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境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
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380裏 オーガストの眷属達・後編

 ギルベルトの拳が虚空を引き裂く。真紅の軌跡を描いて唸りを上げる。集中を要する魔眼ではなく、吸血鬼としての嗅覚を頼りにシーラを追う。飛んでくる円盤はと言えば、こちらは大した痛手にならない。無視する。

 放たれた粘着糸を血の盾で受け、シーラ目掛けて突っ込んでいく。
 力任せの一撃。空中で側転しながら下に向かって飛ぶような、不規則な回避。そしてシーラにとっては回避動作そのものが攻撃となる。身体のあちこちに仕込んだ不可視の暗器が紙一重で避けたその行為によって、ギルベルトの身体を刹那に切り刻むのだ。しかも斬撃と同時に雷撃を受けてしまうが故に追撃も難しいが、それらはギルベルト自身のダメージには結びついてはいなかった。

「そんなもの、効かないって言ってるだろ?」

 言いながらもギルベルトは、その動きを注視していた。ギルベルトはシーラの技量についてはいけないために攻撃を食らっているが、致命的な隙だけは晒さないように動いている。その身をシーラの刃圏に晒しているのはシーラの動きを見切り、最後に一撃を当てるためだ。

 軽口を叩いて油断を誘っているが、アーヴァインが言った通り、向こうも吸血鬼と知って狩りに来た以上は相応の手札を持っているのは間違いない。
 ならば向こうの狙いは心臓。今まで見せた武器ではない切り札を、どこかで叩き込もうとして来るはずである。

 だがその札が銀の武器程度ならば問題にならない。高位の吸血鬼である側近達は、心臓に一撃を貰ったとしても生半可なものでは致命傷にならないのだ。
 そしてそれはギルベルトにとってもシーラを仕留める好機となる。心臓に一撃を届かせるためには今までのような浅く撫でるような攻撃ではなく、深く切り込んでくる必要があるからだ。

 その時に――身体ごと変形させて広範囲を包囲し、大顎で食い千切るという狙いだ。そして普通にやっても当てられないともギルベルトは思う。
 目の前のこの獣人は、変形の予兆さえ感知して回避してみせるだろう。止めを刺しに来る時が息の根を止める時。誘うか強引に踏み込むか。シーラの斬撃で切り刻まれながらギルベルトは笑う。
 向こうの体力、魔力とて、いつまでも続かないだろう。だからひたすらに追う。追う。追い詰めて、食い殺す――!



「アレクシス――! そちらにもう1人向かいましたよ!」

 アーヴァインの注意を促す声に、アレクシスは視線を巡らせた。
 後衛の女魔術師がこちらに向かって突っ込んでくる。しかしアレクシスの間合いまでは踏み込まず、一定の距離を置いて目の前の騎士人形を支援するつもりのようであった。
 恐らく人形の主なのだろう。感じる魔力の波長が同じだ。
 ならば1体と1人ではなく、この者達は元々2つで1つと見るべきなのだ。こちらの動き、戦況を見て取って均衡を崩しに来たというわけだ。

「行きなさい、イグニス」

 女の掌に輝くマジックサークルから、魔力の糸が伸びる。それが騎士人形――イグニスの手足や腰などに接続された瞬間に、その動きが変わったのをアレクシスは感じた。

 イグニスが、爆発的な速度で踏み込んでくる。振るわれる戦鎚の速度も先程までとは比較にならない。下手に受ければ吹き飛ばされるだろう。だが――。

「見えるわ」

 空気を引き裂く轟音がアレクシスの耳元を通り過ぎていく。宙に弧を描くようにアレクシスはその一撃を回避していた。
 2度、3度。戦鎚が猛烈な勢いで空を切る。イグニスの踏み込みも繰り出される一撃一撃の速度も、先程よりも遥かに圧力が増しているというのに、掠りもしない。
 それは――人形を直接操作をするようになったことにより、次の攻撃の起点がどこからかを魔力の糸から感知することが可能になったからだ。アレクシスにしてみれば、攻撃を予告されているようなもので、それを回避するのは決して難しいことではなかった。

