュレイとも一緒にゆっくりと風呂に入って循環錬気などをしていたわけだ。

 何気に、身体の成長に合わせて水着を新調していたりするアシュレイであったが――ああ、うん。朝から深く考えるべきことではないな。
 かぶりを振って思考を切り替える。  
 ともあれ、水の魔力に満ちた場所であるために、アシュレイの魔力はかなり充実している。その分だけアシュレイの場合は循環錬気もしっかりしなければならないが、それは入浴中に時間をかけたからな。見ている限り体調も良さそうだ。

 俺を挟む形で隣に眠っていたのはグレイスとローズマリーであったが……ローズマリーに関してはこう、眠っている間に手を握ってしまっている形になってしまっていたというか。それに気付いたローズマリーは、さりげなく手を離して、顔を明後日の方向に向けて咳払いなどしていた。

 マルレーンはと言えば、クラウディアとローズマリーの間に眠っていたのだが、クラウディアに前髪を撫でられてくすぐったそうにしていたりしている。
 総じて……皆、寝覚めは快調といったところであるか。うむ。



「ん。美味しかった」

 と、シーラは朝食の余韻に浸るかのように目を閉じていた。
 朝食も魚介類尽くしではあったが、やはりシーラには好評なようである。朝ということで昨晩の夕食よりもさっぱりとした味付けがなされていた。
 ……昨日も思ったことではあるが、風呂があったり寝具が水の引いた状態に適した物であったりと、地上の者に対して妙に居心地が良い気がするな。

「気に入ってもらえたかな? 妾達としても、地上の者を迎えるのは久しぶりなので不安もあったりするのだが」

 と、エルドレーネ女王が尋ねてくる。

「いや、快適ではありますね」
「そうか。ならば何よりだ。実は、何代か前の女王が、地上の者を伴侶として迎えたことがあってな。アイアノスの宮殿はそういう経緯で改築が施された場所故、地上の者にもそれなりに居心地が良かろうとは思うのだ」

 ……なるほど。そういう理由があったのなら諸々頷ける部分はあるな。

「まあ……それで敷居が下がり過ぎたせいか、色々と問題が頻出した時代もあってな。そのあたりの匙加減は難しいところではあるが、正式に地上の国と国交を結ぶとなれば、しっかりと整備し、通達していかねばなるまい」
「互いにとって快適な生活をするのが難しいというのは……ある程度魔道具などで補えるかも知れませんね」
「魔道具か。ふうむ」

 エルドレーネ女王は俺の言葉に、顎に手をやって思案している様子である。人化の術を刻んだ魔道具であるとか水中呼吸の魔道具であるとか、後は、食生活関係でもっとコストを抑えられるような設備にするとか……色々考えられる。
 或いは拠点作りの段階で、互いの交流を想定した作り方にしておくという手もあるかな。
 とは言え、そのあたりの構想は海王絡みの事件を解決した次の段階の話ではあるが。



 さて。宮殿での朝食を済ませ――昨晩の約束通りセイレーン達の過ごしているという、町外れの区画へと出かけるということになった。
 なるべくみんなで来てくれると嬉しいとのことなので、訪問も結構な大所帯だ。
 エルドレーネ女王とロヴィーサ達も一緒だ。ロヴィーサが案内役として先導してくれた。
 水中戦装備の使用感を試す意味でも、水流操作の魔道具を使って街の上方を遊泳しながら向かうわけだ。

「ん。かなり自由に動ける」

 と、シーラは早速マールの加護有りでの水中機動を試している。要所要所でシールドを用いたターンを決めて、かなり素早い動きができるようだ。イルムヒルトも元々レビテーションとエアブラストを用いて空を飛ぶような動きをしていたからか、水中戦装備にもすぐ慣れている様子であった。
 元々立体的な動きには慣れているからな。パーティーメンバーの動きに不安を感じさせるところはない。
 それに触発されたのか、ステファニア姫達やシオン達……それにコルリス達も楽しそうに泳ぎ回っている。

「おお……。これは楽しいのう」

 アウリアも水流操作に加えて水の精霊の力を借りて、高速で泳ぐことができるようだ。
 まあ……加護のお陰で水の抵抗が少なくて、割合独特の感覚があるからな。気持ちは分からなくもない。

「マールさんは、魔力の消費は大丈夫なんですか?」
「私は問題ありませんよ。水の精霊にとっては元々最大限力を得られるような場所ですから。それに、信仰による力の補充もありますから。けれど長期化するようなら、その時はお願いしますね」

 マールは俺の質問に笑みを浮かべてそう答える。魔力の消耗は緩やかではあるがある、ということだな。必要に応じて循環錬気で補充と補強をしていくというのが良いだろう。

「ああ。見えてきました」

 と、ロヴィーサがセイレーン達の居住区を指差した。
 町外れにも広場があるようで……既にそこにはセイレーン達が姿を見せている。飾り付けられて椅子が用意されていたりするので、あの場所でお礼の催し物をするということなのだろう。

