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封老

作者:芹沢 忍
 暮れた空に物悲しい声が木霊する。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

 低く、高く。時には悲鳴のように胸を突く。  
「ああ、あれはぬえだ」
 男が呟き闇へ沈む森へと目を向けた。木々の間に架かる注連縄しめなわ紙垂しでが風に揺れている。目指す場所はその奥だ。村の古老から聞いた場所は、暗くざわめく神域の果て、その果ての地下にある。
 昼でも暗い森の径に、男は日が落ちてから向かっていた。

「語り部を継ぐなら行かねばならんぞ」
 坐した古老が男に言った。役目を終える間際である語り部の言葉に男は黙って頷いた。
 森は男が生まれる前から永の禁忌の地であった。入ることが許されているのは村の中でもごく一部の男に限られている。語り部は数少ない立ち入りを許された者であり、また、森の全てを知るべき者でもあった。
「径がある。真っ直ぐとそれに沿って行くがいい。径の先には祠がある」
「その祠には何があるのでしょう」
 古老の言葉に男は問うた。古老が白く濁った瞳で男の目を見ようとする。中々定まらぬ視線の代わりに、男は自分の存在を知らせるように古老の手を握った。手の位置から判断したのか、古老の目が男の顔に向かい、男も応じて古老の顔を見る。視線の彷徨が治まると古老は厳しい顔つきで口を開いた。
「ここから先は他で言うてはならぬ」
 古老が握られていた手を男の腕から肩まで這わせる。己の両手を男の肩まで移し、自分の元に引きよせるようにすると、古老は彼の耳元へと口を寄せた。
「祠には仕掛けがある。中にある輪を引くと地下への径が開く」
 一呼吸休みを入れる。ぜいと喉が鳴る音が男の耳に聞こえた。
「そこに最後に知るべきものがある」
 力尽きるように腕が降り、古老が疲れたように前へのめる。倒れそうになる古老を、男はやんわりと受け止めた。
「――私は行かなければならないのですね」
 古老が頷く。男が古老の姿勢を正していると古老が誰にともなく呟く。
「早いものだ、本当に早いものだ」
 何に対しての言葉であろうか。恐らく現実を離れているであろう古老に、男は小さな憐れみを抱いた。
 古老が儚くなったのはその直ぐ後である。

 今、村には語り部が居ない。男はまだ知らなければいけない事があったのだ。語り部を名乗るのは森の祠へ行った後になる。
「師匠。私はこれから祠に行きます」
 かつて古老が坐していた場所に男は声を掛ける。外を見ると夕闇が迫っていた。ここを出たらすぐにも夜になるだろう。

早いものだ、早いものだ、早いものだ――

 古老が繰り返していた言葉が急き立てるように頭を過ぎる。男は立ち上がり語り部の家を出た。

 そうして今、男は禁忌の森へと踏み込んでいる。
 闇の中、鵺の声を聞きながら男は進む。頼りない小さな手火たひのみで獣道を進む。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

 低く、高く、不吉な声は響く。木々のうねる音が騒がしい。
 暗い森のざわめきは自分を閉め出そうとしているかのようだと男は思っていた。
 森には意志がある。師匠の語りがそれを男に教えていた。

  一人の女があった
  貧しい家の女であった
  女には養うべき子があった
  女は森へ入る
  糧を得る為に
  だが女は森を穢した
  住まう獣を屠った
  森の怒りは大きかった

  おのは裳裾を血で穢した
  己が民の血で穢した
  己は罰を受けるがよい

  女は穢れを身に受けた
  女は血の穢れを持った
  穢れた者は森に入れぬ
  以来女は森に入れぬ

 抑揚のある語り口。男は古老の語りを胸の内で聞きながら進んだ。

  森には幸が多かった
  春には芽吹く幸
  夏と秋には実る幸
  山菜 木のもの くさびら
  冬は山も静かに眠る

  森の幸は慈悲だ
  忘れちゃならぬ

  それを忘れた村人あり
  幸を全て我が物に
  後に残ったものは無し
  後に入った村人は
  幸を得る事あたわず

  森は激して径を閉ざす
  かんなぎあり 森に問う
  我いかにして再び幸を得る事叶うか

  森は求む 贄をと
  森曰く そは報いなると

  覡 そを受け贄を献ず
  森 再び幸を与えん

 暗がりから白く浮き出るように何かが見えた。祠だ。石造の立派なものであることが見て取れる。
「あれが件の祠か」
 男は呟いた。返事に応える者は無い。手火が風に揺れ、木々が風に騒ぐ。身震いし、男は前へと踏み出した。
 祠の背には切り立った崖が高く聳えていた。絶壁が全てを阻むかのように立ちはだかり、自分に圧し掛かって来るかのように男は感じた。その威圧感に耐えながら、男は流造ながれづくりの祠に近寄り手火を翳す。師匠に言われた通りに本来ならばご神体が入っている筈の祠の中へと手を差し入れた。
 左右に手を動かし、それから祠の上部を探る。一番最後に底の方を探ると、冷たい何かが指に触れた。冷やりとしたその感触に、男は驚き、僅かに手を引いた。
「何をしている。怯えるようなものではないだろう」
 男は己を鼓舞するように言ってから、再びその何かに手を伸ばし、冷やりとしたものに触れてから指を這わせ形状を確認する。