「知ってる。あなた達のようなのは、最初に主人のほうから倒せばいいのでしょう?」
「できるものなら」

 ローズマリーの挑発的な物言いに、アレクシスは目を見開き牙を剥きながら肉薄する。対するローズマリーは、周囲に展開したマジックスレイブからマジックスレイブへと、魔力糸を展開させた。突っ込んでくる者を切り裂く、糸の結界――罠だ。

 マジックスレイブからの直接射撃が来るものと思っていたアレクシスにして見れば、予想外の出来事。

「ほら、お前には無理でしょう?」

 横合いから突然張り巡らされた魔力糸を回避しようとして軌道を変えたところを予測していたとばかりに、ローズマリーは手にしたワンドから魔力光波を浴びせていた。直撃した魔力の光が爆発を起こす。そこにイグニスが突っ込んでいった。

「やってくれるわね!」

 戦鎚を薙ぎ払うより僅かに早く――爆風の中から飛び出したアレクシスが翼をはためかせ上空へと離脱していく。ダメージを受けたからか、その表情には怒りと歓喜、そして食欲と狂気が入り混じった、人外の笑みが張り付いていた。

「でも、次は殺す! 殺すわ! 今の無礼を後悔させてあげる! その反抗的な目が気に入ったわ! 抉り出して身体を引き裂いて悲鳴を聞きながら、ゆっくり血を啜ってあげる! 大事に大事に、殺してあげるから!」

 魔眼を爛々と輝かせてアレクシスが笑う。真っ赤な舌がぞろりと唇を濡らした。

「お前は――壊れているのね」

 ローズマリーはアレクシスのその姿に眉根を寄せた。ローズマリーはグレイスの封印解放をした姿に頼もしさを感じたことはあれど、目の前にいる吸血鬼のような醜悪さから来る嫌悪を覚えたことはない。
 それは仲間であるかそうでないかの違いでは無く、吸血衝動を受け入れているかどうかの違いなのだろう。アレクシスはその中にどっぷり漬かって、とっくに後戻りなどできないところにいるのがローズマリーには分かった。

「うふふ、あはははっ!」

 哄笑を上げながら突っ込んでくるアレクシス。迎え撃つようにイグニスが戦鎚を振るうが、やはり当たらない。空中に赤い双眸の軌跡を描きながら嘲笑うかのような軌道でアレクシスがすり抜けてくる。ローズマリーはその動きに合わせるように光波を放った。

 しかしアレクシスからして見れば光波も魔力糸も威力の程、性質は既に把握しているのだ。
 やはり恐れるべきはイグニスによる一撃を受けることだけ。ローズマリーからの魔法では致命傷にはならず、イグニスから攻撃を仕掛けたのではアレクシスには当てることができない。

 それ故にローズマリーがまず崩し、イグニスが本命の一撃を当てるという形を取ってくるだろう。だから、突っ込む。一切合財を無視して突っ込む。
 アレクシスは尖った犬歯をむき出しにして、歯を食いしばり、槍を構えて光波の中に飛び込んだ。触れれば爆発が起こるのだろうが、覚悟の上なら爆風を突き抜けてローズマリーを槍で串刺しにしてやれる。脆弱な魔力糸の斬撃など、どこを斬ろうが無駄なこと――!

 そうして突っ込んで、当然あるべき衝撃波に備えたがそれは来なかった。ローズマリーがワンドから放ったのは、ただ形や色を調整しただけの魔法の明かりに過ぎない。代わりにシールドを蹴って後方へと下がりながら、アレクシスの目線の高さにフラスコを投げつけていた。
 それを――アレクシスは咄嗟に槍で叩き割ってしまった。中に入っていた揮発性の液体が広がり、上半身に浴びせられる。
 強烈な甘い香気。それを吸い込んだ途端、アレクシスの感覚が狂わされた。視界が歪み、幻影が浮かぶ。魔眼も、動物的な勘も――機能しない。
 幾種類かのキノコや薬草、毒草。蒸留したアルコール分。そしてドライアドの雫や闇属性の魔石といった材料を用いて作られた魔法薬だ。魅了による陶酔と共に酩酊感を与えるという効能を持つ。

