番外319 重ねてきた日々に
迷宮核の齟齬は……侵入者が迷宮中枢に忍び込み、迷宮核に干渉したことに端を発する。それだけならラストガーディアンに排除されて、迷宮核を修復してお終い、だったのかも知れない。
しかしその頃には収まっていたはずの魔力嵐が原因で……ティエーラの半分が取り込まれたラストガーディアンは起動と同時に暴走することが確定してしまっていた。だから、迷宮核の齟齬を直すための手段はそれから長らく失われていた。
ラストガーディアンの暴走の折に死亡した侵入者達は……地上の民であったようだ。これこそがベシュメルクの前身となった国の密偵、ということになるのか。
となると……地上への干渉が行われたとするならイシュトルム本体ではなく、分身か、或いはイシュトルムに同調するような月の民が他にもいたか。
そのあたりの顔ぶれと、ベシュメルクの密偵が接触し、迷宮深層に至るために結託したという可能性は否定できない。イシュトルムの言動をどこまで信じられるのか、という問題もあるが……奴自身はあまり関与していない風ではあったが、大昔の事で当事者がほとんどいないので、細かな部分の真偽を探るのは難しいだろう。
先程のエレナの話から新たに分かったこととしては……魔力嵐の原因となる出来事を起こしたのは、ベシュメルクの前身となった国の王だということ。これを仮に古代の呪術王、とでも呼んでおくか。
魔力嵐を引き起こすも、それを利用する形で偶然魔界を作り出し、そしてそこに逃げ込んで呪術王国の民は生き延びた。魔力嵐が収まるまでもそれなりに長い時間が過ぎている。王は……月の民のように長命だったか。或いは魔法による延命を図ったか、それとも代替わりしてもまだ野望を捨てられなかったか。
となれば頃合いを見て月の船の降りた土地を探り当て、そこに密偵を送り込んだと見るべきなのだろう。連中は迷宮深層に辿り着いて――そして暴走。クラウディアは迷宮に縛られることになる。
それから後に……盟主やヴァルロスが決起。俺達の戦いへと繋がっていく。
魔力嵐が魔人達を生み出す原因の一つとなったことに間違いない。本当に……過去から連綿と因縁が続いているものだ。
「自らの所業を恐れ、伝承を残して魔界を封印……。そうなると、近年になって魔界を利用しようとした権力者が現れた、ということでしょうか?」
エレナ自身に関する話は……船の状態から見ても、そんなに遥かな昔の出来事ではあるまい。
「はい。年代としては今から大体……半世紀程昔の出来事になります」
……50年。尺度が色々おかしいが、全体から見ればやはり最近と言える程度の時間か。
ヴァルロスが動き出すよりも大分前だが、そうなると情報が出回らない今のベシュメルクについて、エレナが慎重になるというのは分かる。ベシュメルク側とて、エレナについてまだ忘れてはいないだろうから。方針が変わったかどうかは不明だが。
「当時の王が、魔界に目をつけたのです。魔界に変化がないか、調査は時折行われていたのですが……魔界の資源を使っていくつかの魔道具や兵器を生み出し、軍事力を増強しようと計画したのです」
諫言した者は投獄や処刑をされた、とエレナは語る。
「……最終的に……当事者である私や宮廷魔術師であった私の師、反対派の貴族達や、騎士団長も反発し、宮廷を制圧して王に退位を迫る、という計画が練られました。ですが……」
その先の事を思い出したのか、辛そうに言い淀むエレナ。俺達にとって半世紀前でも、彼女にとってはつい昨日の出来事、か。
「裏切り者がいた、と手記にはあったわね」
ローズマリーが眉根を寄せる。計画が露見して……船で逃げ出した、というわけだ。
「はい……。騎士団長と、それに付き従う者達は、最初から王の命を受けていたのです。私達はそれを知らずに慌てて騎士団長達と逃げ出し……その……。」
「思い出すのが辛いなら、無理をしない方が良いわね。何となく、その後の顛末は分かるから」
「ありがとうございます。けれど、心配には及びません。大丈夫です」
ローズマリーの言葉に、エレナは力なく笑う。
その後の顛末か。船で逃げている途中で騎士団長達が動いた。反対派の残党を始末し、エレナを連れ帰るつもりだったのだろう。
船の状況と一致するな。襲撃した側は、高度な訓練を受けた組織だった集団、と見ていたが、騎士団長とその部下達ということならば納得がいく。
エレナは大きく深呼吸をすると、更に言葉を続ける。