 ――円形だ。間違い無い。

 円環を掴み、男はそれを引いた。金物が擦れる音が嫌に耳を打つのは、静けさが勝るからだろうか。がざがざ響く音で胸が疾駆ける。落ち付かぬ心地で音が鳴りやむのを男は待った。闇と崖、双方から来る重みに男は耐えた。
 ふいに石祠の裏にあった崖の一部が揺れた気がし、男は手火を掲げて崖を見やると、岩が僅かにずれている。そのずれが徐々に広がり、人が一人ようやく通れるくらいの穴になった。黒い穴は、まるで不気味な得体の知れぬ生き物が口を開けているかのようである。のっぺりとしたその口が自分を飲み込む―― そんな幻影が男を襲う。頭を大きく左右に振り、男はそれを追い払った。気を落ちつける為に、息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。それから慎重に前に踏み出した。
 踏み入った口の中は緩やかな下りになっており、下るにつれてキンと耳が痛む程に静けさが深くなる。冷えた岩肌はしっとりと湿っており触れると肌に吸いつくようだ。その感触が何処となく人肌に似ており、男は眉根を寄せた。暗い中、よくよく見れば、岩肌に繁殖している苔に触れていたのだ。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

 いきなり響いた鵺の声に男の心の臓が跳ね上がる。石窟の奥から響いてきたその声は、男の不安を煽った。
 この奥には確かに何かがある。一足進む毎に冷気が身体に纏わり、身体が重くなる気がする。
 男は力を振絞るようにして前へ進む。手火を翳し、探るように手を岩肌の添え、足は擦るようにして。一歩一歩を慎重に運び、石窟をくだる。
 どれくらい進んだだろうか。鼻を衝く臭いに男は怯んだ。強烈な獣臭に嘔吐く。臭いは闇の奥から流れて来るようだった。男は闇に目と耳を凝らす。何も見えはしなかったが、微かな音は聞こえた。
 唸るような呟くような、言葉にならない音――
 男の背中に冷たい汗が伝い落ちた。得体の知れぬ何かが行く手にいる。その気配に男は恐れを覚えた。

 ――語り部を継ぐなら行かねばならんぞ。

古老の言葉が甦る。知らなければならない何かがこの奥にあるのだ。唾を呑む喉が鳴る。その音は嫌に大きく響いた。
「進め、進むんだ」
 自分を奮い立たせるように男は言った。足は思うように上がらず、動こうとすると身体が軋むようだ。
「進め、進め、進め――」
 声に併せて足を運ぶ。獣臭が濃くなる。淀んだ空気は時間の停滞を感じさせた。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

 再び鵺の声が響く。しかもかなり近くに。低く、高く。悲鳴のように。そこに時折小さな笑いが混じる。男の肌が粟立つ。笑いの中に狂気がある。空気の密度が更に増し、重苦しさに汗が出る。
 闇の中を探るように目を眇める。先程はただの闇しか見えなかったが、今は僅かな濃淡を感じられた。近付くと濃淡が僅かに揺れる。更に近付くと闇が戦慄き、そこから微かに音が漏れた。
 男は目を見張った。
「人か」
 闇に浮かぶのは手首を枷に戒められた人影であった。 
手枷に繋がれた腕は枯れた細枝のように見える。何かが下がるように揺れているが、それは衣服であったものであろうか。膝を着くように宙に釣られた影から呟きが漏れているが、それは獣の言の葉に近い。影の頭部が上がると、大きな音が溢れた。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

「これが鵺か」
 男は知らずと口に出していた。その声に反応するように影が男を見た。
「――来たか」
 影から発せられたのは既に去った筈の古老の声であった。男はその場に捕らわれ身動きが出来ぬ。影がくつくつと笑う。
「これが語り部の最期じゃ」
 自分の末路を目の当たりにした男は屑折れた。影は笑う。
「森の贄は我らの御霊じゃ」
 先程反芻していた語り。覡が献じた贄。男は自分の身を抱きしめるように、しながら震えを止める事に必死であった。
「我らが贄にならねば、村人は死ぬ。故に語り部は絶やしてはならぬ」
 古老の声は続ける。
「――増やす事はあたわぬ」

早いものだ、早いものだ、早いものだ――

 古老の呟き。過ぎた年月への思慕にも似た想い。
「知っていたら語り部など目指さなかった」
 男が苦渋の言葉を漏らす。
 影が狂ったように笑う。
「人の業じゃ! 己が事しか考えぬ人の業じゃ!」
 笑いに悲痛な悲しみが籠もる。古老は人がそれだけでは無い事を知ってはいるが、過去の業は重い。
 森が課したのは語り部に理を伝える事と過去の責を負うことであった。
「帰って村人に語るのだ。己れだけではない事を。知恵として伝えるのだ」
 その言葉を最期に影は口を噤んだ。男が声を限りに叫んでも石のように何も言わぬ。
 男の声と涙が尽きた。訪れた時よりも重い荷を背負い、男は腰を上げた。一足ごとが大切であった。
 祠を出た男はもう振り返らなかった。虜囚となるその日まで、己はいかにして過ごすべきか。

早いものだ、早いものだ、早いものだ――

 嵐のように自分の中に言葉が吹き荒れる。古老と同じように自分もこれから過ぎてゆく時に思慕の想いを抱くのであろうか。

ヒョー、ヒヨー ヒー、ヒヨー ヒリー、ヒリョオー

 低く、高く。胸を突く声。
「あれは鵺だ」
 自分に言い聞かせるように男は呟き、背負った荷の重さを感じながら径を踏みしめた。
3年ばかり放置していた物を見直して完結させました。ちょいと小野不由美さんの文章っぽくしてみようとした跡があって我ながら笑えます(^_^;)

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