「お前は感覚が鋭敏なようだから、まずそれを潰させて貰ったわ」

 ローズマリーの声がやけに響いて聞こえた。マントをたなびかせて突っ込んでくる人形。

「この程度で私を止められるとでも――!」

 視界が歪むが、まだ動ける。振るわれる戦鎚を皮一枚ですり抜け、四肢を獣の顎に変身させながらローズマリー目掛けて迫ろうとして――あらぬ方向から迫ってきた鉤爪により引っ掛けられて動きを止められていた。

「あ、え――?」

 人形の動きが理解できなかった。戦鎚を避けたのは鉤爪を装備していない腕の方向――だったはずだ。
 それは――イグニスが人形であるが故に可能な動き。腰から上半身ごと旋回させた結果であるのだが、それをアレクシスが理解することは無かった。
 人形の四肢に繋がる魔力糸が発光するのをアレクシスは最後に見る。カキンと、金属の留め金が外れるような音が響いたかと思った瞬間、爆発音と共に金属杭がアレクシスの心臓を撃ち貫いて爆散させる。杭に刻まれた魔法は対吸血鬼用に換装されている。
 光魔法による魔力弾がアレクシスの体内で炸裂した。

 悲鳴を上げる暇もない。心臓を失った状態で内側から光魔法で焼かれたアレクシスは、イグニスに高々と掲げられたままに塵となって虚空に消えた。

「な、に!?」

 それを、兄のギルベルトが目にしていた。妹が倒されたことより、ただの一撃で自分と同格の吸血鬼を消し飛ばしたその威力に戦慄が奔る。
 一瞬の動揺を突くようにシーラの真珠剣が閃き、ギルベルトの顔面を薙いで離脱していく。それを――ギルベルトは牙を打ち鳴らしながら追った。

 もう少し。もう少しなのだ。先程よりは獣人の動きも精彩を欠いている。消耗させて動きが鈍ったところに一撃当てても勝てるはずなのだ。
 目の前のこいつを食い殺し、アレクシスを倒した魔術師を一秒でも早く潰しに行く――!
 上空へ逃げるように飛ぶシーラに追い縋るように高度を上げていく。
 追い付ける。その速度が落ちている。ぐらりと、シーラの身体が揺らいだ。魔力か体力か集中力か。そのいずれかが尽きかけてシールドの制御を誤ったのだ。

「貰った!!」

 両腕を大きく広げたギルベルトの身体が変容する。右腕が上顎に。左腕が下顎に。巨大な獣の口と化してシーラを射程に捉えたギルベルトがその口を閉じようとして――。

「な――」

 だが、叶わなかった。何か強固な壁のようなものに牙がぶつかってしまったがために顎を閉じて噛み砕くことができなかったのだ。
 そこに、ギルベルトは輝く障壁を見た。
 主であるオーガストが維持している夜の結界。それとは違う、敵の作り出した広域結界である。
 その正体はクラウディアを頂点に、ステファニア、アドリアーナ、シャルロッテ、ヴァレンティナが維持する、巨大なピラミッド状の障壁だ。

 シーラが背にしたのはそれだ。本来ならば、吸血鬼達の空からの逃亡を防ぐためのもの。
 広域から包囲して挟み込み、食らい尽くす。シーラが僅かな隙を見せる度にギルベルトはその兆候を見せた。正常な肉体に有り得ざる不自然な揺らぎ。
 そしてその、変異しようとする方向。そこから予想され得る攻撃。それをシーラは見逃してはいなかった。狙いを割り出したからこそ、戦いながら障壁の近くへと誘い込んだのである。

 他の者にとっては僅かな。しかしシーラから見れば膨大な隙。
 障壁を蹴って最短距離を突っ込んだシーラが不可視の刃に闘気を帯びさせ、ギルベルトの心臓を正確に穿つ。

「ぎっ!?」

 シーラが直下へと落下するように離脱する。離れ際、シーラの魔力がありったけ注ぎ込まれて魔道具が発動していた。イグニスのパイルバンカーに刻まれたものと同じ――炸裂する光。対吸血鬼用の魔道具。それは正しく一撃必殺として機能する。兄もまた妹と同様、何が起こったのか分からないまま内側から焼かれて四散する。

