番外307 難破船の深奥にて
見取り図は経年劣化で割と風化しているが、元々は額に入れられていたらしく、船長室の環境も長年安定した環境だったからか、内容を読み取る分には問題ない。
そうして船長室や貴賓室の壁、床、天井等々まで含めて調べてから、他の場所に向かって探索を始めると……すぐに異常に気付いた。
シーラの言うとおりだ。船長室でもそうだったように、当然あるべきものがない。
例えば個々人の断定に繋がるような私物。衣服もそうだ。仮に船員の衣装が統一されていたりすれば、それはどこの国のものか、どんな身分の人間が乗っていたのか、判断する手がかりになるが、それがない。
船が傾いているので生活感等々は読み取りにくかったが……。設備自体には使われた形跡も少なからずある。とはいえ、恐らくは新造されたばかりの船だったのだろうと思われた。
そして新しい船には似合わない傷も――。
「……戦いの痕跡か」
いくつかの部屋の家具に刃物の傷跡……。元々置かれていた場所に配置したらどうなるかとレビテーションで動かしたら、壁や床の傷とぴったり繋がるのだ。寝込みを襲ったのか、寝台にも武器による襲撃の痕跡も見て取れる。
誰が、誰を襲ったのかは不明。
もっとはっきりしたところでは上層から階段を降りたところに広々としたダンスホールがあるのだが、ここには魔法による破壊痕まであった。
「立ち位置を考えると、剣を使って船に乗っていた誰かを襲っていたのが……多数」
シーラが現場を検証して言う。闘気を飛ばした斬撃波の残した爪痕が、魔法を放ってきた術者がいたであろう方向に複数刻まれていたりして。
それをシールドで防御したのだろう。丸く綺麗に斬撃波の傷が抜けているのが見て取れる箇所まである。そこからどう動いたか等、残された痕から類推していくと……多分、剣を用いていた側よりも数段上の実力者であることが伺えた。
「ここで交戦した魔術師……。相当強かったんじゃないかな。この位置からあっちに……複数からの攻撃を防御しながら反撃の魔法を的確に叩き込んでる。ここのは、床と柱の焦げ跡から見て、収束された雷魔法……第5か、第6階級並の威力を引き出しながら、船への被害は最小限に留めてる」
「こっちは――撃ち込まれている角度から見て、マジックスレイブからの氷か石の弾丸、かしら。術の選択を見るに、船を壊さないように気を付けているようだけど、それでも相当な威力ね」
ローズマリーも手並みに感心している様子だ。
剣を使っている方は食堂の入り口から多数で踏み込んできて、ここで魔術師と交戦状態に入った。船体に傷つけないように魔法を調整しているところを見ると、やはり襲撃を受けた側、なのだろう。
「集団の方は正体不明ですが、斬撃波の痕跡から見るに、連係して闘気の刃を放てる練度を持った集団、ということになりますか」
グレイスが戦いを想像したのか、目を閉じて言う。
「少なく見積もっても、騎士団なら精鋭部隊とか呼ばれるだろうし、仮に傭兵や海賊だったなら、相当名前を知られてるだろうね」
だが傭兵や海賊というには、正統な訓練を受けて目的に沿って無駄のない行動をしているように見える。
船を制圧した後はどうするつもりだったのか。自分達の船を持っていたのか。それとも自前で航行させられる技術を保有していたのか。或いは船員を脅して船を航行させるつもりだったのか。練度から考えると、どれも有り得る。
「そんな相手をマジックスレイブと本体からの射撃で寄せ付けず、遠距離攻撃をシールドによる防御で防ぎ切って応戦できる魔術師……ですか」
アシュレイが言うと、みんなの警戒度が更に上がったようだった。相当な力を持った魔術師。船に何が残っていても不思議ではない。
戦闘の結果が最終的にどうなったのかは不明だが、集団側に犠牲者多数は間違いあるまい。船体を傷つけないようにしていたあたり、航行中の出来事であったと思われる。
まだ全体を見てはいないが、死体の類は……多分残されてはいないだろう。
病気の発生やアンデッド化を懸念して海に投棄――或いは水葬した、というのは有り得る。身元を隠す意図が、戦闘を生き残った誰かにあったのなら、そもそも遺体も残しては置けないだろうしな。
そしてもう一点。ここまで見てきて気になる事がある。見取り図とウィズの作った実際の船内図に一致していないところがあるのだ。
……通路の幅、床から天井までの高さ。部屋の一つ一つ。
見取り図が不正確でないとするなら、意味するところは1つだ。船全体の構造を少しずつ少しずつ誤魔化すことで、巧妙に秘密のスペースを確保している。船内を、見取り図を見て歩いただけでは分からないように。
それを、みんなに説明する。造船の段階でかなり巧妙に設計されて、隠されているスペースがある、と。
「全体を一周してくれば、大凡の位置は割り出せるかな。入口の場所を推測して、有りそうな場所を重点的に探した方が発見を早くできそうだけど」
「入口があるとしたら、船長室か貴賓室……それに宝物庫……あたりかしら?」
ステファニアが思案しながら口を開く。
「俺が今まで作ってきたものとは少し設計思想が違うけど、色んな場所に逃げられるところに避難部屋に続く仕掛けを作るっていう考え方もあるかな。逃げた先が誤魔化しやすくなるから、船みたいな大きな密室になる場所では、有効な気もする」
「となると……この広間も候補に入りそうかしら」
イルムヒルトが見取り図を覗き込んでそんな風に言った。
「有り得るね。貴賓室から近いし、逃げ込もうとしたけど戦闘になったとか、誰かを逃がすために足止めとして魔術師が留まって戦闘になった、とか」
ここまで見てきて色々疑問も増えているが、とりあえずは貴賓室、船長室、宝物庫、そしてこの広間と、挙げられた候補を重点的に探してみよう。
船長室、貴賓室は一応既に見ているが、斜めになっているから見逃してしまったという可能性もあるしな。
魔術師が防衛役として残った、と仮定した場合。なるべく秘密の通路に意識を向けさせないように立ち回る。射線に入れないように……となると、この方向、か?