 広場に近付くと、向こうも気付いたらしく、大きく手を振って来る。
 手を振り返しながら広場に着地すると、すぐにセイレーン達が集まってきた。その中にはマリオンやユスティアの姿もある。ユスティアは昨晩、そのままマリオン達と行動を共にして、こちらに一泊したようだ。

「おはようございます」
「おはよう、テオドール」
「ええ、おはようございます」

 朝の挨拶をしてくるマリオンとユスティアにこちらも挨拶を返す。

「おお。君達が……」
「いらっしゃい!」

 と、昨日に引き続き、かなりの歓迎ぶりである。セイレーン達はいくつかの部族がアイアノスに集まっているそうで、それぞれの部族で身に着けている装飾品であるとか、髪や鱗の色に、ある程度の特色が出ているようにも見える。

「今日はお招きいただきありがとうございます」
「いえ。お礼は私達の言葉です。ささ、どうぞこちらへ」

 と、広場に設けられた椅子へと案内される。広場は色取り取りの貝殻や海草やらで飾り付けられ、水蜘蛛の絨毯が敷かれた特設ステージも用意されているようだ。
 となれば……やはりセイレーン達は歓迎の挨拶として歌を聴かせてくれるのだろう。広場にはセイレーン達が総出で集まっているらしく、上から降り注ぐ光を遮らないようにと配慮しているものの、上方からも広場の様子を見に来ているようだ。立体的に鑑賞できるというのは水中ならではであるかな。

「すごい歓迎ぶりですね」
「そうね。海の底で演奏会なんて、想像もしていなかったわ」

 と、シャルロッテが目を瞬かせ、ヴァレンティナが楽しげに笑みを浮かべる。
 公爵家の面々は言わずもがな。大公もやや戸惑いながらも先を楽しみにしている様子が窺える。

 やがてセイレーン達が落ち着くのを待って、マリオンを含む、数人の部族長と思われる者達が壇上で一礼すると、大きな拍手が起こる。

「既に聞き及んでいる方々も多いと思いますが、マリオンの集落で行方不明になっていた娘が、先日無事に帰ってきました。彼女――ユスティアは魔人の企てにより、強制的な召喚魔法をかけられてしまったようです」
「それを――地上の方々が救い出し、今日に至るまで妹を保護してくれていたということになります。改めて、地上の友人達の温かな気持ちと言葉に尽くせぬほどの恩義に感謝の意を伝えたく思います」

 マリオンが言葉を引き継ぐと、再び歓声と拍手が起こった。それが落ち着くのを待って、別の1人が口を開く。

「今日は……ささやかではありますが、感謝の気持ちを伝えたく、こうして催し物を用意しました。女王陛下にも御臨席賜り、誠に光栄でございます」
「歌を聴いてもらい、楽しんでもらうのは私達にとっては喜びです。こう言ってしまえば私達ばかりが得をしているような気もしますが、お客人方にとって楽しい時間になるように、心を込めて歌いますので、どうかお耳汚しをお許し下さい」

 そう言って、セイレーンの部族長達は揃って頭を下げる。俺達が拍手を返すと、部族長達は顔を上げて嬉しそうな表情を浮かべた。
 まずは……壇上に上がった部族長達が代表して歌と演奏を披露するようだ。もっと大人数での合唱も、演目が進めばあるかも知れないが。

 水蜘蛛の糸を張った竪琴を爪弾きながら、澄んだ歌声があたりに響き渡る。透き通った、と形容するのがぴったりくるような綺麗な歌声と、穏やかな音色であった。
 マリオンの歌声がそれに重なり、更に1人、また1人と歌声が重なっていく。呪歌でも呪曲でもないが……重なり合う歌声と竪琴の音色が複雑に絡み合って、どこまでも広がっていくような……何とも神秘的な印象を受ける。このあたりの息の合わせ方や完成度は流石セイレーン達という気がするな。

 最初の一曲が終わると続いて打って変わって賑やかな曲になる。まるで踊るかのように壇上を泳ぎ歌うセイレーン達。袖に付けた色鮮やかな薄布を水の中になびかせて、舞い踊る。
 更にはセイレーンの子供達の合唱。立体的に絡み合う輪唱にと色々とバリエーションも豊富だ。周囲を囲んでいるセイレーン達による立体音響というのは中々驚きだな。

 ユスティアから聞いて知っている曲もあるのだろう、イルムヒルトやドミニク、シリルも楽しそうに口ずさんだりもしていた。シーラやセラフィナも身体でリズムを取っていたりする。

 明るく賑やかな曲調が多いので、こちらも手拍子で応じるのが許される雰囲気がある。というわけで手拍子を送ると、セイレーン達も嬉しげに歌い、奏でて踊るのであった。
 セイレーン達の催し物ということでどんなものになるのかと思っていたが……何とも楽しげな、和気藹々としたものであった。うん。これから若干忙しくなるのだろうが、その前に色々と英気を養うことができたというか。
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