「……疲れた」

 と、舞い落ちる灰を避けるように飛びながらシーラが独り言ちる。
 体術ではシーラが勝っていたが……恐らくはロゼッタと訓練をしていなければ、ああまでギルベルトの格闘術を捌くことはできなかっただろう。時折遊びに来た時に、付き合ってもらって正解だったと、シーラは思う。

 要するにギルベルトの仕掛けてくる間合いでの戦いに慣れていたのだ。
 だとしても、当たれば一撃で戦闘不能という攻撃を避け続け、気付かれないように狙った場所に誘い込むというのは魔力と体力、集中力を削られる作業ではあった。だからシーラに言わせれば粘り勝ち、というところだろう。



「やりますわね!」

 無数の矢が互い目掛けて降り注ぐ。光の雨にも似た光景。頬に風切り音を感じてメイベルが吼える。
 どうやってやっているのかは分からないが、正確にこちらの動きを把握して、命中する軌道の矢に対し、何かの干渉波を宿した矢を放って相殺しているようだ。
 恐らくは、魔力を音に宿らせている。しかも破邪であるとか浄化であるとか、吸血鬼に対しては厄介な性質を持っているようだ。

 だから正確に矢を合わせなくとも、その光の矢が至近を通り過ぎるだけでこちらの血の矢が減衰させられてしまう。その点で言うなら向こうのほうが少ない手数で効果的な攻撃をしているとも言えるし、向こうの矢もまたこちらの矢で干渉して威力を減じることができる、とも言える。何かと噛み合う相手であった。

 しかし移動と射撃、双方に魔力を消費している節がある。だから、翼で飛んでいる自分に比べれば継戦能力に難があるだろう。光の矢は余り食らって良いものでもないが、耐久能力では遥かに勝る。

 彼我の戦力分析をしながら無数の矢を掻い潜り、数多の矢を放つ。一対一で矢を射掛けあっているとは思えない程の、濃密な白と赤の交差。

 同時に3本の矢を番えては逃げ道を塞ぐように放ち、或いは引き絞る強さで矢の速度を変えて着弾までの時間を自在に操る。
 そんな卓越した技法の応酬。相手の腕前を楽しみながらも、メイベルの視線はイルムヒルトのもう1つの弓と矢に注がれていた。人間であれば到底扱えないであろう、背に負った強弓と槍のような矢弾。恐らくは、それを尾で引き絞って放つのだ。ならばそれが敵方の切り札か。イルムヒルトの持つ能力の特性から言って、メイベルとてそれが心臓に当たればただでは済むまい。

 けれど今までの攻撃の応酬から分かっていた。イルムヒルトには明確な弱点と成りうる枷がある。
 メイベルが背後にファリード達の軍勢を背負うような位置関係では、そこまで届かないように矢に込める魔力を調整しているのだ。だから――メイベルが彼らを背後に置けば、イルムヒルトはその切り札を使うことができないし、撃ってくる矢の威力も落ちる。逆に、こちらは何も気兼ねすることなく矢を撃つことができる。
 甘い――と、メイベルは笑う。

 そして、メイベルの切り札もまたイルムヒルトと同じだ。強弓と巨大矢を作り出し、吸血鬼の膂力で放つ必殺の一撃。
 武器の変形までに要する時間はごく僅かだが、多量の血液を消費する。だからおいそれと使って、万が一にも外すわけにはいかない。後はどこでそれを放つか。決まっている。見てからでは避けられない距離からだ。最速最短で詰めて、確実に撃ち抜く。

 旋回し、撃ち合いながら体内に血流操作のための魔力を溜めて、機を窺う。次にファリード達との位置関係が直線状に並ぶ時と心に決め――そしてその時は来た。

「今ッ――!」

 互いに一定の距離を保ちながらの円運動を、直線のそれに変える。ファリードらの軍勢を背中に置いてメイベルが迫る。
 迫りながらも、弓が長大なものへと変じていく。それを撃ち落とすように真っ直ぐにこちらに飛来する光の矢。やはり、矢勢が弱い。血液で作り出した三本目の腕で打ち払い巨大矢を――。

「え――?」

 矢を作り出し、番えようとした瞬間に、眉間に重い衝撃を感じた。何が起こったか分からない。何かが、眉間に突き刺さっている。
 致命傷にはならないが、判断能力が著しく低下していた。それに手を伸ばす。透明な何かが額のど真ん中に突き刺さっているのを、辛うじて理解する。

 矢? 何時放った? どうやって? 何で作られた矢?