視線を向けてみれば、丁度別の場所に続く通路と階段……それに柱もあって、遮蔽物が多めで視線が切れやすい個所でもある。
シーラも痕跡からか構造からか、仕掛けを作るならそちらが怪しいと踏んだのか、その方向に迷いなく歩いていく。
「特に怪しいのは、このあたりかな」
コルリスが壁に鼻を近づけてひくつかせていたが、やがて一部を爪の先で指差す。そこに……小さな魔力反応。シーラがそのあたりに触れていると、壁の装飾の一部がスライドして魔石が姿を現した。
魔石に魔力を流すと、音もなく壁の一部が奥に開いた。
狭い通路が続いている。
……照明設備が魔道具だったりするからな。魔力の探知では中々、紛れてしまって分かりにくい仕掛けだ。
「魔術師や魔法生物相手の可能性もあるし、狭い通路だから……まず俺が入ってみるよ。安全を確認したらみんなに知らせる」
「気を付けてね、テオドール」
クラウディアが言う。マルレーンもその言葉にこくこくと頷いて。大丈夫、と笑みを浮かべて返す。
というわけで……魔法の光を先行させる形で、隠し通路に入る。
人一人通過できるぐらいの細い通路だ。こうして通路を伸ばす事で、秘密の部屋の場所を分かりにくくしているのだろう。
そうして、角を曲がり――。通路の突き当りにそれを認める。
扉と……その前に座り込んでいたのであろう、粗末なローブを纏った人物。扉は傾いた方にあるので、扉に背中を預けるような形になってしまっているが。
「難破した船を見かけて……救助に来たのですが――」
敵意が無い事を示すように声をかける。それは誰に届くことを期待したものでもない。
生命反応がない。魔力反応は杖に宿っているが、人物本人には、ない。それもそのはずで、ローブの隙間から覗く顔は既に白骨化していた。
アンデッドではない。魔法生物の反応もない。だからと言って、魂がここに残っていないとは限らない。そう思っての言葉だったが……。
粗末なローブは……多分偽装だな。ローブに比べて杖が立派過ぎる。汚してあるが、良い品であるのは魔力反応を見れば分かる。
多分服装から身分を分からなくしたのだろうが……愛用の杖に関しては代わりになるようなものが無かったのだろう。
では、生き延びて偽装をしたのは、この人物、か?
ただただ、扉の向こうにある何かを守るように、そこに座り込んでいる人物の姿。
その近くに、何やら紙が落ちている。転がっている羽ペンとインク壺。紙には文字が書かれていて。
――この船は我が術が生きている限り、幻惑の霧と共に未知の海原を彷徨うだろう。
しかし今日このような事態を招いてしまったのは、我が身の不徳の致すところ。裏切りを見抜けなかった。そのせいで、このような苦難を強いることになるとは痛恨の極みである。
何もかも痕跡を消し去っても、我が身を焼く悔恨だけは消し去れぬ。
そのような気持ちが、このような未練がましい文言を残させるのか。今はただ、独り静寂の中に。苦難の運命より抜け出す事を、祈り、願うものである。
そんな文章が記されていた。
誰に届くこともなかった魔術師の……懺悔だろうか。主語をぼかしているが……苦難を、強いる。そこから抜け出す。一体、何の、誰の事を言っているのか。
……扉の向こうには、何がある?
この場所に至るヒントに成り得る見取り図を見逃したのは……それを見つけて欲しいという想いが、魔術師の中にあったから、か? 事件の後に身元の断定に至る一切合財を消し去って……それでも誰かに守ろうとしたものを、見つけて欲しいと。
「……失礼」
扉に寄り掛かる様にしているその魔術師の遺骸を崩さないように、そっと通路の脇に避ける。そうして、扉を開く。
魔法の明かりに照らされる秘密の小部屋。そこにあったのは――。
床に描かれた魔法陣。中央に鎮座する、青白い水晶の柱。その柱の中には、まるで眠るように目を閉じる、少女の姿があって――。