「船は漂流していましたが、何より帰るべき場所に当てが無かったのです。私の事情を知って、受け入れてくれる相手。魔界に対して野心を抱かないような相手。そして、王の手が届かない場所。そんな心当たりは……私にも、師匠にもありませんでした」
しかし、座して漂流の果てに命を落とせば、逃げ出してきた意味が無い。そこで、エレナと魔術師は決断を迫られる。
というよりも……2人は魔道具を最初から準備していたのだ。自分達が失敗した場合の最後の保険として。
つまり、どこにも向かわないという選択。エレナが眠り続けている限り、王の元に巫女が現れる事はなくなる。魔界は……封印されたまま、その扉が開くことも無い。
「それほどまでの決意を以っての事、だったのですね」
アシュレイが表情を曇らせる。
「私は――皆様がヴェルドガル王国の方々と聞いて、これが私の運命だと思いました。テオドール様や皆様の人柄を知り、成してきたことを聞いて。私達の祖先の罪を告白して、そして断罪されるのなら、それもやむを得ない、と」
エレナはそう言ってかぶりを振る。
「ですから、お願いがあるのです。もし今の状況を調べて、まだベシュメルクが野心を捨てていないのならば……御迷惑をおかけするわけには参りません。私をまた、あの魔道具で眠らせてはくれないでしょうか?」
エレナのそんな言葉に……皆、息を呑んだのが分かった。自分達の祖先が犯した罪を、自ら背負う。そんな決意は、目を覚ましても尚、揺らいではいないのだろう。
「その後をお任せすることになってしまうのは、心苦しいのですが、テオドール様達なら信じる事が――」
「その提案は、乗るわけにはいかない」
「ええ。論外だわ」
エレナの言葉は最後まで言わせない。俺もクラウディアもはっきりと断言する。みんなもすぐに頷いた。そこまでの拒絶を予想していなかったのか、今度はエレナが驚く番だった。
「私は……迷宮の管理者だったのよ。長い時間を……管理者として縛られて過ごしてきたわ」
「それに私達は、ずっと見守ってきてくれたクラウディア様を、解放するために力を合わせてきたんだもの」
「だから、私達がエレナ様の事情を知ったからってそんな提案を呑むわけ、ない」
クラウディアの言葉を引き継いで、イルムヒルトが決然とした表情で言う。シーラもイルムヒルトに続けて、そう言った。
「ベシュメルクの人達が犯した罪だから責任をというのなら、私の両親もベシュメルクの出身です。エレナ様のお話を聞いて、知らない振りなんてできません」
エレナは俺達の反応やクラウディアの出自に戸惑っている様子であったが、グレイスの言葉に、更に目を丸く見開いていた。
「そもそも、当事者ではない、何代も後の子孫に罪なんてないでしょうに……というのは、ハルバロニスでも言ったかしらね」
「ええ。そういう事例を他にも知っているけれど、私達は問題にしなかったわ」
と、ローズマリーとステファニアが言う。ローズマリーはあまり感情を表に出してはいないが真剣な表情だ。ステファニアは……心配そうなもので。
エレナはどこか申し訳なさそうに俯いてしまう。
「だって、本当に沢山の人達が、命を落としたって……。精霊様達に、酷い事をしたって……」
「だからそうならないように……守ろうとして下さったんですよね。エレナ様の命だって危なかったのに」
「エレナ、が……1人で眠れば、なんて……そんなのは、やだ、な。おともだちに、なったのに」
アシュレイが心配そうにエレナの背中に触れ、マルレーンが手を取って、たどたどしい声で言う。
そんな皆の言葉に……エレナはぽろぽろと、涙を零した。
それは、年相応の少女の反応で……。きっと張り詰めていた糸が切れたのだろう。
「精霊達は、多分エレナさんの事は嫌ったりしていない、と思いますよ」
「そう……そうでしょうか……?」
「間違いありません」
それは確信を持って断言できる。ティエーラとコルティエーラの、暖かな力を今も感じるのだ。話の途中で、通信機で伝えた。だからこれは――ティエーラ達の返答に他ならない。丁寧にも、そっちに顕現しないのは驚かせないため、と。通信機に補足のメッセージまで入れてくれているし。
「それに……こちらの事情も色々お話すれば納得してもらえると思いますが、既に僕達の問題でもありますから。一緒に解決する方法を探るのが僕の通すべき筋というものです」
だから、エレナに眠ってもらうなんて解決方法だけはしない。それでは、今まで重ねてきた日々に、みんなとの絆に、嘘をつくことになるから。