 疑問符が浮かぶが思考が断絶して答えが出ない。
 種を明かせばメイベルが直線で向かってきたが故に、光の矢と不可視の矢を全く同じ軌道で続けざまに放っただけのことだ。

 イルムヒルトにしてみれば1本目の矢は相殺されても弾かれても、何でも良かった。本命は2本目の矢だ。メイベルが真っ直ぐ間合いを詰めたからこそ、味方には当たらない威力で実体のある矢でも放つことができる。つまりは、相対的な速度で以って威力を倍化させたのだ。

 メイベルが額に刺さった矢を引き抜いた時には、イルムヒルトは彼女の直上に移動しながら幾本もの光の矢を弓に番えていた。立て続けに光の雨が降る。
 メイベルの変身した翼を貫き、四肢を貫き――。それ以上飛行することができずにメイベルは地上に向かって落ちる。光の矢がメイベルを地上に磔にする。動かない。矢の一発一発が四肢から力を奪っていく。
 そして、そこに見た。強弓に持ち替え、巨大矢を番え――尾でそれを引き絞るイルムヒルトの姿を。

「――お見事」

 爆ぜるような弦の音と風を切る音。光の魔力を纏った矢が、文字通りの光弾と化して正確にメイベルの心臓を撃ち抜いた。



 双剣で大剣と切り結ぶ。逆手に握った鮮血の剣と、デュラハンの大剣が交差し、幾度も激しい剣戟の音を打ち鳴らした。

「おのれッ! メイベルまでも!」

 切り結びながら、アーヴァインは打ち倒される仲間の姿に激高した。アーヴァインの予想通りと言うべきなのか。アレクシスの敗北を皮切りにするように、次々と側近達が敗れていく。傾いた天秤は、恐らく戻るまい。

 どうやら敵方は自分達を確実に滅ぼせるだけの武器を用意してきていたようで、しかも逃げられないように広域結界まで構築していた。
 罠に嵌められた。そのことに思い至るも、既に遅きに失している。

 いつから。どうやって。そう言った思考よりも目の前の敵に集中することをアーヴァインは選んだ。
 元々他の側近やイゾルデへの負担を分散するために精霊に向かった。だから仲間達が敗れた今、使役されている精霊など相手にしていても仕方がないのだ。

 側近達が敗れたとは言え、あの獣人も人形遣いもラミアも、かなり消耗している様子が見て取れた。傾いた天秤をひっくり返すには至らないが、精霊を突破することさえできれば……疲労した何人かを仕留めて戦況の不利を少しは補うことができるかも知れない。オーガストと戦うあの魔術師の動揺を誘えるかも知れない。
 そうと決まれば、この精霊を何が何でも突破する。手立てはある。デュラハンは常に片手で大剣を扱っている。デュラハンであるが故に、自身の首をもう一方の手に抱えているからだ。だから、手数で戦況を有利に運んでいる。

 それに――このデュラハンは召喚されて初めてこの場に姿を現したのだ。
 自分を殺せる魔道具など、持ち合わせてはいない。あの大剣では自分を滅ぼすには至らないだろう。だから強引に切り込んで、一撃加えてやれば、怯ませて突破することができよう。

 そう心に決めてデュラハンに切り込んでいく。逆手に握った双剣の片割れで大剣を受け流し、懐へと踏み込む。相手の片手は塞がっている。大剣は受け流した。馬の上に乗り上げている以上防御も回避もできない。
 鎧の隙間はある。首のところから双剣の切っ先を突き込んでやれば――。

 だが――剣を振りあげたアーヴァインを迎え撃ったのは斬撃とはまた違う、強い衝撃だった。
 眼前に、金属の塊。それがデュラハンの兜だと理解するのに僅かな間が必要だった。

「な……っ!?」

 懐に入られたデュラハンは、自身の頭――兜を鈍器として用いたのだ。否。それは頭突き、と呼ぶべきか。
 面喰ったアーヴァインが距離を取ろうと離れるが――見てしまった。デュラハンの兜の下の、暗黒の中に光る目を。それを目にした途端、得体の知れない怖気がアーヴァインの内側から込み上げてくる。

 デュラハンの目に浮かんでいたその感情は、自分達が良く知るものだった。
 例えば人間を襲う時に、仲間達が浮かべるような意志と感情をそこに湛えていたのだ。
 それは自身が相手より超越していることを確信する時。捕食者であることの実感を得る時。自身の(さが)に従って他者から血を奪う時。狩る者と狩られる者であるという認識から来る感情。

 何だったか。デュラハンとは不死の魔物ではなく精霊だ。では、何を司る精霊だったか。
 夜を司る高位精霊。それだけ、ではない。なかったはずだ。
 記憶を辿る。それはアーヴァインがまだ人間だった頃のお伽話。
 けたたましい音と共に現れて、人の死を告げる者。そして――死に行く者の魂を刈り取る者。決闘に負けた者の魂を、冥府に運ぶ死の先駆け。
 では、不死の魔物である自分は? 死を司る高位の精霊に、自分という生死の曖昧な存在は、どう映っているのか――。

 久しく感じたことのなかった恐怖と言う感情に、思考が漂白される。それで、跳ね上がった大剣への反応が一瞬遅れた。
 猛烈な勢いで振り抜かれた大剣で、心臓が断ち切られたのを感じる。だが、それで致命傷になるわけでもない。デュラハンの大剣は別段――浄化の力が宿っているというわけでもないのだ。だが、何かが終わったという確信めいたものがあった。

 大剣を手放したデュラハンの右手が、やけにゆっくりと自分に向かって伸びてきたのを、アーヴァインは見る。そのまま髪を掴まれた。嘶きを上げ、けたたましい金属音を打ち鳴らしながら馬が走り出す。

 不思議なものを見た。驚愕の表情を浮かべたままの自分が、その場に置き去りにされて――遠ざかっていくという光景。

「う、うわあああああっ!」

 状況を理解して絶叫を上げた。遠ざかっていくあれは、自分の肉体だ。寸前まで自分の魂の器だったものだ。デュラハンとの決闘に敗れた自分は、魂の緒を切り離されたのだろう。伝承にある通り、今まさに魂を刈り取られた。

 それこそがデュラハンの持つ、精霊としての能力そのもの。生死の境にいる自分など、デュラハンにしてみれば刈り取る獲物でしかなかったに違いない。
 ではデュラハンはどこに自分を連れていこうとしているのか。決まっている。冥府へだ。

 蹄の音。緑色の炎を空中に残して、刈り取った魂と共にデュラハンが虚空へと掻き消える。それと同時に、アーヴァインの肉体が内側から火を噴いて、灰となって燃え尽きた。



 暴風と暴風。力と力の激突であった。グレイスとイゾルデは中空を飛び回りながら互いの武器を叩きつけ合う。イゾルデの武器は長大な剣であったが、一風変わった仕掛けが組み込まれている。
 刀身が複数の節と節で構成されていて、必要な時にばらけるよう作られていた。節と節の間は金属の糸をより合わせたような代物で繋いである。

 つまり、鞭のような剣。イゾルデの場合は金属糸に血液を纏わせることで自由に操るから、生きた蛇のような剣と呼ぶべきかも知れない。
 近距離では大剣となり、中距離では鞭となる。それを用いてグレイスの双斧と切り結ぶ。



 間合いや攻撃の勝手が掴めない。
 闘気を纏わせたグレイスの鎖もある程度自由が利くが、イゾルデの剣ほどまでには変幻自在ではないのだ。

 胴薙ぎに迫ってくる、巨大な斬撃を飛んで回避。左手の斧を放ちながら同時に突っ込んでいく。一度は避けたはずの斬撃が途中から折れ曲がる。グレイスの直上から切っ先が降ってくるような軌道を描いた。
 転身。すんでのところを蛇剣の刃が通り過ぎていく。と思った瞬間、刃がイゾルデの手元へと巻き取られる。

 伸縮そのものが斬撃の代わりとなる。鋸の刃が過ぎ行くように無数の刃節がグレイスを引き切ろうと襲う。グレイスは鎖を盾のように扱い、肉が切られるのを防いでいた。
 火花と金属音を散らしながらイゾルデに肉薄。笑うイゾルデの頭上から斧を打ち下ろせば――命中する直前に頭と胴体が霧となってすり抜けてしまう。

「はははっ! 楽しいなあッ!」

 イゾルデが再び実体化し、グレイスに向かって至近から蹴りを放った。グレイスは腕に闘気を集中させてそれを受ける。両者が大きく弾き飛ばされた。
 離れ際、蛇剣の切っ先が伸びてグレイスの心臓目掛けて最短距離を迫る。それをグレイスは斧の腹で受けた。金属音と衝撃。もう一方の斧が下方からイゾルデの身体を浅く薙いで行く。


 グレイスは闘気を。イゾルデは赤く立ち昇る妖気を身体に纏わせ、互いに武器を手元に引き戻して突っ込んでいく。何合か切り結び再び後方に弾け飛ぶ。イゾルデが城砦の屋上に着地。グレイスが真っ向から突っ込む。
 大上段から2つ揃えて叩き下ろされる斧に、イゾルデは両手で握った剣を打ち上げるように合わせた。激突の瞬間、イゾルデの立つ城砦壁面に亀裂が走る。
 互いの膂力を比べあうような鍔迫り合い。得物ごしに視線がぶつかり合った。

「くくっ! 所詮混ざり物と思っていたが……その膂力。技量。貴様の父親よりも素質があるかも知れんな?」

 片目を見開き笑うイゾルデの言葉に、グレイスは眉根を寄せた。

「だがまだだ。もっともっと私を楽しませろよ。貴様から感じる手応えと気配から言えば、我等の従者達より優れているのは確実だろう。その気になれば姿を獣だけでなく……霧に変じることもできるのではないか? それとも、隠しているつもりか?」
「隠していることなど、何も」
「ふん。つまり貴種たることを恐れ、ろくに力を磨かなかったか。つまらぬ奴だ」
「私は……両親からいただいた私の身体と、リサ様やテオや……みんなと一緒に見つけたもの。ただそれだけで十分に足りているのです」
「そんなもので、私を殺せるとでも? その斧にも――大方仕込んであるのだろうが、あの光の武器では、側近達ならいざ知らず、私の心臓を捉えることはできんぞ?」

 イゾルデは他の側近達が散っていくところを目にしていたが、動揺はおろか、悲しんでさえいなかった。
 ただオーガストの従者として相応しくなかった。そんなふうに思っただけだ。共に永遠を生きるのには至らぬ連中だと断じる。
 イゾルデの返答にグレイスの唇が薄く笑みを形作る。

「そうでしょうか? フラムスティード伯爵夫人は母の肩書きです。それを騙る不埒者を斬り捨てるには、些か度が過ぎた代物かと」
「くくく、よくも吼えたものだ!」

 力任せにイゾルデが振り払う。グレイスはほとんど下がらず、すぐさまシールドを蹴って突っ込んでいく。至近であれば蛇剣の変化には意味がない。2つの斧と1つの剣が影さえ留めぬ速度で暴風を巻き起こす。紫と真紅の輝きが交差して、弾け飛ぶような火花を散らした。

 イゾルデの武器は剣ばかりではない。近接戦で二刀流のグレイスに対して手数で劣ると見るや、身体のあちこちから獣の爪牙が飛び出す。右手で打ち合いながら左手で獣を打ち払う。闘気を纏った蹴りで灰色熊に似た猛獣の眉間を踏み抜く。

 グレイスにしてみれば、高位の吸血鬼との戦いは2度目となる。身体の一部を獣に変えて繰り出される攻撃にも対応が可能だ。だがあの時とは違い、イゾルデは斧を光魔法の魔道具だと警戒しているから、深くは入り込んではこない。直撃を受けそうになれば身体を霧に変化させて避けるだろう。それだけの反射速度をイゾルデは備えていた。だから――武器では心臓を捉えることはできないというわけだ。

 だが、それが何だというのか。闘気を集中させた蹴り足で爆発するような速度で踏み込む。蹴られた城砦の天井が爆ぜた。
 全身から紫色の火花を散らしたままで肉薄。闘気を束ねて叩き落とす。武器を握る腕だけ残して、笑うイゾルデの身体が赤い霧となった。

 斧で扇ぐように霧を散らす。確かに実体化は遅れた。だが、それも効いていないのか、武器を握る腕だけ実体化させて蛇剣を放ってきたのだ。
 城砦の屋根から先端が潜っていき、グレイスの背後から切っ先が飛び出した。音を頼りに転身して避け、回転する勢いそのままに刃の節と節の間目掛けて斧を叩き込む。しかし、断ち切れない。

 血液で補強された金属の糸は、闘気で強化するそれよりも更に強固かも知れない。屋根を切り裂き、跳ね上がる斬撃。同時に実体化したイゾルデが剣を引き戻し、グレイスを見るや否や牙を剥いて笑いながら斬りかかってくる。

 退かない。もっと鋭く、早く、強く。グレイスの右手の斧に仕込まれたミラージュボディの魔石が発動して斧が3つに分かれる。虚を突く形で振るわれた斧がイゾルデの頬を浅く薙ぐ。上体を逸らしたそこに半歩踏み込む。左手の輝く斧が腹のあたりを一閃していった。

「やるな!」

 光魔法を組み込んだ斬撃による手傷が燃え上がる。それも一瞬のことであっという間に炎が収まり、傷口が再生した。もう一撃を加えようと幻影の斧を振るえば、大きく後ろに飛び退りながらイゾルデの身体がまたも霧散した。
 しかしやはり、武器を握る右腕だけは実体のままだ。攻撃を無効化した上での一方的な攻撃。大きくグレイスを迂回しながら、螺旋状に周囲を包囲する。グレイスが目を見開いた。
 のたうつ蛇が獲物を締め付けるように。円形に展開した刃がグレイスの周囲から迫ってきた。唯一の出口となる真上から、串刺しにするように切っ先が降ってくる。

 グレイスはほとんど動かなかった。直上から降ってくる切っ先だけを半歩だけ動いて避けて、全身に漲らせた闘気を集中させ、夜闇のドレスや、竜鱗の防具を補強。周囲から絡みつく刃を身体で止めて、絡めて引っ張る。剣の形に戻ろうと動いた刃が食い込み、血がしぶいた。
 意に介さない。腕だけ実体化させたイゾルデはグレイスに向かって引き寄せられていた。肩から先――頭までが実体化したその瞬間、イゾルデの目の前にはグレイスの顔があった。

「な――!?」
「――ふ、ふふ、あははっ。ようやく捉えました!」

 哄笑と共に振り抜かれたのは斧ではなく、闘気を纏った掌底だった。斜め下から跳ね上がった右の掌が、正確にイゾルデの顎を打ち抜く。一瞬遅れてようやく全身が実体化したイゾルデが大きく上空に吹き飛ばされる。

 グレイスが飛ぶ。笑い声を上げながら。迫ってくるその声に、イゾルデは霧に変じて追撃を避けようとした。が――間に合わない。グレイスが懐から放った短刀が、イゾルデに突き刺さるほうが早かったのだ。
 それは――リサの遺した封印術が刻まれた、短刀型の魔道具だった。
 封印する能力は変身。ヴァージニアと同系統の力を持つ相手を想定した武器がイゾルデの能力を縛る。
 イゾルデは実体化した瞬間に頭を打ち抜かれ、脳を揺らされていた。それは意識の空白とも呼べる隙である。封印術を叩き込むのにどうしても必要なものだった。

「お、おおおああああああああああっ!?」

 闘気と光魔法とが混ざり合った斬撃がイゾルデの身体を易々と切り裂いていく。左右の斧が馬鹿げた速度で無数の光の軌跡を描き――触れた箇所から微塵に斬り散らし、焼き尽くす。
 上へ上へと、光と炎が舞い踊るように。四方八方へと炎と灰が散り、最後の一閃をグレイスが振り抜いた時――。後には、何も残ってはいなかった。
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